第四十九話 呪い
翌日、レテ神殿で騎士たちの手を借りながら神殿再建に関する色々な書類を片付けていると、コーリャ青年が私の前に手のひらほどの小さな白い器を差し出した。
「ガラクトブレコです。本当は持ち帰りができないものなのですが、エレーニ様はお忙しそうでしたので、交渉して器ごと持ってまいりました」
見ると、器の中にははみ出るほどの薄いパイ生地がこんがりと焼け、その中には甘い香りのするクリームがたっぷり入っている。コーリャ青年は準備もよく、スプーンを手渡してきた。
私は騎士たちが見守る中、ガラクトブレコというその甘味へ、スプーンを差し入れ、口に運ぶ。
さっぱり、甘い。パリパリのパイ生地とクリームを混ぜて、小気味よく食べる。これは軽く食べられる、ぱくぱくと私は食べ進み、あっという間に器を空にしてしまった。
「どうです?」
「美味しいです。あ、私が食べてよかったのでしょうか」
「ええ、もちろん! 買ってきた甲斐があったというものです!」
コーリャ青年は満面の笑顔でそう言った。どうやら私は、コーリャ青年に気遣わせてしまったらしい。
ああ、そうだ。私はさっき届いた木箱の蓋を開ける。中から出てきたのは、布の端切れに包まれた、私が首から下げている忘却の女神レテのメダルと同じものだ。
「これを皆に配ってください。裏にレテ神殿騎士団の一員であることを証明する印が入っていますので、身分証明として使えます。なくさないように」
「おお、念願の! ありがとうございます!」
念願、というほどのものだろうか。いや、一度は身分を失った騎士たちだ、身分が大切であることは身に染みて分かっているのだろう。
コーリャ青年にレテ神殿騎士団へのメダルの配布を任せて、私は再度書類と格闘に戻る。
しかし、騎士の一人が私のもとに駆け寄ってくる。
「エレーニ様、そろそろ私どもにも何か仕事を与えてはいただけませんか」
仕事。頭からすっかり抜け落ちていた単語に、私は驚く。
レテ神殿騎士団に仕事がない、つまり現在はレテ神殿というガワだけ作って、中身を伴わない状態だ。これはいけない、そのくらいは私でも分かる。
「仕事……神殿の警備、はこれほど人数はいりませんよね」
「はい。周辺の巡回も同じです。それに、訓練や装備の調達、保管、欲を言えば宿舎のようなものもあれば、現在各宿に分散して泊まっている騎士たちも安心して過ごすことができるのですが」
やるべきことが多そうだ、と察知し、私は床に置いていた書類箱の中を漁りはじめた。
何せ、もらった相手が仕事ができるものだから、大量の書類が渡されている。その中に、今の状況で有用なものがあることを思い出したのだ。
たった一枚の紙、しかしそこにはステュクスの印が押印されており、この国で現在事務書類にその印を押せるのはただ一人、最高権力者代理のサナシスだけだ。
「あった。サナシス様からいただいていた指示書です」
有り難いことに、サナシスは神殿経営に必要な事柄をまとめて、何をすべきか簡単に書いておいてくれたのだ。何分私にとっては未知の領域、祈る真似はできても経営まではできない。
私は書かれていることを指差し確認しながら読み上げる。
「えっと、まずは、周辺の神殿と協議して、教区を定めること。それから王城へ申請を出し、負うべき仕事を依頼されるので、それをこなすこと。支援金は銀行を通して配給される、年額で使途については基本的に不問、ただし記録は残しておくこと」
私は内容を噛み砕いて、理解に努める。要するに、仕事は王城でもらうこと、配給されたお金は自由に使える、ということだ。
「お金は使っていいそうなので、まず宿舎を探しましょう。衣食住を整えないと」
「おっしゃるとおりです。それから仕事については考えましょう。経理が得意な者、商売に精通している者にその分野は任せ、王城との折衝もこなす事務処理役を何人か決めます。支援金に関してはエレーニ様か騎士団長が差配をお願いします。普段は騎士団長に任せていいかと」
私に話しかけてきた騎士はベテランなのか、すらすらとそう言った。
もしかして、今までこの人たちはそうすべきなのに言い出せなかったのではないか。私の中に罪悪感が生まれる。出来の悪い神官長兼巫女で申し訳なくなってきた。
「申し訳ございません、私、そういうことはまったく経験がないものですから、早くやればいいのに皆様にご迷惑をおかけして」
「いえ! それはこちらもきちんと陳情をしてこなかったから悪いのです! お気になさらず!」
騎士はそう気遣ってくれて、今提案したことを実行するため、他の騎士たちに指示を出していた。騎士団長を呼び、詳細を詰める、という言葉が聞こえてくる。
こうなれば、私が首を突っ込むよりも、騎士団の慣れた騎士たちに任せたほうがいい。集まってきた騎士たちの輪から抜け出し、私が身を引こうとしたところ、頭の中に女性の声が響いた。
「エレーニ、忙しい?」
私は周囲を見回す。ここには私以外に女性はいない。それに、このささやくような声は聞き覚えがある。
私は騎士に声をかけた。
「ちょっと席を外します。今話したことを」
「分かりました、人事のほうはお任せを!」
頼もしい言葉に安心して、私は静かな別室へと移動した。扉を閉め、窓際で耳を澄ませる。
声の主は、忘却の女神レテだ。突然神託を下してくる、というのは前にもあった。
また声が聞こえる。
「エレーニ、神託ってほどのことでもないけど、ステュクスお母様が落ち込んでらっしゃるの」
「え?」
「あなたとヘリオスの会話を盗み聞きしていたんだって」
それを聞き、私はちょっと嫌な気持ちになった。
「何でも筒抜けなのですね……」
どこでも話を聞かれている、なんて、普通に考えて気持ちが悪い。それに、神々の悪口は何も言えなくなる。言論弾圧、というやつだ。これで私の加護を撤回させて、願いも聞きません、なんて言われるようなら、私はサナシスには悪いけどお好きにどうぞ、と言おう。
などと鼻息荒く思っていると、どうやらそんな展開ではないようだった。
「ううん、そういうわけじゃなくて、ステュクスお母様はあちこち見守るのが好きだから……首も突っ込むし。あ、私は話の内容は知らないのだけど」
レテは意外にもあっさりとしていた。その口調からは、主神ステュクスの自業自得、というふうにさえ聞こえる。まあ、そうかもしれない、レテは常識人のようだった。
ところが、レテはこんなことを言い出した。
「あと、サナシスの兄のヘリオスは、呪いがかかっているわ」
いきなりの聞き慣れない物騒な言葉に、私は思わず復唱した。
「呪い?」




