第28話:ドワーフの国、デリッツダムへ
──ラルツィレ支部ギルドの執務室にて。
ガブリエルは銀縁眼鏡の奥で瞳を細め、静かに紅茶を傾けていた。
柑橘の香りが立ちのぼる中、彼はただひとり思案を巡らせる。
勇者の従魔がドラゴンであること──その噂はすでに市井に漏れ始めている。
彼の尻尾は隠せず、旅人の目撃談も流れた。ラルツィレでも正体を悟られかけた。
事実そのものは、先行して上がってきたヨナの本部報告で上層部に共有済みだ。
公には伏せる。だが上は動けるようにしておく──その運用に切り替えるほかない。
だからこそ、彼らをせかし、出立の朝に各地ギルドへ通達を飛ばした。
表向きは「光の勇者がそちらへ向かう、歓迎の用意をせよ」。
だが支部長以上の上層にだけ別封で伝えられた文面は、こうだ。
──随行者の中に竜種あり。人の姿をとるが、真実はドラゴンである。
接触や挑発を禁じ、窓口はヨナに一任せよ。
不審な動きや反応はただちに報告せよ。
市井の噂を止めることはできない。
だが上層部の判断と行動だけは、制御下に置かねばならなかった。
それがガブリエルの危機管理であり、彼のやり方だった。
──当の三人はまだ、そのことを知らない。
◇◇◇◇◇◇
「すっげえ山の壁だな……」
揺れる馬車の中でクロは子どものように目を輝かせ、思わず声を上げた。
そんな様子を、二人のエルフが微笑ましく見守っている。
「クロってば、あんなにはしゃいじゃって……かわいいねえ。見てるだけでこっちまで嬉しくなるよ」
従魔のはしゃぎぶりに、エーギルもつられて頬をゆるめた。
ラルツィレの街を馬車で発って二日。
街道沿いの森を抜けると、景色は一変して高原へ。まばらな緑の地平の向こう、黒い岩山が延々とうねる。
繊細な隆起を刻む山肌は、光の加減で表情を変え、夕陽に染まれば古龍の鱗のように赤く輝く。
クロはその神秘的な光景に、ただ見惚れるしかなかった。
その横で、ヨナがため息をつく。
「はぁ……ガブリエルの野郎には困ったもんだ。地下倉庫の件もあったし、ちょっと休んでから出発するつもりだったのによ」
地下倉庫を出た頃にはすでに夜だった。
ろくに準備も手入れもできないまま出発させられ、ヨナは明らかにご機嫌斜めだった。
一方その隣で、ルーカスは涼しい顔で腰かけている。
彼の様子から察するに、手入れはともかく、準備の方は問題ないだろう。
──ちなみに、エルフの言う「ちょっと」は一週間くらいだ。
ガブリエルはそれを知っていて、強制出発させたに違いない。
ラルツィレの街を発ったのは夜明け前だった。
宿へ押しかけてきたガブリエルが、渋る一行を「長い旅路だ!良い馬車を手配した、移動しながら休め!」と、そのまま押し込んだのだ。
「中央ギルドの承認には各地ギルドの印が要る。いずれ再会しよう……しばしの別れだ!」
高らかにそう言い、馬車を見送ったのだった。
「ヒトって本当にせっかちだよね……。泣きながらベッドに別れを告げるクロ、可哀想だったよ」
エーギルは強行軍そのものより、ベッドとの別離に心を痛めているらしい。
当のクロはけろりとして、新しい景色に夢中だ。
特製馬車の乗り心地も気に入ったようで、喉元過ぎればなんとやら。ベッドのことはすっかり忘れている。
「おおっ!エーギル、あれはなんだ?」
山の上空を、翼と長い尾をもつ影がいくつか横切る。
「あれはワイバーンだね」
「ほう、噂のワイバーン!……思ったより小さいんだな」
「うーん……それはクロがちょっと大きすぎるだけかもしれないね」
数多のドラゴンを見てきたエーギルからすると、クロはまだ成竜前にも関わらず別格に大きい。
クロは同族に会ったことがないので、自分の規格外さをいまいち自覚していないのだろう。
「このあたり一帯がデリッツダム山脈だ。今夜の目的地は、その山脈の中央にあるデリッツダム王国。さらに山を越えれば、俺たちの最終目的地──ベテルシア聖王国の王都に出る」
「おお!デリッツダムって、ドワーフの国だろ?楽しみだな!……それにしても、ドラゴンがずいぶん飛んでるな」
「火山が近くて気候が暖かいからね。繁殖地が多いんだ。だから討伐依頼もしょっちゅう来るよ」
エーギルがひときわ高い岩峰を指す。あれが火口らしい。周囲には濃い魔物の気配が集まっている。
「他のドラゴンが気になる? 縄張りとか」
「いや、ただ珍しくて眺めてただけだ」
縄張り意識の強さで知られるドラゴンにしては、クロはあまり警戒していない。
「それにしても、ドワーフはこんな物騒な場所で大丈夫なのか?」
頻繁に討伐が必要な土地なら、引っ越したほうが良いのでは、とクロ。
ヨナは目を丸くし、膝を叩いて笑った。
「ドラゴンが人間の安全を心配するなんて、聞いたことねェぞ。お前は本当に変わったドラゴンだなァ」
隣でルーカスが苦笑しつつ補足する。
「心配ご無用です。ここは宝石や鉄の産地。そしてドラゴンも優良な素材になります。森も近い。だから彼らはここを選んだのです」
「なるほど、たくましいな……」
クロは感心した。
「ああ、そういえばランドルフさんは元気かい?」
エーギルが尋ねる。
「おう元気だ。多分仕事サボってすっ飛んでくるだろうな」
ヨナは苦笑しながら答えた。
「ランドルフ……って確か、ヨナのオヤジさんだよな?」
「ああ、俺の育てのオヤジだ。俺はエルフだが、オヤジはドワーフなんだ」
「へぇ、ヨナはデリッツダム出身か」
「そういうことになるな。……つっても、国ができたのは俺が生まれた後だが」
「デリッツダム王国は百年前にできた新しい国なんだよ」エーギルが補足した。
ヨナは窓越しに山脈の輪郭を指でなぞり、懐かしげに目を細めた。
「昔は、山脈のあちこちに小さな集落が点在しててな。ドワーフとしても国としても、全然まとまっちゃいなかったんだ」
「ふぅん……それがどうして国になったんだ?」
「部族と技術を守るためです。ドワーフにしか扱えない門外不出の技術を狙う者は多い。流出や悪用、戦争での喪失を防ぐ狙いもありました」
「そうだ。いくら造るのは好きでも、人殺しの道具にされるのは御免ってな。……それから、もう一つ理由がある。昔、隣国エルキアシュ帝国がドワーフを取り込もうと侵攻計画を立てていたからだ」
「エルキアシュ帝国?」
「エルキアシュ帝国はあの山脈の向こうにあります。好戦的な国で有名です。彼らがあの山脈を越えるのは容易ではないものの、突破する可能性はゼロではありません。各集落の話し合いの末、一致団結して国を作る事になりました。そうして、ベテルシア聖王国の協力のもとデリッツダム国ができたのが百年前です」
「その提案をしたのがランドルフさん。すごいよね」
「おお……すごいな!そういや昨日、ガブさんがランドルフさんの名前を出しただろ?あのときヨナ、少し顔が青くなってたけど、もしかしてすっげぇ偉くておっかない人なのか……?」
クロは恐る恐る尋ねた。そこにいるだけで空間に緊張感を作るヨナ。その育て親ともなれば、威厳たっぷりの気難しい人物なのでは?と身構えていた。
ヨナはキョトンとし、鼻で笑った。
「お前って意外と見かけによらず、細けェとこ見てんだなァ……まあ確かにオヤジの面は怖ェけどよ」
ランドルフはかつて王国騎士であり、今は商人でありながらドワーフ国でそれなりの地位を築いている。ガブリエルがそんなオヤジにわざわざ連絡を取ったということは、何か厄介ごとが転がり込むのは間違いない。
ヨナが血の気を失ったのは、不仲などではなく、その予感に胃が冷えただけだった。
「なーんだ、そういうことか。父親が王国騎士って、やっぱりヨナって王族とか貴族なのか?」
「ンなわけあるか。王国騎士ってのは大昔に滅んだ国での話だ。今のオヤジはただの商人だぞ」
「ふぅん……でもヨナって商人にしちゃ気品あるよな。初めて会った時、どっかの高位貴族かと思ったぞ」
クロがじろじろ眺めると、ヨナは肩をすくめる。
「ああ、よく言われる。ガキの頃なんか、オヤジが人攫いに間違われたこともあったな」
エーギルが思い出し笑いをする。
「今でもヨナが適当な服着て歩くと、お忍びって勘違いされるんだよね」
「この前なんか街の服屋に入ったら、貴族向けの店に案内されたぜ。そんなに似合わねェか?」
「ええ。庶民服は驚くほどお似合いになりませんから」
ルーカスがさらりと告げ、場がどっと和む。
「それはそれで大変だな……」
窓の外は岩だらけになり、坂が増えて揺れも激しくなる。
やがて馬車が速度を落とし、蹄の音が静かに止まる。
「到着のようです。先に降りて手続きをしてまいります。」
ルーカスが音もなく立ち上がり、深々と一礼してから馬車を降りた。
クロはその青い髪を目で追う。
濃紺のコートが風にはためく。ここは標高が高く、風を遮る森もない。見晴らしは良いが、風はとても強い。
岩壁に穿たれた巨大な鉄門が目に入った。
今は閉ざされているが、ドラゴン姿のクロでも余裕でくぐれそうな大きさだ。上部には小窓が等間隔に並び、内側の建物群からは白煙が絶えず上がっている。まさに工業都市という雰囲気だった。脇の小門には兵士が立ち、関所のように列ができていた。
「でっけぇ門だな……」
クロが思わず声を漏らすと、エーギルが頷く。
「すごく大きいよね……大物を搬入するとき使うんだ。ドラゴンや巨大獲物を狩った時とかね。俺も狩ったドラゴンを抱えて何回も通ったよ」
「この大門は、この国のシンボルみてェなもんだ。ここ中央都市は、国の玄関であり心臓部でもある。ドワーフも商人も品と素材を売り買いに来る。ここで揃わぬ素材はねェって言われるくらいだ」
ヨナのその言葉には故郷に対する誇りがあった。
地図によれば山脈のほぼ全域がデリッツダム領で、その中心にある大きな丸が今いる中央都市。
採掘場近くの集落は機密のため地図には載らないらしい。
「よう、ヨナ!元気そうだな」
小門前でルーカスと話していた兵士二人が駆け足でやってきた。
筋骨たくましい髭面──いかにも頼もしいドワーフ兵だ。背には斧。門上の紋章にも斧と槌。標準装備は斧らしい。
「ニルズ、セリム。相変わらずだな」
「ガブさんから手紙が来てる。ランドルフ殿が首を長くして待ってるぜ」
「いや、そのランドルフ殿なんだがな、さっき連絡したら──」
セリムがそう言いかけたところで、門前がどよめいた。
砂煙を巻き上げて一騎の馬が駆け寄ってくる。
その馬上のドワーフは俺たちを見つけるなり目を輝かせ、勢いよく飛び降りた。
「ランドルフ殿!」
兵士たちが慌てて敬礼する。
「オヤジ!」
ヨナが思わず声を張り上げて駆け寄る。エーギルと俺もそれに続いた。
「おうおう、ヨナ!よく来たなァ!こっちはギル坊に……新しい友達だな。デリッツダムへようこそ!俺はランドルフ・リネン。ヨナが世話になってる」
ヨナの背をバシバシ叩く豪快な男。右目の眼帯に左頬の傷。燃えるような赤髪と短く整えた髭。丸太のように太い脚、白シャツからはち切れそうな胸と腕。
なるほど、これは商人らしからぬ迫力だ。幼いヨナと並んで歩けば、人攫いと誤解されるのも無理はない、とクロは思った。
上機嫌に挨拶を交わすランドルフの隣で、ヨナは少し居心地悪そうにしていた。
親が友達に挨拶するのは、ちょっと気恥ずかしい。どの世界でもそれは同じなんだな、とクロは微笑ましく眺めた。
「さぁ、あの大門を開けるからそこから入ってくれ!」
「大門を?」
一行は思わず聞き返す。
「おうとも!せっかく『光の勇者』がお出ましだ。ちょいとしたパレードくらいはやらねェとな!ガブリエルの奴にもそう言われてる。許可はもう下りてる──その使いで俺は来た。これが済んだら仕事に戻るがな。お前らは中央都市を楽しんでけ」
許可証をひらひらさせて笑うランドルフ。大輪の花のような豪快な笑い方は、どこかヨナに似ていた。
「早速お前の仕事だな。頑張れよ」
「はぁ……やっぱり静かな旅は望めそうにないね」
エーギルが苦笑する。「こればかりはガブさんを恨むよ」
本来なら──ベテルシア聖王国で正式に従魔登録を済ませるまでは、クロの正体は極力伏せ、人の姿でヨナの護衛を装ってひっそり移動して向かうつもりだった。
エーギルは“光の勇者”として騒がれるのが苦手。
ヨナは対応仕事を減らしたい。
クロは言わずもがな、ぐうたら時間を確保したい。
三人の総意は「静かに、目立たず、のんびり」。
小門から一般客に紛れて入れたら、よかったのだが──。
早くもガブリエルに予定を狂わされた。この調子だと、他所にも同じ連絡が飛んでいるだろう。
「お前たちの街に“光の勇者”が行くぞ!もてなしておけ!ついでに仕事もさせてあげよう!!」
ガブリエルの輝くような笑顔が目に浮かぶようだった。
三人は、そろって重いため息をついた。




