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第三十話 カラマラキア・ティガニタ

 サナシスが何かを悩んでいる、その気配が伝わってきていた。


 私に何かを言おうとして、うーん、と悩んで口ごもる。それを今日は朝から三回もやっている。私が機微にいくら鈍くても、さすがに気付く。


 でも、サナシスほど聡明な人が言いづらいのなら、無理に聞くことはできない。私よりもずっと色々なことを考えていて、その上でどうしようか迷うほどのことなのだ。私は子供じゃない、待つこともできるし、サナシスに迷惑をかけることはしない。言ってほしい気持ちはあるけど、我慢する。


 私はやっと慣れてきた王城の廊下を、メイドたちに案内されていく。私専用の部屋が三つも用意されたと聞いて、見にいくといいとサナシスが言ってくれたからだ。山ほど高く広いステュクス王国王城では、いくらでも部屋が余っているから遠慮なく使っていいのだ、ということらしく、私は初めて持つ自分専用の部屋にわくわくしていた。


 仕立ててもらった新しい、大きめの白いチュニックを着て、弾む心を抑えて、てくてく歩く。鏡面のような廊下の床は青い石でどこまでもつるっつるだ、装飾の施された一定間隔で並ぶ大理石の白い柱は私の胴よりもずっと太く、地平線の向こうまで続く。王城は今も増築を繰り返していて、小高く、主神ステュクスの神殿最奥の神域アルケ・ト・アペイロンに近づけば近づくほど、面積が広くなっていくという不思議な仕組みらしい。


 はたと、私は考えた。私は一体、何をすればいいのだろう。


 もちろん、今最優先なのは育つこと。サナシスに心配をかけないくらい、健康になることだ。いっぱい食べていっぱい眠り、風呂に入れてもらってサナシスを喜ばせる。それはゆっくり時間をかけていかなければならないから、次点の目的を持っておくとか、やらなければならないことを作るとか、そういうことをしなければならない。


 それもサナシスに聞いたほうがいいはずだ。私は心に決め、メイドが開けた扉をくぐって新しい部屋に入る。


 ところが、そこには先客がいた。


「おや、お嬢さん、ご機嫌麗しゅう」


 書斎予定の部屋の真ん中に、真っ黒なターバンと衣装に身を包んだ男性が立っていた。藍色の髪に金色の目、見たこともない人物だった。


 しかし、立派な身なりで王城にいるのだから、挨拶すべき人物だろう。私は頭を下げ、名乗る。


「お初にお目にかかります。私はエレーニと申します。不躾で申し訳ございません、あなたさまはどなたでしょう?」

「申し遅れました。私はニキータです。これでも王族の末席に連なる身であり、あなたの夫君アサナシオス王子殿下の部下を務めております」


 仰々しく、目を細めて私を見る不思議な男性、ニキータは、サナシスの名前を出した。ニキータはさらに話を続ける。


「エレーニ姫。こちらこそ不躾な出会いとなってしまい、面目次第もありません。しかし、あなたにどうしてもお伝えしたいことがあり、我らが聡明なる王子アサナシオスの目を盗んでやってまいりました」


 サナシスの目を盗んで。その言葉を聞いた瞬間、私は警戒した。


 サナシスは私を守ってくれている。そのサナシスの目を盗んだとあっては、私は目の前の男性から逃げなければならない。


 一歩後ずさった私の前に、ニキータは一歩を踏み出す。私は怖くなってきた。


「私にできることなど、大してございません。それに、サナシス様に黙って何かをするのは」


 精一杯、虚勢を張ってみた。逃げなきゃ、そう思っていたところ。


 ニキータはぱん、と手を叩いた。


「ああ! そういうことではございません! 主神ステュクスに誓って、怪しいことではございませんとも。では、お耳を拝借」

「は、はあ」


 強引なニキータが私の横へ回り込み、こう告げた。


「アサナシオス王子の好物、カラマラキア・ティガニタを買いに行きませんか?」

「……へ?」


 カラマラキア・ティガニタ。何やら、初めて聞く単語だった。

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