第9話:エーギルのピアス
日中でもヴァーレンベルク大樹海は、夏の夕方のように薄暗い。
無数の枝葉が陽光を奪い合い、木漏れ日がさす隙間はほとんどない。木自体が巨大で、ドラゴンの俺でも身を隠せてしまうほどだ。現世では相当の秘境にでも行かない限りお目にかかれないようなサイズだ。
地面は大蛇のような木根がうねうねと這い回っている。岩石は苔に余すことなく覆われていてとても滑りやすい。全く人が立ち入らない場所であることが伺える。
そんな有様なのでドラゴンの俺でも歩きにくい。気を抜くと足を滑らせて隣にいるエーギルを潰してしまいそうで、かなり注意して歩かなければいけない。時々大きなヒルや虫が上から落ちてくることもあるので、気が休まらない。
この悪路は人の身だともっと歩きにくいだろう。突然こんなところで襲われてしまったら、ひとたまりもない。足場が悪くてすぐに応戦できないし、逃げられない。
ヴァーレンベルク大樹海そのものが生ける巨大な食虫植物のようだと思った。ひとたび足を踏み入れれば脱出は困難で、この魔境の餌食になる。エーギルの言う通り、この大樹海での単独行動は危険だ。4人以上のパーティが推奨されるのも頷ける。
森深くに行くつれ、さらに道が悪くなってきた。
俺とエーギルの歩幅に差が出てきた。はぐれるといけないので、エーギルを肩に乗せて進む。
ドラゴンの体だと爪や尻尾である程度障害物をさばいて道を拓けるので楽だ。
途中、道を阻むように倒木が横たわっているところもあった。巨木がひしめくこの大樹海、当然ながらその倒木も巨大で、ドラゴンの俺でも跨ぐのに一苦労だ。もし人間の体だったら乗り越えるのに時間がかかったことだろう。
面倒なので前方一直線に焼き払って道を作ろうとしたら、エーギルに止められた。精霊の怒りを買って道に迷わされるのでやめた方が良いのだそうだ。俺たちは大人しく地道に倒木や岩をどかしながら道を作って進んで行った。
……ああ早く人化の術を習得して、こんな面倒なところからさっさと出たい。早く街へ行ってこの世界のいろんな料理を食べてみたい。料理だけではなく各地の魔物を食べ歩くのも面白そうだな。
「そういえばエーギル、ここは魔物の巣窟と聞いていたが全然出ないぞ?……お、なんかいる!」
物陰に動く何かを見つけてすぐ駆けつけたが、姿を見る前に逃げられてしまった。
そう、大樹海に入ってからかなり経つがまだ魔物に1匹も遭遇していない。どれも俺たちの気配を察知するなりすぐに逃げていく。この大樹海で強い魔物と戦えるのを楽しみにしていたので、肩透かしを食らった気分だ。
「……たぶん昨夜のクロの声で、みんな警戒しているんだよ。ドラゴンが縄張りを主張する時、ああいう声を出すんだ」
素材採取がかなり楽になるからいいけどね、とエーギルは言っていたが、俺にとっては大問題だ。これから安易に吠えないようにしよう。
エーギル曰く、俺の肩は高い木に生っている果物を探すのにちょうどいい高さらしい。エーギルは果物を見つけると、リスのように軽やかに俺の肩から木に飛び移り、果物を次々と収穫していった。その途中で色々な薬草やキノコがあれば、それも摘んで行った。
あまり動きたがらない俺と違って、エーギルは本当によく動くなと感心する。
「お前は本当によく動くなあ」
「そうかなあ。はい、これ」
エーギルはついさっき採ってきたばかりの果物を、俺の口の中に放り込む。
俺がそれを味わっている間、エーギルは山のような収穫物を空間魔法に収めていく。納め終わるとホクホク顔で俺の肩に戻ってきた。
空間魔法はものを魔法による収納空間にしまうことができる魔法らしい。ゲームでいうアイテムボックスのようなものだ。収納量は本人の素質と魔力量に左右されるらしいので、この量をしまえるということはエーギルは相当な魔力の持ち主なのだろう。いいなあ、俺も習得したいぞ。
エーギルはふだん採れない素材をたくさん集めることができて、とても嬉しそうだ。
長い間ずっと一人で旅をしていたので、ここ百年ほどこの大樹海に入る機会がなかったのだという。
「はい、クロ。あーんして。クロのおかげで魔物の妨害もなくて快適だよ」
エーギルが上機嫌でまた果物を俺の口に放り投げてきた。さっきとは違う果物だった。
お、これはバナナみたいで美味いな。正直、陰鬱で移動が面倒なこの大樹海からさっさと出たいと思っていたが、こんなに美味しいものがあるならもう少し居てもいいかという気持ちになる。
「ムグムグ……どうにかならないのか?ゲームとかで魔物をおびき寄せるアイテムとかあるよな。おかわり!」
「可愛いねえ、いっぱいお食べ」
エーギルはわんこそばのごとく、次の果物を素早く俺の口の中に放り込む。これもまた違う果物だった。見た目は大きなイチゴのようで、味は芳醇でとろけるような甘みが素晴らしい。この味わいは桃やマンゴーに近いと思う。
俺を見守るエーギルの笑顔が果物のように甘いので余計に甘く感じる。なんだか餌付け……というか甘やかされていないか?口を開ければ何も言わなくても食べ物が入ってくる。それを食べるたびに、エーギルが嬉しそうに微笑む。美味い!と言えば、エーギルの目がさらに輝く。
「うーん、おびき寄せるトラップは作れないことはないけどちょっと難しいかな。こういう所にいる魔物は相手の力量差にとても敏感なんだ。トラップ以前に、クロはすごく強いからさっきみたいに避けられちゃうかも」
おかわりを言おうと口を開く前にエーギルがすかさず、新しい果物を口に放り込んだ。素早すぎてどんな果物かは見えなかったが、パイナップルのような味でおいしい。
「ムグムグ……強すぎるというのも考え物だな」
「もっと先に進めば会えるかもしれないよ……あ、ちょっと待って」
エーギルは槍を取り出す。何やら詠唱を唱えて魔法杖のように振るうと、光の針が数本現れた。その光針を飛ばして、高い木に生っている果物を打ち落とした。エーギルの合図で俺が手を前に差し出すと、手のひらに色とりどりの果物が大量に落ちてきた。どれも傷ひとつない綺麗な状態で、宝石のように見えた。思わず感嘆の声を上げる。
「どうぞ、全部食べていいよ」
エーギルは笑ってそう言った。そんなに食べたそうな顔をしていたのだろうか。
エーギルの武器は槍と魔法杖が一体化した槍杖だ。槍で近距離、魔法で遠距離に対応するのだろう。勇者になる前のエーギルは、弓を携える狩人だったらしい。だからなのか、それともエルフの種族補正なのか、魔法の射撃は驚くほど正確だ。
それから動物や植物の知識が豊富で、大樹海を歩きながら俺にいろいろなことを教えてくれる。現世とは全く違うおかげで食べられる物の区別が自分でもある程度つくようになった。
たくさんの薬草を楽しそうに眺めるエーギルの姿を見て、俺は閃いた。
……ただ練り歩いて魔物が出てくるのを待つのではなく、こちらから強そうな魔物の住処にカチコミにいけばいいのでは?
エーギルに提案したら「クロが行きたいならどこにだってついて行くさ」と快諾してくれた。
というわけでボス探し開始だ!
野生のカンに従って、とにかく強そうな奴の気配がする方向に向かって進んでいく。その甲斐あってようやく魔物に遭遇するようになった。自分たちの縄張りを守ろうといろんな魔物が飛び出してきた。
しかし、どれも俺の敵ではない。別に美味しそうでもない、雑魚の相手をいちいちするのも面倒くさい。エーギルが槍を構える前に、俺のドラゴンブレス一発だ。
黒い炎で骨も残さず焼き尽くされた魔物の残骸を見てエーギルは「さすがクロ、容赦ないね」と苦笑いを浮かべた。
そんな感じであまりよく見ずに燃やしてきたので、どんな魔物が出てきたかはあまりよく覚えていない。
虫系の魔物は集団で出てくるものが多い。これも燃やすのも面倒になってきたので、エーギルに虫除けを調合してもらった。さすが森の種族と呼ばれるエルフだけあって、エーギル特製の虫除けは効果てきめんだった。虫系の魔物どころか虫自体が寄り付かなくなった。
さらに奥深くの方に進むと、やや手強い獣系の魔物と遭遇する頻度が高くなってきた。あちこちに巣らしき痕跡があり、ここは色々な魔物の巣が密集するエリアのようだ。
食料確保のために、食べられそうな魔物や卵をこのエリアでいくつか獲っていくことにした。
植物系の魔物も見かけるようになったが、当初の目的だった人化の術を持つ魔物は相変わらず見かけない。これほど探し回っても見つからないのはどうしてだろう、と二人で首を傾げた。やはり俺の強者オーラが原因なのだろうか?
食料もある程度確保できたタイミングで、昼休憩にすることにした。
メニューは今し方倒したばかりの大怪鳥ロックの新鮮な肉だ。エーギルが捌いたあと肉に塩を揉み込み,エーギルこだわりのハーブをたっぷり貼り付けて丁寧に包んで、俺の炎でじっくり蒸し焼きにした力作だ。
これが美味い!肉の繊維がきめ細かく引き締まっていて、噛むと熱々の肉汁が口中に溢れる。よく焼けた肉の香ばしい香りとハーブの爽やかな風味が、最高に食欲をそそる。牙が進む進む。
何よりドラゴンにちょうどいいビッグサイズが嬉しい。こうやって焼いて調理された肉にかぶりつくのはいつぶりだろう。
前にいた山にはこんな大きな獲物はいなかった。体が大きく成長してからほとんどは一口サイズの物ばかりだった。
前世ぶりに食べ応えのある肉を食べることができて幸せだ。うれしくてつい尻尾が揺れてしまう。
よく焼けた肉にハーブと調味料……口中に広がる味わいに文明を感じる。これを味わえただけでも、旅に出た甲斐があった。
おまちかねのデザートはエーギルが採った大量の果物だ。
いろんな果物を口いっぱいに頬張りながら、俺は考えた。
エーギルいわく、この辺りは危険性もそれなりに高いためここまで深く潜る冒険者はそうそういないらしい。
そうなると、この辺は「人」を知らない魔物が多いということなのだろうか。人に遭遇したことがなければ、人を知らず、人に擬態する必要がない。
だとすると、深層には人化の術を持つ魔物はあまり期待できないかもしれない。……一度引き返して、入り口付近で探したほうがいいんだろうか。
エーギルに相談しようと思って振り返ると、彼は小動物と戯れていた。小さな赤い毛玉と青い毛玉。
エーギルは頬を緩めながらふたつの毛玉を懐に抱いている。それは、よく見ると狼の子供だった。
どちらも自然界ではまず見かけないような色だ。魔物だからそんな色をしているのだろうか?俺は少し気になった。これまで見た狼系の魔物は、どれもくすんだ茶色か灰色だったからだ。
エーギルは2匹に顔を舐められてくすぐったそうにしている。随分と、懐かれているようだ。魔物に詳しいエーギルがこの様子ならあまり心配はいらなさそうだ。
「エーギル、なんだその子達は?知り合いなのか?」
俺が興味津々に顔を寄せてエーギルに尋ねると、2匹と目が合った。
自分の身よりもはるかに巨大なドラゴンの目玉にぎょろりと見つめられた2匹は驚いて、流れるようにエーギルの胸元にするりと潜り込んでしまった。
「この子達とは初対面だよ。初めて見るから何の魔物か分からないけど……」
懐の子狼を落ち着かせようと宥めるエーギル。それで少しは落ち着いたのか、2匹がクロの様子を伺いながらそっと顔を出した。
少し警戒気味にエーギルの懐から身を乗り出したかと思うと、そのまま2匹とも風のように飛び出してどこかへ行ってしまった。
「あーあ、行っちゃった。可愛かったのになあ……」
「なんかすまん……」
「クロが謝ることじゃないよ。野生で生きるなら、あれぐらい警戒心があるほうがいい」
「それもそうだな。ん、どうした?」
エーギルが青い顔で耳を押さえていた。そのあとに自分の体のあちこちを探って石のように固まった。
「どうしようクロ……!ピアスがない!」
「ピアス?」
そういえばエーギルの片耳にあった青い石のピアスがない。その慌てようからして、相当大事なもののようだ。
「あれは大切なアミュレット……お守りなんだ。俺は呪われてて……」
「呪いだと?」
エーギルが口を開く前に、雨がぽつぽつと降り始めた。
何事かと見上げたその時、空が急に暗くなり、ざあっと雨足が一息で強まった。
数歩先が白くけぶるほどの激しい豪雨。地面を強く叩く雨粒で、俺の脚がみるみる泥だらけになった。
雷鳴が鳴り響き、世界が真っ白になった。かなり近くに雷が落ちたようだ。
一変した天気に驚いて呆けていると、さっきの落雷で燃えた大木がエーギルめがけて倒れてきた。
エーギルはそれを難なく避けたが、その先にあったぬかるみで足を滑らせて派手に転んでしまった。転んで宙に浮き上がったエーギルの片足に運悪くツタが絡まる。そのツタがビンと鈍い音を立てたかと思うと、エーギルが消えた。
「エーギル!?」
すべて一瞬の出来事だった。慌ててエーギルの姿を探すと、後ろから自分を呼ぶエーギルの声が聞こえた。
声がした方へ急いで向かうと、そこにはツタに足を縛られて逆さ吊りになったエーギルの姿があった。
その周りをサルのような魔物が取り囲んでいたので、追い払ってやった。
俺がエーギルを救出したころには、豪雨は嘘のようにすっかり止んで、木々の隙間から青空がのぞいていた。
一連の出来事に自然現象では片付けられないものを感じ、エーギルにかけられた呪いを理解した。
「絶対に、絶対に、俺から離れるなよ!!」
「ごめんね……俺が油断したばっかりに」
しばらく歩いてみて、俺にぴったりとくっついていればエーギルの超不運は発動しないことがわかった。
おそらく俺の幸運値が並外れて非常に高いのだろうとエーギルは言っていた。そういえばこの世に生まれて運が悪いと感じたことは一度もないな。俺が目を閉じている間だけ発動する完全防御スキル「黄金の兜」──このスキルの正体は幸運値の高さにあるのかもしれない。
「……それで、呪われているってどういうことだ?」
「ドラゴンの呪いだよ。今まで倒してきたドラゴン達に呪われているんだ」
エーギルはクロの黒鱗をそっと撫でながら言った。
俺は鱗の下で何かが震えた気がした。
そう、本来ならエーギルは俺にとって敵に等しい存在……竜殺しなのだ。
──クロ。この世界は、ドラゴンにとってとても生きづらいと思う。この世界ではドラゴンは災害そのものだ。俺みたいな竜殺しなんていう仕事があるくらいだからね。
旅に出る前夜、エーギルがそう言っていたのを俺は思い出した。
神の化身と呼ばれる竜種がいるほど、ドラゴンはおそろしく強大な存在だ。身動きひとつで山や建物が崩れ、息吹一つですべてが消え、ドラゴンの意思一つでたやすく国が滅ぶ。ドラゴンがそこにいるだけで非常な脅威だ。
ゆえに、倒せる者はそうそういない。大軍や上級冒険者のパーティがドラゴン一頭に立ち向かって全滅する例は掃いて捨てるほどある。
──ドラゴンを一頭倒せば英雄、十頭倒せば大英雄、百頭倒せば竜殺し。
そんな歌があるほど、竜殺しは御伽話で語られるような存在だ。
そんな世界で、エーギルは修行時代に数多のドラゴンを屠ったどころか、単騎でドラゴンの国を滅ぼした。
真の竜殺しが現れたと世間は驚喜した。
エーギルには光の勇者の肩書きが与えられ、数えきれないほどの討伐依頼が彼の元に舞い込んだ。
エーギルがドラゴンを屠れば屠るほど、栄光とは裏腹に、血泥と共にドラゴンの怨念が堆積していく。
それでも彼は槍を振るうのを止めなかった。
いつか必ず現れる、災厄の黒竜を屠る力を身につけるために。
この血塗れの槍が世界を救う光になると信じて。
──かの竜殺しに、竜の祝福を。
ドラゴンの血は万能薬のもとでもあり劇薬でもある。常人なら少量でも致死量だが、エーギルには光神の加護があった。神の加護で猛毒は浄化され、エーギルは不死身に近い肉体を得た。どんな致命傷でも、心臓を刺されない限り死なない。そのおかげで、単騎で泥臭く戦い続けることができた。
──かの竜殺しに、万竜の怨念を。
彼に殺されたドラゴン達の壮絶な怨念によって、エーギルの幸運値は最低値以下にまで下がった。その呪いは非常に強力で、本人だけではなく周囲にいる者の幸運値を下げる。そのため、エーギルは周囲から距離を置くようになった。
それを見かねた彼の友人は、その呪いを抑える秘術で作られた強力なアミュレットを彼に贈った。それがあのピアスだ。おかげでエーギルはようやく気兼ねなく街を歩けるようになった。
「でもクロがいるなら、ピアスはなくてもいいかな。こんなに何も起こらないのは久しぶりだよ」
能天気に笑うエーギル。
俺は尻尾を地面に叩きつけながら言った。
「馬鹿!どう考えても必要だろ。さっさとピアスを取り戻すぞ!」
何も起こらないのが久しぶりだと無邪気に喜ぶエーギルに、俺ははらわたが煮え繰り返るような思いがした。
こんなに重い呪いを受けていると分かった上で彼一人に竜殺しを続けさせようとする世界に、俺は腹が立っていた。
ドラゴンが災害扱いされるのはまだいいが、たった一人に業を全部背負わせるような世界はクソすぎる。
ひとまずあの2匹が怪しい。臭いを辿って探すことにした。犬ほどではないかもしれないが、ドラゴンの嗅覚は結構いいのだ。
昼飯も食べ終わって腹も膨れたところだし、行動開始だ!