嵐の前の悪夢
お待たせぇッ!
「やぁ、数時間ぶりだね和寛君」
ここ最近で和寛を悩ましている声が気軽く挨拶をする。
しかし、当の挨拶をされた和寛は眠っていた。眠っているはずであり、だからこそ今こうして目の前の彼女を見て、声を聞いているのは夢の中の出来事なのだと彼は理解する。それは以前にもあった悪夢が良い例として機能しているからであろう。
「やっぱり前回の悪夢はお前の仕業か」
そもそもなぜここが夢の中だと和寛が知れたのかは今の状況にあった。とはいえ別段おかしな光景がそこにあるというわけではない。意味もなく天井から逆さまに立つなどという物理法則を無視している絃奈の姿も、残思の能力と言われれば和寛はそうなのかと納得せざる終えない。しかしこの場所が、今和寛の居る場所が自身の通っていた学校の教室であるのだから話は変わってくる。
血に濡れていたはずの床、人がひしめいて乱雑に転がっていたはずの机や椅子は日常の風景を保っている。またここが和寛の知る場所とは別の教室ということも、況してや別の学校ということもないだろう。窓から覗ける風景は恐ろしいくらいに生命を感じさせない作り物のような錯覚を思わせるけれど、それを含めても強烈すぎるくらいに焼き付いてしまった教室の光景との類似点を挙げ出したら切りがなくなってしまうのだから。
「やっぱりって、決めつけは良くないよ。まぁ私だけどさ、状況証拠的にも私しかいないんだけどさ!」
両手を広げて誇張表現をする絃奈は、重力に従って垂れ下がる髪をくるりとなびかせて背中を見せる。直立している和寛からすれば目線的にうなじ辺りに目が行くだろうか。ただ和寛としては疲れが溜まっている上で眠りという休息も許されずにこうして話を聞いている。だからそれらに思う感情は湧かない、というかそんな余裕はないのである。
そしてまたもう半回転して絃奈は和寛の方を向き、振り向き様に質問をする。
「ところで彼女は元気かい? 目覚めたあの子に和寛君は受け入れられたかな?」
「たぶん、元気……だとは思うよ。受け入れられたかは分からないけど」
楓花の普段というものを知らない和寛はそれをそうだと断言することができない。また己が受け入れられたのかも同じく、初対面の友達云々があった後での拒絶ときたのだから、その後の態度の変化があっても和寛には判断が難しいのだ。
「そっかそっか、現状は凄く笑えないけど和寛君は面白いことになってるみたいだね」
事実を即座に理解した絃奈はただ小さく笑い、和寛に新たな話の種を提示した。当然の如くというよりもそうなることを見越して話に出したのだろう。ともかく和寛はその言葉を不穏に思い、問わなくてはならない衝動に駆られた。
「面白いって、いやそれよりも笑えない現状ってどういうことだ?」
「そのままさ、私の計画が踏みにじられるかもしれないのだから笑えない。まさか一々記憶しているとか思わないじゃないか」
「説明になってないからなそれ」
言い訳を並べる絃奈は化け物と呼ぶにはどこか人間臭く、和寛はそれに親近感を覚えずにはいられなかった。だからといって話を聞き逃すほど悠長になれるわけもなく、絃奈が話し出すまで問い質すつもりでもいた。
そうしてポツポツと小雨のように絃奈は語り出す。
「綻びは昨日と今日。昨日和寛君が学校に行く時、大きなカラスを見なかったかな?」
「……いた。飛行機みたいなでかいヤツ」
記憶を探り、確かに大空を優雅に飛んでいたカラスを目撃したと和寛は述べる。
「それはね、『手紙鳥』って呼ばれてるんだ。あれほど大きくはないけれど他にも沢山いる」
「手紙鳥? それがどう関係してというか、笑えなくなるんだ?」
名前からして伝書鳩のようなものだろうと思い、しかしそれの何が駄目なのかとも同時に和寛は思う。けれど絃奈の次の言葉は和寛の予想の範囲を大いに越えた。
「このままだと楓花ちゃんは殺される」
「殺ッ……」
それは中間を切り抜いた終着点であり、一つの結末としての終わりであった。過程を除いて始まりと終わりだけを口にすれば多少なりとも聞き手に驚きを与えることができるとかなんとかいう話だが、和寛にとっては言葉を失う程度には大きな驚きだったらしい。
「私としては別に楓花ちゃんがいなくなってもなんら問題はないんだけどね。それで私の存在がバレると全部水の泡なんだ」
そう言いながら絃奈は片手を握り、そして開いた。きっと水の泡が弾ける表現なのだろうが、しかし説明のためとはいえ絃奈は和寛に弱みを見せた。彼女の存在が誰かに知られれば彼女の計画する何かがご破算になるという弱み。
しかし絃奈はわざと分かりやすく弱みを見せたのだ。やりようによっては言い回しを変えたり、悟らせないよう巧妙に隠したりもできたはずである。だというのにそれをしなかった理由。それは弱みらしい弱みがこれくらいしかないからであった。
「だから最悪バレたときは和寛君には死んでもらって一から始めないといけないくらいには現状が笑えない」
そしてその弱みは今をもって潰えた。弱みらしい弱みはあらかじめ虎の尾であることを絃奈は宣言する。なんらかの切っ掛けで和寛が鞍替えしないように、土産話になるものを単純な爆弾に作り替える。勿論、和寛がその気になった瞬間、絃奈は躊躇するなく和寛を殺すことだろう。結果としては己の手を汚すことなく済ませるのだろうが、間接的にであれば絃奈が殺したことに他ならない。
「さて、どれだけ今が危ない状況なのかを和寛君が理解できたところで、今から説明を始めようか!」
にこやかに笑う絃奈は床に下りて黒板に近づく。色とりどりのチョークの中から適当なものを選んで学校らしく黒板に書きながら説明を始めるようだ。
対して困惑の多い和寛はまだ説明に入っていなかったのかとも思う。しかしそれもそうだろう。なぜ、どうして、そんな疑問がいくつも頭の中に取り残されたままだったのだから今説明が終わられると和寛は困るのだ。
「まず最初に話さないといけないのは御焚集のことからかな」
絃奈は語る。
この世には国、地域、時代によってその呼び名が転々とする一つの組織が存在していることについて。ある時は陰陽師、またある時はエクソシスト、そしてまたある時は霊媒師。ともかくそう呼ばれるような人間が今は御焚集と呼ばれていると絃奈は言う。
遥か昔、生まれながらにして残思を知覚する者、また残思の影響、生死のさまよいによる後天的な影響により残思を知るに至った者。そういった多くの人々が知ることのできない未知を知り得ることのできる人間を、俗世は異端と拒絶した。当然だ。知ることのできない者からすればそれは無いものを有ると言われているようなものであり、また無いはずのものに干渉されれば知ることのできる者が何かしたに違いないと疑う。
「だってそうだろう? 残思は見えなくて分からずとも、見えると宣う人間は確かにそこに居るんだから」
だから知覚する者達は世間から姿を消した。中には本当に残思と協力して悪事を働いていた人間もいたようで、彼らが周囲の目の意味に気づく頃には言い訳をできる立場ではなくなっていたのだ。
ただ見えずとも被害にあった者の内、目に見えないものがそこに居ると信じていた者も少ないながらもいたにはいたのだ。だから伝承として残思は妖怪や幽霊、悪魔だったりと恐れられる存在として語り継がれている。
「でも信じられたのは遥か昔の話だからさ、今じゃ残思が見えると大っぴらに宣言したって信じられるわけがない。まぁ信じられないのは御焚集のおかげなところがあるんだけれどね」
「それってどういう」
「残思の起こした不祥事の後始末をしてるんだよ」
「あぁ。……ん? あれ?」
和寛は一度納得する。その昔に残思の見える人間が世間から姿を消したのは見えない人間が残思から被害を受けたからである。そうして知覚せずとも残思の存在を信じる人間が生まれるわけで、現代で信じられていないということは、つまり被害が皆無、というのは和寛もないと知ってはいるが、少なくとも御焚集と呼ばれる組織が最小限に止められているからではないだろうかと考える。
しかし和寛は残思と関わる以前、それらしい不自然な出来事を知ることはなかった。それこそ一つの高校の生徒、その半数以上が一日で死ぬという異常事態。警察だって少なからず巻き込んだそれに近しい話など創作以外に聞くわけもない。
そうなると残思の起こした被害は隠されていたことになるのだが、どう隠しているのかという話になると大きく和寛を悩ませた。自然災害で収まる話ならば簡単だが、例えば楓花のしたことについてはどう言い繕ったって苦しいのは目に見えていて揉み消すには被害が大きすぎる。そもそもそんなことのできる組織など国と同等以上の権力を持っているようなものではないかと疑問視する。
「もしかしてその御焚集ってかなり大きな組織だったり?」
「するね。自分達じゃどうにもならない相手を御焚集は相手取ることができるのだから、ハッキリ言って国が下手に出るくらいの立場だったりする」
勿論その組織や残思について知っている関係者は極少数の口の硬い人間だけなのだと絃奈は言った。世間に流されては混乱しか生まない情報。過去の再演などする理由もなく、またそうなったときは残思を抑える者が居なくなることを意味する。故に過去の切っ掛けとなった原因を無くすため、幽霊とはいるかもしれないあやふやな存在にしなければならないし、胡散臭い霊能者もいてもらわなければならない。誰も心の底からありえないものを信じないようにしなければならない。
「それが御焚集の一般への対策。日々の生活の中で目に見えない恐怖に怯えないで済むように、というのが彼らの言い分さ。だからその平穏を脅かす、つまるところ隠すのが一苦労するような被害をもたらす残思を彼らは殺す。彼らにはその手段があるんだ」
その手段とは、などと一々和寛は問わなかった。和寛自身もその手段を絃奈から一方的に授けられた身なのだから大方の予想は容易なものだ。
しかし、やけに詳しいなと、以前にも似たような感想を抱いた和寛だが、今回も同じように絃奈を訝しんだ。故に以前と同様、素直にその疑問を和寛は絃奈にぶつけてみることにした。
「ちなみになんでそんなに詳しいんだ?」
「その質問、私が夢に干渉できている時点で今更だと思わないかい?」
つまるところ人の口に戸が立てられているのなら直接頭の中を覗き見ればいいじゃないか、というのが絃奈の持論であった。例えるのなら厳重に鍵の掛かった宝箱に横穴を開けて中身をくすねるような行為。勿論絃奈は真夜中などの隙を伺って、こっそりと記憶を盗み見ているので対象に気づかれるわけもなく、残思ということもあり今まで簡単に情報収集をしてこれたのだ。
一方的な盗み見というやや子供染みた方法と、眠っている間に記憶を見られているんだろうなという死んだプライバシーに、黙祷のような呆れを和寛がしたのは仕方のない話である。
予定より半分しか話が進まなかった。
(´ ・ω・`)これじゃあ嵐の前の前だよ。