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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート4 イモーショナル・ジェイラー(後編)
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第二章 地の底-5





 第一高校、生徒会室。

 授業中であるのにも関わらず、奥の仕事部屋には、生徒会の全メンバーが集結していた。


 各自机に向かい、いくつものウィンドウを出現させて、机に張り付けたホログラムキーボードを叩いている。やがて、一番奥の机で作業していた生徒会長ソニア・クラークが顔を上げると、澄んだ声で彼らに対し問いかけた。


「各自、状況報告! まずはSNS担当の副会長!」


「わかりました」


 一様に作業を止めた生徒会メンバーのうち、角ばった眼鏡をかけクリーム色の髪をオールバックにした少年、ライナルト・カレンベルクが椅子から立ち上がった。


「出所不明の情報が煽情的な文章と共に拡散されています。普段ならそれを訂正する力が働きますが、この異常事態においてはそれも難しいかと」


「具体的には?」


「テスタメントの残党が中央エリアに拡散、数々の凶行は彼らが原因である、治安維持隊を信じるな。七年前と同様、市民を犠牲にしてでもテスタメントを掃討するつもりだ。特に、超能力者には気をつけろ。彼らは我々を殺す力を持っている。こういった内容が、今俺が言ったよりもセンセーショナルな書き方をされている感じですね」


「荒唐無稽ですが、あながち全てを否定することができないのが、辛い所ですね」


 彼女が疲れ切った声でそう呟くと、ライナルトもまたどうしようもないというように、ゆっくりと首を左右に振った。


「中央エリアで何が起きているか、予想はつきますか?」


「SNSは誤情報で溢れかえっており、何とも判断できませんが、一般市民が中央エリアから出ようと勝手に行動していることは間違いないでしょうね」


「わかりました。他に何か情報はありますか?」


「あ、はい! じゃあ私が!」


 書記のレナ・ハマサキが、椅子の上に座ったまま起用に飛び跳ねて手を上げる。ソニアが頷いて見せると、彼女はいつも通りのハキハキとした口調で言った。


「私はSNSだけでなく、ニュースサイトや掲示板も含めた全てを、片っ端から洗っていました! そこで、どうやら反超能力者集団のサイトを覗き見ることができました!」


「まさか、テスタメントのやり取りを……」


「そうではありません! デモ隊の方です! だけど……とっても、荒々しいことが書かれていました! 超能力者をぶっ殺せだとか、赤茶の制服は皆殺しだとか……」


 彼女にしては珍しく、語尾がだんだんと小さくなっていく。レナの後を引き継ぐ形で、褐色の肌にドレッドヘアで、女性にしてはかなり体格の良い生徒会会計、ミラトン・アルフォードが口を開いた。


「デモ隊の一部が暴徒化して、治安維持隊とぶつかってる。たぶん、学生警備も危ない。生徒会長。エボニー・アレインと連絡は?」


「……残念ながら、取れていません。通信は繋がるのですが、おそらくは応答できない状況にあります。さらには、治安維持隊関係の通信網はほぼ全てが麻痺、ですか」


 ソニアの言葉に、生徒会室はどこか嫌な沈黙に包まれた。


 超能力者とはいえ、第一高校の学生は『一般人』とカテゴリしてもいい。だが学生警備、生徒会の二組織は、高校の性質上、他の生徒の模範となり、緊急時にも対応できる能力を求められる。故にこそ、今まで自分たちにできる最大限の事をしようと、情報集めに取り組んでいた。


 だが、一応は現場慣れしている彼らにしても、こんな感覚は初めてだった。


 打開策が、まるで見当たらない。


 何が起きているのか、予想はできるが、確信を持つことができない。最悪の想定がそのままの形で顕現しているのだと、何となくわかってはいても、具体的な行動に踏み切れるほどではない。


 それだけ普段、治安維持隊という『公的機関』に日ごろから頼っていたという事だろう。たとえ的外れであったとしても、行動の指針を示す役どころである組織の存在は貴重だ。自分たちの行動に全て、責任を持たなくてはならない。その重圧が、手足を緩く縛り付ける。


「ひとまず、職員室に連絡をとって、先生方と情報を共有しましょう。そして、第一高校の完全封鎖を彼らに提案します」


「学校に避難してくる人たちはどうするのですか?」


「なら逆に聞きますが、副会長。高校の敷地に入ってきた一般市民が、私たち超能力者に敵意がないかを、どうやって判別するのですか?」


「……それは」


「いいですか。今、追い詰められているのは、治安維持隊と超能力者の方です。自分たちの身を守ることを最優先にすべきでしょう。もちろん、外で傷ついている人たちを助けたい気持ちは私にもありますが、まずはこの学校を守ることが第一です。もっとも、教員陣の判断は真逆のものになるかもわかりませんが」


 ソニアの言葉に、生徒会のメンバーが黙り込む。明らかに納得していない様子だったが、それでも理解はしてくれたようだった。


「ひとまずは、生徒を落ち着かせることに専念しましょう。混乱に巻き込まれて、愚かな選択をすることこそが最悪なのだと、各自しっかりと認識してください」



  ※  ※  ※  ※  ※



 第五高校。

 中央南病院のために校庭を解放した影響で、クルス・アリケスの視界は医療用の白のテントと、負傷者、あるいは死者、そして医師たちの姿で埋め尽くされていた。


 第五高校本部のテントの中でウィンドウを出し、負傷者たちの治療方法のリストを言われるがままに制作していたクルスは、しばしの休憩時間でネットの世界を軽くのぞき込み、中央エリア南がまだましな状況だったと思い知らされて絶句した。


 確かに、こちらは負傷者の受け入れだけでてんやわんやな状態だ。だが、その状態が維持できているだけでも幸いだと言うべきだった。


 中央エリアの他の場所を一言で言うなら、『無法地帯』という表現が正しい。


 東側ではデモ隊が暴動を起こし、治安維持隊と真正面から衝突している。北西部はある意味でもっと悲惨で、テスタメントと共に殺害されると、市民たちが武装して治安維持隊隊員を近づけまいと立てこもっていたりもしていた。


 おまけに、治安維持隊の情報網の寸断。何が何だかわからないという表現が、一番正しい。『人の行動に無意識下で秩序を与えていた法の『権威』が、完全に失墜している。政府の言葉通りに行動するほどの信用が完全に消え、個人が個人の思うままに動いている』


 確かに、個人の判断というのは、時と場合によっては組織のそれよりも優先される。


 だが、それでも『上の言う事が正しい』というのが、一般解答であるべきだ。そうでなければ、ルールが消滅してしまう。


 仮に敵の存在を仮定したとして、彼らが何をしたのか、大体の予想はつく。だが、その手段がまるでわからない。彼らはいかにして、この地獄を顕現させたのか?


『おそらくは、単純な工作の組み合わせなのだろうが……タイミングとやり方の噛み合いが、芸術的なまでに昇華されなければ、こんな事態は引き起こせない』


 彼のその予測は、ある意味で正しく、そして同時に、根本から間違えていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 SAの二十一番道路に、一人の少年の怒声が響き渡る。

 学生警備隊員、グレッグは、彼の制服の上をかけられたアリシアの亡骸を背中に、あとからあとから押し寄せるデモ隊をなぎ倒していた。


 紅の光が砕け散り、通りを満たし、異常を引き起こしていく。


 グレッグに銃を向けていた男の足元が爆発し、体が宙へと吹き飛ばされる。続いて鈍器を片手にこちらへと走ってきていた集団の前で、地面が高速でせり上がり、遮蔽物として立ちはだかる。瓦礫の欠片が高速で鉛直上方向に跳び、すぐ近くに迫っていた男の顎に直撃した。


 もはや、手加減など考えている暇はなかった。対話など最初から成立せず、アリシアの躯の前に立ち、憤怒の叫びと共にグレッグが『先制攻撃』をしてしまったその瞬間に、対立の構図はできあがってしまっていた。


 頭のどこかでは、わかっていた。アリシアを殺したのは、彼らではない。学生警備を含めた治安維持隊をデモ隊と対立させるために仕掛けられた一手だ。この状況は、姿なき敵の期待通りなのだろう。


 だが、それでも、身を焦がさんばかりの衝動が、グレッグの体を衝き動かす。


 荒れ狂う感情の炎にうたれ、研ぎ澄まされた理性が、冷酷に、冷徹に、超能力発動の計算式をくみ上げていく。


 人が宙を舞い、物が宙を飛ぶ。


 その中に、僅かながら赤の飛沫が飛んでいるのが見えてしまい、本当に今更ながら脳が一瞬、完全に機能を停止してしまった、そのわずかな間隙をついて、ほぼ流れ弾に近い銃弾が、グレッグの腕の表面を抉り取っていった。


 うめき声と共に、道路上に崩れ落ちる。デモ隊の足音が、地を揺らす。


 せめてアリシアの亡骸だけでもここから遠ざけられないとぼんやりと考えたグレッグは、逆さになった視界の先に、こちらへむかって駆けてくる一人の女性の姿をとらえた。


「伏せなさい、グレッグ!」


 学生警備副隊長、エボニー・アレインの鋭い指示に、彼は半ば反射で、アリシアの体に覆いかぶさるようにして地面に伏せた。


多段加速螺旋砲(カノン)ッ!!」


 エボニーが構えた右手の先から飛び出した銃弾が、螺旋の炎と共に超加速されていく。


 誰にもいない空間へと撃たれたその銃弾は、周囲に激甚な衝撃波を生み出し、デモ隊の人間をこの葉のように吹き飛ばしていった。


「グレッグ! 今のうちに逃げるわよ!」


「……了解!」


 アリシアの名前が呼ばれなかったことにより改めて彼女の死という現実を突きつけられながらも、グレッグは彼女の体を抱きかかえて、一目散に裏路地へと飛び込んでいったエボニーを追走する形で走っていった。


 建物と建物の壁が、こちらの体を圧迫してくるような、そんな感覚に襲われる。


 グレッグは必死に吐き気を堪えつつ、前を走るエボニーに向かって叫んだ。


「他の隊員は!?」


「リエラがやられたわ」


「……ッ!?」


「シャーリーは隊長が守ったから無事。今から、二人のいるところまで行って合流するわ。どうやら連中、二人組のうちどちらを狙うか、あらかじめ決めていたようね」


 彼女の事務的な報告の裏側にある、隠し切れない怒りを敏感に感じ取り、グレッグは喚き散らしたくなる衝動を何とか抑え込んだ。


 冷静に考えれば、確かに彼女の言う通りだった。リサ・リエラ、アリシア両名の能力は、相手を取り押さえることに特化している。デモ隊と対立させるための駒は残しておきたかったのだろう。シャーリーも狙われたという話だが、これはどちらかと言えばより狙いやすい方を狙ったと考えるのが妥当かもしれない。


 たったそれだけの理由で、二人が死に、二人が生き残り、一人が助けられた。


 運命の悪戯などではない。これは、人の悪意と、己の無能がもたらした結末だった。


『……クソッ!!』


 悔しくて、たまらない。


 後悔など無駄なのだとわかっていても、それでも、後ろを振り返らずにはいられない。


 あとからあとから、涙が出てきて止まらない。鼻をすすり上げたグレッグの方を、エボニーは一瞬だけ振り返ると、何も言うことなくまた顔を前方へと固定して、少しだけ走るスピードを速くした。



  ※  ※  ※  ※  ※



 治安維持隊に連絡を取ろうとして失敗し、今度は元帥に直接通信を繋ごうとして混線でまたもや失敗に終わったレイフと御影は、ひとまずネット上で情報を拾った上で、一番近くかつ助けを必要としているであろうデモ隊の暴動現場へと車で向かっていたが、Yの三十一番ブロックまで来たところで、大渋滞による停止を余儀なくされた。


 歩道の方へと顔を向けると、多くの市民が血相を変えて、全力疾走で中央エリアの出口を目指し走っているのが目に飛び込んできた。


 よく見ると、転んだのかわからないが、建物にもたれかかる形で蹲ってしまっている男がいた。レイフと目くばせをし、もはや完全に動かなくなった車を潔く乗り捨てると、白いガードレールを飛び越え、人込みをかき分けて何とか彼の元へと辿り着くことに成功した。


「大丈夫か!?」


「……ぅ」


 御影の呼びかけにその男は顔を上げたが、すぐ後ろを走ってきたレイフの姿を見るや否や、顔を青ざめさせて叫んできた。


「く、来るな! 治安維持隊め!」


「クソ! またこれか!」


 御影はそう毒づきながら、構わず彼の傍に屈むと、負傷した場所を手早く調べていった。

 右肩が少し切れているが、大したことはない。問題は左足首の方で、見事なまでに赤く腫れあがってしまっている。おそらくは、重度の捻挫だろう。


「触るな! お前は……治安維持隊の人間か!?」


「ちょっと黙ってろ」


 腫れた部分を軽くさすると、彼はそれだけで絶叫に近い悲鳴を上げた。

 その隙にレイフが彼の傍に屈み、あらかじめ用意していた包帯で手早く足を固定していく。涙目になりながらこちらを見つめてくる男に、レイフは静かに言った。


「応急処置だ。助けが来るまでここで待て。不用意に動こうとするな」


「助けなんて来るかよ! アンタらは、俺たちを殺す気なんだろう!?」


「これから殺す人間を助ける馬鹿がどこにいる。氾濫する情報に呑み込まれれば、脳が死人のそれと同然になるぞ」


 どこか聞く者を落ち着かせるレイフの言葉に、何か感じるものがあったのか、彼は素直に頷きを返してきた。


 だが、彼の声もまた、近くにいる人間にしか届かない。


 後ろから気配を感じた御影は、反射的にレイフの後頭部へと手を伸ばし、丁度そこに飛んできていた石礫を受け止めた。


 骨を直接揺さぶられるような衝撃に、御影は思わず顔をしかめる。レイフはゆっくりとその場に立ち上がると、後ろを振り返った。


 その途端、御影とレイフに、石やら瓦礫やら荷物やらが、雨あられと降り注いだ。


 両手で頭を庇うも、全てを防ぎきることは当然できない。かなり大きな投擲物が足のすねに直撃して悲鳴を上げる御影の横で、レイフが敢然と胸を張り叫んだ。


「貴様ら! こんなことをして何になる!」


「黙れ治安維持隊! エイジイメイジアの外に出て行け!」


「俺たちの生活を壊しやがって! 畜生!」


「何が反社会的組織だ! お前らのほうが、よっぽど社会を壊しているじゃないか!」


 勢いよく飛んできたコンクリート片がレイフの額にぶつかり、血が噴き出してくる。彼はたれてくる赤い液体に右目を瞑りながらも、自らの身を守ろうとはしなかった。


 とそこで御影は、投擲物の一つが御影たちを大きくずれ、後ろの男へと飛んで行っているのに気がつき、慌ててその間に割り込んで左手で受け止めた。


 それほど大きくはなかったが、それでもずしりとした衝撃が襲い掛かってくる。見ると、それなりに高級そうな腕時計だった。


「……お前らッ!」


「よせ! 御影奏多!」


「今回ばかりは無抵抗でいられねえよ! このままだと後ろのアイツがあぶねえし、お前の能力で跳ね返したら怪我人多発だ!」


 叫びと共に、御影は周囲に青の過剰光粒子を出現させると、周囲に軽いつむじ風を発生させて、スーツの端の部分をはためかせた。


 たったそれだけで、劇的な変化が訪れた。


 一拍の静寂の後に、心からの恐怖の叫びが、御影たちのいる通りに木霊した。


 周囲を取り囲んでいた人間たちが、押し合いへし合いしながら、一歩でも御影から離れようと走っていく。途中で一人倒れてまた何人かに踏みつけられる様子が視界に映り、御影は唇を噛みしめながらも、近くにある建物へと走っていった。


「ひとまず、あのビルの中に身を隠すぞ!」


「了解した!」


 どうやら株式会社の事務所が元々入っていたらしき封鎖された扉を、レイフが極薄の刃を持って切り裂き、二人はその中へと逃げ込んでいった。


 そのまま奥の階段を昇っていき、数階上のフロアで扉を閉め、近くにあったものを手当たり次第にドアの前に積んで封鎖したところで、二人は同時にカーペットの床の上に崩れ落ちた。


「これ以上は限界だ! 俺たちの身が危ないし、何より、助けるつもりが逆効果、なんてことになりかねない! というか、さっきのはまさにそれだろ!」


「私たちは彼らにとって、誰かを守るどころか、誰かを傷つける存在のようだ。治安維持隊が積み上げてきた功罪。その罪の部分だけを、見事に抽出された形だな」


 レイフはそう言って、荒い息を繰り返しながら、額に浮かんだ汗を制服の袖で拭った。彼がここまで疲弊した姿を見るのは初めてだった。


 先ほどは全てが良くない方向に向かっていたが、似たようなことはここに来るまでにも多発していた。火事場泥棒の集団を追い払えば、店主に感謝されるどころか罵倒され、これまた混乱に乗じて暴れていた連中を超能力で叩きのめしたときには悲鳴を上げられ、どこに行けばよいか戸惑っている家族に第五高校の方が安全だと教えようとすれば、レイフの着た制服を目にしただけで悲鳴を上げられた。


 せめてレイフが着替えられれば良かったのだが、下だけでも特徴的な赤茶の色は目立つうえに、替えの服など調達している余裕はなかった。


 だが、限りある時間を犠牲にしてでも、彼の身分を偽るための工作をしておくべきだったかもわからない。現に先ほどは、最悪の一歩手前まで近づいてしまっていた。


「……超能力を発動して脅すのは、悪手だったか」


「いや。あの場面で、あれ以上に有効な手を、私もまた思いつけなかった。確かに最善とは言えないだろうが、貴様の判断は正しかった」


「そりゃどうも」


 憎まれ口をたたいて場を和ませようと、柄にもないことをしようとしたが、まったくもって言葉を紡ぎ出すことができなかった。


 心身ともに、疲弊しきってしまっている。そのまま大の字になって寝転がってしまった御影の横で、レイフは息を整えながら、近くにあった机に左手をついて体を支えた。彼の制服の右肩は無残にも破れて血が滲んでいたが、その間から応急処置をした後が見えて、御影は心中で胸をなでおろした。


 御影の視線に気づいたレイフは、眉を顰めると、言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で問いかけてきた。


「今だからこそ確認するが、御影奏多。私が負傷した後から、あの病院に移動するまでの記憶は残っているか?」


「……? 何でそんな質問をするのかはわかんねえけど……そうだな。正直混乱していたから、何が起きたかぐらいしか覚えていない。すまないな」


「いや、いい。今そんなことを気にしている場合ではなかった。それと、トラップにされていた女性のことだが……彼女を連れ出さなければ、それはそれで病院の瓦礫の雨が周囲に降り注ぎ、多数の被害が出ていた。それを踏まえても、貴様の行動は間違いではなかった」


「それは、結果論にすぎないだろう。俺にはあの状況をどうにかする力がなかった。二人が死んで、お前が間に合わなければもっと大勢の人間が死んでいた」


「……」


 どこかまだ何か言いたそうな顔をしながらもレイフは一度口を噤むと、気をとりなおすように再びこちらに顔を向けて言った。


「状況を整理するべきだ。時間は貴重だが、やみくもに中央エリアを駆けたところで、何にもならないことは、ここ数時間で思い知らされたからな」


「……」


「不満か?」


「不満だが、異論はない。目の前の命を助けることはもちろん重要だが、今のままじゃあ、助けることすらままならない。事態を根本から解決しないことには、何も始まらない。だけど、言うは易く行うは難しだ。個人でこんな状況をひっくり返すことが、果たして可能なのか?」


「不可能でも、やるしかないだろう」


「肝心なところで根性論か。なるほど。あの変人が治安維持隊の長でいられる理由が、少しだけわかったような気がするよ」


 御影は両手を上げ、勢いよく振り下ろしてその場に立ち上がると、近くにあったクッションのはみ出した椅子に腰を掛けた。


 レイフもまた、その場に立ち上がる。元の持ち主が経営破綻で夜逃げをしたのかどうかは知らないが、御影たちのいるフロアは、一般的な会社のデスクが、そのままの形で残され風化しており、大量の埃が窓から差し込む光の中で舞い踊っていた。


「御影奏多。私は長期的な思考では貴様に勝るが、瞬間的な頭の回転の速さなら貴様の方が上だ。今回の事件に関する、私なりの疑問点を上げていく。貴様はなるべくそれに、反射で答えてくれ。時間はもう残されていないからな」


「……自信はないが、やってみよう」


「第一の疑問だ。この事件に、黒幕かそれに準ずる何かが存在するか、否か?」


「直感では後者だが、証拠がない。だが、これが自然発生した現象なら、それこそ解決策が見当たらない。証拠がなくても、その存在を仮定するべきだ」


「ならば二つ目だ。治安維持隊は、黒幕の存在を把握しているか?」


「していない。していたら、こんなことにはなっていない。そしてテスタメントもまた、その黒幕の用意した歯車の一つだと考えられる」


「三つ目。この混乱が人為的なものであると仮定した場合、その手段は?」


「わからない」


「四つ目。ならば手段を問わず、この騒動を起こした黒幕が存在すると仮定する。その場合、黒幕の目的は何か?」


「……目的、か」


 確かに、何の理由もなしに、エイジイメイジアに地獄をもたらしたなんてことはありえない。


 そして、もしこれが人為的なものなら、それは恐ろしく計算された代物であることは間違いない。ありとあらゆる可能性を想定し、全てが奈落の底へと落ちていく仕掛けを作り上げる。ドミノ倒しは、ピースが一つでも抜ければ成立しない。


 ならばこれは、極めて理性的な考えをできる者の犯行であると考えるべきだろう。


「俺からも質問していいか?」


「もちろんだ。議論は相互の理解により、深まっていくものだからな。だが急げよ」


「わかってる。その目的とは、どの行為に対するものだ?」


「中央エリアを混乱の渦に落とした、では少々抽象的すぎる。簡単のために、ここでは大量殺人のみを考えるとしよう」


「殺しの理由、か」


 殺人には、必ずそれにいたる理由が存在する。それは常人の理解を超えた理論で構築されていることもしばしばだが、それでも、何らかのメリットがあるがために、殺人というデメリットを容認するという構図が基本だ。


 殺人が、快楽によるものであったとしてもまたしかり。むしろその方が適用しやすい。だが、その結論に飛びつくのは少々早計なような、そんな気がする。


 ならば別の視点から攻めるまでだ。


 例えばあるテロ組織が存在したとしよう。彼らが、大量殺人をする理由は何か? 言うまでもなく、示威行動だ。自らの脅威を相手にわかりやすく伝え、有利に事を進めるための手段。


 ならば今回もそれでいいのか? 否だ。既に、テスタメント制圧作戦が始まってから、数時間は経過している。自らの犯行であることを誇示するような声明は、未だに出されていない。そもそも黒幕とやらへの糸口がつかめないからこそ、自分たちは苦労している。


 ……考えろ。


 常識で判断できないなら、相手の側に立ち、思考を完全にトレースしろ。ありえない状況を仮定し、飲み込んで、あらゆる可能性を想定しろ。


 仮に自分が、治安維持隊を敵に回す覚悟を固めたとする。


 その時に、真っ先に考えることは――。


「……あ」


「ん? どうした、御影奏多」


 思いついた。


 思いついて、しまった。


 だが、こんな結論が、本当に正しいのか? いかに合理的とはいえ、そんな道を人が選択するものなのか? ……そして。思いつけてしまった自分は、本当に人間か?


「……レイフ。十二時から今までに起きた事件を纏めてくれ」


「テスタメント制圧作戦が開始され、そして成功した。それに前後する形で凶悪事件が発生し、その場に集まった人間が攻撃され、ありとあらゆる誤情報が流され市民と隊の対立が決定的になった。対処しようにも、治安維持隊の通信網は断絶され……」


「それだ」


「……何だと?」


「一つ一つをばらして考えるんだ。制圧作戦の成功。凶悪事件の発生。市民への攻撃。誤情報の拡散。そして、治安維持隊の通信網の断絶。これらが独立して起きたと仮定する。その場合、もっとも重大な事件は、どれだ?」


「市民への攻撃、ではないのか?」


「違う。確かにそれも重大だが、まだ対処が可能だ。治安維持隊が、万全の状態ならば」


「つまり貴様は、こう言いたいのか? 一番重要なのは……」


「治安維持隊の情報網が断たれたことだ! 普通ならこんなこと絶対に起きねえだろ! あのボクシですら、四月一日にはそこまではできなかったってのに!」


 四月一日に、治安維持隊と対立する上で、御影奏多は何をした? 自らの居場所がばれないことを利用し、彼らの操作を攪乱して、その機能を乱した。


 五月五日に、治安維持隊から逃れるために、テクラ・ヘルムートは、ボクシの起こした事件を隠れ蓑とした。両者共に、普通ならあっという間に治安維持隊の手で制圧された事件だった。


 国そのものと戦うというのなら、まずその兵隊を機能不全にしなければ、圧倒的な兵力と火力をもって、瞬く間に潰されてしまう。丁度御影たちに潰された、テスタメントのように。


 御影は両手で髪の毛をかき回すと、歯ぎしりをしながら唸り声を上げた。


「治安維持隊の通信システムを守っているのはどこだ!」


「……情報管理局。通称ICC。ありとあらゆる情報データは、あの部署が保護している」


「だったら、その情報管理局で何かが起きたんだ! 中央エリアでの混乱を助長するために、通信をできないようにしたんじゃない! 実際はその逆だ! 中央エリアに展開された一連の騒動こそが囮! 黒幕の目的は、治安維持隊が機能不全になっている間に、情報管理局で、その何かをすることだった! ……殺しそれ自体には、何の意味もなかったんだ!」




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