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第十七話 違うのだ

 次の日、私は目を覚ました。見知らぬふかふかなベッドで、起きてもまだ夢見心地だった。


 目を覚ました私を発見したメイドが、大慌てで部屋を出ていった。しばらくして、医師やメイドが大量に押しかけてきた。


「大丈夫ですか? お加減はいかがでしょうか?」

「朝食をお持ちいたしましょうか? お飲み物がよろしいでしょうか? ただいまお持ちいたします!」

「アサナシオス様をお呼びいたしますので少々お待ちくださいませ!」


 皆が皆、慌ただしい。私は大人しく、医師の診察を受け、メイドに手渡されたオレンジジュースを飲んでいた。


 それにしても、私に敵意や悪感情を向ける人間はいなかった。さすがステュクス王国の王城で働く人々だ。主が善良であるとその下で働く人たちも善良に寄るらしい。ウラノス公国とは大違いだ。


 それはともかく、サナシスがやってきた。固い表情で、早足でやってくる。あまりにも威圧的であったため、医師とメイドはすぐさま道を譲った。


 サナシスは私のベッドの脇にある椅子に腰掛け——大きくため息を吐いた。


「よかった……心配したぞ」


 そう言って、サナシスは私の右頬へ手を添える。触ってふくよかな頬であればよかったけど、生憎と私の頬は痩せていた。それでも、サナシスの触った指先から熱が伝わるように、私の頬は紅潮する。


「主神ステュクスの神託があったから大丈夫だとは思っていたが、それでも気が気ではなかった」

「ご心配をおかけして申し訳ございません」

「まったくだ。それで」


 とりあえずオレンジジュースを置け、と言われて私はコップを手放した。すかさずメイドが受け取る。


「神託の内容が、うん、お前のことだった」

「私、ですか?」

「ああ。イオエル」

「はっ」


 サナシスの後ろに控えていたメガネをかけた青年イオエルが答える。


「神託の内容はこうです。主神ステュクス曰く、聡明なる王子アサナシオス・シプニマスの妻エレーニ・アサナシア・シプニモを主神ステュクスの筆頭巫女とし、加護を与えることを約す、と」


 どうやら、その神託のことは、この部屋にいる私以外の全員が知っていたらしい。驚く私は、加護云々よりも、サナシスの妻として正式に姓名を変えて扱われていることに、衝撃を受けた。本当に私はサナシスの妻になったのだ、と実感してしまって、恥ずかしいやら嬉しいやら、と顔を俯かせる。


 ただ、サナシスはそれを深刻な事態と受け取ってしまったようだ。


「イオエル、皆を部屋から出してくれ。エレーニと話したい」


 イオエルは素早く、指示に従った。誰一人反対などしない、私とサナシス以外部屋に誰もいなくなり、扉が閉まったところで、サナシスは改めて私に話しかける。


「さて、エレーニ。話しづらいこともあるだろう、それは」

「お話ししたいことがあります、サナシス様」


 私は少々、食い気味に身を乗り出した。


 サナシスには言っておきたい、隠し事はしたくないのだ。私を妻と言ってくれるこの善良なる夫を、騙したくない。


 私は、ステュクスと話したことを、あの現実離れした夢のような場所での会話を、余すところなくサナシスへ伝えた。


 サナシスは真剣に、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けてくれた。


「復讐を約束した? 主神ステュクスと?」


 私が主神ステュクスの巫女になることや自分が一番加護を受けているという話よりも、サナシスはその話に驚いていた。


 本来、主神ステュクスは何かを与える女神ではない。人間と取引だってしない、なぜなら彼女はもっとも偉大な神だから。祈りを捧げられて当然、預言はそのとおりになる、信仰は主神ステュクスを畏れ奉るものだ。だから、私が巫女になるその見返りにウラノス公へ復讐を、神罰を与えるというのは、おおよそ通常では考えられなかった。


 それは主神ステュクスがサナシスに特別甘く、そのおこぼれで私も甘やかされているのだ、と思うけど、それでも奇跡のような出来事だ。だって、私へ巫女になれ、と一言預言を出すだけでいいのに、わざわざ私へも加護を与えている。女神の気まぐれというものだろうか。それとも、それは主神ステュクスの誠意というものかもしれない。


 その誠意に、私は付け込んだ。


「母を殺した父への復讐を……ただ、それだけを」


 私は、善性からの願いを、できなかった。


 善良なるサナシスの妻にふさわしいような願いを、思いつかなかった。ただただ、神への不信と、祈りを嫌う心と、母を見捨てた父への激しい怒りから、主神ステュクスへの不敬に当たるような望みを持ってしまった。


 それが当然だと思いたくはない。私は、サナシスに恥じることをしたのかもしれない、と怖くなった。


 私は言い訳をした。


「でも、私はサナシス様にそれをしていただきたいわけではありません。サナシス様の御手を汚させるようなことは、絶対にさせたくないのです。あのような下らない人間のために、そのようなことはあってはなりません!」


 違うのだ、私は、私だけは醜くても、サナシスをそうはさせたくない。


 復讐心を否定することはできないけど、だからと言ってサナシスまで巻き込みたいわけじゃない。


 何とかその気持ちを伝えたいのに、上手く言葉にできない。自分の無力さに、涙ぐんできた。


 私がついに言葉を発せられなくなって、目から涙が溢れ出したとき。


 サナシスは私を抱きしめた。胸に顔を押しつけられ、私の背中に回された手が優しくぽんぽんと叩く。


「心配するな。主神ステュクスが約束したことなら、俺たちが何もしなくても復讐は遂げられる。お前が気に病むことはない。そういうものだ、もっと図々しくしていろ」


 むぎゅっと抱きしめられて、私は気の利いたことが言えなかった。多分、サナシスは私の髪に頬擦りしている。綺麗にはしてもらったもののこんなボサボサの髪に触れないで、と思ったけど、止めることもできない。


「それより、お前はすごいな。主神ステュクスに気に入られでもしたのか?」

「それは」

「やはりお前が修道女だったからだろうか。主神ステュクスも例外ではなく、清廉で敬虔な人間を好むのだろう。ならお前はそのまま当てはまるな、巫女というよりも聖女のようだ」


 努めて明るく、サナシスは私の頭上でそう言った。


 私を励まそうとしてくれていることは、痛いほど分かった。サナシスほどの人が、私なんかを気にかけるなんて、申し訳なかった。


 本当に、サナシスには向ける顔がない。私は俯いたまま、声を絞り出す。


「でも、私は、醜くはありませんか。そうであれば、お気に召さなければ、いつでも遠ざけていただいてかまいません」


 私はひどく惨めだった。なのに、サナシスは——私の頭上に顔を置いたまま、話しはじめた。


「エレーニ、一つ、伝承の話をしよう。今言った聖女、遠い昔に神域アルケ・ト・アペイロンを作った女のことだ」

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