第36話:砂の海
──空が、広かった。
どこまでも続く金色の海。
見渡す限りの地平線。
延々と続く砂丘に、上空を飛ぶクロの影が滑り落ちる。
照り返す砂の眩しさに、クロは思わず目を細めた。
「ほんっと、何もねえな……」
「そりゃ、砂漠だからねえ」
クロの背で、エーギルが答えた。
「今回ばかりはクロがいて良かったぜ」
その隣でヨナがぼやく。
砂漠には人がいないので、安心して飛べる。
通常なら歩いて数日かかる距離を、数時間で進んでいる。
……それは良いのだが、暑くて何もない。
クロは死んだ目で地平線を眺めながら、翼を羽ばたかせる。
変わり映えしない風景に、すっかり飽きてしまった。
この先に遺跡なんて本当にあるのだろうか?
そして、容赦なく降り注ぐ苛烈な日差し。
黒いドラゴンの体だと、余計に暑い。
クロのモチベーションは、早くも下がっていた。
エーギルのおやつでなんとか保っている状態だ。
「そうだ、サボテンは食べなくていいのかい?」
なんとかクロの気分を盛り上げようと、エーギル。
クロは砂漠でまばらに生えているサボテンを一瞥する。
シワシワで美味しそうには見えない。
「野菜の気分じゃないな。食うなら肉がいい」
「それは厳しいねぇ……ん?」
エーギルが目を細め、陽炎の向こうを見据える。
「クロ、右へ。あれを見て」
エーギルが指差す地平の彼方で、かすかに煙が上がっている。
「火事か?……いや、あれは砂煙だな」
ヨナが双眼鏡を下ろして呟く。
少し興味をそそられたクロは、方向を変え、速度を上げていく。
近づくにつれ、それがキャラバンだと分かる。
馬車が横倒しになり、周囲を巨大な生き物がうねるように囲んでいる。
砂を巻き上げて飛び跳ねる無数の“砂の柱”──それは、砂ワームだった。
「ありゃあ、ひとつやふたつの群れじゃねェな……」
「うん、完全に魔物暴走だね」
エーギルの表情が引き締まる。
ヨナは手早く武器のストラップを締め直した。
「クロ、行ける?」
「行けるもなにも、あれはもう昼飯の行列にしか見えんぞ!」
クロは降下の姿勢をとった。
「おい、まさかワームを食うつもりか!?」
「当然だ!俺をなんだと思ってる?ドラゴンだぞ!」
「さすがクロだね!」
言うが早いか、クロは翼をたたみ、落下の勢いそのままに地面へ突っ込んだ。
砂塵が爆ぜ、衝撃波が砂丘を崩す。
ドラゴンの巨体が着地した瞬間、ワームの群れが一斉に身をのけぞらせた。
「うぉおおおらァ!!」
振り下ろされた尾の一撃で、数匹のワームがまとめて吹き飛ぶ。
砂と肉片が舞い、キャラバン達の悲鳴が遠くに聞こえた。
「ひぃっ、ドラゴンだ!」
「巨大な黒竜……災厄の竜だ!」
ざわめきが広がる中、エーギルが跳躍し、空中で杖槍を構えた。
その穂先から数条の光矢が放たれ、ワームを次々と貫いていく。
舞い上がる砂埃の中、ヨナの一喝が響いた。
「落ち着け!あれはエーギル──光の勇者の従魔だ!」
その声に、戸惑うキャラバン達が動きを止める。
「え……?」
熱気と砂煙の中で、空気が一瞬だけ凍りついた。
今まさにワームを踊り食いしようとしていたクロの動きが止まる。
「え……今、喋ったか?」
そのワームの瞳にあるのは、恐怖ではなく懇願の色だった。
「お前……」クロが低く呟いた。
「エーギル!こいつらはキャラバンを襲っていたんじゃない。暴走させられていただけだ」
「えっ!?クロ、ワームの言葉がわかるの?」
「ああ、なぜかな。こいつらは暴走していた仲間を抑えようとしていたらしい」
クロは飛びかかってくるワーム達を、手際よく捕まえながら説明する。
こちらの様子を伺っている大人しいワームが数匹いた。
彼らが暴走していた仲間達を抑えようとしていたのだろう。敵意を感じない。
「そういえば……やたらワーム同士で噛みつきあっていたのはそういうことか」
キャラバンの誰かが合点がいったように呟く。
「あの時の精霊みたいに、お前の聖痕の力でどうにかできないのか?」
クロは捕獲したワーム達をエーギルの前に差し出した。
エーギルの右手の聖痕が淡く光る。
聖痕を通して伝わってきたのは、ワーム達の感情だった。
魔物の感情がここまで明確に流れ込んでくるのは初めてだ。少なくとも、キャラバンに憎しみを向けて暴れていたわけではない。魔物暴走の瘴気に当てられ、錯乱していただけなのだ。
「やったことはないけど……うん、できそうだ」
その瞬間、光が風を孕み、砂を静かに巻き上げる。
舞い上がる砂は光を受け、金色にきらきらと輝いていた。
暴れていたワーム達から黒い煙のようなものが抜け、動きが少しずつおとなしくなっていく。
「……大丈夫。もう、怖くない」
光の中で、エーギルの声が優しく響いた。
やがて光が消えると、ワーム達は砂の中へとゆっくり身を沈めていった。
沈む砂の音が波のように聞こえる。
まるで大海が眠るように、穏やかに。
クロはその様子を見送りながら、満足げに笑った。
「さすが、俺の主だな!」
その光景を見ていたキャラバン一行も、自分の精神が驚くほど落ち着いていることに気づいた。
それどころか、神話のひと場面──もしかしたらとんでもない瞬間に立ち会ってしまったのではないか。
今さらながら、そう思う者もいた。
各地で起こっている魔物暴走。年々悪化しており、それを止める手立てがない。
しかし、それを目の前で──ドラゴンとともに光の勇者が鎮めてしまったのだから。
ワーム達が体で感謝を伝えていた。
「え?お礼?そうだな、なんかうまいもんがあるところとか教え──」
そのとき、砂がざわめくように細かく震えた。
急速に大きくなる振動に、クロは首を傾げる。
「む、なんだ?」




