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第九話 神官長パナギオティス

 ステュクス王国は、大陸一の強国かつ神聖なる国家、自他ともにそう認められている。


 そのステュクス王国が祀るオケアニデス教の主神ステュクスの神殿ともなれば、その権威は並ぶものなく、ときに王にさえ頭を下げさせる。だからこそ、ステュクスに仕える神殿の神官長や巫女たちは自律や自制を厳しく躾けられ、胸の黄金のステュクスの印にかけて誇りを忘れることはない。


 その筆頭とも言える、神官長パナギオティスは、神託を疑ったわけではないが、不安を宿していた。


 何せ、ステュクス王国の王子の妃に、ウラノス公国という小国の娘をあてがえ、などという前代未聞の神託だ。当然、ステュクス王国側もてんやわんやの騒ぎとなって、何とか表面上落ち着きはしたものの、一刻も早くその娘を見つけ出してどんな人物かを確かめなければならない。そうでもしなければ、浮き足立つ人々を鎮まらせることなどできはしない。


 神託の娘を連れて帰る、という使命を帯びたパナギオティスは、すぐさまウラノス公国へ走った。本来なら仰々しく訪問すべきだが、急を要するだけにパナギオティスと付き人の見習い巫女三人に護衛だけ、というささやかなメンバーとなった。もうその時点で不安はつきまとう。


 だが、ステュクス王国の民に敬愛され、尊崇の念を浴びる聡明なる王子アサナシオスのためだ。かの王子は神託を受け入れた、それ以外に選択肢はないとしても、彼は堂々と、一瞬の躊躇いもなく承諾したのだ。それは王子としての義務を果たすためであり、主神ステュクスの権威を損ねないためだ。彼は国益に反することはしない、決して。


 パナギオティスもまた、アサナシオス王子に一目を置き、国王は兄王子がなるとしても彼もまた将来のステュクス王国の重鎮となることは決まっており、彼のために働くことを喜びとしていた。それだけの価値がある人物なのだ。


 だからこそ、エレーニ・ガラニスを見定めなくてはならない、とパナギオティスは強く心に決めていた。


 ところが、ウラノス公国に来て、ウラノス公からエレーニ・ガラニスの現状を聞けば——想像とは何だか違うものだった。


 まず、公女だったことはまだ想定の範囲内だ。たかが一市民、そのへんの村人が王子のお相手だったりすれば、神が許しても民の心は許さない。ここは、幸いにもウラノス公国公女だったことはよかった。しかしだ、まさか修道女にさせられていたとは思ってもみなかった。


 幼いころから修道女となったエレーニ・ガラニス。その時点でパナギオティスは察した、エレーニはウラノス公国の事情で修道女に()()()()()のだと。政治的な思惑あって、ウラノス公から遠ざけられた公女、すでに何やらきな臭さが漂う。それにガラニスの姓、ウラノス公国の隣の亡国ガラニシアに縁があるともなれば、ウラノス公国であまりいい待遇を受けているとは思えなかった。


 つまり、ステュクス王国は、パナギオティスは、エレーニに手を差し伸べにきた、という形になるのではないか? だとすれば、話は早い。もしエレーニが不幸な身の上であるなら、神託をこう解釈することもできる。


「偉大なる主神ステュクスは、不幸なる神託の乙女エレーニを救い出せとお命じになられた。寛大なるステュクス王国が王子アサナシオスはこれを受け入れ、神託の乙女エレーニを妻とする。その結果、ステュクス王国は——」


 その先の話は、いかようにでも作り出せる。とにかく、ステュクス王国にとって悪い話ではない。聖俗ともにその評価を高める格好の材料となる。そのための神託、やはりステュクス王国にとっては益あるようにできている。


 まあ、打算はそのくらいでいいだろう。パナギオティスはやってきたエレーニに会うことにした。何やら人里離れた修道院におり、ウラノス公の城へやってくるまで一週間かかる、という話だった。ウラノス公国の神殿巡りをしながらそれを待ち、一週間後の夕方、やっとパナギオティスはエレーニに面会を許された。


 どのような娘だろうか——パナギオティスは、エレーニを一目見て、こう思った。


 公女らしく修道女らしく、気高くそして何より清廉な雰囲気をまとう美しい乙女だ。ステュクス王国では華美さは評価されない。着慣れた修道女の簡素な服装に、化粧などなくとも年頃の乙女らしさを失わないエレーニは、パナギオティスにとってはなかなかに好印象だった。


 これはよい巡り合わせだ。神託を全面的に信頼しはじめたパナギオティスは、興が乗ってエレーニにこう質問を投げかけた。


「ところで、エレーニ姫は修道女だと聞いておりますが、何という神に仕えていらっしゃるのでしょう?」

「ああ、それは……忘却を司る女神レテです。なので、修道院も人里離れた土地にあり、今まで誰からも忘れ去られていました」


 エレーニはこともなげに、そう答えた。


 それがどれだけパナギオティスに衝撃を与えたかなど、知る由もないだろう。


 パナギオティスは、エレーニが巫女ではなく修道女となっているあたり、予想をしておくべきだったかもしれない。神に仕える者という共通項はあるが、巫女と修道女は異なるものだ。


 神の声を聞くために神殿に侍らされている巫女。そうではなく、異国の文化を取り入れ、神と己のために厳しい戒律と修行をこなす修道女。宗教国家から見て、どちらのほうが敬虔に見えるかなど、比べるべくもない。ましてや、忘却の女神レテは主神ステュクスの娘であり、隠者の修行の守護神でもある。


 身分の高い年頃の娘が、まさかそんな存在に仕える修道女であるなど、ステュクス王国を見渡しても一人いるかどうかだ。


 しみじみと、パナギオティスはエレーニに感じ入り、同時に同情を深めていった。この娘ならば、王子を誑かすことも、妃にありがちな出しゃばりな行動をすることもないだろう。パナギオティスは心の中の内申簿に満点をつけた。

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