第29話:いっぱいお食べ!
大門の内側へと案内されながら、ランドルフがふいにヨナの肩を抱き寄せた。
「……ヨナ。ガブの奴からもう一通来てる」
声を潜める父の表情は、さっきまでの豪快さとは違う。
ヨナは片眉を上げて小さくうなずく。
「やっぱりな。あのせっかちが、ただ歓迎の手紙一通で済ますわけねェ」
「もう一通?」
クロが首を傾げた。ドラゴンの耳は良いのだ。
ヨナはにっこり笑って取り繕う。
「気にすんな。ただの書類仕事だ」
だがその笑みの奥に、一瞬だけ翳りが走ったのをクロは見逃さなかった。
「んー……なんか嫌な予感がするぞ?」
──それはドラゴンゆえの直感か、それともガブリエルという人物に対する不安か。
重々しく開かれた大門の先で、大きな歓声が上がった。
「わぁ、エーギル様だ!」「光の勇者様よ!」
大歓声の中、馬車は中央都市の大通りをゆっくりと走っていく。
竜殺しと名高い光の勇者エーギルの到来に、デリッツダム中央都市はお祭り騒ぎとなった。
この大門は貴賓が来た時にも開かれるのだそうだ。
「エーギル様〜〜〜!」
エーギルが馬車の窓から笑顔で手を振ると、少女たちの歓声が一斉に返ってきた。
さらに微笑めば、黄色い歓声が花火のように弾ける。
「すげえなぁ……」
クロとヨナは晴れ舞台を邪魔しないよう、カーテンの影に身を潜めている。
……エーギルの目が、どこか死んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
その時、クロの耳が別のざわめきを拾った。
それは、鍛冶屋街と思われる方面からだった。
ドラゴンの耳は、離れた場所の声も鮮明に拾うのだ。
「おい!エーギル殿が来ているらしいぞ!」
「なんと、あの光の勇者様が!?おぉし、わしが鍛えた武器を献上する時が来たな!」
「いや、お前の武器は重すぎる!勇者様には合わん!」
「そうだそうだ、エーギル様は俊敏さを生かして戦うお方だ。ならば、この風のように軽い槍こそ──!」
拳を振り上げながら語り合うドワーフたち。
勇者に自らの武器を使ってもらうことこそ、鍛冶屋の誉れなのだろう。
「鍛冶屋街から、エーギルの武器の話が聞こえるぜ。すげえ人気だな……これが俺の主か」
「ああ、ギルはこの大陸で一番人気のある勇者だからな」
幼馴染のヨナは誇らしげに言った。
「一番人気……ってことは、他にも勇者がいるのか?」
「ああ、全部で5人いるぜ。種族も職業も皆違う。騎士だったり、人魚族だったり、妖精族だったり……」
こうして会話している間も、エーギルに向けられた歓声はいまだに止まない。
「へえ、妖精の勇者?面白いな」
クロは興味をそそられた。妖精族がいるというだけで胸が高鳴るのに、その勇者ともなれば──最高にファンタジーだ。
「詳しくは分からねェ。ギルドの記録に残ってるのはどっかの森にいるって話だけだ」
「そうなのか。エーギルと妖精の勇者が並ぶところを見てみたかったな……」
妖精族そのものが希少すぎて、ほとんど伝説に近い存在らしい。
クロは、ほんの少し肩を落とした。
「クロ、そんなに妖精の勇者が気になるのか?まさか妖精族に知り合いでもいるのか」
ヨナが茶化すように言う。
「いや?俺の知り合いはエーギルだけだ。何かあるのか?」
勇者営業を終えたエーギルが、疲れた様子でカーテンを閉める。
そのままクロの肩に頭を預けて、深いため息をついた。
馬車は大通りを抜けたらしく、少し静けさを取り戻す。遠くからは、まだ熱狂の名残がかすかに響いていた。
ヨナはエーギルを軽く労いながら、話を続けた。
「妖精族はドラゴンと1番縁が深い種族なんだぜ。エルフの古い歌に、妖精とドラゴンがこの世界に神の声を初めて届けたっつうのがある」
「へえ……ますます会ってみたいな。エーギルは会ったことあるのか?」
エーギルは小さく首を横に振る。
「いいや。数百年間色んな場所を旅してきたけど、残念ながらまだ出会えていないよ」
「妖精族を探して欲しい、って300年前の依頼がギルドにまだ残ってるぜ。まだ未達成だ」
「さすがに、それはもう……時効じゃないか?」
エーギルが苦笑すると、ヨナは肩をすくめる。
「ギルドとしても妖精族は気になるから残してんだ。なんならお前が受けてもいいんだぜ?報酬がすげェぞ!なんてたってあの”月影の書庫”からの依頼だからな。」
「へぇ、あの”月影の書庫”から?いいかも!ねぇクロ、従魔登録が済んで落ち着いたら考えてみよう!」
子どものように目を輝かせるエーギル。少し元気が戻り、クロはほっとした。
「……ところでこれからどこに行くんだ?やっぱり王様に挨拶か?」
「いや、まず俺の屋敷だ。……王様はいま留守でな」
その言葉でエーギルの表情が途端に曇り、クロは首を傾げた。
どういうことだ?とヨナに視線を送ると、なぜか妙に迫力のある笑顔で返された。
クロはいやな予感がした。
──そして到着したリネン邸で、エーギルはヨナの前に正座させられていた。
クロは分からなかった。
なぜ、エーギルがこれほど顔色を悪くして身を小さくしているのか。
エーギルのアホ毛まで一緒にうなだれている。
初めて見る主の姿に戸惑いながらも、空気を読んで隣に正座するクロ。
「さぁ全部出せ、ギル。その様子だとヴァーレンベルク大樹海の土産、山ほど抱え込んでるんだろ?」
「クロ、ごめんね……君の非常食が全部没収されちゃうかも」
エーギルの蜂蜜色の瞳が涙で潤んでいた。
「え!?!?!?!?」
◇◇◇◇◇◇
──ことの始まりは、馬車の中でのひとことだった。
「なーエーギル腹減ったー、なんか食いもんくれ」
エーギルの肩に顔を乗せて甘えるクロ。
ドラゴンの食欲は尋常ではない。
人姿になってもそれは変わらず、むしろ鱗の力を一部失ったぶん、余計に食べる必要がある。
移動中の軽い食事などすぐ消化し、そのたびにこうしてエーギルにおねだりする。
最近はおねだり顔も板についてきた。
「お前ほんとすげェ食うな……心配なのは旅費より食費だぜ」
「しょうがないよ、クロはドラゴンだからねえ。ほらお食べ」
エーギルは頬をゆるませ、空間魔法からゼギンカの実をいくつか取り出して渡す。
これはエーギルの大好物であり、クロの好物でもある。
嬉しそうに齧るクロを見て、エーギルは幸せそうに目を細めた。
──ヴァーレンベルク大樹海で山ほど食べたのに、クロは相変わらず本当に美味しそうに食べるなぁ。
エーギルは、いつでもクロのおやつを出せるよう空間魔法に大量ストックしている。
エーギルはクロの食事を見るのが大好きだった。
見ているこちらが幸せな気持ちになるくらいに、クロは本当に美味しそうにものを食べるのだ。
いっぱい食べるクロが可愛い。
食べ方もまったく見苦しくなく、食材に敬意を払いながら綺麗に食べる。
その上品で丁寧な食べ方は、前世人間だったとはいえ、彼がドラゴンなのを忘れてしまうほどだ。
流れるようなフォークさばきで、皿いっぱいのご飯を見事にぺろりと平らげていく様は、見ていて気持ちがいい。
何よりその表情がとてもいい。
食事を味わうクロの表情は、いつも素直な食の喜びと感動に満ちていて、美味しさが伝わってくる。
エーギルが長らく忘れていたもの──食の喜びを、クロは鮮やかに思い出させてくれた。
彼と一緒にごはんを食べると、とても美味しく感じる。
だから、ついつい食べさせたくなる——そして、エーギルの口癖が増えた。
「いっぱいお食べ!」「可愛いねぇ」
お前ずっと可愛いしか言ってないな、とクロにつっこまれる事もしばしばある。
その度にエーギルは「実際クロは可愛いんだから仕方がない」と頬を膨らませる。
エーギルの見立てだと、クロはおそらく200歳。
ドラゴンの200歳は、人間に換算すれば10代──つまり育ち盛り・食べ盛りだ。
人姿は前世と同じ20代の青年だが、ドラゴン年齢ではまだ子ども。
そう……だから、エーギルの口癖が「いっぱいお食べ!」になるのも仕方がないのだ。
この旅でいろんなものを見て、この世界を好きになって、いっぱい幸せになってほしい──それがエーギルの願いだった。
「ふふふ、クロは本当に可愛いねえ……ヨナもひとつどう?」
「ああ、貰うぜ」
ヨナは受け取った実を眺め、すっと目を細める。
さながら罪人を見る女王の眼差し。
「……この実、結構新鮮だなァ?」
その声音に、エーギルの顔が青ざめる。
「……えっと……」
「デリッツダムに着いたら俺の家へ直行だ。覚悟しろ」
「うっ……はい……」
エーギルのアホ毛がしおしおと元気をなくしていく。
そんな二人のやり取りを、クロは果実を齧りながら不思議そうに眺める。
──ヴァーレンベルク大樹海は、ギルド申請のうえ3人以上で入るルールとなっているほどの危険区域。
方向感覚を狂わせる広大な森、豊かすぎる生態系。
行方不明者が後を絶たず、入場申請が義務付けられた。それは勇者も例外ではない。
大樹海しか採れない植物は星の数ほどあり、ゼギンカもその一つだった。
入手経路が限られるその貴重な果実は、エーギルの大好物だ。
先日ヴァーレンベルク大樹海に行った時、エーギルはここぞとばかりに森に強いエルフの感覚をフル活用して採りまくったのだ。
クロもその芳醇な味わいをとても気に入り、全力で収穫に協力してくれた。
大量の宝の山を、クロと一緒にホクホク顔で眺めたのが、昨日のことのように思い出される。
馬車の中で静かに落ちた主のため息に、従魔のドラゴンはおやつに夢中で気づいていない。
◇◇◇◇◇◇
──リネン邸、ヨナの自室。
大きなバルコニー窓から射し込む陽光が、天井近くまで積み上がった戦利品の山を照らしている。
その前で、エーギルとクロは揃って正座していた。
エーギルの空間魔法から放出された「お土産」は山を築くほどの量だった。
ヨナは、開いた口をしばらく閉じることができなかった。
大量のゼギンカの実に加え、色々な果実や木の実、珍しい薬草の数々。
さらにクロの非常食に狩っておいた、シルバーベアやブラックボアなどの高ランクの魔物肉。
あの大樹海で、これだけの量を、たった数日かつ無傷で集められる冒険者はいない。
ラルツィレ支部の副ギルドマスターとして、ヨナは二人の実力を認めざるを得なかった。
「……よくもまあ、こんだけ狩ったもんだ。ギンスイソウなんざ、奥地でしか採れねぇのによ」
ヨナがギンスイソウ越しに睨むと、クロが一歩出てエーギルを庇う。
「ヨナ!エーギルは悪くない。行きたいと言った俺が悪い」
「クロ……」
そんな二人の様子に、ヨナはため息をついて首を振る。
「ハァ……分かった。王都での従魔登録が済んだら、大樹海の入場許可証を出してやる。ただし“クロと一緒”って条件付きでな」
それを聞いたエーギルの顔が太陽のように輝く。
「今後を考えりゃ、それが最善だ。……こいつは一食で倉庫ひとつ分平らげるしな」
「そればかりは本当に勇者で良かったと心底思うよ」
エーギルはため息をつきながら、胸元のメダルをそっと撫でた。
それは、ベテルシア聖王国の紋章を刻んだ勇者の証。
店で掲げれば、請求はすべてベテルシア聖王国にいく。
いわば、上限なく使える王家負担のクレジットカードだ。
おかげでエーギルは金の心配なく戦える。
だがヨナにとって、それは少し違って見えた。
──身分証を兼ねた財布であり、首輪でもある。
請求を追えば、居場所も生活も筒抜けだ。
そのメダルは、栄誉の証であると同時に、重荷でもあった。
勇者の称号を拝命したその日から、エーギルは世界の平和のために尽くすことを誓った。
しかし、同時に、自由な冒険者としての人生を諦めざるを得なかったのだ。
「はははっ!請求書を見た財務大臣がどんな顔するか楽しみだなァ!」
──正直、胸がスカッとする。
ヨナは思わず口元を歪める。以前から王族にいい印象を抱いていなかった。
食費だけで天文学的数字の請求書を叩きつけられるなど、クロでなければできない芸当だ。
「……従魔登録のときに絶対突っ込まれるだろうな」
邪悪に笑うヨナの横で、エーギルは苦い顔をする。
「まあ、気にすんな。俺が何とかする」
ヨナはそんなエーギルを気遣うように言った。
そのやり取りにクロは不安になった。
「え? 俺、食べる量減らしたほうがいいのか? 非常食、没収……?」
「必要ねェし、没収もしねェ。足りねェ分は大樹海で好きなだけ狩れ。そのための許可証だ。その代わり、定期的に俺からの採取依頼を受けろ」
「おう任せろ!全部俺の庭にしてやる」クロは胸をドンと叩いた。
大樹海を手中に——想像するだけでわくわくする。
“狩り放題”の響きに、ドラゴンの縄張り欲がうずいた。
頭上のアイマスクの目は期待に輝き、尻尾が喜びで大きく揺れる。
一方、ヨナは二人から大きな商機の匂いを嗅ぎ取っていた。
大樹海に入ることができる冒険者は限られ、素材は常に高値。
しかし、この二人がいれば話が変わってくる。
──貴重素材の安定供給。ギルドの新たな収益源。
商人の血が騒ぎ、拳が自然と固くなる。
すぐにルーカスに具体的な計画について相談しなければ。
ルーカスは彼の有能な執事であり、ギルドの財務担当だ。
あの有能執事なら、この新たな事業の収益性を正確に分析し、最適な経営戦略を立ててくれるだろう。
「ははは、そいつァ頼もしいな!さて、そんなお前に贈り物だ。うちの武器屋に行くぞ!」
ヨナは爽やかに笑って、クロの背中を叩く。
──まるで力を得た魔王みたいだ、とエーギルは思った。
まぁ、彼の機嫌が良くなったのなら何でも良い。怒ったヨナは本当におっかないのだ。
「ヨナ、なんか悪いことでも思いついたの?」エーギルが小声で問う。
「まあちょっとな。でも悪いことじゃねェぞ」




