異様な力
期間空いてごめんなさい。
忍び装束の男は目の前で起きている惨劇を見物していた。獸の加勢をするでもなく、かと言って暴れる回る一人の少年を止めるわけでもなく。ただ単に眺めていた。
我を忘れた少年は獸に向けて木刀を振り下ろす。その度に木々が薙ぎ倒され、獸がなす術なく飛ばされていく。あのくノ一ですら全く歯の立たなかった獸がだ。男からして、あのくノ一は決して弱くない。むしろ自分といい勝負ができるほどの実力の持ち主である。だからこそ、少年が獸と互角に戦えていることに驚きが隠せない。
「強力な木刀だな…」
男自身、少年の強さがあの木刀によって無理やり引き出されていることには勘付いていた。木刀に込められた妖刀の力が少年を暴走させている。つまり、あの少年には潜在的に獸と互角に戦える力があるわけだ。しかし、それだけでは少年から瘴気が出る説明がつかない。なぜなら瘴気は物の怪特有のものであるからだ。
「なるほどな…あのクソ野郎が目をつけるのも納得できる」
現状ではあの少年だけが獸に勝てる可能性を有している。男ですら全力を出してやっと獸と相打ちになるかどうか。それほどまでに獸の強さが増している。昨日の夜の時点ではくノ一の方に軍配上がっていた。だが、時間が経つにつれ獸は驚異的なスピードで強くなった。実際、今の獸の強さは厄災級の強さに匹敵すると言っても過言ではない。魔結界を展開させるだけの力があるのだから。
「さすがは禁呪と恐れられるわけだ」
獸にをそれほどまでに成長させた元凶。それがあの日獸と交わしたあの約束。
『妖の口約』
平安時代から続く呪術の一つで、禁呪の一つでもある。知性ある物の怪の慾望を掻き立てる約束をすれば、その大きさに比例して物の怪が成長していき、やがては手に負えない程まで成長する。そして、タチの悪いことに、約束の遵守は絶対である。なぜなら、これはただの約束ではなく呪いの一種だからだ。この呪いは物の怪と契約者がお互いに約束を果たさない限り永久に続く。
この呪いの厄介なところは物の怪の力を増大させてしまう点だ。物の怪が力を持ちすぎた結果、更なる慾を満たすためだけに契約者にもう一度「妖の口約」をするように脅迫する。その度に力が増していく。そして、自らの手に負えなくなった契約者は物の怪と約束するのだ「殺さないでくれ」と。やがて、契約者はその約束の対価を支払うためだけに身を滅ぼしていく。街をも飲み込む厄災を残して…
つまり『妖の口約』の呪いを本当の意味で終わらせるには物の怪を倒さなくてはならない。
「チッ、どっちに転んでも厄介なことになるな……」
男自身、腑に落ちない点があるが、今は目の前で繰り広げられている戦いを見守るしかない。今のところ少年が押している。しかし、獸にダメージを与えられてはいるものの決定打にはなっていなかった。
『ナメルナヨ コゾウガ』
木刀の威力で飛ばされた獸は今なおゆっくりと近づいている少年に毒を吐く。それに対し少年は瘴気を纏わせた木刀をだらんと持っていた。しかし、全く隙がない。
『サッサト シネ オンナノタメニ』
悠然と立ち上がった獸は大量の空気を吸い込む。そして、
『ヴォォォヲヲヲヲヲヲヲヲ!』
空間をも揺るがす雄叫びを上げ、全身に力を込めた。辺りの空気までもが獸に呼応して振動し始める。それと同時に獸の周囲で異変が起きた。周りの木々がみるみる内に枯れていく。しかし、普通の枯れ方ではなかった。すべての木の幹が何かに搾られるようにどんどん萎んでいく。そして。あっという間に「木」から地面に突き刺さる「棒」へと変化した。異変は周りの木々だけではなく、川にも生じていた。それは浮かんでくる大量の魚の死骸。しかも、ただの死骸ではない。魚本来のタンパク質の厚みがなく、骨と皮だけの干物のような死骸であった。
「本当に厄災だな…」
そうつぶやく男の手も少ししびれていた。周りの生命を妖力に変換し自らの力に変える。これを厄災と言わずして何と表現すれば良いのだろうか。男の背中に脂汗が流れる。咆哮の後、獸は全身の筋肉に力を入れ、持てる限りの妖力を手に集中させていった。そしてそれは激しく燃える黒紫色の炎となり具現化した。禍々しく燃える炎はまるで地獄の炎。今までの火球とはエネルギーの密度が比べ物にならない。
そして、その濃密な妖力の結晶が少年を飲み込まんとす。
勝負あった。
そう確信させられるほどの威力をその炎は孕んでいた。
「翔太くん……だめ……逃……げて……」
くノ一の静止も虚しく、一瞬にして少年は無慈悲な炎の餌食となった。しかし、火炎の威力は少年を飲み込むだけには止まらず、延長線上にある木々たちを途轍もない勢いで消滅させていった……地平の彼方まで。炎の通った道には数秒前まであったはずの木々が塵も残らず無くなり、真っ黒になった土肌だけが残った。
少年の姿は……もうどこにも見当たらなかった。
『ヴォオオオオオオオオオ』
不毛の地となっなった場所で唯一残った存在。そいつは上を向き勝鬨を上げた。その響きは今までの怒りに塗れたものではなく、純粋な喜びを体現していることが伺える。
「………翔…太…くん……しょう…た……く……」
必死に手を伸ばし、少年の名を悲痛に叫ぶくノ一は絶望を瞳に写し、そのまま力尽きた。瞑られた目からは一筋の雫がゆっくりと静かに溢れ落ちる。彼女も少年と同じようにもう時期死ぬ。その前に獸に食べられる運命にあるが。それよりも、今の今まで生きていたことが不思議だ。とっくに死んでいてもおかしないというのに。
「よくもまぁ、あんな姿になってまで守ろうとしたもんだ。身内でもないくせに。俺には理解できんな……。さて、奴をうまく利用する方法を考えるか」
そう呟き、踵を返そうとした時、不毛の土となった場所からムクッと何かが動く。
人影。
それを俺が認識した時には既に獸が動き始めていた。男でさえ一瞬なにが起きたか分からなかった。それほどまでに獸の動きが常軌を逸していた。男が最後に見ることのできた情景は一心不乱に人影を屠ろうとする獣の姿。
「なっ!」
その情景の直後、視界を奪うほどの眩い紫光が辺りを包む。
「くそっ! 何も見えねぇ」
間近で花火が上がったかのような輝き。しかし、それも一瞬のことで、すぐに光が収まった。だが、男の視界は未だにチカチカと点滅している。しばらくして点滅がが元に戻り始めた頃、ままならない視界で少年の居る方を視認する。
倒れた少年。
それ以外は不毛な土地だけが視界にあった。先程まで少年を殺そうとしていた獸の存在がどこにもなく、気配すらも感じられなくなった。刹那、空間が歪み魔結界の崩壊し始める。獸によって隔絶された世界が元の世界と繋がった。これが意味することはただ一つ。獸の消滅。
「嘘だろ…」
あれだけの強さの獸を一瞬で無に帰す力…
男に寒気が走る。それは冬の寒さからくるものとはまた別物の。
「……」
しばらく唖然としていた男だが、何かを理解したのか膝立ちの状態からすっと立ち上がりその場を素早く後にするのだった。
誤字脱字、表現の誤りがあれば報告していただけると助かります。ではまた次の話でお会いしましょう。




