第15話:クロ、人の姿を得る
「体質上、習得が難しい……ってどういうことだ?」
『人化の術は、霧状のマナを纏って精巧な幻を見せる幻術です。クロ様は、鱗から空中のマナを常に吸収しているようです。そのためクロ様の体質とこの術は、非常に相性が悪いと思われます。もし術を会得できたとしても、幻術作用を持つマナが鱗に吸収される可能性が高いのです。』
「むう……」
『私の転生スキルでクロ様に人化スキルを付与するというのはどうでしょうか。人化スキルは肉体変化系のスキルですので、マナ関係なく使えます。アリとシスを助けていただいたお礼に、あなたが望むなら力を貸しましょう。ですが……』
そこでユース・ユーキスはやや間を置いた。
言葉の先が気になり、俺もエーギルも身を思わず乗り出してしまう。
『私の転生スキルは、何かと引き換えに別のものを得るものです。あなたが人化スキルを得るには、代わりに何かを諦めなければなりません。』
「失われるもの?」
おそらく鱗の神秘が失われるでしょう──とユース・ユーキスは言った。
『クロ様の鱗が持つ神秘は「不変」というユニークスキルです。これを失うと、無敵に近かった防御力が下がります。それでも他のドラゴンより防御力は高いですが、他の生き物と同じように怪我をする可能性が高くなります。また、空腹を感じたり病気にかかりやすくなります。』
なんだ、そんなことかと思った。俺は迷わず頷く。
『……ドラゴンはみなその強大な力ゆえに、常に周囲と距離をおいてきました。特に人々は異質なものにとても敏感です。得るならば人の姿よりも、獣の姿の方がまだよいかもしれません。』
それでも人の姿がいい。
エーギルが「無理に人の姿になる必要はない」と言ったが、俺がそうしたいのだ。
『人の姿を得ることで、苦難に見舞われることが増えるかもしれません。それでも人の姿を望みますか?』
俺は再び力強く頷いた。
エーギルは一瞬出かけた言葉をぐっと飲み込むような顔をした。
すぐにその眼差しに力強い光が宿り、俺の顔を見て深く頷いた。
なんとなくそれだけで、彼が何を思っているのか分かった。
“もしクロに何かあったら俺が守る。“
それが彼らしくて、俺はつい笑ってしまった。
ユース・ユーキスの光も微笑むように揺れた。
もしエーギルに出会う前の俺だったら、面倒臭さからここで迷ったかもしれない。
ずっとドラゴンでいいや、と思っていたかもしれない。でも今は違う。
……このでかい図体じゃ寝床を探すのも一苦労だ。
それに長く生きるなら少しでも寂しくない方がいい。
街にも入れないし、いろんなやつに警戒される。魔物からも動物からも人間からも、だ。
ひたすら寝ることしかできなかったくらい、ドラゴンは本当に孤独だ。
今の俺はもう一人じゃない。
エーギルと一緒に旅をしたい。
この世界の料理を腹いっぱい食べてみたい。
旅をするなら面倒ごとは少ないに越したことはない。
選ばずに後悔するより選んで後悔するほうがいい。俺は誰がなんといおうと己の道を貫く!
ユース・ユーキスは、願いを聞き届けた流星のように鋭く光った。
『──わかりました。それでは転生作業を始めます。抵抗はなさらぬように』
ユース・ユーキスの鳥籠から、帯のような光糸が無数に伸びてきて、俺の身体を覆っていく。
完全に包まれる寸前、不安そうに俺を見つめるエーギルと視線が合った。
そんなに心配するなと彼に視線を送った。
次の瞬間、俺の視界は眩い光で満たされ、意識が遠のいていく。
転生作業が始まったのだろう──体が焼け付くように熱い。
気が遠くなるほどの情報量が、流星のようなスピードで身体中に流れ込んでくる。
それは今まで経験したことがない感覚だった。
分析と同時に驚異的なスピードで何かを書き換えられる感覚と、それに激しく抗う感覚。
この情報量は自分を押し潰そうとしているのではなく、ただ通過しているだけなのだと理解するのに時間がかかった。
頭で理解していてもその圧倒的な質量が本能的に恐ろしく、つい身体がこわばって反発してしまう。
反発しあう磁石どうしを無理矢理突き合わせようとするような、重苦しい不快感がのたうちまわり暴れる。
狂乱状態でぐちゃぐちゃになった頭の中に、先刻言われたユース・ユーキスの言葉がふと浮かんだ。
“抵抗はなさらぬように“
……そうだ。抵抗するから苦しくなるのだ。
なんとか精神を落ち着かせると、水を打ったように徐々に不快感が消えて静かになった。
そうして俺に訪れたのは、音も感覚も温度もない、穏やかな光に満ちた白い世界だった。
───作業完了。お疲れ様でした。ご気分はいかがでしょうか?
ユース・ユーキスのその言葉で俺は意識を取り戻した。
「……まぁまぁだな」
正直かなりしんどかったが、ひどい高熱が下がった翌朝のような清々しい気分だった。
自分の手を見てみるとまだドラゴンのままだったが、あの狂乱状態の中でよく自分を見失わなかったなと思う。
『それは何よりです。試しに人化してみてください。』
ほっとしたように光が柔らかくゆらめく。
……もしかして転生スキルとやらはかなり危険なやつだったのか?
言葉にはしなかったが、思わず疑いの目でユース・ユーキスを見た。
エーギルはというと、人化という言葉に反応して目を輝かせながら俺のことを見ている。
そんなワクワクキラキラした目で見るなよ、やりづらいだろ。
エーギルの視線を少し恥ずかしく感じながらも、人化スキルの発動を試みる。
初めて発動するのに、なんとなくやり方がわかるというのは不思議なものだ。
念じると鱗がさざ波のように黒霧に変化し、俺の体を包み込んだ。
なるほど、ユース・ユーキスはこの鱗の特性「不変」を「可変」へ反転させたのか。
こっちの世界の「俺」はどんな外見になるのだろう?
「おお……」
黒霧から現れた俺の手は肌色で、まさしく人間のものだった。指の数も5本。
ペタペタと自分の顔や身体を触る。人間の顔も髪もある。足もしっかり人間のものだ。
人間と違うところといえば、歯がキザキザしたドラゴン歯のままなのと、ドラゴンの尻尾がある事ぐらいだ。
舌もちょっと長くて人間のものと違う気がする。まあこれぐらいなら許容範囲だろう。
手から視線を外して顔を上げると、驚いた顔のエーギルとばっちりと目が合った。
目線がドラゴン時と比べて明らかに低く、人の姿を得られたことを実感した。
エーギルより少し背が高いくらいだろうか。ちょっとだけ嬉しい。
……というか、エーギルが真剣な顔で俺の顔をめちゃくちゃ凝視してくる。顔が近い。とても近い。
ドラゴン姿だと体格差があるので、ここまで接近することはなかった。
真剣な顔の美形に見つめられるのは、心臓によろしくない。
人目線で見るエーギルの顔は、同性でもドキドキするほど美しい。銀髪だからか余計に眩しく見える。どのファンタジー作品でもエルフが美形に描かれる理由がとてもよくわかる。神の彫刻かと思うほど造形自体が美しく、イケメンなどという俗な表現が似合わない。
俺はとうとう彼の美形圧に耐えきれず、思わず目を逸らした。というか、こいつはなぜ俺の顔をこんなに見るんだ?
「な、なんだ……?俺の人姿はお前が見惚れるほどのイケメンなのか?」
「……ユース様、これは……彼の前世から肉体を?」
エーギルは真剣な声で尋ねた。
『いいえ。私はスキル付与のみで、姿形に関しては一切手を加えていません。クロ様のお姿はおそらく魂情報からでしょう』
……二人の会話から察するに、どうやら前世と全く同じ顔らしい。なんだよ!!!
ドラゴンのかっこよさが反映されたイケメンを期待していたのに……まあメインはドラゴン姿だからいいけどさ。
『無事成功したようで安心しました。改めておめでとうございます、クロ様。』
「おめでとうクロ!今世でもユキの顔を見られるなんてね。目の下のクマが消えていないのがちょっと残念だけど」
改めて感慨深そうに俺の顔を眺めるエーギル。あとほっぺをツンツンするな。
前世のクマまで魂に記録されていたのか……せめてクマだけは消して欲しかったな。
幸い、前世で常に感じていた寝不足や倦怠感は全くない。健康体そのものだ。
「ああ、2人ともありがとう……それより服をくれないか?」
二人から祝いの言葉をもらったが、俺はまだ全裸だった。人姿でもドラゴンの肌感覚なのか、全裸でも寒さを感じない。それでもやっぱり居心地はよくない。
『人化スキルの応用で、鱗を変化させれば衣服を纏うことができます。』
「そうなのか?どれどれ……」
意識して鱗を変化させると、黒霧が俺の体にまとわりつき、フード付きの黒いロングコートへ変わった。色まで深く考えていなかったが、自動的にドラゴン時と同じカラーリングになるらしい。紫がアクセントカラーになっている。
この世界ではどんな服が普遍的なのか知らないので、とりあえずエーギルの服装を参考にしている。
彼は鎧とマントも装備しているが、俺はどちらも必要ないのでロングコートにした。
ついでに、いつでも眠れるように額にアイマスクを装着。なぜかそのアイマスクには目がある。そうデザインしたつもりはないのだが、俺が4つ目のドラゴンだから残り2つの目が反映されたのか?……あとでパジャマも作ってみよう。服を買う必要がないっていいな。
「エーギル、どうだ?」
俺はくるくると回ってエーギルに見せた。ロングコートがふわりと翻る。
「とてもいい感じだよ。黒いコートがよく似合ってるし、アイマスクにクロの表情が反映されていて可愛いね」
よし!エーギルの太鼓判をもらったぞ。
アイマスクに俺の表情が反映されているというのが気になるが……エーギルの反応を見る限り大丈夫そうだ。
これで心置きなく食べ歩き、いや、旅ができるな。楽しみだ!
ドラゴンと違って人間の体はとても身軽で新鮮だ。
前世も人間だったが、こんなに軽いものだったのか!嬉しくて思わず踊り出してしまう。
エーギルとユース・ユーキスに微笑ましい目で見守られる中で俺は踊った。
「はは、ご機嫌になると踊るところは前世と変わらないなあ。可愛い」
『クロ様にこんなに喜んでいただけるとは思いませんでした。最後の仕事がこれで良かったです。』
「最後の仕事?」ほぼ同時に俺とエーギルの口から出た。
『はい。私の存在を維持するためのエネルギーが尽きようとしています。この光はゆっくりと消えていくでしょう。』
ユース・ユーキスのその言葉に一瞬で空気が凍りつく。
「ユース様、あなたは……」エーギルが心配そうに尋ねる。
『……お二人ともそんな顔をなさらないでください。元々そういう運命だったのです。』
その光は悲壮感もなく、消えそうな弱々しさもない。
これで消滅するのかな、と俺は思ったほどだ。
確かに500年も稼働していれば、いつ尽きてもおかしくないか……寿命か。
「ば、爆発とかしないよな?」
「ちょっとクロ!」
『大丈夫ですよ。お二人は私が安全にお送りいたします。客人を守るのも守護者の勤めですので。』
ユース・ユーキスの光はこんな時でもとても穏やかだった。
「……感謝いたします、ユース様。もしよければ最後に、500年前一体なにがあったのか聞かせてくれないでしょうか?何が、なぜ、この都市を滅ぼしたのか……。」
エーギルは騎士のように流麗な仕草で跪きながら、敬意に満ちた瞳で言った。
彼の纏う空気がガラリと一変したのが肌で分かった。忘れかけていたが、彼は勇者なのだと俺は改めて思った。
そしてエーギルの言葉に、俺も真相への好奇心が再び胸に湧き上がった。
ユース・ユーキスの光が一瞬揺らいだかと思うと、夜空に浮かぶ満月のように柔らかく光を放った。
それはまるで聖母マリアの微笑みのように、どこまでも慈愛に満ちた光だった。
しかしその光は、深淵を見ているようで底が見えない。