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第27話:万事つつがなく

 「この扉を破壊する……っていうのは流石にダメだよね?」

 こてん、とエーギルが首を傾げて尋ねる。

 「ダメに決まってるだろ……」ヨナが即答した。

 

 「えー?ドラゴンの俺でも壊しちゃダメなのか?ドラゴンのせいにすれば事故で片付けられるだろ?」

 クロが悪びれずに言う。

 「あなたは身元が割れてますからね。S級国際指名手配と国家級の賠償金、どっちがいいですか?」

 ルーカスが涼しい声で返した。

 

 エーギルとクロは揃って沈黙した。

 

 「はぁ……困ったな。ギルドマスターはどこにいるんだ?さっさと許可をもらえばいいだろ?」

 クロが頭をかく。

 

「そうしたいが、うちのギルドマスターは神出鬼没でな。ギルドにいるのが珍しいくらいだ。そのせいで実質、ほとんど俺がギルドマスターみてェになってる。そろそろ王都に出発もしなきゃなんねェし」

 ヨナは眉間に皺を寄せてため息をつく。

 

 「──そういうことなら、許可を出そう。行ってきなさい。書類はいらんよ、面倒だからね」

 いつのまにかギルドマスターが背後に立っていた。

 彼の推しはエーギル。エーギルが街に来たと聞いて、駆けつけてきたのだ。


 「ぎ、ギルドマスター!?」

 「ガブさん!?」

 「え?こいつがギルドマスターなのか?」

 「……ギルドマスター」

 ルーカスも目を見開いて、静かに驚いている。

 

 そこに立つ男は、ロマンスグレーの髪を上品に整え、仕立てのいい外套をまとった紳士だった。

 クロが抱いた第一印象は、「休日のカフェテラスでコーヒー片手にチェスを指していそうだな」というものだった。

 ──だが、口を開いた瞬間、その落ち着いた印象は鮮やかに裏切られる。

 

 「どうも、ギルドマスターのガブリエルだ。君が噂のドラゴンくんかい?初めまして」

 にこやかに自己紹介し、クロへと手を差し出した。

 

 「お、おう……エーギルの従魔、クロだ」

 クロは戸惑いながらもその手を取る。思った以上に強い力で握り返されて驚いたが、そこに悪意はなく、信頼のこもった力強い温かさがあった。

 クロはこの握手で、彼がどのような人物なのか何となくわかったような気がした。

 しかし、その認識はまだ甘かった、いや早かった。

 

 「がっはっはっは!おお……人型とはいえ、ドラゴンと握手できるなんて夢にも思わなかったな。うむ、長生きしてみるものだ。クロくん、エーギル殿のことをよろしく頼んだぞ。私のことはガブさんと呼んでくれ!」

 

 「なんで俺が頼まれる側なのかな?主人だよ?」複雑な顔をするエーギル。

 「あー、普段の行いが悪いからじゃねェの?」ヨナが投げやりに返す。

 「俺がドラゴンだからか?」これまた適当に返すクロ。


 「ああ、その通りだとも!君がドラゴンだからだ!!」

 

 まさかの正解に、クロは思わず「はぁ!?」と声を上げた。

 ヨナとルーカスは「始まったか」と視線を交わし、無言で肩をすくめる。


 「竜殺しのエーギル!エルフでありながら光の勇者となり、孤独な旅路を歩んだ末に、彼が選んだ相棒は──なんとドラゴンだ!これはただの従魔契約じゃない。神話だ!伝説だ!英雄譚そのものだ!」

 ガブリエルは両腕を広げ、舞台役者のように熱を込めて語る。

 あまりのギャップに、クロは口を半開きにして固まった。


 「おお……見よ!人と竜が肩を並べる時代が来たのだ!誰がこれをロマンと呼ばずにいられる!? ああ、私の胸は今、感動で震えている!」

 その声は朗々とよく通る。地下通路の石壁が共鳴し、まるで歌劇場の舞台にいるかのように響きわたった。──あまりにも無駄に美声である。

 

 「……こういう人なんだよ、ガブさんは。俺のファンらしいけど」

 エーギルが呆れたように言う。

 「なるほどな……」

 クロはぽつりと返すしかなかった。

 

 そして次の瞬間、ガブリエルの表情から熱がすっと消える。

 

 「おお……だが」

 その声音に、空気が一気に張り詰めた。

 

 「今回の泣き声の件は、笑って済ませられる話ではないかもしれない。さきほどのエーギル殿の言葉が本当なら──中に()()のは“外へ出ようとしている”ものだ。ただの怪奇ではないかもしれない……君たち、心して臨みたまえ」

 


 その時、ガチャン、と金属質な音が響いた。

 ガブリエルの許可が出たことで、地下倉庫の扉の鍵が開いたのだ。


「ああ、安心するといい。倉庫の扉は内側からは開けられない仕組みになっている。だからこそ、私が来たのだ。ここに残ろう。本当なら私も入りたいがね」

 

 「ギルドマスター、最初からエーギルを入れるつもりで隠れていたんだな……どうりで、俺たちがあれほど探しても見つからなかったわけだ」

 ヨナはガブリエルを軽く睨む。

「はて、何のことかな?推しの活躍は応援したいものだろう?」

「ふん……まあいいか。入るぞ」


 ヨナが金具に手をかけると、扉がゆっくりと開いた。

 漆黒の闇の奥から、湿り気を帯びた冷たい空気が肌を撫でる。

 

「……暗いな」

 クロが低くつぶやいた。

 

 ヨナを先頭に倉庫へ足を踏み入れると、壁の灯りが一つ、ぱっと灯る。

 初めて目にする内部に、エーギルは興奮を隠せず、目をらんらんと輝かせていた。

 進むごとに灯りが順に点っていき、光が広がるにつれて木箱の山や錆びついた鉄器などいろいろなものが姿を現す。

 

 やがて中央に至ったとき、倉庫全体の灯りが点り、空間の全貌が明らかになった。

 思わず天を仰ぐ。地下とは思えぬほど高い天井はドーム状で、壁沿いには階段と通路が走っているのが朧げながらも見えた。その先にも部屋があるらしい。

 

「うおお……地下倉庫っていうから、てっきり狭いかと思ってたけど、すげえ広いな……。何階まであるんだ?」

 クロが見上げて感嘆する。ドラゴン化しても支障がなさそうな広さだ。

 

「ああ、これは驚いたな。本当にここは地下なのかい、ヨナ?」

「この地下倉庫は特別製でな。詳しい仕組みは知らされてねェが、どうやらギルドの地下にあるわけじゃねェ。魔術か何かでダンジョンを改造して作られたらしい」

 

 「それはいいが……こんな広いところで泣き声の原因を探すのか?困ったな、面倒くさいぞ」

 クロの一言に、全員が黙り込んだ。

 棚は果てしなく並び、木箱も数え切れないほど。上の階まで調べるとなれば、とても一日で終わるとは思えない。

 

 その沈黙の中、クロは「これはサボる口実ができた」と直感し、「俺はここで見張りをするぞ。ドラゴンだからな」などと腰を下ろす理由(言い訳)を考えていた。

 

「大丈夫。俺の聖痕が導いてくれるよ。この道を頼りにすればいい」

 エーギルの右手の聖痕が光を放ち、粒子が舞い上がる。

 それは倉庫の奥へと続く、きらめく道を作り出していた。


 「くそ便利だな、聖痕……」

 「あれ、どうしてがっかりしてるのクロ?」

 


 エーギルの聖痕からこぼれる光は、粒子の川となって空間を照らし出す。

 道は上階へと続き、広大な地下倉庫を仄かに浮かび上がらせていた。

 

 光の道を辿り、見上げれば、天井は闇に溶けるほど高い。

「……あれを上るのか」

 一行は思わずため息を漏らす。

 

 壁沿いには複雑に絡み合った階段や通路が縦横無尽に走っている。

 どこまで続いているのか分からず、まるで地下に造られた迷宮のようだ。

「……本当にダンジョンを元に作られているんだな」

 

 見渡す限りの棚と木箱、その間を縫うように光の道が伸び、別の階層へと誘っていく。 

 聖痕の光は惑うことなく、一つの方向を示している。

 

 一行は木箱の迷路を抜け、螺旋階段を上り、狭い渡り廊下を渡っていく。

 もしエーギルの聖痕がなければ、目的地に辿り着くどころか、この地下倉庫から出ることすらできなかっただろう。


「なるほど、これはギルドマスターの許可が必要になるわけだぜ……」

「ええ。これだけ入り組んでいては、地図を作るのも容易ではないでしょう」


 通った道を振り返って、ヨナは小さくため息をついた。

 「……しかし、誰が好き好んでこんな倉庫を作ったんだ。広すぎて管理なんぞできやしねェ。目録ひとつ取るのも骨が折れるし、職員はみんな泣いてるぞ」

 

 クロは気だるげに尻尾を揺らしながら答えた。

 「俺からすれば、宝を隠すには広い方が都合がいいと思うぞ。狭いと窮屈だろ?」


 ドラゴンであるクロにとっては、この広さなら本来の姿に戻っても支障はない。さらに食糧庫だっていくつも置けるし、静かで魔物も出ない。正直、リフォームして自分の寝床にしたいくらいだ。


 「そういう発想がもう、管理する側からしたら悪夢なんだよ」

 ヨナはぐっと眉間に皺を寄せた。

 

 そしてふと、見上げた入り組んだ階段や通路を眺めて小さく呟く。

 「……まるで迷宮だな。迷いの森にでも入った気分だぜ」

 

 その言葉に、エーギルが振り返る。

 「迷いの森か。ああ、懐かしいな……昔入ったっけ」

 

 ──星の数ほどあるエーギルの英雄譚の中に、かつて「迷いの森」に足を踏み入れ、“光の神の導き”で脱出したという話がある。

 ヨナは薄暗い通路を歩きながら、それを朧げに思い出した。

 

 「そういえば、お前の英雄譚にそんな話があったな。こうやって抜け出したのか?」

 ヨナの問いにエーギルは頷いた。

 「うん。もう百年くらい前のことだけどね」

 

 「迷いの森?そんなところがあるのか?」クロが興味深そうに身を乗り出す。

 「ええ、西の方にあります。妖精王が住まうと言われる森で、その森から出られた者は数えるほどしかいません」

 「妖精王!?まさかエーギルはその妖精王に会ったのか?倒したのか?」

 「いいや、会ってもないし倒してもないよ。でも不思議な森だったなぁ。木が動くんだ。老練なエルフでも出られないだろうね」

 「木が動く!?!?!?面白いな!いつか行きたいぞ!」

 クロは子供のように興奮している。

 

 エーギル推しのガブリエルなら、その逸話を絶対に把握しているだろう。

 ……いや、知っているからこそ、今回こうして許可を出したのか。つくづくあの男は本当に食えねェな、とヨナは思う。



 通路を進みながら、クロがぽつりと口を開いた。

 「そういえば……精霊と妖精って、何が違うんだ?」

 彼はエーギルと初めて会った日、精霊の導きで出会ったことを思い出していた。

 

 「妖精は自然や土地に結びついた存在で、人に近い姿を取ることもある。気まぐれで、悪戯好きなやつも多いな」

 ヨナが答える。

 

 「精霊はもっと根源的な存在だよ」エーギルが続けた。

「炎や風、水や大地……そうした理そのものの化身で、本来は戦いとは無縁だ。けれど……人の手で呼び出され、縛られることもある。」

 

 「ふぅん……」

 クロは小さく唸った。


 

 

 そんな話をしていると、やがて辿り着いたのは広間のように開けた場所だった。

 床には戦火の痕を思わせる焼け跡や割れ目が走り、中央に淡く揺らめく光の残滓が漂っている。

 

 広間の手前には、焼き切れてボロボロになった鎖が転がっていた。

 かつてこの存在を縛っていた結界の残骸──その無惨な有様が、長い時を経てもなお拘束と戦い続けてきたことを物語っていた。

 

 広間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。

 焦げた石の匂い、焼け跡の残る床、裂けた壁面──そこには確かに「戦場の記憶」が焼き付いていた。


 それは精霊だった。

 光はか細く弱々しいが、時折激情を思い出したかのように荒々しく揺らめく。

 その度に空気はざらつき、耳に重苦しい泣き声が響く。

 その声はもはや精霊のものというより、幾千もの戦死者の嘆きを背負った亡霊の呻きに近かった。

 

 

 「……“戦場の精霊”の成れの果てか」

 ヨナは眉をひそめる。

 

 「これが精霊……?」

 クロの問いに、ヨナは静かに頷いた。

 

 「……本来はどこにでもいる善良な精霊だった。だが魔術で自我を書き換えられ、魔導兵器として無理やり使役され、最後には破壊された……その残滓だ」

 ヨナの声は低く沈んでいた。

 

 ただの泣き声ではない。

 怒号、悲鳴、剣戟──幾千もの戦いの記憶が絡み合い、断片となって溢れ出していた。

 声を聞いているだけで、胸の奥に鉛のような重さがのしかかる。

 

 「泣いている……ずっと、戦いの中に置き去りにされて……これはひどいな」

 思わずエーギルがこぼす。

 

 「数百年もの年月で操作魔術の拘束が薄れ、元の自我と戦場での記憶が混じり合っているのでしょう……。今、とても辛い状態であることは想像に難くない」

 普段は表情を出さないルーカスも、珍しく顔を歪めていた。

 

 ヨナの胸に、幼き日の記憶が重なる。失われた故郷、壊された日々。

 彼は一歩進み出て、静かに語りかけた。

 

「もう大丈夫だ。ここには誰もお前を傷つける者はいない。……長い間、苦しかったろう」

 

 ヨナの声は不思議なほど穏やかで、泣き声は次第に弱まり、揺らめく光は落ち着きを取り戻していく。

 その様子を見届け、エーギルが右手を掲げた。

 聖痕が強い輝きを放ち、やさしく精霊を包み込む。

 

 「……最後の命令だ。休め。もう戦わなくていい」

 エーギルのその声を聞いた光はゆっくりと収束し、精霊の残滓は安らかな吐息のように消えていった。

 最後に聞こえたのは、風の囁きのような、ほんのわずかな感謝の声。

 

 静けさが訪れる。

 誰も言葉を発さず、ただその余韻を噛みしめていた。



 

 「おお……見事だ!精霊を鎮めたこの一幕、まさしく英雄譚の新たな幕開け!これで万事つつがなく、次なる舞台へと進める!」

 ──突然の美声と拍手が響き渡った。


 振り返れば、ガブリエルが立っていた。

 ロマンスグレーの髪を上品に整えた紳士。

 その紳士の姿は、まるで観劇でもしていた観客のようで、声は無駄によく響く。

 

 「人と竜が肩を並べ、涙すらも静める……おお、これは神々が用意した舞台そのものではないか!まるで楽団が奏でる終曲のように、戦場の嘆きが鎮まっていく!ああ、私の胸は今、観客として熱狂の拍手を送らずにはいられない!」


 スポットライトでも浴びているかような彼の熱演に、一行は顔を見合わせ、言葉を失った。

 先ほどまでの神秘的な静寂は、また別の意味で破られてしまったのだった。


 「……つーか、外で待ってるって言ってなかったか?なんで入ったんだ?内側からは開けられねェんだろ?」


 「今まさに生まれようとする新たな英雄譚をこの目に焼き付けなくてどうする!?」

 ガブリエルはカッと目を見開いて言った。その黄金色の瞳は、まるで光を放つかのような勢いだ。

 なお倉庫前には職員を待機させているから安心したまえ、とのことだった。

 

 一行は自由奔放すぎるその言葉に、返す言葉をなくした。


 「つまり我慢できなかったってことか。……まぁ想像はしていたがな。ならいっそ、さっさとギルドマスターの座を俺に譲っちまったらどうだ? そのほうが動きやすくなるだろ」

 

 「それはまだ早いな、ヨナ殿。君にはまだやってもらうことが山ほどある」


 「エルフに『まだ早い』なんて言えるのは、ガブリエル……お前くらいだぜ」


 「報告と記録は任せてくれ。新たな英雄譚を見事に書き上げてみせよう!君たちにはなるべく早く王都に発ってもらわなければね」

 

 「は?」ヨナの声。

 

 「明日出発なのだろう?そう、手配もすっかり済ませてある。事前に出してもらった計画書にも目を通したし、話も聞いているとも!デリッツダム経由のルートだろう?──そう、ヨナ殿のお父上にも連絡を取っておいた」

 

 「は?」

 今度は全員の声が揃った。

 

 ヨナの血の気が引いていく。

 ランドルフ──育ての父の顔が脳裏に浮かぶ。

 幼い頃からいつも隣にいてくれた、不器用で、けれど何よりも頼れる父親。

 「……勝手なことを」

 小さく漏れたヨナの声は、誰に向けたものか自分でも分からなかった。

 

 「おお……!親子の再会、まさに舞台は整った!これで王都編の幕開けだ!」

 ガブリエルは高らかに宣言した。

 

 誰も返す言葉を持たなかったが、それがこの先に待ち受ける波乱を示していた。


 ──そして物語は、王都へと舞台を移していく。

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