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人間を捨てた  作者: 野生のスライム
悪夢
3/24

残思

 


 人間の記憶というものは曖昧なものであり、明確なものでもある。特に夢という想像と記憶を編んで作られた光景は、目覚めてから時間が経てば経つほどに不鮮明となっていく。中には夢を見ていなかったと錯覚するほどに早く忘れてしまう人物もいるだろう。だが何かしらの印象深い記憶というものは良くも悪くもベッタリと頭の片隅にこびりつくことが多いのではないだろうか?

 ──そう、例えば悪夢なんて見た日には。



 意識の覚醒と共に呼吸が荒くなっていることを彼は知覚する。ゆっくりと体を起こそうとするその姿は、落ち着きと言うよりもまず疲れを感じさせた。額に張り付く僅かな汗は寝起き特有のものではなく冷や汗と呼ばれるものである。

 伊藤和寛は無事目を覚ますことができた。部屋を抜けた先に部屋があったとか、元の場所に戻ることができないとか、そんなことを危惧していた彼の予想は見事に外れたのだ。


(結局、リアリティーのある夢だったってことか)


 失われた左腕が元に戻っていることからも、あれは夢だったに違いないと和寛は思う。だが何か、それはそれで努力が無駄だったということになりそうで些か残念ではあった。しかし左腕という存在の有り難みを再確認できたのだから、それはそれで良しともいう複雑な気分が和寛に纏わりつく。そんな気持ちを紛らわす為に視界を動かせば、壁に掛けてある時計がそろそろ八時半を指そうとしているような時間帯だった。

 今日が日曜日で良かったと思う反面、いつもは六時に起きる為休日の二時間半を損したと和寛は後悔をする。だから彼は今日何をしようかと考えながら二階の自室からリビングへと降りていった。


 現在この二階建ての家には和寛以外誰も居ない。兄弟なんかは存在せず一人っ子、ペットなんかも飼ってはいない。両親はというと、今頃は何処かでデートでもしているのではないだろうか。

 これは和寛が叔父から聞いた話になるのだが二人は昔、夫婦になる前まではバカップルと呼ばれていたらしい。ちなみに結婚してからはバカ夫婦となったんだそうだ。それからも分かる通り二人の熱は今までに一度も冷めることはなく、そしてこれからも熱々のままなのだろうと容易に想像できる仲の良さなのだ。

 そして昨日。


「和寛ー!明日父ちゃん達デートするんだけどついてくるか?」

お留守番する(よし君とデー)んだったら(ト~♪和ち)冷蔵庫に朝(ゃんのお土)食と昼食を(産は何にし)作っておく(ようかなぁ)けど(~♪)

「あー、うんじゃあ留守番で」


 こんなやり取りがあった為、和寛は二人がデートに出掛けているということを知っていた。だから我が家のいつもとは違う静けさにも動じていないのだ。ちなみによし君とは和寛の父親、義久(よしひさ)のことであり、和ちゃんは言わずもがな。そして母親は心の声が漏れるタイプであり、考えることが非常に分かりやすいという特徴がある。

 だから一つ、リビングの扉を開けて見えた異物に和寛は硬直するしかなかった。それはさも当然のように我が家の如く居座っていた。勝手に注いだ珈琲(コーヒー)の香りを楽しみながら、椅子に足を組んで和寛がやってくるのを待っていた。


「遅かったね。どうしたの、悪夢でも見た?」


 テーブルにある椅子に腰掛けた少女は不適に笑う。使い込んでいるように見受けられるジーンズを組んで堂々とそこで待っているのだ。明らかに幼さの残る童顔であるはずなのに、彼女の纏う雰囲気は洗練された大人のようなものがあった。決して色気があるというわけではない。御世辞にも大きいとは言えない一部も相まってか、和寛は畏敬の念すら覚える凛々しさを感じたのだ。その作り物めいた顔は綺麗や可愛いを通り越して一種の不気味さを醸し出す。そんな顔が笑顔を作っているのだ。和寛の心境は蛇に睨まれた蛙と言えるだろう。


「まぁ座りなよ」


 まるでどちらが住人なのか分からない口調。軽やかな喋りであるはずなのに有無を言わせない重みを感じさせる声。涼しそうな薄い半袖のパーカーを擦らせて彼女はティーカップを持ち上げた。

 ただの言葉であるはずなのに和寛は何かを口にすることもできず、それがさも当然だと言うかのように彼女の正面の椅子に腰掛ける。今の気分を彼に言わせれば、久しぶりに会った親戚と会話をしているかのような感覚だと答えることだろう。


「あ、珈琲頂いてもいいかい?」


 未だに湯気を立たせて一口も飲んでない珈琲の入ったカップ。それを彼女は和寛に注目させるかのように少し位置を上げた。注いだタイミングが良かったのか、それともタイミングを合わせたのか、きっと後者だろうと和寛は予想する。

 そして目の前の彼女の問いには振り絞ったような勇気を形にして返答をした。恐らくはあの悪夢を見たのもこいつのせいなのだろうと根拠のない当たりをつけた感想も含めて。


「どうぞ。珈琲代は二度と俺と関わらないということで」

「おっと、そういうことは先に言ってくれ。危うく飲むところだった」


 口まで運ぼうとしたカップを彼女はすぐさま和寛の前まで返す。「返品するよ、まだ飲んでないからね。君が飲むかい?」という言葉も添えて。

 にやつく彼女は、やはりふざけているのか本当にもう珈琲を飲むつもりがないらしく、行き場の失った湯気がただただ和寛の前を揺らめいている。


「今日はね、お話をしに来たんだ」

「話?」

「そう、これから君の身に間違いなく降り掛かる不幸について」


 突拍子もなく、彼女はそんな占い師のような胡散臭いことを言い出した。もし仮に今から幸運を呼び寄せるお高い壺なんかを売ろうとするならば、不法侵入で訴えてやろうかと和寛は思う。勿論、この異常性を和寛本人は気づいていないし、気づかないようにしているからこそこんなことになっているのだが、まぁしかし現実はそんなに現実的な話ではなかったようだ。


「と、言っても信じないだろうからね。物は試しだ」


 ふと、和寛は足元に何かが居ることに気が付いた。彼女が言葉を口にし終えると同時にテーブルの下で何かが這った。ゴキブリだとかそんなものではない。テーブルが死角となって足の感覚でしか分からないが、言葉で表すならば蛇、無数の蛇が今、彼のすぐ下を這い回っている。

 ソレは和寛の足に触れるや否や、水道から流れる水を逆再生させたかのように張り付き登ってくる。それで一つ和寛は理解した。これは間違っても蛇等ではない。地球上の生物なのかも怪しい。いやそもそもとして、これは群れですらない(・・・・・・・)。一つの思考に従って這う手足に過ぎないのだ。

 それを和寛が理解したときには、海の底を体現させたかのような見ることも躊躇われる深い黒、その無数の何かによって覆われ、絡められ、飲み込もうとされていた。自然と溶ける氷のように、ゆっくりと静かに和寛の首は絞められていく。


(なんだ、なんで、なにが、死ぬ? 殺される? 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ)


 浅く早い呼吸、身体を動かそうにも身動き一つ取れないほどに拘束されており暴れることもできない。故に自ずと負担は思考回路を蝕んだ。つまりは軽いパニック状態だ。

 しかしそれは短い期間で終わることとなる。絡まりに絡まった(思考)がパニックを起こさせているのだから話は簡単だ。それを全て断ち切るような一色の思考に染めてやれば良い。


「熱ッァ!」


 自らがやった行動の結果に、まぁそうなるよねと反省しているかのように聞こえる声で彼女は納得する。そして予め作っておいた熱い珈琲が入ったカップを和寛の上で逆さにしたのだ。当然重力が仕事をするわけで、中身は全て和寛の頭に降り掛かる。多少冷めてしまっていたかもしれなかったが、それでも和寛は普段通りの思考を取り戻すことができた。


「……えっと、あれ?」


 身体全体を這っていた何かは和寛が冷静になったと同時に姿を消えていた。残っているものは頭部のヒリヒリとした痛みと鬱陶しいまでに張り付く濡れた髪、そして僅かに捉えることのできた、消えたと錯覚するほどに素早く少女の足元へと戻っていく黒い何かの光景だった。

 珈琲を被ったままだとあれだからと、少女は伊東家のタンスに入っているはずのタオルを和寛に手渡して頭を拭かせた。その間彼女がその様をニヤニヤしながら眺めていたのはきっと性格の悪さの現れなのだろう。そうして和寛が頭を拭いている最中に彼女はようやく事を話し出す。


「さて、分かってくれたかな? もう一度言おう。これから、もしかしたら明日にでも君に不幸が降り掛かる。私のような存在との接触という不幸にね」


 降り掛かったのは珈琲だ、なんて言い返す余裕は今の和寛にはない。あまりにも唐突に、あまりにも理不尽な忠告。現実逃避なんてものは先程の体験でする気力も湧くことなく、彼女の取った行動はおおよそこれが狙いなのだろう。だからあまりにも現実離れした話でも、今の和寛はすんなりとその事実を受け入れられてしまった。

 けれども、余程身体中を這い回られたことが印象的だったのだろう。和寛は若干顔を青ざめさせて、怯えながらも平気を装っているように見せている。彼女としては、その程度には今後を危惧してもらわないと困る(・・)と考えている為、当初の予定通りに怖がられて良しとしているのだが、しかし今回は警戒心を向上させる目的で来たのであって脅しに来た訳ではない。恐怖とは知らないからこそ怖いと感じるのであって、知ってしまえば大したことではないものだ。だから余計な恐怖を削ぎ落とす為に彼女は一つずつ説明することにした。和寛が恐怖心を抱く未知を述べることにしたのだ。


「うーん、じゃあ取り敢えず私みたいな存在について話そうか。えっと確か人間は私達のような存在を『残思(ざんし)』と呼ぶ」

「ざんし?」

「そう、残留思念の略称だとか、まぁ意味合いが少し違うから残思と呼んでいるらしいね」


 少女は語る。

 人に限らず一定の知能を持つ生物が死に際に、もしくは死が近い状態の時、この世に思いを残すのだそうだ。それは『まだ死にたくない』とか『もっと美味しいものを食べたかったな』とかそんな些細なものでも適応される。

 残ったらどうなるかと言うと形になるのだそうだ。それが残思と呼ばれるものらしい。例えば『まだ死にたくない』と思えば死んだ後も記憶を引き継ぎ、世間でいうところの幽霊という名の残思になるんだとか。

 だから彼女は皮肉だねと一人笑う。残思なんていう名前は、残りカスという意味の残滓と掛けているのではなかろうかと。誰が最初に言い出したのかなんて分からないから問い詰めようがないけどねとも。


「まぁつまり残思は形はあるけど所詮は思いの結晶だからね。超能力レベルで他人の心が読める人間じゃないと見ることも不可能なんだ」

「あれ? じゃあなんで俺見えてるの?」

「それは昨晩私が脳を……んっんー、才能の種が芽吹いたんじゃないかな!」


 ちなみに小学生がよく話に出す何に生まれ変わりたい? という話題の種。仮に死に際『犬に生まれたかったな』なんて考えると例え元が人間であろうと犬の姿をした残思となる。この場合記憶の引き継ぎはされないんだという。記憶が引き継がれるのはあくまで『以前の記憶を持った自分』という残思。だからやろうと思えば全く別の記憶を持った他人になることも可能なのだそうだ。しかしその場合、その人格を形成する為の膨大な擬似的記憶を作らないとならない為妄想が豊かの範囲を越えていないといけないらしい。


「やけに詳しいな」

「やけに詳しいよぉ!」

「教えてくれる?」

「教えてるよ?」


 意味が分かっている上でわざと話をずらす彼女に和寛はそれ以上深く追求しなかった。怖い等とは何か違う、彼女の雰囲気を読み取った上で言い表せない感情がそれをさせなかった。


「んーと聞いてて思ったんだけど、それじゃあなんで残思が溢れ返ってないんだ?」


 残思が生まれる条件として、ある程度の知能を持った生物が当て嵌まるのならば人間だけでもその数は膨大であり、日夜世界の何処かで新しい命が産まれる一方で誰かが死んでいる。なら自然と残思の数も死人の数だけ増えていくのではないだろうか、そうなると次第に地球が残思で溢れ返ってしまうのではないかと。そんな和寛の疑問に彼女は快く答える。


「残思も死ぬ時は死ぬんだ。寿命とかない代わりに形が保てなくなったら終わり、そういう意味では消滅と表現した方が正しいのかもしれないけどね」

「なるほど。幽霊とか言うから死なないものだと思ってた」

「うん、疑問が解消できてよかった。さてじゃあ本題に入ろうか」


 そう言って一つ間を置いた少女はパーカーの内ポケットから何かを包んだ布切れを取り出した。艶やかな黒色の光沢を放つそれは横に長く、大体二十センチ程で厚みは然程ない。


「君に残思の対処法をあげるよ」


 そんな言葉を添えられて、差し出されたそれを和寛は戸惑いながらも手に取った。巻き付けられた布を取っ払って見てみれば、それは黒々としたナイフのようだった。

 見ただけで鋭いと感じるその姿はまさにナイフのようではあるのだが、和寛にはなぜかそれがナイフではない何かに思えて仕方がなかった。確かに肌に当てるだけで切れてしまいそうな見た目をしているはずなのに刃物ですらないような違和感を覚えたのだ。

 それで思い出して気が付いた。呑み込まれてしまいそうなこの深い色はつい先程も見たばかりではないかと。持っている手を侵食してきそうなこの手触りは先程も触れたばかりではないかと。


「それね、私の一部で作り上げている特別製のナイフなんだ。大体の残思には効くと思うよ」

「いや、いやいや、俺が刺せと?」

「忌避感があるのかい?」


 和寛はナイフを見つめ難しそうな顔を作る。残思とは言え目の前の少女のように人の姿をした相手を躊躇いなく刺せるかと問われれば、間違いなく刺せると答えることはできない。刺せる刺せないは相手による。なんとも優柔不断な考えだが、事実として今、目の前の少女(怪物)が自分を殺そうとしたところで、抵抗はしてもその肌を傷つけられるかは怪しいところなのだ。


「ふむ……あまり難しく考える必要はないよ。例えばだけどそれは『箱』のようなものだ」

「箱?」

「『封印』と言い換えてもいい。刺せば残思は君に手を出せなくなる『枷』、他の言い方だと……」

「モン〇ターボールみたいな感じか」

「その辺り私にはよく分からないから比喩は君に任せるよ。まぁとにかく残思に襲われそうになったらそれで刺せばいい」


 突如として訳の分からない理不尽を突きつけられて対処法と言って対抗手段を渡された。本当にこんなものを使う日が来るのか、少女の言葉を鵜呑みにしていいのか、分からないことだらけで和寛は早朝から頭が疲れてきってしまいそうになる。

 そしてふと一つ、そんな疲れた頭に疑問が浮かび上がった。今までの全てが事実だったとしてなぜ彼女は助けてくれるのかと。


「どうして……」


 それを聞こうとして初めて、和寛は少女が居なくなっていることに気が付いた。


ドッペルゲンガー、自分と瓜二つの誰かであり見ると近いうちに死んでしまうという存在。

逆なんです。死が近いから見えるんです。つまりドッペルゲンガーはまだ生きていたいと無意識に願った自分の姿をした残思。

ただそれでいくとドッペルゲンガーを見ても結局死なずに長生きした人の説明がつかないので、

『なお死が近いとは言ったがすぐに死ぬとは言っていない的な人間もいる模様。個人差というか人生の物差しの差異が関係しているのかな?』

という設定も付け加えたりしなかったり。



あ、次の更新は大体二ヶ月後を予定しています。

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