第33話:フードファイター・クロ
クロの武器も無事手に入り、あとは蒼月の砂漠へ向かうだけとなった。
出発は明日の朝だ。
エーギルとヨナは砂漠に必要な装備や食料をそろえるため、買い出しへ出かけていた。
一方クロはというと、出発前の腹ごしらえのため、ギルド近くのレストランへ向かっていた。
「出発前に少しでも食い溜めしておけ」というヨナの命令である。
砂漠は食料も水も乏しく、持ち込める量にも限界がある。
過酷な環境を思えば、移動だけでもかなりのエネルギーを消耗するだろう。
つまり──少しでも力を蓄えておけ、ということだ。
理由はどうあれ、美味しい料理を味わえる機会があるのは嬉しい。
人々が行き交う賑やかな通り。クロは軽やかな足取りで、レンガ道を進んでいく。
レストランや食品店が多く立ち並ぶこの通りは、美味しそうな香りがたえず漂う。
ギルドから歩いて五分ほどの場所。
ヨナに紹介された店の扉を開けると、温かな空気と香ばしい匂いがクロを包んだ。
ドワーフの夫婦が営む、家庭的な雰囲気の店だ。
味もボリュームも満点──とヨナが太鼓判を押していた。
あらかじめ連絡を受けていたらしい店員が、妙に真剣な面持ちでクロを出迎えた。
(……ヨナ、俺のことをどんなふうに紹介したんだ?)
クロは気になったが、あえて聞かずにおいた。
クロは他の客の注目を集める中で、一番大きなテーブル席へ案内された。
飴色の広大なオークのテーブルだった。十人で囲んでも余裕があるほどだ。
これからこの上にどんな料理が並ぶのか、考えるだけでワクワクした。
席につくとすぐにメニューを開いたが、文字が読めない。
店員にオーダーを聞かれたクロは、水を一口飲んで少し考えた。
……ヨナから連絡が行っているってことは、この店で好きなだけ食べていいってことだよな?
その結論に達した瞬間、パアッと顔が明るくなった。
クロの尻尾は嬉しさと期待でピンと立って小刻みに震えた。
「上から全品、巨人盛りで!トッピングは全種類、別皿で頼む!」
元気いっぱいの声に店内が一瞬静まり返る。
「か、かしこまりました……上から順にご用意します!」
店のスタッフは、彼がとても大食いである事をヨナから聞いていたが、やはり驚きの顔を隠せない。
(くぅ〜!全品大盛り注文、前世からやってみたかったんだよな!
前世はどうしても胃袋に限界があったからできなかったけど、今の体なら余裕だ!最強!)
やがて数人の店員が次々と料理を運び込む。テーブルの上が瞬く間に埋め尽くされていく。
客たちは何事かとざわめき、いつしか視線がクロに集中した。
テーブルの上の料理が一皿一皿増えるたびに、クロのテンションはぐんぐんと上がっていく。
あっという間にテーブルの上は大盛りの料理でいっぱいになった。
あらゆる料理が所狭しと並ぶその光景は壮観で、クロは歓声をあげた。
もはやフォークやスプーンを置く隙間もないほどだ。
テーブルの上はまるで宝石箱をひっくり返したように輝いていた。
きらきらと鮮やかに輝く野菜料理、琥珀色に輝く豪快な肉料理、見た事もないハーブが彩る料理……。
どれも初めて見るけれど美味しそうだ、とクロは舌なめずりをした。
具がごろごろと入ったスープの香りが食欲をそそり、焼きたての金色のパンの姿が食欲を刺激する。
どれも巨人盛りなので、視覚的な迫力もすごい。
テーブルいっぱいに広がるさまざまな料理の香りに、クロはすっかり夢見心地だ。
「ああ、夢でも見ているんじゃないか……?これ全部を俺一人で?困ったな、どれも美味しそうだ」
ついそんな言葉が口からこぼれ、頬が緩む。すばらしい香りに、つい深呼吸する。
店中の客が見守る中、クロは厳かにフォークとナイフを構えて言った。
「いただきます」
ナイフとフォークが皿に当たる音が、食欲を掻き立てるリズムを奏でる。
スープをすする音、パンをかじる音が、静かな食堂に響き渡る。
気がつけば、店中の客全員が観客になっていた。
クロが鮮やかに料理を次々と平らげていく様子に、皆夢中になっていた。
それは単なるフードファイトではなく、一つのショーになっていた。
気持ちの良い食べっぷりだけではなく、食べ方もとても丁寧で見苦しいところがない。
鮮やかなフォーク捌きは、料理をより美味しそうな形へ昇華させ、クロの口に運び込まれる。
どの料理も丁寧に味わって、美味しそうに頬張ってくれるのだ。
心からの「美味い」の笑顔に、誰もが息をのんだ。
ちょっとお行儀が悪くても、そんなに美味しいのだなと思わせる説得力と愛嬌があった。
別皿のトッピングで意外な組み合わせを披露して、「その手があったか!」と観客を唸らせる。
パンを落とす、小さな失敗すら可笑しく、観客を和ませる。
店中が自然と彼を応援していた。
彼を見ていると、自然と彼と同じ料理を食べてみたくなるだろう。
彼を見ていると、自分の大好物を彼につい紹介したくなるだろう。
彼を見ていると、自分が作った料理を彼に味わってもらいたくなるだろう。
やがてそれは連鎖した。
他の客は「自分もあれを食べたい」と注文し、気前のいい客は一品を差し出す。
料理人の客は厨房に駆け込み、クロのために新しい皿を作った。
店員も店主も、ただ彼の「美味しい」の一言を聞きたくて動いていた。
クロはその中心で、ただ幸せそうに料理を頬張っていた。
「ああ、こんな幸せでいいのか……?」
クロがほう、とため息をついたその時。
入店のベルが鳴った。
店の空気が一瞬で変わる。
3人の若い男がズカズカと歩み寄ってきた。チンピラと呼ぶほかない風貌。
ボサボサの茶髪、三日月形の傷。よれた服、汚れたブーツ。取り巻きの二人も似たような格好だ。
チンピラ達はにやけながらクロのことをじろじろと見る。
「お前、あの副ギルドマスターと勇者と一緒にいたやつだろ?」
クロは椅子に座っていたので、ちょうど彼らに見下ろされる形になっていた。
クロは、まるで他人事のように「この世界にもこういう奴らがいるのか」と思った。
彼の意識はまだ料理に向いたままだ。
クロの沈黙にチンピラたちが早速調子づいた。
「おいおい!こいつリーダーの迫力にビビっちゃってますぜ!」
取り巻きAがクロを指差しながら、ニタニタと嫌な笑いを浮かべて言った。
取り巻きBはクロを小突きながら、挑発の言葉を投げかける。
「おいおい!ここは俺たちの縄張りって知らねぇのかよ!」
「あ〜ん?獣人だからわかりませんってかぁ?」
取り巻き二人は、ガタガタとテーブルを猿のように激しく揺らしながらのたまう。
スープがびしゃびしゃとテーブルの上にこぼれ、料理が床に落ちた。
怒りでクロのフォークを握る手が震えた。
クロは怒りでもうどうにかなりそうだったが、まだ理性はあった。
ここは良い店だ。荒らすわけにはいかない。
クロはリーダー格の男を静かに睨んだ。
「……冗談だって。ちょっと味見させろよ」
男は手づかみで肉をつまみ、一口噛んで吐き出した。
「まっず!」
取り巻きが下品な笑い声を上げる。
そこでクロの堪忍袋の緒がぶつりと切れた。
クロは静かにフォークとナイフを置いた。
「食べ物を粗末にするなって、誰かに教わらなかったのか?」
この言葉に、チンピラたちは大袈裟に顔をゆがめた。
「なんだよ、この野郎!」
リーダー格の男は、テーブルの上の料理を乱暴に片手で払いのけて、バン!とテーブルを勢いよく叩いた。
料理が床に落ち、豪快に皿が割れる音がした。クロの服にスープが飛び散った。
クロの瞳が、怒りで赤く染まる。
スープの熱が布越しに沁みる。まるで料理の無念と怒りが、そのまま流れ込んでくるようだった。
「……許せねぇ……!」
クロは静かに呟き、ゆっくりと立ち上がった。
クロの背中に、怒りがみなぎっているのが他の客たちにも感じられた。
「雑魚が何を……おい、お前ら!こいつをちょっとビビらせてやれよ!」
男のその言葉で、待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべた取り巻きの二人が、ナイフを構えてクロに襲いかかる。
──店内で武器を持って振り回されたら、他の客も危ないな。
クロは太い尻尾を素早く鞭のようにしならせ、二人の手に強く叩きつけた。
カランカランとナイフが落ちる音がした。
彼らの腕はあらぬ方向にひしゃげていた。
「おっと、力加減をしたつもりだったがうまくいかなかった。すまん」
チンピラを見下ろすクロの目は氷のように冷たい。
それでも彼らはしぶとく、震える足でクロを睨みながらなんとか立ちあがろうとした。
クロは容赦なく尻尾で二人の腹にそれぞれ一撃ずつ叩き込む。
鈍い音が食堂に響き渡る。
取り巻きAとBは、衝撃に顔を歪め、声にならない悲鳴をあげながら地面に倒れ込んだ。
彼らは割れた食器や倒れた椅子に囲まれたまま、それきりピクリとも動かなくなった。
「もう終わりか?ゴキブリより弱いな。早くこいつらを連れて帰ってくれ」
クロは不潔そうなチンピラ達になるべく触りたくなかった。
シッシッと追い払うように尻尾の先を振った。
「くっ……!てめえ!」
一瞬で不利を悟った男は冷や汗を浮かべながら、腰に下げていた剣を抜いた。
剣を持つ手がブルブルと震えていた。それは怒りか、恐れか。
怒号をあげながらクロに襲いかかった。
乱暴に振り下ろされる切先をクロは次々と素早く回避する。
男は必死の形相で息を荒げながら、必死に剣を振るがクロに当たらない。
クロは男の背をすり抜けるように素早く背後へ回る。
男が反射的に振り返ったその隙をクロは見逃さなかった。
クロの尻尾がぬるりと蛇のように動いて、男の腕をぎっちりと絡め取る。
それを力を込めて捻りあげると、ボキボキと骨が砕ける音が響き渡った。
男の顔が苦悶の表情に歪み、剣が滑り落ちる。
追い打ちをかけられて床に叩きつけられた男の体は、まるで人形のようだった。
敗北に目を見開く男の真横に、ドスン!と尻尾の先が勢いよく突き立てられた。
その尻尾の先は鋭く、硬質な輝きを放っていた。
「鎚星を出すまでもなかったな。お前らなんて尻尾一本で十分だ」
その瞬間、先ほどの緊張感が嘘のように、割れんばかりの拍手と歓声があがった。
店内が興奮の渦に包まれる中、クロは静かに息を吐き出した。
「これに懲りたらもう悪さするんじゃねえぞ?」
クロはグルル……と唸り声を上げながら、至近距離で口から火をチロチロと出してしっかり脅してやった。
ドラゴンの迫力剥き出しのクロに見つめられた男の目が恐怖で染まった。
さてこいつらどうするかな、とクロが顎に手を添えたその時、入店のベルが軽やかに鳴った。




