truth(後編)
ハンプティの射撃場から帰ってきたハッターは午後の部の仕込みを始め、そのまま『UNBIRTHDAY』は開店した。帰り道アリスはハッターの腕の凄さについて感想を述べはしたものの、特に射撃練習の理由について再度尋ねてはこなかった。そのことにハッターは少しだけホッとする。訊かれたところで正しく説明するつもりはないが、かと言って嘘の説明をすることもしたくなかったからだ。
それにしても―――――
ハッターは注文を受けた若鶏のコンフィに仕上げのソースをかけながら思った。
(どうして俺を尾行なんて・・・アリスは、いったい何者なんだろう?)
しかしハッターはこの質問を彼女にすることができないと早々に諦め、完成したコンフィの皿を取りにきたマーチヘアに手渡す。自分が彼女の質問に答えられない以上、こちらの質問に答えてもらうことはできないからだ。
店を閉めて後片づけをし、ハッターはいつものように見回りに出ようとした。後に続こうとするマーチヘアをハッターが制する。
「マーチヘア、今夜は家にいて」
ハッターの言葉にいつもならすぐ反論するマーチヘアだが、今日は思うところがあるのか黙っている。ハッターは小さな声で続けた。
「アリスは悪い人ではないだろうけど、それでも夜ドルマウスと二人で家に残していくのはどうかと思う。だから、今夜はドルマウス達と一緒に家で待っていてほしい」
ハッターの話を黙って聞いていたマーチヘアは少し落としていた視線を真っ直ぐハッターに向けた。
「・・・見回りを今日はやめるという選択肢はないんだな?」
「・・・・・申し訳ないけど」
マーチヘアの真剣な視線をハッターも真っ向から受ける。
「昨日ビルから聞いた。妙な殺人事件が連続して起きてるんだろ?そんな話を聞いた後で、いくら武術にも長けてるおまえとは言え一人で見回りはさせられねぇよ」
「マーチヘアの言うことはもっともだと思う。でも、ごめん」
お互い一歩も引かずという空気のまましばらく時間が流れ、ふいにマーチヘアが小さく息をついた。
「・・・わかった。今日は家でおまえの帰りを待つよ」
「ありがとうマーチヘア」
マーチヘアの答えに少しホッとしたハッターだったが、マーチヘアは厳しい表情のままハッターの胸に拳を当てた。
「その代わり一時間で帰ってこいよ?それで帰ってこなかったら俺はドルマウスとアリスを連れておまえを探しに出るからな」
「わかった」
約束する、と真面目な声色で頷いたハッターを見て、マーチヘアは名残惜しそうに拳を下ろした。
昨日とは違う経路で見回りをする。ホワイトラビットの言っていた通り、連続殺人事件があったと今日の夕刊に載っていたためか、いつも以上に人気がないように思えた。
(俺の探しているものは、連続殺人事件に関係があるんだろうか)
周囲に注意を払いつつ歩き進みながらなんとなくそんなようなことを考えた。
その時だった。女性の甲高い叫び声が聞こえた。ハッターは瞬時に声がした方を判断し、そちらへと駆け出す。角を曲がるとわなわなと震える女性の足元に男性らしき人影が蹲っており、その前には血で濡れたナイフを持った男が立っている。ハッターが駆け寄ろうとするとナイフを持った男はナイフを捨てて逃げ出した。ハッターは男の逃げた方向を確認しながら蹲る男性の傍にしゃがむ。どうやら脇腹を刺されたようで、そこを抑える彼の手と上着には血が滲んでいた。男性にまだ息があることを確認するとハッターは周囲を見回し、病院が近いことに気づく。傍に立つ女性に顔を向けた。
「あの角を右に曲がったところに病院があります。医者を連れてきてください」
女性は震えながらも頷いて走り出し、ハッターの言った角を右に曲がっていった。ハッターは素早く着ていたカーディガンを脱いで男性の刺された箇所に当て、圧迫して止血しながら振り返ると、騒ぎに気づいて外に出てきていた近隣の住人に声をかけた。
「あなたは警察に連絡を。あとそこのあなたは俺に代わってこのまま彼の止血をお願いします。俺は・・・」
ハッターは先ほど男性を刺した男が逃げた方向を鋭いまなざしで見据えた。
「犯人を追います」
刺された男性へと駆け寄った際に犯人が逃げていった路地裏は確認していた。街灯下で見た姿も一瞬だったが記憶は鮮明だ。ハッターは犯人が逃げたであろう後を追って走る。どこかの建物に逃げ込まれていたら見つけられる可能性は低いなと考えていたが、犯人は逃げ足がそこまで早くなかったようで、遠く離れた先に走る後ろ姿を視界に捕えた。徐々に距離を縮めていき、犯人が曲がっていった角にさしかかった時だった。角の先の少し拓けた空間で、何者かが逃げる男に上から衝突した。男は「ぐっ・・・」と小さく呻いてその場に倒れる。突然のことにハッターは唖然として立ち止まった。男を襲った者の姿が遠くから届く街灯の淡い光に照らされている。その姿にハッターは小さく息を飲んだ。返り血を浴びた、どこかの軍を思わせるような白の上着、黒のパンツとブーツに身を包んだ姿はどうやら男性のようだが、顎のあたりまで無造作に伸びた黒髪から覗く横顔は中性的で、まったく何の感情も読み取れない。そしてハッターはひどく違和感を覚えた。
(人間・・・なのか?)
彼の手には血が滴っている大きなナイフがあった。
(あの男を刺したのか・・・?)
ハッターの脳裏にホワイトラビットから聞いた連続殺人事件の話が浮かぶ。
もしかして彼は連続殺人事件と何か関係があるのだろうか。
倒れた男に息があるのかはハッターのいる位置から断定は難しいが、仰向けに倒れている男の胸元から広がる血の量を見るにあまり時間の猶予はなさそうだ。彼は彼で先ほどの傷害事件の現行犯としてこのまま死なれては困る。
どう動いたものかハッターが猛スピードで考えを巡らせていると、黒髪の男は血もそのままにナイフを鞘に収め、倒れている男の傍にしゃがみこんだ。そして自分が倒した男の傷口へと顔を近づけ、おもむろに口を開きかけた。
「止まれ!」
ハッターはホルダーから右手で黒い銃を取り出して構えながら隠れていた角から飛び出す。
「傷害罪・・・もしくは殺人罪の現行犯で警察におまえを引き渡す。おとなしく来てもらおうか」
ハッターの声に黒髪の男は一度ゆっくりとこちらへ顔を向けたが、特に驚いた風もなく再び自分が刺した男に向き直った。
「止まれと言ってるだろ!」
ハッターはとっさに駆け寄って黒髪の男の胸ぐらを掴み、そのまま勢いに任せて地面に引き倒した。
ガシャン!
生身の人間を地面に倒したとは思えない音が耳に響く。ハッターは多少の混乱を抱きながらも倒した男の上に跨り、右手で銃を突きつけた。そして男の顔を見て思わず言葉を失った。
(人形!?)
黒髪の男はハッターに引き倒されたというのに何の表情も浮かべていない。その顔はひどく作り物めいていて、ガラスのような目は焦点が合っているようでいてどこか虚ろ。瞬き一つしない上に、薄く開かれた口の奥は銀色をしていた。
(これは、もしかして―――――)
―――――見つけたのか?
そう思うや否やハッターはもう一つのホルダーから左手で白い銃を取り出し、男の鎖骨の間辺りに突き付けた。
(これが俺の探していたものならおそらくここに―――――)
そう考えた瞬間頭上に気配を感じ、ハッターは素早く男の上から後ろへ飛びのいた。風を切るような音を立ててハッターの頭があった位置に誰かの回し蹴りが弧を描く。飛びのいた勢いを着地した両足が地面との摩擦で殺す。ハッターは黒髪の男の傍に立つ人影を凝視した。黒いロングコートを着たその人物はコートについたフードを被っている上に街灯からの光に背を向けているので顔がよくわからない。しかし、身体のシルエットでなんとなく男だと判断できた。
「おまえは、誰だ?」
銃を両手に構えたまま、ハッターは尋ねた。フードの人物は少し首を傾げる。
「それは、俺が君に聞きたいなぁ」
少し間延びした男の声がハッターの耳に届く。
「それは、なんだ?」
ハッターは少し顎をしゃくって、黒髪の男を示しながら質問を重ねる。
「ちょっと答えられないかな」
フードの男は小さく肩を竦めた。
「それは今、人を刺した。そんな危険なものを所有していて、そんな答えが許されるとでも?」
「君、警察の人間?」
「違う」
「そうなんだ。ずいぶんと立派な正義感だから」
「無駄な会話をするつもりはない。警察署まで・・・」
「たしかにこいつは人を刺したけど、何か問題あるかな?だって刺された男、さっき人を刺してきた犯罪者でしょ?」
「だからって・・・」
ハッターとフードの男が言葉の応酬をしていた、その時だった。ハッターが引き倒した黒髪の男がゆっくりと起き上がり、自分が刺した男のところへ這うように移動する。そして刺した箇所から血が出ていることを確認するとおもむろに口を近づけた。
「なっ・・・!」
「今こいつ試験中だから途中で止めたくないんだよね。悪いけど邪魔しないでくれる?」
フードを被った男の言い分が終わらないうちにハッターは白い銃の狙いを定めた。
(傍目には人間に見えるが人形だった。それなら躊躇うことはない!)
ハッターは引き金にかけた指に力を入れる。その動きに気づいたフードの男はハッターが引き金を引く瞬間目の前まで迫り、銃を蹴り飛ばそうとした。フードを被った男の足が左手にかかる寸前ハッターはとっさに手を引いて男の蹴りをかわし、再度狙いを定めて引き金を引いた。ハッターの放った銃弾は黒髪の男の鎖骨中心部に当たる。黒髪の男はそのまま倒れて動かなくなった。フードの男を警戒し距離を取りながらもハッターは黒髪の男の姿を見ていた。フードの男が呟く。
「・・・動かない?」
フードの男は倒れた黒髪の男の襟首を掴み上げ、ハッターの撃った箇所を覗き込んだ。
「銃で撃たれたくらいじゃ壊れないはずなんだけど・・・」
彼は顔を上げてハッターに向き直る。
「君、一体何者?」
しかしハッターはある確信を得たことにより心臓の鼓動ばかりが耳に響いていた。
「・・・それ、『ジャバウォック』だな?おまえ達はそれを使って何をしようとしている?」
ハッターの問いにフードの男が怪訝な表情をした気配がする。
「君がどうして『ジャバウォック』を知っている?」
問うたものの返事を待たずにフードの男の目線はハッターの手に握られた二丁の銃へと向けられたようだ。
「ということは、その銃、普通の銃じゃないな?ちょっと調べさせてもらおうか・・・」
「おい!さっきこっちで銃声がしたぞ!」
フードの男の言葉に若い男のような声が被さった。どうやらハッターの銃声が近隣住民を呼び出してしまったようだ。フードの男は声がした方角に一瞬目をやり、それからため息を零す。
「・・・詳しく聞きたいけど、ちょっとそろそろ帰らないとまずいかな」
フードの男は動かなくなった人形を肩に担ぎ上げるとハッターに背を向け、顔だけを振り返らせた。
「また、近々会いに行くよ」
「・・・今すぐ力ずくで聞き出したり連れて行こうとしないなんて、ずいぶん親切だね」
「そうしたいのは山々だけど、君強いみたいだから手間かかりそうだし、今回はいいよ。それに、これを壊されて腹立たしい気はするけど、君みたいな素晴らしい正義感を持った人に手をかけるなんてこと、もともと俺の趣意に反するからね」
ふと、男が微笑んだような気がした。
「それじゃあまた」
まるで友人のような挨拶を残してフードの男は目にも止まらぬ速さで街灯の上、それから屋根へと黒髪の男を抱えたまま飛び乗って去っていく。ハッターもすかさず同じ経路を辿って屋根まで飛び乗ったが、男の姿はもうどこにも見当たらなかった。
屋根の上で吹かれる風はひどく冷たいはずなのに、心臓は忙しなく鼓動を鳴らし、血液が全身を激しく駆け巡っていて、頭は熱を持ったようにしびれていた。
―――――見つけたよ、キティ。
ハッターは両手にある銃を強く握りしめた。