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第三話 なんて?

 晴れた日の朝、修道院には意外な訪問客がやってきた。


「エレーニ様! お初にお目にかかる、ウラノス公より命じられてまいりました、コーリャと申します」


 はっきりと明瞭な声で修道院の扉に向けて叫んでいた騎士の青年は、とても生真面目そうな顔をしていた。おそらく、使命感に燃えた立派な騎士なのだろう。昔、お城で見かけた精悍な騎士たちを思い出す。


 私は修道院の近くにある井戸から水を汲んで帰ってきている最中だったので、コーリャ青年の横から声をかけた。


「私がエレーニですが」

「うわあ!? あっ、その、エレーニ、様? これは失礼をいたしました!」

「いえ。少々お待ちください。水を置いてきますので」


 私は水桶を二つ持ち、修道院の裏へ回ろうとする。しかし、コーリャ青年はそれを遮った。


「私が持ちましょう。どちらへ?」

「いえ、そのような雑事を騎士であるあなたにさせるわけには」

「何をおっしゃいますか。公女であるエレーニ様にこそ、そのような雑事をさせるわけにはまいりません」

「ここではただの修道女ですので」


 私はコーリャ青年の差し出してきた手を無視して、修道院の裏手に向かった。


 私を公女扱いする人間に会ったのは、十年ぶりくらいだろうか。


 しかし、コーリャ青年は何の用事だろう。父であるウラノス公が命じ、騎士がわざわざこんな辺境へやってくるような用事など、私には思いつかない。殺すのならいちいち名乗らせないだろうし、公女扱いしたということは私に公女として何か利用価値が生まれでもしたのだろうか。


 嫌だなぁ、と私は思った。どんな用件であれ、今の生活を破壊される私にとっては福音とならないだろう。そうとしか思えない。水場の瓶に水桶から水を注ぎ、その作業をのろのろやっていたのに終えてしまって、私はとぼとぼ、しょうがなくコーリャ青年のもとに戻る。できるだけ、凶報がやってくるのを先延ばしにしたい思いでいっぱいだった。


 チュニックの裾を払って、しぶしぶ、私は修道院の扉の前に居座るコーリャ青年の前にやってきた。


「詳しいお話を聞かせていただけますか」

「はっ! 少々長くなりますので、落ち着いた場所で」

「修道院はご覧のとおり、荒れ果てています。そもそも男子禁制ですし、どこにも座って落ち着ける場所などないのです。私の寝室にしている小屋ならマシですが、殿方を入れるわけには」

「ああっ! そ、そうですね、失礼しました! では、ここでお伝えいたします!」


 落ち着きのないコーリャ青年は、こほん、と咳払いをして、態度厳かに語る。


「我が主、ウラノス公閣下より、ご息女エレーニ様を城へお連れするよう命じられました。現在、城にはステュクス王国からの使者が滞在しており、エレーニ様を探しているようなのです」

「ステュクス王国の使者? なぜ私を?」


 私は至極当然の疑問を返した。大国ステュクスの名を聞くのは、いつぶりだろう。まったくもって私には縁遠い言葉だった、それがなぜ、私を探しにくるのか。


 コーリャ青年は誠実に答える。


「私が耳にした話では、エレーニ様をステュクス王国王子アサナシオス・シプニマス殿下の妻として迎えるため、とのことです!」


 ——は? なんて?


 青空のもと、我が事のように喜ぶコーリャ青年は言った。


「エレーニ様、ステュクス王国へ輿入れです! いや、めでたいことですね!」

「はあ」


 私の無気力な返事に、コーリャ青年は戸惑う。


「どうなされたのですか? これはチャンスですよ! ステュクス王国といえば大陸最大の国家、もっとも荘厳かつ清浄と謳われる神域を有する聖なる土地! ウラノス公国とは比べものにならないほどの都会、としか、ここを離れたことのない私は知りませんが」

「そこに行ってどうするのです?」

「どう、とは……えっと」


 コーリャ青年は言葉に詰まった。私は畳み掛ける。


「なぜ、私が行かなければならないのですか?」

「えっ、あっ、その」

「ステュクス王国は、なぜ私ごときを王子殿下の妻にしようなどと思われたのでしょう?」

「そ、それは神託があったからと」

「神託?」


 私は呆れた。


 母を救わなかった神のお告げが、私に指図をしようというのか。


 私の真意など分かるはずもないコーリャ青年は、私が神託を疑ったと思ったのだろう。その是非ではなく、有無を、そう思ったに違いない。


 コーリャ青年は私を説得にかかる。


「で、ですが、ステュクス王国は本気です。神託の女性を、ウラノス公国のエレーニ・ガラニスという乙女を探しているのです。私はそこまでしか聞いていませんが、ウラノス公閣下はその求めに応じられました。ならば」

「ならば私は、物のように差し出されなくてはなりませんか」


 私のその言葉は、コーリャ青年を押し黙らせた。


 私は父に捨てられたのだ。母の故郷を見捨て、母を見捨て、私を見捨てた父が、今更私を呼び戻そうとしている。その理由が何とも憎らしい、赤の他人であるステュクス王国の王子が探しているから、そんな単純で、下らない理由だ。父として娘を愛するとか、憐れむとか、そういう心遣いは一切ないだろう。一片でもその心があれば、とっくの昔に私に会いにきているはずだ。不義理を詫び、母の死を悼み、私を娘として愛することこそ、筋というものだろうに。


 あろうことか、ウラノス公は娘を道具のように差し出すことを選んだ。これに呆れずして、怒らずして、何とすべきか。


 ただ、その感情を使いっ走りのコーリャ青年にぶつけても仕方がない。それは私もよく分かっている。思いの丈は抑え、努めて冷静に承諾する。


「分かりました。支度をしますので、少々お待ちください。城まで徒歩でしょうか」

「は、はい、申し訳ございません。馬車をご用意できればよかったのですが、何分ここまでは道が悪く、私も途中で愛馬を引き返させたほどです」

「そうですね。確か、そういう道のりでした」


 私は幼いころに城から修道院までのとても険しい道のりを歩かされたことを思い出した。ぐんにゃりと足が潰れても歩かされ、ときには付き添いの従者に背負われもしたが、それにしても未だに吐き気がするほどひどい山道だった。


 それを今度は逆に行かなければならない。あのころとは違うとはいえ、気乗りはしなかった。


 私は大してない荷物を布袋に入れて、すぐに修道院の扉前で待つコーリャ青年とともに修道院を発った。


 感傷はない。幼いころにも、この修道院で過ごした十年にも、もう何も、思い残すことはないのだから。

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