約束
1.気づけば前回の更新からそろそろ一ヶ月経つ。
2.他の趣味に熱が入ってしまったとはいえ時間が経つのがあまりにも早くやや焦り気味。
3.最低でも一ヶ月に一話以上は更新したいよねの精神で頑張ろう!
4.さーて書き終わったぞ~ストックなんてないぞ~。
5.そして今(投稿)に至る。
さて、和寛らが静けさに身を浸していたのは何分ほどになるだろうか。今ではただ何も言うことなく、料理が冷めない内にと和寛が楓花の口に料理を運び、楓花が食べている合間に自身も夕飯を味わうというサイクルができていた。
そうして皿の上に何もなくなったら和寛が手を合わせて「ご馳走さまでした」と言い、楓花も遅れながらにして同じ言葉を添えた。
「ふぅ……よし、決めた!」
満腹のためか一息ついた和寛は、あぐらで座っている体勢のまま軽く右の太ももを叩くと、何かを決めたようで真面目な顔をして楓花の方を見た。
対して楓花は楓花で、和寛が何を決めたのかが気になり、そちらを向いた。
実のところ和寛は食事中、ただ咀嚼していたわけではなく自分が楓花にしてあげられることを考えていたのである。というのもつい先程の事。楓花の後悔の言葉を聞いた和寛はこの子を救いたい、後悔の渦から助けてあげたいと思うようになったのだ。その突拍子のない感情が本人の意識していない善意なのか、狂気にも似た楓花の影響なのか、とても曖昧な境界線上にあるそれを和寛は勿論自覚していた。けれどもそれを加味しても救いたいという気持ちが勝り、思考を巡らせていたのである。
そうして和寛が出した答えとして、楓花に手を差し伸べる方法として、こんなことを口にした。
「今度皆に謝りに行こう」
至って真面目な調子で、和寛は楓花に自分の意思を述べた。しかし当然の帰結ではあるが黙ったままの楓花は複雑な心境でそれを聞き取っていた。謝る相手はもう死んでしまっているし、仮に生きている人がいたとしてもどこにいるのかが分からない。だからそんなことは不可能だと。
それを重々承知の上で、和寛は言葉を続ける。
「悪いことをしたんなら謝る。それで済まされないことだとしても開き直るよりかはまだましだ。死んでしまったというのなら墓参りに、今すぐは無理だけどいつか探し出して俺が連れていく」
先の楓花を落ち着かせるために並べ立てた早口言葉のようなものよりも、比較的に良くなったそれを和寛は一言一言丁寧に口にする。
「だからさ、いつまでも後悔が続きそうなら言ってくれ。頼られたらできるだけ助けになるから」
イメージ図としては頼りになる兄とでも言えば良いだろうか。和寛はそんな雰囲気を漂わせながら笑って励ました。
しかし根本的に、今の和寛は楓花の影響を若干受けている思考回路をしている。けれども完全に影響を受けた狂気達とは違い、その感情が嘘だとか偽物だということはない。ただ行動基準が楓花寄り、楓花のために動いてしまうというだけの話だ。
誰かに影響を与えてしまう楓花の特異性は本人の意図しないものではあるが、だとしてもこれまでの出来事から容易に自分が原因であると楓花は知ることができる。
だからこれは和寛の純粋な善意だということを楓花は何とはなしに理解した。本来は別の誰かに向けられていたかもしれない優しさが、何を間違ってか自分と出会ったことで向き先がねじ曲がった。
偽物ではないが本来の姿でもない。そんな透き通っていない濁った水を見ているような感覚。そしてその濁りが、異物が、自分自身であるという疎外感。
「……うん。ありがと」
本当に自分はここに居ていいのだろうかという迷いが楓花の中で生まれる。もう知らなかったからでは自分を誤魔化せない現状、力になるという和寛の決意に楓花は簡潔に答えることしかできなかった。
その後、「じゃあまずは今を乗り切らないとな」と口にする和寛は使った食器等を台所に運び洗う作業に入る。掛かった時間は十分もなかったはずだがその日の疲労や食後ということもあり、終わった頃には眠気が和寛を夢の世界に誘っていた。
しかし今寝てしまえば楓花を夜中一人にしてしまう。午前と午後、そのほとんどを寝て過ごしていたのだから当分は眠気なんてやってこないだろうと、和寛はこう考える。当然残思自体がそもそも睡眠不要などと知らないのだから然るべきなのだが、夜中に一人は不安にさせてしまわないかと和寛は懸念するわけだ。
自分の子供時代、やけに早起きが過ぎて真夜中に目が覚めて、そうしてなかなか眠れない中、暗闇に恐怖する。そんな経験者の一人である和寛は楓花にそんな経験をしてほしくないなと思うわけだ。
けれどもそれとは裏腹に、和寛の意思とは関係なしに、眠気が和寛の気力を奪っていき、睡眠欲を増幅させる。
それでも寝まいと気合いを入れる和寛にどこからともなく、強いて言うなれば和寛の心の声に扮した悪魔のような囁き声が眠ることを勧めてきた。
(今日は沢山頑張ったじゃないか。そこそこ遠かった駅まで歩いて、山の中を直進して、その上屋敷の掃除まで。ほら今日はもう寝よう。こんなに頑張ったんだからきっと良い夢が見られるよ)
それはおおよそ気のせいで片付けられるような囁き声。もしかしたら何も言われてないのかもしれないが、流石に幻聴が聞こえたかもしれないともなれば和寛は休まずにはいられなかった。
そうして寝ようと考えると自然に退屈さとはまた違う欠伸を和寛は一つ見せて台所から戻る。やや下がり始めたまぶたを開きながら、一つの懸念を解消するために和寛は座っている楓花に向かってこんな問い掛けをした。
「ごめん、もうそろそろ俺は眠りたいんだけどどうする? 一人が嫌ならできるだけ起きとくし何か考えるんだけど」
その声はおおよそ眠りたいという気持ちが込められている間の抜けた声であった。だからこそ楓花はその問いに対して問いで返してしまう。
「えっと、声凄く疲れてるみたいだけど何かあったの?」
「あぁうん。今日は色々あってさ、沢山歩いて電車に乗って山の中進んで、こんなに疲れたのは久しぶりだってくらい」
楓花の疑問に和寛が答えるとどうも予想していたような返答ではなかったようで楓花は首を傾げる。しかし然程気にするものでもなしと納得し、「そっか」という呟きの後にとある提案をした。
「ならそのお話を聴かせて。途中で寝ちゃってもいいから」
「そんなことでいいのか?」
「うん、場所はお布団があった場所。それならすぐ眠れるでしょ? もし途中で寝ちゃったら明日続きを教えてね」
「りょーかい。じゃあ案内するから手を出して」
あくび混じりでそう言って、和寛は楓花向かって手を伸ばす。
今二人が居る場所は居間であり、楓花の言う布団のあった場所とは少しだけ離れた位置にあった。勿論のこと直線上を歩いたって辿り着けるわけもなく、具体的に述べるのならば廊下を二度ほど曲がったところに寝室は存在していた。
目の見えない楓花からすれば慣れてもいない構造に不自由しかないだろうと和寛は考え、自然と案内をするために手を差し伸べたのだ。
和寛の言葉に答えるようにして楓花は片手を前に差し出した。和寛はそれを優しく掴む。和寛としてはさして特別な感情が起こったわけではなかったが、楓花からすればそれは初めて会ったときと同じ行動であり、やや緊張した面持ちで手を握られていた。
やがて和寛は楓花の歩調に合わせて寝室へと辿り着いた。案内を終えて楓花から手を離すと和寛は倒れ込むようにして布団の上に寝転がる。
そこは明かりの無い部屋の中であり、道中の廊下こそ外からの月明かりでまだ見通せるものであったが、流石に部屋の中ともなると光源も無しでは見えるものは廊下に面した僅かな範囲くらいでしかなかった。とはいえ天井からぶら下がっている照明をつける意味も労力も今の和寛にはない。
だから暗い中、枕元で楓花が座ったことを和寛は音で確認した。仰向けで瞼も閉じてしまってはいるが、しかし意識がまだ眠ってはおらず、約束通りに和寛は語り始めることにした。
「まずは、そう、ふつかちゃんだっけ?」
「楓花」
「そうだった。それじゃあ楓花ちゃんが気を失ったところから……」
半分寝ているようなぼんやりとした頭で、和寛は今日一日分を振り返りながら話をする。いつ眠りに落ちるのか分からない曖昧な感覚の中で和寛はゆっくりと言葉を紡ぎ、楓花は静かに聴こえる光景を想像した。
そうして、和寛は和寛なりに語り終わるまで眠らないようにと意識程度で奮闘はしていたのだが、結局のところ話の展開は電車の中で止まることとなってしまった。窓から見えた景色がどうだっただとか、それらを言い表していた和寛は緩やかに、次の言葉が溶けて消えてしまったかのようにして眠りに落ちたのだ。
夜の屋敷、起きている者が己ただ一人のなってしまった楓花は、しかし何か特別嫌な感情が部屋の中や胸の内に巻き起こるようなことはなかった。
声はせずとも呼吸は聴こえる。そこには確かに自身を知覚できる者が生きている。楓花にとってこれほど寂しくない静けさは今までになかった。なかったからこそ、それを不快に思わないからこそ大切にしたいと感じてしまう。
今この場に和寛が居るのはおおよそ楓花のせいであると彼女自身が信じている。過程がどうあれ和寛がここに居たとしても、事実しか知らない彼女は自身の存在の有無が原因だとしか思えず、その思考に他の可能性が生まれる余地はなかった。
今さら楓花がこの場から去ったとしても、和寛の側から居なくなったとしても和寛の立場が今より良くなる保証は無いけれど。だとしても楓花から受ける影響は多少なりとも改善されるかもしれない。されなくとも今より悪くはならないかもしれない。
全ては妄想の範疇でしかない。しかし確かにそんな考えが楓花の中にはあった。そしてふと、楓花は入ってきた廊下側を見つめる。聴こえてくるのは風の音、すなわち外の音である。
和寛を起こさぬようにしてそっと立ち上がる楓花は、ゆっくりとそちらに向かって歩き出した。