第二章 地の底-1
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公理評議会評議員、ララ・アーリックマンにとって、エイジイメイジアという国は生きづらい国だった。生きづらくて、息をするのもままならない。評議堂で他の馬鹿な議員に囲まれているだけで、吐き気がするほどに。
政治の世界には様々な慣習、忖度が存在する。だがそれは、ある程度なら仕方がない。金は信頼となり、信頼は伝手となる。社会システムのそもそもの基盤が、曖昧な感情的充足によって成り立っている以上、それらは必要悪と言えよう。
そう。それに従えるだけ、まだマシなのだ。与党側の議員ならば。
ララ・アーリックマンが所属するのは、野党第一党だった。与党の次に勢力が大きいとはいえ、政権交代などほぼ望めない。原因は多数あるが、何にもましてやり方が下手すぎた。
唱える政策は、全て与党と正反対。相手を批判するならまだいいが、非難しかしないのだから頭が痛い。通常なら互いに案を出して政策を昇華していくはずが、何から何まで否定するのだから泣けてくる。互いの利点を取り入れようにも、溝はあまりにも深かった。
あとから知った話だったが、アーリックマンの所属する党は、そもそもの成り立ちが与党内の権力争いに負け村八分にされた人間が、生き残りをかけ票を得る目的の為だけに立ち上げたものだった。純粋に政治を正すという高い思想を掲げながら、規模と資金につられて最大野党に所属することを選択してしまった自分は大馬鹿者だった。
だが、だからこそ、彼女は新天地を得ることができた。
七年前に、フールズグレイブヤードと接触。武力解決に一縷の望みを託したが、案の定、治安維持隊に阻止された。
自らが人質を演じてやったというのに、酷い不手際だった。だがあの件で、彼女は軍部の腐り具合を目の前にすることができた。
一度交渉の姿勢を見せておきながら、早期武力解決をはかるとは! 笑みと共に同胞の首を刈りとった男の姿は、今もなお脳裏に焼き付いている。
本当だったら、アーリックマンも武器を取り、果敢に戦い討ち死にしたかった。何も変わらないなら、何もかもを終わらせたかった。
だが同胞は、彼女を押しとどめた。
『政治の世界にいながら、彼らと思想を同じくする貴女の存在は大変貴重です。貴女の仕事は、前に出て無駄死にすることではない。死体を踏み台にしてでも、他者を導くことです。それを、ゆめゆめお忘れなきよう』
全ての計画が泡と消え、誰よりも憤りを感じているであろう人間の言葉に、彼女は強く心を打たれた。そして、誓った。たとえいつか、自分の政治生命を犠牲にしてでも、変革を成し遂げると。正義はここにありと、怒れる国民に示すのだと。
そのための、七年間。臥薪嘗胆、腹の奥底で煮えたぎる怒りを、押し込めてきたのだ。
「時は来た! 今日私たちは、世界を変える!」
彼女の呼びかけに、同意と感嘆の叫びが、広いホールに木霊した。
ここは、中央エリア南、Tの二十九番ブロックに位置する教会だ。ブロックごとに内部で小分けにされているのがしばしばだが、この教会はブロックの四分の一の面積を占める。だが、信者の減少により、アーリックマンが目をつけたときには取り壊しの寸前だった。
この場所は彼女の象徴のようなものだった。人類すべてがこの列島に閉じ込められ、ありとあらゆる文化が死滅していくのに抗うための土台となるべき場。かつて世界中に広がっていたキリスト教でさえ、信者が減少しているのは嘆かわしいとしか言いようがない。わけのわからない神道など願い下げだ。世界はヨーロッパであり、ヨーロッパが秩序だった。その秩序は取り戻されなくてはならない。自らの戦いは十字軍のそれに重ねることも可能だと、彼女は本気で信じ込んでいた。
窓にはめ込まれたステンドグラスから、色とりどりの光の筋が降り注ぐ。その中で、荒くれだがアーリックマンと心の底から通じ合った同志たちが、つい先日手に入れた銃器を振り上げて鬨の声を上げていた。
反政府組織、『テスタメント』。総勢三十二名の精鋭たち。最初は倍以上いたが、群れの中には必ず異分子が混ざるものだ。彼女は部下たちの『選別』に、長い時間を割いてきた。
その過程で、地下活動の基礎を彼らに叩き込むことができた。いかに、治安維持隊に目をつけられずに連絡を取り合い、活動していくのか。それにより今日まで居場所も自分の正体も隠し通せたのだから、結果として見れば最善だったと言えるだろう。
「私は非力だ! 銃を握ることもままならない! だがそれでも、お前たちと共に前に出よう! お前たちを守る盾となろう! 恐れることは何もない! 治安維持隊ですら我々の動きを把握できていない以上、確実に先手を打つことができる!」
同胞たちの歓声が、教会内部に木霊する。彼女は満足げに頷くと、続けて叫んだ。
「標的は公理評議堂! あそこは私の庭に等しい! 警備パターンも……」
『ハハハ! 評議堂と来たか! 五月の件で警備は強化されていると、馬鹿でもわかるだろうに。お前たちはテロリストのごっこ遊びでもしているつもりか?』
自分以外の女性の声に演説を遮られ、彼女は全身の血管に氷水を流されたかのような悪寒に襲われた。
ホールの壁上方に取り付けられたスピーカーから、心底おかし気な笑い声が響き渡る。テスタメントのメンバーたちも鳴りを潜め、不安げな表情であたりを見渡しだす。十数秒後、ようやく笑いをひっこめると、女の声はこちらを小馬鹿にするような口調で続けた。
『正直落胆したぞ。こちらはお前たちの脅威度を、アウタージェイルと同等、あるいはそれ以上と見ていたというのに。地下活動を主としていた時点で、規模はたかが知れていたが』
「我々を侮辱するな! お前は何者だ!」
『治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガン。以後お見知りおきを。公理評議会評議員、ララ・アーリックマンさん?』
「……ッ!?」
驚愕と恐怖で、喉が詰まる。
言葉が、出てこない。
ララ・アーリックマンはあらん限りの力で両手を握りしめると、顔面を蒼白にして、虚空を睨みつけた。
テスタメントの最大の強みは、居場所を治安維持隊に特定されないこと、ララ・アーリックマンという評議会側の人間の存在が暴かれない事にあった。前者が言わずもがな。後半は、政府側の人間がついていることにより生まれる安心感だ。
教会のホールに集うメンバーの社会における肩書は様々だ。会社を追われ社会そのものに不満を抱いている者もいれば、働いてこそいれど自らの生活が脅かされているという漠然とした不安にさいなまれる者。革命を夢見る大学生に、刹那主義的な少女。
言ってしまえば、彼らは一般人。格好も『動きやすい服装』というだけで、治安維持隊の本格的な戦闘服と比べるまでもない。本当の意味では覚悟などなく、彼らを結びつけるのは手にした銃のみ。こちらの優勢が崩れてしまえば、どうなるかわからない。
だがそれでも、ここまで来た以上、退くわけにはいかなかった。
「黙れ! 能力社会に隷属する犬ころが!」
懐から拳銃を取り出し、スピーカーへと発砲する。だが一発目は大きく外れてしまい、アーリックマンは桃色の口紅が塗られた唇に前歯を突き立てると、続けて発砲し続けた。
五発ほど放ったところで、ようやくスピーカーに大穴が穿たれ、女の声が沈黙へと飲み込まれた。彼女は周囲へと目を向けると、肩で大きく息をしながら叫んだ。
「うろたえるな! 居場所が敵に知られたなら、ここを根城に抵抗する――」
それ以上、言葉が続かなかった。
何の前触れもなく、ホールの窓に嵌められたステンドグラスが、全て粉々に砕け散った。
色とりどりのガラスの破片が、テスタメントのメンバーに降り注ぐ。アーリックマンは軽く悲鳴を上げると、頭を両手で抱えてその場に蹲った。
間髪を入れずに、教会の外、正門のあたりから、くぐもった衝撃音が聞こえてくる。出入り口を破壊されたのだろう。アーリックマンの近くにいた一人の男は舌打ちをすると、ガラスに切り裂かれた額から血を流しながら叫んだ。
「アーリックマン! 皆に指示を!」
「……あ……あ?」
「チィッ! 人形役すら務まらないとはな!」
彼はそう吐き捨てるように言って、アーリックマンに背を向けた。
「襲撃担当だった者達は教会の外に出て迎え撃て! 残りはここで立てこもる!」
※ ※ ※ ※ ※
Tの二十九番ブロック、元教会跡地正面。
そこには、およそ通常時にはありえない人数がたむろしていた。
御影、レイフ、チャンファの超能力者三名に、特殊部隊バレットをくわえたテスタメント制圧作戦のメンバーはもちろんのこと。後ろには公理評議会により集められた報道機関の人間が、彼らの姿をカメラにおさめようと、道路まではみ出す形で場所取り合戦を繰り広げていた。
正門の金属性の柵は無残にひしゃげ、辺りには土煙が立ち込める。上下黒のスーツ、ワイシャツの上には銃のホルダーが複数に、下には防弾チョッキを装着した御影はそれに舌打ちをすると、右手を横に強く振った。
その途端、風が吹き荒れ、土埃をあっという間に吹き飛ばしていく。御影とレイフを挟んで反対側に立っていたチャイナドレスの女性、リ・チャンファは、口から煙管を離すと満足げに紫煙を吐き出した。
「便利な能力じゃないか」
「黙れ。皮肉にしか聞こえねえよ」
「こんなときまで喧嘩か。まったく。貴様らの言動は度し難いな」
一人だけ治安維持隊の制服を着たレイフ・クリケットがそう苦言を呈すると、御影とチャンファが半目になって彼に咎めるような視線を突き刺した。そんな超能力者勢の様子を見て、彼らの周りにたむろす黒い戦闘服にフルフェイスメットで完全装備したバレットのメンバーが、戸惑うように顔を見合わせた。
だが、その集団の先頭に立つレイフが左手を上げた瞬間、全員の表情が引き締まった。気配でそれを察したのか、彼は一度大きく頷くと、治安維持隊の制服から金属製の棒を取り出し、その先から極薄の刃を出現させ、庭の木の影に隠れた教会の方向へと向けた。
「これより、テスタメント制圧作戦を開始する! 行くぞ!」
レイフの号令が終わるや否や、無数のカメラが見つめるなか、先頭に立つ超能力者三名は真っ先に教会の敷地へと飛び込んでいった。
※ ※ ※ ※ ※
前日。七月六日。エンパイア・スカイタワー地下。
普段超越者の控室、あるいは談話室として使われている部屋に、御影と超越者二名、さらにはバレットからの代表が二人と、治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガンが集結していた。
ヴィクトリアはソファに腰を掛け、リ・チャンファはテーブルを挟んだ反対側で煙管をふかしている。御影は出入り口付近の壁に寄りかかり、レイフはその隣に佇んでいた。かわいそうなのはバレットから来た二人で、部屋の隅で所在なさげに突っ立っている。そのうち背の低い方が、なぜか置いてあるビリヤード台へとちらちら奇異の視線を向けているのがおかしかった。
「さて。さっそくだが諸君。今回の敵であるテスタメントは、ハッキリ言って雑魚だ」
ソファの上でふんぞり返ったヴィクトリアの宣言に、超能力者組の三人が思わず顔を見合わせる。バレット隊員の背の高い方が、おずおずと手を上げて発言した。
「具体的な根拠を提示していただけませんか?」
「そんなにかしこまらなくていいよ。ええっと……そういや、名前を聞いてなかった。お前ら二人共自己紹介しろ」
ヴィクトリアの要求に、今度はバレットの二人組が顔を見合わせる。
そんな、少し緊張感の漂う雰囲気を、例によって超越者序列二位が完全に無視して、部屋の奥にある自販機に歩いていき、ミネラルウォーターを購入した。
御影はレイフとコンビを組んでから何度目になるかわからないため息を吐くと、すまし顔でペットボトルのキャップを捻る彼を睨みつけた。
「何してんだ、お前」
「水を買い、そして飲むところだ」
「そりゃ見ればわかる。お前はもっと空気を読めよ」
「ふむ。なかなかに難しい要求だな。少し話はずれるが、『空気を読む』とはなかなかに趣深い表現だと思わないか? 英語だと『read between the lines』、直訳すれば行間を読むだ。ちなみに、風邪をひくは英語で『catch a cold』。風を捕まえるだ。だが、風邪をひくというのもまた直接的表現ではなく、英語側と類似点が見られる。文化的側面からも色々調べてみると……」
「さっきから黙って聞いてりゃどんどん脱線しやがって! 何なんだお前!?」
「むう。私なりにこの微妙な空気をどうにかしようと思ったのだが」
「あ、そう。お前、空気読んでこれだったんだ。もういいや。口閉じてろ」
「……度し難いな」
まったくかみ合わない二人の会話に、バレットの内の背の低い方がたまらずと言った様子で吹き出し、それをもう片方が咎めるように頭をひっぱたいた。どうやら、叩かれた方がバレットの中では階級が下らしい。
ヴィクトリアはやれやれと言った様子で苦笑しながら、再びバレットの二人に目を向けた。
「で? 名前は?」
「あ、はい。特殊部隊バレット隊長、メレディス・ハートです」
「その部下のラーマンだ。皆さんよろしく」
メレディスと名乗った男は、軽薄に自己紹介をした部下を軽く睨みつけたが、やがて何かを諦めるように首を振った。
上司は部下に振り回される運命なのかと哀れに思えたが、上司も部下もクレイジーな元帥殿と超越者が目に入ってきて、御影は思わず天井を見上げてしまった。世の中色々と理不尽だ。
「さて。話を続けるぞ」
ヴィクトリアの呼びかけに、その場にいる全員の目が彼女へと向けられる。治安維持隊元帥はテーブルの上に、ホログラムウィンドウを床と平行に出現させた。
「皆は知っていると思うが、治安維持隊はテスタメントの会話をある程度傍受することに成功している。それを聞いている限りだと、彼らは全員素人だ。彼らが起こす事件から証拠がなかなか出ない点については見事だったが、正体が明らかになれば恐れるに足りない」
「でも、相手が素人だからこそ、何が起こるかわからないとも言えるんじゃないかい?」
「その通りだ、チャンファ。問題は二点。相手が武装していて、必ず抵抗してくるであろうこと。二つ目は、七年前とは異なり、私たちは彼らの身柄を確保しなくてはならないことだ」
ヴィクトリアの言ったことがどれほど難しいか瞬時に悟ったのか、バレットの二人が顔を曇らせた。御影がレイフに問いかけの視線を向けると、彼は淡々とした口調で言った。
「相手を殺していいなら簡単だ。素人なのだし、こちらが圧倒できるだろう。だが制圧となると……」
「一人を取り押さえるのにも、多大な労力がかかります。向こうは手段を選ぶ必要はありませんが、こちらはまともに発砲することすらできない」
レイフの言葉を、バレット隊長のメレディスが引き継ぐ。その横でラーマンが首を傾げて、ヴィクトリアへと質問を投げかけた。
「俺たちバレットを動かすのに、制圧ですか。人選を間違えたんじゃないんですか?」
「それを言うなら、俺の存在もだ」
御影は腕組みをして、ニマニマと笑うヴィクトリアを睨みつけた。
「当ててやろうか? このメンバーは、制圧最作戦に対する最適解ではない。となると、この人選の目的は何か。世間に対するパフォーマンスだ」
「ほう? 続けろ」
「治安維持隊は大義名分が欲しいんだ。七年前の掃討作戦には、未だに非難の声が根強い。相手が雑魚なら、優先すべきは治安維持隊のイメージ。ネームバリューの高い超越者からは、実戦慣れしているレイフとリ・チャンファ。んで、この前レイフの御付きをしていたバレットメンバーに、評議会代表の俺も混ぜて、二組織の融和をはかると。多くを望みすぎじゃないか?」
「確かにお前の言う事は正しい。だが、このメンツにした理由はそれだけじゃない。ちゃんと、能力も含めて判断している」
「……マジで?」
思いがけない言葉に、御影は大きく目を見開いた。
ヴィクトリアの向かいに座ったリ・チャンファが、からかうような視線をこちらに向けてくる。思わず舌打ちした御影に、ヴィクトリアはクツクツと笑った。
「メレディス・ハート隊長。もし私が、バレットのみで彼らを制圧しろと言ったら?」
「難しいかと。特殊部隊とはいえ、我々は人間です。流れ弾でもあっけなく死ぬ可能性はある。向こうに死者を出さないことは可能でも、こちらに被害が出ることは避けられない」
彼はそこで一度言葉を止めると、一瞬御影の方へと目を向けた。
「ですが、超能力者がいるとなればまた別です。能力を効率よく使えさえすれば、道は開ける。通常、それができないから、彼らは一般隊員の足手まといになるのですが」
「そういうわけだ。そして今回選出した三人は、非常に能力の相性がいいと私は踏んでいる」
思わずレイフの方へと目を向けると、彼はペットボトルにキャップをしながら大きく頷きを返してきた。リ・チャンファの方も驚いた様子はない。どうやら、ヴィクトリアの言ったことは彼らにとっては自明のことだったらしい。
ヴィクトリアは御影の方へと真っすぐに目を向けると、真剣な口調で言った。
「私たちは本来敵同士だ。だがここでは、ひとまず立場を忘れて考えて欲しい。お前の能力である、『気体操作』。その、最大の長所は何だ?」
彼女の問いかけに、御影は軽く目を閉じた。
自分の、長所。自分を客観視するというなかなかに難易度の高い作業だが、不可能ではない。
なぜなら、こう聞いてくるということは、ヴィクトリアは既に解答を持っている。そしてそれを知る機会は、四月一日の衝突のみだ。
つまりは、御影奏多という敵を相手取るにあたって、治安維持隊がもっとも苦労した点を上げればいい。あの嘘のような一日を、御影はいかにして生き延びたのか。それを分析すれば、自ずと答えは見えてくる。
「空間把握能力。一般的な意味を越えて、周囲の様子を気体の動きでほぼ完全に把握できる力」
やはり、これが一番だろう。単純な破壊力だけでは、治安維持隊と渡り合うことなど不可能だった。こちらが姿を隠しつつ、相手の居場所を探れるというのは大きな利点だ。
「正解だ」
ヴィクトリアが満足げな表情で頷いた。思わず肩の力を抜いてしまった御影の横に、レイフがまた並び立った。
「私は、ここでは防御力だろうな。ありとあらゆる攻撃を防ぎ、跳ね返す。だが、壁を出してしまえば、目視で相手の位置を確認できなくなるという欠点がある。リ・チャンファは……」
「今回の目的でもある制圧の力だね。私なら、複数の人間を傷つけず、一時的に取り押さえることが可能だ。……敵の位置さえ、知ることができるなら」
「……あ」
カチリ、と。ジグソーパズルの最後のピースが嵌ったような、そんな感覚があった。
無意識で唾を飲み込んでしまい、喉が上下した。ヴィクトリア・レーガンはソファの上から立ち上がると、部屋の面々を見渡して、口を開いた。
「そういうことだ、諸君。我々は正面からテスタメントに挑み、全員の身柄を確保することを目標とする。互いの能力を完全に把握するには時間が足りないが……何とかしろ。命令だ」
「肝心なところで根性論!? それでいいのか!」
「諦めろ、御影奏多。ヴィクトリアは昔からこんな感じだ」
※ ※ ※ ※ ※
そして、現在。
超能力者三人組は、ろくにコンビネーションの練習も取らず、ぶっつけ本番で教会の敷地を並んで走るはめになっていた。
だが、御影とレイフのペアは組んでからそれなりの日数が過ぎている上に、レイフとリ・チャンファは共同作戦を取った経験もあるという。さらに言ってしまえば、彼らは超越者だ。全面的に彼らに頼るという形が正解なのだろう。
教会と言えば、正門をくぐれば建物がすぐに見えるというイメージがあるのだが、どうもここは違うらしく、庭の部分がやたら広い上に木々が生い茂り、半分迷路のようになっていた。遮蔽物が多く敵にとって有利なように思えるが、この場合は逆だ。
事前に地図を見て地形を頭に叩き込んでいるうえに、気体の動きを分析することにより、教会敷地内の様子はほぼ完璧に把握している。遮蔽物が障害となるのは、向こうの方だ。
「チャイナ服! 二時方向三十メートルだ!」
「リ・チャンファだよ! いい加減名前で呼びな!」
彼女は悪態をつきつつも、左手を御影の示した方向へと向けた。
リ・チャンファが能力を発動した場所で起きた現象を気流の乱れで確認した御影は、右こぶしを握り締めて叫んだ。
「よし! 全員捕らえた!」
「ヒョウ! やるじゃないか!」
バレットのメンバーであるラーマンが口笛を鳴らした。そのまま生垣に挟まれた道を走り抜け、曲がり角の所を曲がる。その途端、御影の視界に、ローズピンクの過剰光粒子が舞い散る中、地面に這いつくばりうめき声をあげるテスタメントメンバーの姿が飛び込んできた。
「第一班、確保!」
メレディス・ハートの呼びかけに、バレットメンバーの一部が彼らに群がりのしかかる。その途端、過剰光粒子が消滅し抵抗しだしたが、バレットは手早く彼らの手足を拘束し、武装解除していった。
それをしり目に、御影たちの集団は止まることなく奥へと進んでいく。教会の姿が木々の間から覗いたところで、御影は敵に聞こえない程度の声で叫んだ。
「待ち伏せだ! 教会正面広場を取り囲む形で、教会前、左右に十数人の集団! 左右は俺がやる! 次の曲がり角を曲がったら、レイフは『壁』を出してくれ!」
「了解した」
レイフが頷いたそのときには、御影たちは教会前の広場に飛び込んでいた。教会の前には噴水が設けられ、水しぶきをまき散らしている。御影の言った通り、教会の扉前に数人たむろし、左右の茂みに何人かが潜んでいたが、先に動いたのは御影たちの方だった。
青、銀、薔薇。三色の過剰光粒子が、何もなかった空間を埋め尽くす。
風がうねる。次から次へと強風が生み出され、束ねられて二筋の風の塊となり、教会左右に隠れていた連中に真後ろから直撃した。
十数人の体が宙を舞い、広場の中心へと折り重なって倒れている。仲間に当たることを恐れて、教会前のテスタメントが発砲をためらっている間に、レイフが一歩前に踏み出して、円筒を握った右手の人差し指を突き出し、くいと上に曲げた。
御影たちとテスタメントを丁度区切る形で、あたかも鏡の如き極薄の壁が出現する。御影はその前で足を止めると、目を細めて神経を集中させた。
「前方三十メートルの点を中心とし、一辺二十メートルの正方形。そこにいる奴らを、全員纏めてぶっ潰せ!」
「あいよ!」
リ・チャンファが小気味のいい返事と共に、左手に持っていた煙管をペン回しの要領で回す。こんなときに遊ぶなと呆れてしまうが、彼女にとってこの作戦は児戯に等しいのだろう。
銀の壁の向こう側から、複数の悲鳴が上がる。全員が地に伏せたのを確認した御影が右手を上げるのと同時に壁が消え、バレットのメンバーが戦闘不能になった敵へと群がっていった。
教会の玄関へと走り、大扉の横の壁に背中を押し付ける。御影の横に並び立ち、腰のホルダーから拳銃を取り出して左手に構えたレイフが、御影を見下ろして言った。
「ここから先は、貴様の苦手な室内戦だ。くれぐれも無理をするなよ」
「レイフの言う通りだ。あんたはもう十分役に立った。被害ゼロで相手の本拠地に殴り込めるなんて、なかなかないことだ」
リ・チャンファが御影をねぎらいながら、手早く煙管に詰めた葉に火をつけて、口にくわえた。ものすごい余裕だ。正直彼女のメンタルは、御影も見習いたいところだった。
短い会話を終えた後に、レイフがハンドサインで周りに合図をすると、近くの窓へと発砲し、ガラスを粉々に砕け散らせた。
その途端、割れた窓の隙間から、弾丸の群れが飛び出してくる。どうやら、そこから治安維持隊が突入したのだと誤認したらしい。
同時にリ・チャンファがチャイナシューズで教会の扉を蹴り倒し、御影たちは一気に教会内部へと侵入した。
玄関から入ってすぐのところがかなり広大な礼拝堂になっていて、木製の長椅子が並んでいる。その向こう側から向けられる銃口の群れに、反射的に体が硬直してしまった御影の体を、レイフが押しのけて前に出た。
複数の破裂音が上がり、気流を弾丸が切り裂いていく。自らが絶対に死ぬと直感したのと同時に、極薄の鏡が床から出現し、弾丸を全て跳ね返した。
「貴様の仕事は我々の後方支援だ。それを忘れるな」
「……ッ。悪い」
そこでようやく御影は我に返ると、大きく舌打ちを一つした。
やはり、戦場という空間に慣れていない。超越者二名の重介護だからこそどうにかなっているものの、これが一人だったらあっという間に死を迎えていた事だろう。四月一日とはまた、重圧と責任感がまったく違う。
「何してんだい! 置いてくよ!」
リ・チャンファが煙管を右手に御影とレイフを追い抜かし、靴の先で床を強く打った。その途端、有り得ない程軽やかに、彼女の体が宙を舞う。部屋の誰もが唖然と天井の方を見つめる中、彼女はローズピンクの光を纏って、太い梁の一つに着地した。
レイフが左手を軽く横に振る。鏡の壁から御影の前から消失し、と同時に、正面の敵があたかも上から強い力で押し潰されたかのように床に突っ伏していく姿が目に映った。
二人並んで、一歩足を踏み出す。左右斜め前から向けられた銃口に対し、御影は右手を持ち上げて振り下ろし、レイフは左手の拳銃を向けた。
青の粒子と共に空気が蠢き、右の敵を吹き飛ばす。レイフの銃から飛び出した弾は、驚くべきことに、敵の手にする武器に正確に当たって破砕していった。
甲高い悲鳴が上がる。そちらへと目を向けると、一昨日、エンパイア・スカイタワーの最上階で紹介されたララ・アーリックマンが、講壇の上で座り込んでいるのが見えた。
位置的に彼女を取り押さえるのは自分の仕事だ。そう判断した御影は、バレットが他のテスタメントメンバーの方へと走っていくのを確認しつつ、前方へと駆けだした。
レイフもまた駆け出し、すぐに御影の隣に並び立った。少し離れたところに、リ・チャンファが天井から降りてきた。
「……クソ!」
アーリックマンの隣に立っていた、かなりガタイのいい男(正直こちらが指揮官と言われた方が納得できる)が、何事か喚きながら御影へと銃を向けた。
即座にレイフが御影と男の間に割り込み。手のひらを天井に向ける形で右手を突き出し、人差し指を上に曲げる。
その途端、男の足元から極薄の刃が生えてきて、男の手にした拳銃を中ほどで両断した。
呆然と佇む男に肉薄し、両手を取ると、レイフは裂帛の気負いと共に男を床に叩き付けた。見事な背負い投げに一瞬見とれかけたが、御影はすぐに気を引き締めてその隣のアーリックマンの元へと駆けて行った。
「うわあ! うわぁあっ!」
一直線に自分の元へと向かってくる御影に、アーリックマンは両目から滂沱の涙を流して悲鳴を上げる。御影は思わず少し離れたところで立ち止まってしまったが、すぐに気を取り直して彼女に向かい叫んだ。
「投降しろ、ララ・アーリックマン! 部下に武装解除するよう命令するんだ!」
「嫌! 私は負けてない! 負けられない! でも殺さないで! お願い!」
「……マジかよコイツ」
彼女の顔面をぶん殴りたくなる衝動を、必死で抑え込む。仕方なく問答無用で取り押さえようと足を踏み出した御影に、右後ろあたりからリ・チャンファが話しかけてきた。
「御影奏多! そんな馬鹿は放っておきな!」
「いや、でも……」
反射的に、彼女の方を振り返り。
そして御影は、その場に硬直した。
『……ッ!』
空気が、動いている。それだけで、彼女の様子がわかってしまう。
目を離してしまった隙に、ララ・アーリックマンが懐から拳銃を取り出し、御影の方へと向けようとしていた。
迎撃。間に合わない。ならば回避。これも無理だ。完全に油断しきって棒立ちの状態。
『ドジった! 大馬鹿か俺は!』
刹那の思考の中で、御影は自分の愚かさ加減を罵倒した。
わかっていたはずだ。戦場では、僅かな隙が命取りとなる。なんとか周りに食らいつけていたことで、慢心したか。底なしの阿呆だ。
素早く、しかし体感時間としてはゆっくりと、後ろを振り返る。
銃口の冷たい輝きが目に映り、そして――。
「御影!」
「――――ッ!?」
叫びと共に、御影の体は強い力で突き飛ばされた。
直後に、視界の端に、あの極薄の鏡が映り込み、同時に銃声が響き渡った。
『レイフ!』
またもや、御影のへまをフォローしてくれたのだろう。あの鏡が見えたという事は、アーリックマンの銃もそれで防いだに違いない。
……その、はずだった。
御影が床の上から身を起こし、アーリックマンのいた方へと目を向けた、次の瞬間。
超越者序列二位、レイフ・クリケットは、右肩から血しぶきを迸らせ、その場に崩れ落ちた。




