第二十話 甘いもの
ウラノス公国での出来事など露知らず、エレーニは今日も風呂でサナシスに髪を洗われていた。
「うん、少しずつだが艶が出てきたな。慌てずゆっくり栄養を摂るといい」
「はい。ありがとうございます」
「食べたいものがあれば遠慮せずにメイドへ伝えろ。今は医師の処方どおりの食事だが、多少甘いものや好みのものを食べたところで文句は言われないだろう」
「甘いもの」
私はしばし考えた。先日飲んだオレンジジュース、あれさえも私にとっては甘いものだ。果物を食べることなんて滅多になかったし、たまにあっても野草に混じったベリーをほんの少しだ。普段は粗い小麦粉、蕎麦粉をこねた固いパンと痩せた土地で育てていた葉物野菜、そのくらいしか口にしていなかった。
だから、甘いものと言われても、ピンと来なかった。私が黙っていたのを察してくれたのか、サナシスは私の髪を洗い流しながらこう言った。
「そうだったな……お前は、ほとんど食べたことがないだろう」
「恥ずかしながら、甘いものを食べていた幼いころの記憶はもうなくて」
「いや、気にするな。甘いものはいくらでも作らせよう。それと、お前は何が好みだ?」
「それも」
私はだんだん、恥ずかしさが増してきた。
甘いものの一つも、好みのものの一つも答えられない。口にしてきたものだって、サナシスに言うのは憚られる粗末なものばかりだ。王城では、それをゴミと言うのかもしれない。ここ数日の食事の豪勢さ——それも医師の監修のもと胃に優しいものだけなのだが——を見ていると、私は今まで何を食べていたのだろう、とやるせなさが湧いてきた。
年頃の娘として、もうちょっと見栄を張れたらよかったのだろうけど、私にはそれは叶わなかった。しょぼん、とうなだれる。
それでも、毎日サナシスに風呂に入れてもらって、シャンプーとリンスでたっぷり髪をつやつやにしてもらって、肌も少しはなめらかになってきた。それが嬉しくて、私は風呂から出たら自分の肌をつついたりしている。ぷにぷにと掴む肉もちょっとだけだが生まれていて、サナシスに褒められた。
「分かった。少しずつだ、少しずつ。毎日、お前の好みになりそうなものを、食べさせてやる。料理人たちも腕が鳴るだろう、誰が王子妃の好きなものを作れるか、とな」
そう言ってもらえると、私もほっとする。好みを言うことは悪いことではないのか、残さず食べることを卑しいと言われないか、いくつも浮かんだ心配事も、サナシスなら全部まとめて解決してくれる。そんな気がした。
私は、自分ばかりではいけない、とサナシスにも好みを聞いてみた。
「サナシス様のお好きな食べ物は、何ですか?」
「俺はそうだな、魚なら大抵は好物だ。卵料理もいい、自分で作れる」
「まあ、そうなのですか?」
「意外か? 昔から、何かあったときのためにと、一人でできることを増やすように父上——国王陛下に厳命されていてな。まあ、大したものを作れるわけではないが」
それはきっと謙遜だ。サナシスなら、何だってできるに違いない。
私が尊敬の眼差しを向けていると、サナシスはふと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「いいことを思いついた。風呂を上がったら、いいものを作ってやる。楽しみにしていろ」
そうして、私はまたくるくる回されて、体中を大量の泡とスポンジでごしごし洗われた。自分でやると言っても、まだ力がないからと却下されてしまうのだ。
サナシスは何を思いついたのだろう。わくわくする、楽しみだ。私は最高に、幸せだった。




