終わりの始まり
金属と金属をぶつけ合った様な音が辺りに響き渡る。
獸の爪による攻撃を雪音さんは刀の腹で受け流し、即座に後ろへと飛んだ。それと同時に獸の脚が雪音さんの顔スレスレを勢いよく通過する。風に乗る数本の長くて黒い髪の毛。
雪音さんは獸の蹴りを紙一重で躱したものの、獸は間髪入れずに正面から突っ込んでいく。
速い。
蹴りを入れたモーションから予備動作無しに雪音さんとの間合いを一気に詰め、大きく右手を振りかぶった。
雪音さんはまだ体制を十分に立て直せていない…
だけど、獸がそんな事を気にするわけもなく大上段に張り上げられた右手は無慈悲にも振り下ろされた。
「ブンッ」という空気の振動する低く鈍い音。直後、砂埃が立った。
「くっ!」
雪音さんは間一髪の所で獸の攻撃を刀で受け止めていた…震える両手で。
しかし、正面からの蹴りが更に雪音さんを襲う。
「かはっ!」
即席の氷の盾を作るも相殺できず、蹴りを受けた雪音さんは地面を勢いよく転がった。しかし、直ぐに立て直して次の攻撃に備え構える。
こんな調子で雪音さんはかれこれ十分以上は戦い続けていた。それを僕はどこか違う世界の様に呆然と眺めていた。
暴力装置と化した獸に対し、雪音さんは躱すないし去なすことで精一杯。
既に敗色濃厚。雪音さんもそれが分かっているのか、表情は険しい。
それに加え、時間という敵も雪音さんに降りかかる。獸のペースが雪音さんの体力を奪い、既に疲労の色が見えていた。そしてそれを証明するかのように雪音さんが獸の攻撃を受け始める回数が増え始めた。それに対して、獸は疲れた様子が一切無く、攻撃の手を緩める気配が全くない。
絶体絶命。
これ程までに今の状況を体現している言葉は無いだろう。
それでも、雪音さんの目はまだ死んではいなかった。
「キャッ」
短い叫びの後、宙を舞う雪音さんの体。空中を少しの間移動したかと思うと「ジャバン!」という音と共に水飛沫が舞い上がった。
川は何事も無かったように流れ続ける。
だが、異変はすぐに起きた。
雪音さんの落ちた場所から沸騰したかのようにボコボコと水が沸きだち始めるのだ。そして、それはどんどん激しくなっていく。
どんどん、どんどん、どんどん。
まるで今から破裂すると言わんばかりの強大なエネルギーの密集。そして、その全てが解き放たれようと躍起になっている。
次の瞬間、突如として水中から蒼く強い光が漏れ出した。
刹那、巨大な水の柱が龍の如く立ち昇る。天高く。そして、大瀑布の如く獸に降り注いだ。
"ドゴゴゴゴゴォォォ"
獣を軽く飲み込むほどの水の量。地鳴りがする程の水の威力。そして、巻き上がる猛烈な水飛沫。
水の暴力の前には流石の獸も身動きが取れないのか、水柱から出てくる様子はなかった。
しかし、それだけでは終わらない。
凍る。
途轍もない速さで凍る。落ちるよりも更に速く凍っていく。
そして、気がつけば他の木々とは一線を画す巨大な氷の樹が完成していた。その異様な高さと太さに加え、白い冷気を放ち、光を反射するその姿は荘厳且つ神秘的ですらあった…幹に獸が埋まっていることを除けば。
それでも圧巻の光景である事に変わりなかった。
氷の樹が出来てから程なくして川の中からびしょ濡れになった雪音さんが姿を現す。しかし、雪音さんは休む間も無く四枚の護符を取り出した。同種の護符が三枚とそれとは違う護符を一枚。
" パキパキ "
三十秒も経過していないのに、太い氷の樹の幹に大きな罅が入り出した。
それを雪音さんは気にした様子もなく「ふぅ・・・っ」と呼吸を整え、目を瞑り、精神統一を図っている。
彼女の伸ばした手の先には先ほど取り出していた護符。
三枚の護符が一枚の護符を囲うようにして浮いていた。もちろん、その矛先は氷の中の獸。
時間にして数十秒。雪音さんの手元付近の空間が陽炎のように揺らぎ始め、微かではあるが雪音さんの周囲に転がる石もカタカタと振動をしていた。
極限の集中状態の雪音さん。何かが見えた訳では無いが雪音さんを中心ととして、もの凄い力が集中していくのを感じた。
カッっと目を見開く雪音さん。
「……光の……き……なりて汝を………」
何かを呟いたと思った瞬間、かつてないほどに護符が強く光った。それは聳え立つ氷の樹が瓦解するのと同時で、崩壊した氷の樹の中から獸が再び姿を現す。しかし、その時には時既に遅し。
「ハァアアアアア!」
雪音さんの手元からビームの如き大質量の光芒が無抵抗のままの獣に向かって直進する。それはまるで間近に太陽が出来たと錯覚するほどの光量。
直撃した際には更に光を増して獸を襲った。周りの木々も嵐が来たかのように荒れ狂い、その凄みが窺える。
紛れも無い全身全霊の一撃。それはどんな魔物も、どんな暗闇も、どんな逆境をも跳ね返す日輪となって物の怪を覆い尽くした。
暫く続いた光線は微かな余韻を残して元の薄暗さに戻る。だが、緑のような紫のようなモヤっとした残像が視界全体を阻害した。
「ハァ…ハッ…ゴホッ…ヒッ…ハァ」
過呼吸気味の苦しそうな呼吸音。
目を擦り視界がやっと戻りかけた頃に見えた雪音さんは胸に手を当ててキツそうに呼吸をしていた。連続での大技はかなり響いたらしく、消耗しきっている。
魂力、体力共に底を尽き果てて、もう戦うことすらままならない状況に見えた。
だが、そんな雪音さんの表情は達成感に満ち溢れている………
訳では無かった。
前を見据えた雪音さんの表情は畏怖と驚愕、そして絶望に彩られたものだった。目元には再び涙が滲み、その場に力無くへたり込んでしまう。
彼女の前にあるもの。それは、非情な現実ーー無傷の物の怪の姿。それも先程までとはまるで様子が違う。
凄まじい量の瘴気が体全体から溢れ出し、全身の毛を逆立たせて、巨躯をワナワナと震わせていた。
そして叫ぶ。
『 オレノ ジャマ ヲ スルナァァァァ 』
憤怒に染まった激甚な叫び。氷の壁越しでも耳がおかしくなる程の声量だった。
そして更に、獸の周囲には紫色の巨大な火球が無数にが生まれ、次の瞬間には無作為に散開していく。
雷の様な閃光の後に重々しい音が連続して響き渡った。何度も、何度も、何度も、何度も。爆発音の度に地面は激しく揺れ、気づいた時には全てを巻き込む大爆発へと昇華していた。それは当然の如く無防備なままの雪音さんを巻き込む。
熱線がじんわりと僕の頬を温めた……
ハッとした。
「雪音さん! この、壊れろこの!」
チカチカする目の前の光景に僕は我に帰る。そして、氷の壁を必死に叩いた。壊れるはずもないのに。
「そんな…嘘だ…嘘だ」
爆発が収まり、粉塵と煙が空気中を舞い上がる。その中には獸の大きな影がうっすらと視認できるものの、雪音さんの影は見当たら無かった。
「嘘ですよね…雪音さん…」
想像しうる最悪の結末が脳裏を過り、壁を叩く手が止まる。
「ッ!」
風に乗って煙が晴れ、露わになった地面の一角に満身創痍の状態でぐったりと横たわる雪音さんの姿があった。
「雪音さん!」
呼びかけても返事をしてくれない。だが、幸い呼吸はあるみたいだった。
「なんで…なんで雪音さんばっかり……」
今すぐにでも駆け寄りたかった。でも氷の壁に阻まれてそれが出来ない。
自らの非力さをこれでもかと呪った。そして、目の前の獸が憎くて仕方がなかった。だけど、僕は獸を睨むことしかできない。
そんな僕をギラギラした瞳で一瞥した獸は視線を満身創痍の雪音さんに向けゆっくりと歩みを進める。まるで僕の事など眼中にないように。一歩、また一歩と雪音さんに近づいていく。下卑た笑みを浮かべ。
全身が粟立つ様な感覚。
直感がヤバいと僕に告げる。
「お前の狙いは僕なんだろ! だったら僕を殺せよ!」
なんとかしなければという焦燥に駆られ、意味の無いことを必死に叫ぶ。怒りと憎しみを乗せて。
しかし、獸はどこ吹く風といった体で僕に視線すら向けない。
「聞こえてるんだろー!」
さらに叫ぶも全く功を奏さず、遂には雪音さんの目の前にまで到達していた。
「なんで…なんで!」
獸は雪音さんに向けて悠然と手を伸ばす。獸がこれから何をする気なのかは分からない。でも、雪音さんを傷つけるだろう事は確かだった。
「やめろー!」
無情なことに獸の手は雪音さんに触れる直前に迫っていた。
もうダメだと思った。
結局、最後の最後まで何も出来なかった。戦うことも犠牲になることも。
このまま雪音さんが殺された後、僕も死ぬ。
僕は力無く崩れて、膝立ちになったーーならざるを得なかった。後悔しても仕切れないだけの後悔と脱力感が僕だけが今の僕を支配している。
終わった。何もかもが。
そう諦めた。その時だった。
地に伏していた雪音さんが突然起き上がり、獸の間合いへと一気に踏み込む。次の瞬間には彼女の両手にしっかりと握られた刀が獸の首を寸分違わず捉え、今まさにその首を狩らんとしていた。
「ハッァァアアア!」
威勢と共に目にも止まらぬ速さで振るわれる刀。獸は避けようにも間合いに入られた手前、避けようがない。
完璧な不意打ち。しかし、それは未来を変えることの出来る唯一の刃ーー希望。そして、魂術が効かない今、雪音さんに与えられた唯一の物理的攻撃手段でもあった。
その雪音さんさえも、もはや気合いと気迫だけで動いている。多分、この攻撃の後には動けなくなるだろう。
どうやら雪音さんはこの一太刀に僕たちの全てを賭けたらしい。
だが、それはただの賭けではない。どれだけ体がボロボロになっても雪音さんが諦めていなかったからこそ生まれた千載一遇のチャンス。
そしてそのその結果、刀が見事に振り切られた。
" パキンッ "
金属の欠ける音と共に。
遅れて銀色が宙を舞った……
刀が折れた……?
一瞬の出来事に目を疑った。
刀の折れる乾いた音がこだまのように頭の中を反芻する。
だが、次の瞬間には僕は全てを悟ったーー悟ってしまったのだった。
人間が勝てる相手ではないと。
だが、本当の恐怖は始まったばかりだった。
後書き劇場
エタリン:何か言い残すことはあるか?
ぽっくん:おいおい、そんな物騒な物を俺に向けるな。落ち着けよ一旦。
エタリン:黙れ! お前さえいなければ、お前さえいなければ!
ぽっくん:だから落ち着けって。新年早々殺人事件を起こす気か?
エタリン:魔王が今更何を言う! この聖剣エクスカリバーでお前を倒してやる! たとえ相打ちになったとしても。
ぽっくん:いや、それただの包丁だから。危ないから。
エタリン:うぉおおおお! 雪音姫を返せぇぇぇええ
ぽっくん:危なっ!(こいつ本気だ! 完全に目が逝ってやがる。ついでに頭も逝ってやがる。)
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茶番はさておき、少し本編の話を。
いやぁ。こんな筈じゃなかったんですわ。一時のサディスティックな感情がこんなにも作品に影響してしまうとは…
もう戻れないところまで来てしまったんですわ……
本来はヒロインと主人公のキャッキャウフフな作品を描きたいのに・・・
これ次回はどうなってしまうんや?(作者も展開が読めまへん…そのせいで中々筆が進まないという事実も無きにしも非ず)
マジでサーセン。てへぺろ
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誤字脱字、表現の誤り、作品の矛盾等が有れば報告よろしくお願いします。
それではまた次のお話でお会いしましょう!




