第一章 日の当たるこの場所で-6
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時間は少し遡り、二三九九年、七月四日、夜。
中央エリアのとある建物の、地下。塗装がほとんどされず、コンクリートがむき出しになったその空間に、彼、キャメロンは縄でがんじがらめに縛られた状態で投げ出された。
受身もろくに取れず、キャメロンは床に側頭部をしたたかに打ち付けてしまい、うめき声を上げた。天井から下げられた白熱電球が、ちらちらと瞬きを繰り返す。彼は額からあふれ出る血を拭うこともできないまま、恐怖に顔を歪めて、自らを包囲する集団に叫んだ。
「どういうつもりだ! 裏切ったのか、お前ら!」
「それはこちらのセリフだ、治安維持隊の狗が」
地下空間の奥、錆びついた扉の向こう側から聞こえてきた女性の声に、キャメロンの顔が凍り付く。カツン、カツンと、ハイヒールが床を叩く音。
女の登場に、キャメロンを包囲していた者たちが、さっと二つに分かれる。彼らの格好はまちまちだ。黒のスーツに身を包んでいる男もいれば、Tシャツに短パンとラフな格好をした大学生らしき女性もいる。だが、彼らは共通して、こちらの正体を指摘してきた女性に崇拝の念を抱いているようだった。
「治安維持隊? 私が? 何かの冗談でしょう!」
「ハンフリー・キャメロン。タワー側の諜報員の一人。それくらいの調べはついている」
「何のことやらさっぱり――」
言葉の途中で、取り巻きの一人がキャメロンの腹部に靴のつま先をめり込ませた。
世界の色が反転したような感覚。吐き気が、胃の奥からこみ上げてくる。シルエットと化した周りの人間たちが、なお無言で見下ろしてくるのが純粋な恐怖を与えてくる。
彼女が言った通り、キャメロンは治安維持隊の諜報員。つい最近、テスタメントと接触することに成功し、下級構成員ながら内部に潜り込んだ。だが、それから数日もしないうちにこのありさま。情報を入手するどころか、無事に帰還することすら危うい状況だった。
コンクリート特有の茶の染みが、明滅する。靴に踏みつけられ、水たまりが跳ねる音がした。この場所が一体どういう場所なのか、キャメロンにはわからない。ただ間違いなく、外にここの音が漏れる事はない。必然、誰かが助けに来ることもないのだろう。
「地下活動を主としてきた我らテスタメントに手を触れたという事実だけでうぬぼれたか? こちらがあえてお前を受け入れたのだと、なぜ思い至らなかった?」
「……ッ!」
「情報管理とタワーが対立していることが功を奏した。ICCとの内通者が貴方の存在を知っていながら連絡を取り合っていなかったとは、やり方がお粗末すぎる。……芋づる式で、こちらとしては好都合でしたが」
胃液が逆流し、口の端からこぼれていく。匂いがきついのか、女が苛立たし気に舌打ちする音が聞こえた。彼女自身は暴力に慣れていないのだろう。
滑稽な話だ。だが、滑稽と言うなら、喋り方も移ろうような素人相手に拘束されている状況そのものが滑稽だと言わざるをえないだろう。
「銃を」
女の声に、包囲網を築いているうちの一人が歩み寄る。彼女に拳銃が手渡されるのを気配で感じ取りながら、キャメロンは口元を緩めた。
それに女が目ざとく気づき、胡乱気な声を上げた。
「何がおかしい?」
「いいや。育ちのいい女が、精一杯悪役ぶってる様は、なかなかに面白――」
発砲音が地下空間に木霊し、弾丸がキャメロンの右足脹脛に突き刺さった。
文字通り手負いの獣の咆哮を上げて、苦悶に顔を歪める。一瞬意識が白の光の中をさ迷い、彼は歯を強く噛みしめて、何とか現実世界に踏みとどまった。
銃創から血がほとばしり、服にじわりじわりと染みていくのがわかる。急速に、全身の力が抜けていく。その場を転げまわったためか、いつの間にかキャメロンの体にはヘドロのような湿った泥がまとわりついていた。
「喚くだけ喚いてろ。お前の命は、ここで終わる」
「……殺す、か。だが……いいのか? タワーが動くぞ」
「アカウントナンバーによる位置情報閲覧か。確かにその権限は、非常に厄介だ。だが、私たちがそれを想定していないとでも思ったか」
「何?」
「お前はこう思っていたのだろう。内部に潜入した時点で、治安維持隊の勝利だと。エイジイメイジアにおいて、人間の行動は全て記録されている。たとえ殺されたとしても、それを隊が閲覧すれば、テスタメントの拠点は特定されると」
女がハイヒールの踵で、キャメロンの体を転がし、上に向ける。照明の明かりに一瞬目を瞑ったが、次の瞬間額に銃口を突きつけられ、彼は大きく目を見開いた。
「だが残念だったな。お前は撒き餌だよ。お前が通された施設は全て、我々がかつて放棄したものだ。治安維持隊が突入すれば、仕掛けられた爆薬が爆発する仕掛けになっている」
完全にこちらの上を行ったと宣言されたわけだが、残念ながらキャメロンの心中はそれに倍する驚愕に塗りつぶされていた。
女の顔に、見覚えがある。いや、見覚えがあるどころの騒ぎではない。テスタメントを率いているのであろうその女は、ある意味でありえないレベルの大物だった。
「待て! お前は……!」
「さようなら、ハンフリー・キャメロン」
そして、拳銃の引き金が引かれ。
額に鋭い痛みが入るのと同意に、彼の意識は銃声の届かない暗闇へと飲み込まれた。
※ ※ ※ ※ ※
――そして翌日。七月五日。午後三時すぎ。
エンパイア・スカイタワー最上階の会議室。治安維持隊のトップたる将官たちが座る円卓に、とある男の声が響き渡った。
「とまあ、そんな感じで、『私』は殺されました」
「ご苦労だった、ハンフリー・キャメロン中尉。戸籍の変更はまた後でな」
戸惑いにあんぐりと口を開けた御影と、相も変らぬ無表情なレイフの視線の先で、治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガンは満足げに頷いていた。
報告を済ませたハンフリー・キャメロンと名乗った男が、ヴィクトリアのねぎらいに軽く頭を下げる。元帥の後ろ、アッディーンの隣に立つ彼を見つめながら、超越者用の椅子に座るレイフの後ろに立っていた御影は、少し前かがみになって、レイフの耳に囁いた。
「ええっと? 俺の鼓膜が正常なら、アイツ、自分が死んだとか言ってたんだけど?」
「『感覚共有』。キャメロン中尉の能力名だ。先に言っておくが、貴様には気に食わない話だと思うぞ」
「いい。続けてくれ」
御影の促しに、レイフは腕組みをすると、椅子の背もたれに体重を預けた。
「当たり前だが、潜入捜査官の育成は非常に困難な上に、潜入が失敗し殺されることも珍しくない。だが彼は、使い捨ての潜入捜査官を量産することを可能としている」
「使い捨て? 感覚共有という名前から察するに、自分の意識を他人に移植できる感じか?」
「半分正解だ。彼の能力が可能とすることは二つ。一つは、ある人間と感覚を共有すること。二つ目は、己が身に着けた感覚を、他人に受け渡すことだ」
「つまり……自分が身に着けたスパイとしての技術を他者に受け渡し、かつその人間が体験していることをリアルタイムで共有できる?」
「そういうことだ。もちろん、限界はあるがな。今回テスタメントに潜入した『キャメロン』捜査官は、元死刑囚。最初から殺されることを前提で送られた捨て駒だ」
「気に食わねえな」
「だから言っただろう。反逆でもしたくなったか?」
「腹立たしいことに、理性では受け入れられる。それに、ここで全てを台無しにするほど馬鹿じゃない」
「それは何よりだ。今貴様と対立することは、私としても本意ではない」
「……そりゃどうも」
感覚繫がりではないが、レイフの刃に左肩を貫かれたときに体感した激甚な痛みを思い出し、御影は少し顔を青ざめさせた。
当たり前の話だが、レイフ・クリケットとは現在共闘関係にあるにすぎない。評議会と治安維持隊の仲がこじれれば、彼とまた対峙する未来だってあり得るのだ。もしそうなったら、いろんなものをかなぐり捨てて全力で逃げるつもりだが、正直逃げられるかどうかも怪しい。
もちろんレイフも脅威だが、この円卓には他の超越者の皆さんもいる以上、妙な真似をすれば御影の命など秒で吹き飛ぶことだろう。御影は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、レイフの横の席へと視線を巡らせた。
途端、個性豊かな格好をした超越者たちの姿が視界に飛び込んできた。
上下ライダースーツに、室内なのにサングラスを外さない、灰色の髪をした男、マイケル・スワロウが、顔を天井に向けて盛大ないびきを上げている。この列島原住民の伝統衣装だったという赤の着物に身を包んだ女性、八鳥愛璃は、長い刀を抜き身で取り出し、ガラス張りの壁から差し込む朝日に照らしてご満悦の様子だった。
もう一人、紺色のチャイナドレスを着た妙齢の女は初めて見るが、彼女も超越者の一人と見て間違いないだろう。レイフ・クリケットや第一位といった超有名どころとは異なり、名前は一般に知られていない。だが、それで彼女の実力がないと言うことはできないだろう。
御影の視線に気がついたのか、彼女は火のついた煙管から一度口を離すと、こちらに微笑みかけてきた。何となく気まずくなって視線を前に戻した御影に、レイフが淡々と言った。
「彼女の名前は、リ・チャンファ。超越者序列六位で、我々四人の中では最年長だ」
マイケル・スワロウが一瞬で目覚めて全力で顔を伏せ、八鳥愛璃は手にしていた刀を円卓の上に取り落とし、近くに座っていた将官に悲鳴を上げさせた。
リ・チャンファの笑顔が、一瞬で怒りのそれへと変貌する。あまりのことに凍り付く御影をよそに、レイフは飄々とした態度を崩そうとしなかった。
「ああ? 今なんて言った、レイフ?」
「事実だろう。それに、歳はともあれ、貴様の美貌がそれなりである事実は変わらない」
「それなりだあ!?」
「まあ最近は、八鳥愛璃に負けてきてるが」
「そ、某にとばっちりが!? 素直に嬉しいが、時と場所を選んでいただけないか、レイフ・クリケット大佐!」
「俺はノーコメントな! また体重二百キロ増量プレスとかごめんだからな!」
治安維持隊の頭脳とも言える円卓が、あっという間に小学校の教室のような喧騒に飲み込まれた。
テスタメントの対策を練っていた将官方が、一様に顔をしかめて、なぜか御影のことを睨みつけてきた。慌てて救いの目をエレベーターの傍に立つ実質的上司、ルークの方へと向けると、腹を抱えて笑っていらっしゃった。その隣に立つ秘書も同じ。嫌な予感がして円卓の上座を見たら、ヴィクトリアも同様だった。それでいいのか、治安維持隊元帥。
最後の望みを託す形で、彼女の後ろに立つ巨漢へと目を向ける。元帥直属の部下である彼、ザン・アッディーンは深々とため息を吐くと、わいのわいのと騒ぐ超越者軍団を睨みつけた。
「いい加減にしろ、貴様ら」
「いや、元はと言えばクリケット大佐が悪いだろう!? 違うかい?」
「黙れチャンファ。八鳥とスワロウもだ。それ以上騒ぐようなら、全員まとめて処断するぞ」
「……ほう。これはまた大きく出たな。某を処断か」
空気の質が、がらりと変わる音がした。
自分の全身から血の気が引いていくのを、御影は知覚した。
手足が軽く震えるのがわかる。それを必死で押さえる御影の視線の先で、八鳥愛璃は円卓に置かれた刀を手に取ると、ゆっくりとした動作で刀を腰の鞘に納めた。
「会議の場を乱したことは謝罪しよう。だが、某を処断するなど、軽々しく口にしないことだ。たとえ貴殿といえどな、ザン・アッディーン元帥補佐官」
「随分と身勝手がすぎるな。治安維持隊に逆らうか?」
「超越者に選出された際に、伝えたはずだ。某は治安維持隊に忠誠を誓っているわけではない。貴殿らに従っているのは気が向いたからだ、という表現が正しい。だが、もし仮に、貴殿らの行動が某の意に反するものであった際は……」
八鳥愛璃は親指で刀の鍔を押し上げ鯉口を切ると、その表情を凄絶な笑みで彩った。
「果し合いだ。たとえ治安維持隊を敵に回したとしても、某はその状況を『楽しむ』ことができるだろう。それを肝に銘じておけ。円卓の将官も含めてだ」
彼女の一方的な宣言に、円卓の何人かが顔をしかめる。御影は半ば呆然自失で、不敵な笑みを浮かべる八鳥愛璃の横顔を見つめた。
様々な場面でハッタリをかましてきた御影にはわかる。彼女は本気だ。本気で、治安維持隊に対立しても構わないと、他の超越者がいる円卓という場で宣言してのけた。
超越者は変人曲者ぞろいという噂は、レイフと行動することで嫌というほど思い知らされてきたが、これはそれどころの騒ぎではない。むしろ、噂以上だ。
考えてみれば、超越者はこの世界で最も強い生命体だ。人間を超えた人間兵器の完成系であり上位個体。彼らは文字通り、地位など関係なく、人の上に立つ存在だった。
本来、そんな化け物を、曲がりなりにもまとめているという状況それ自体が異常なのだ。そういう意味では、ヴィクトリアの手腕はすさまじいものといえるだろう。
「いやあ、悪い悪い。これは私の不手際だ」
緊張に満ち満ちた広い会議室に、ヴィクトリア・レーガンの朗らかな笑い声が響き渡った。
円卓の視線が、上座の元帥の方へと集中する。彼女は心底おかしそうに肩を揺らしながら、両目に涙を浮かべて続けて言った。
「戦闘専門のお前に、会議に出ることを強いたのがそもそも間違いだったな。つまんないだろ?」
「否定はしないが、某も少々戯れが過ぎた。改めて、会議を中断したことは謝罪しよう」
八鳥愛璃はそう言って、ヴィクトリアとは逆に笑みをひっこめると、キン! と鋭い音を立てて刀を完全に収めた。
それに合わせるようにして、リ・チャンファが何事も無かったかのように煙管をくゆりだす。レイフは終始彫像のように動かなかった。唯一、人間らしい所を見せたのがマイケル・スワロウで、彼は疲れたように肩を落とすと、円卓に上体を預ける形で潰れてしまった。
御影としても、ようやく緊張の糸がほどけた感じだった。基本部外者なのに、どうして胃が痛い思いをしなくてはならないのか。ヴィクトリアの力量あってこその治安維持隊であることはわかるが、もう少し部下の管理をしっかりしていただきたかった。
「さて。話を元に戻そうか。フェリシアン少将」
「はっ!」
歯切れのいい返事と共に、ヴィクトリアの横の席に座った男が立ちあがった。
見た目の印象はかなりいい。少し茶色がかった髪は所々跳ねているが、ファッションであることが素人目にもわかる。細身の精悍な顔つきで、どちらかといえば小柄だ。さらに言えばかなり若い。もしかしたら、前に顔を合わせた、ケース・ニーラントという名の少将よりも下かもわからなかった。
そういえば、あの特徴的な紺の制服を着たニーラントが見当たらない。元帥の席を挟んでヴィクトリアと反対側の席へ目を向けると、これまた見知らぬ女性が座っていた。
いや。まったく見覚えがないわけではない。彼らは、ケース・ニーラントと、アーペリ・ラハティという初老の男の次に元帥に近かった二人だ。人の顔と名前は覚えられない自覚があるが、流石に最側近は覚えておくべきかと思っていたのだが、大規模な人事の移動でもあったのだろうか?
「なあ、レイフ」
「ニーラント少将は更迭されたわけではない。彼は今、情報管理局の指揮に尽力している」
話しかけられただけでこちらの疑問を理解し、的確な答えを返してきた。以心伝心、というほどでもないのだろうが、こうも話が進みやすいと逆に気持ち悪い。
「だがラハティは……む? どうした、御影奏多? 体調を崩したか?」
「いや。何でもない」
苦笑する御影の顔をレイフはしばらく不審げに見つめていたが、すぐに周りに迷惑をかけない程度の小声で続けた。
「ラハティ中将は急病で引退した。性格はともかく、能力はあったのだがな。それなりに」
「お前はいつも一言多いな」
適当に返しながら、御影は胸中に立ち込め始めた暗雲を振り払うように、勢いよく首を振った。だが、どうしても一抹の不安はぬぐい切れない。テスタメントとの決戦が近い以上、治安維持隊には万全の状態でいてほしかったのだが。
やはり、七月一日にタワーに姿を見せたという、AGEのメンバーが関係しているのだろうか? 詳しい話はぼかされてしまったが、正直彼らには悪い印象しかない以上、何事も無く終わったとは考えづらいというのが本音だった。
「私、フェリシアン・ル・コントから、本件についての詳細な報告をさせていただきたいと思います。キャメロン中尉は、何か間違いがあったら訂正してくれ」
「了解しました」
ヴィクトリアの後ろで、キャメロンが軽く頷く。キャメロン本人が引き続き報告すればいいとは思うのだが、そこらへんは色々と面倒な大人の事情というやつが絡むのだろう。
フェリシアンは首のあたりまで伸びた髪を撫でつけると、眼前にホログラムウィンドウを出現させた。一瞬遅れて、円卓の面々の前にもウィンドウが出現する。律儀なことに、レイフが自らのウィンドウをコピーした物をこちらに滑らせてきた。
右手を出して、ウィンドウを受け取る。実体は無いはずなのに、確かに触った感触があるのが、四月一日を越えた今となってはかなり気持ちが悪かった。
「前述のとおり、五月四日の深夜、二日にテスタメントへの潜入を成功させた『キャメロン中尉』が殺害されました。潜入成功時から危惧されていたように、彼らはこちらの動きを事前に把握していました。中尉の位置情報は、あてにするべきではありません」
「あー、ちょっといいか? 質問なんだが」
先ほどの超越者のゴタゴタ騒ぎで完全に目を覚ましたマイケル・スワロウが右手を上げて、だらしなく振る。何人かが不快そうに顔をしかめたが、それは数人だった。
「位置情報はあてにならないっていっても、敵はそれで罠をしかけたつもりなんだろ? こちらがそれに嵌らなければ、意味がないんじゃないか?」
「当然の疑問ですね。テスタメントが用意した偽の拠点には、非正規部隊を向かわせました」
「非正規部隊、ね。傭兵じゃないよな。となると……潜入した『中尉』と同じ奴らか?」
「その質問には返答しかねます」
「オーケー、オーケー。問題ないよ。気に食わないけどな」
スワロウは吐き捨てるようにそう言って、サングラスを中指で持ち上げた。
御影としては、彼に全面的に同意ではあったが、レイフに言ったようにここで荒事を引き起こすつもりはない。ある程度の利不信を飲み込むぐらいの覚悟はできている。
その、つもりだ。
「では、話を続けさせていただきます。潜入捜査官が死亡するまでに、キャメロン中尉は二つのことを確認しました。一つは、彼らが我々の仕掛けた罠にはまったこと。二つ目は、彼らを率いるリーダーの正体です」
「そいつは上々。期待以上の成果だ中尉」
ヴィクトリアの直接のねぎらいに、キャメロンは軽く頭を下げる。
一瞬、フェリシアンの表情が消えたが、すぐに仕事用の顔に戻った。色々と面倒なことだと、御影は思った。
「治安維持隊の仕掛けた罠については、私ではなく彼女から説明していただきましょう。ジゼル・カスタニエ少将」
「はい」
ヴィクトリアの左隣にいた女性が腰を上げる。ヴィクトリアよりも年は上か。耳にはかなり大きな真珠のイヤリングをし、髪はやたらとウェーブしている。周りと比べても恰幅がよく、正直御影の好みではなかった。
「武器庫三社と我々治安維持隊はある程度情報共有をしていました。最終的には我々に潰されましたが、彼らの情報網によると、ここ一年で火器の一定数以上の購入はありませんでした。テスタメントが大規模な活動をする際には、必ず銃が必要になります。可能性は二つ。一つは、裏社会の『大手』を避け、慎重に武器をため込んでいた。二つ目は、直前まで足がつかないよう武器の購入を控えていたことです」
「裏社会からの情報提供も限られてる。どちらだろうと悪くない選択だ」
「ですが、今回後者であることが発覚しました。先日、ある会社がテスタメントに銃器を提供しましたが、彼らは治安維持隊の息がかかった組織です。提供されたのはいずれも粗悪品。さらに一部には、発信機もしくは盗聴器が取り付けられています」
「そして、潜入捜査官を殺した銃が、まさにそれだった。喜ばしい事だな、諸君。これで彼らの所在は我々に筒抜けだ。スパイを殺した以上、彼らも油断しきっているだろう」
ヴィクトリアの言葉に、円卓の何人かが拍手をした。将官たちの表情も、かなり明るい。御影としても、過程はどうあれ、こちらの思惑が上手くいっていることは歓迎できた。
何せ、もし仮に、こちらの予想が正しいなら――。
「ありがとうございました、ジゼル少将。では、最後に、敵の正体ですが……これは、写真を見ていただいた方が早いでしょう」
フェリシアンがそう言うのと同時に、ウィンドウにとある女の写真が映し出された。
御影の知らない顔だった。だが、そんな彼でもその女が相当『ヤバい奴』であることが一目でわかった。人格云々というよりは、立場がまずい。大スキャンダルと言っていいだろう。
ダークグレーのスーツに、明るい口紅。化粧はかなりしているが、濃いというよりは上手いという表現の方が適切なように思われる。複数の記者に囲まれた彼女の背後には、政治の中心地、公理議事堂の威容が映し出されていた。
「ララ・アーリックマン。現職の公理評議会評議員である彼女が、テスタメントの指導者です」
将官たちのみならず、御影、超越者も含めた円卓周りの全員の視線が、エレベーター近くの窓にもたれかかる白スーツの男へと集中した。
ルークはしばらくホログラムを見つめていたが、やがてこちらの視線に気がついたのか、大げさに肩を竦めた。
「何だいその目は? 私を責めてるような感じだね」
「人が苦労している所に新たな火種をぶちこんでんじゃねえよ! こりゃ明らかに評議会側の失敗だ! 言い訳は用意しているんだろうなあ!?」
「おいおい。君は評議会側だろうに」
「いろいろと不本意だッ!」
御影の言葉に、何故か円卓の皆さんが心から同意すると言った調子で大きく頷いてきた。ヴィクトリアはというと、彼女にしては珍しく顔をしかめていた。
レイフはわずかに身じろぎをすると、やや疲れたような調子で言った。
「驚いた。ララ・アーリックマンと言えば、七年前のグラウンドフェイス立てこもり事件の被害者であり、治安維持隊に救出された張本人だ」
「だが、思想はどちらかと言えばアウタージェイル寄りだった。これは、あの事件がそもそも、アーリックマンとテロ組織が結託して起こしたものである可能性もでてきたな」
ヴィクトリアもまた、心底忌々し気なうめき声を上げる。彼女は温和に佇む長身の金髪銀縁眼鏡白スーツを睨みつけると、続けて言った。
「お前の部下がいみじくも指摘したように、こりゃお前の責任だ」
「私の? 馬鹿なことを言わないでくれないか、ヴィクトリア。私は特別少年調査班班長。評議会の一下部組織の長にすぎない。こんな大きな事件の責任はとれないよ」
「ただの構成員なら、そもそも円卓に来ることすらできないだろうが、この詐欺師」
元帥の発言には百パーセント同意だったが、ルークの言わんとすることもわからなくはない。彼はかなり上手い立ち位置にいるのだろう。ただ、評議会に責任があることもまた事実だった。
御影の視線に気がついたのか、彼は顔を引き締めると、左手を上げて隣に立つアリス・ヴィンヤードに呼びかけた。
「ヴィンヤード。説明を」
「何のですか?」
「……何だって?」
予想外の反応だったのか、ルークが唖然とした表情でアリスを見つめた。あの飄々とした態度を崩したことのないルークが動揺する様は、御影のみならず、円卓の人間にも大きな衝撃を与えたようだった。
あらゆる事象に無感動なように見えるレイフもまた、眉をひそめている。やがてルークは気を取り直すように咳ばらいをした。
「今回の件は……」
「秘書に説明させるんじゃなかったのか?」
「ちょっと黙れヴィクトリア。今回の件では、野党が解党され、現内閣が退陣することになるだろう。そもそも支持率が低下していたからね。トカゲの尻尾切りとしてはいい機会だ」
下級構成員さんはさらっと自組織のトップの首を切ると宣言すると、目を細めて鋭い視線をヴィクトリアに突き刺した。
「だが、これは私としても最大の譲歩だ。ララ・アーリックマンのアカウントナンバーも提供できない。彼女にばれてしまうからね。私たちにできるのは、報道機関の統制及び世論の誘導、本作戦に大義名分を与えることまでだ。そして、協力関係を結ぶ上でこちらが出した条件は守ってもらおう。御影奏多が今件の解決に貢献することにより、四月一日の事件は『嘘』になる」
ルークに向けられていた視線が、一斉に御影の方へと移動した。
隠しようのない緊張が、波となって御影の全身にぶつかってきた。両の手のひらから汗が噴き出してくるのを止められない。自らの体が石となり、砕け散っていくかのような感覚に襲われた。
「御影奏多」
不意に、下から呼び声が聞こえた。前の椅子に座った、レイフ・クリケットと目が合う。彼はいつもと変わらぬ静謐な瞳で、御影の事を見つめていた。
彼が伝えたいことは明らかだ。『落ち着け』と。敵である御影に対して、そう言っている。
『……まったく』
励まされたという事実よりは、そのタイミングと方法があまりにも適切すぎるという事実それ自体に脱力してしまう。
この男は、いつだって正しい。正しさしかない。詳しいことは知らないが、ボクシが激昂していた理由も、少し、わかるような気がする。
理屈ではないのだ。
ただ、相棒としてはこの上なく頼もしいというのも、また事実だった。
顔を上げる。将官たちの視線。超越者たちの威圧。そして何よりも、上座に座るヴィクトリアの目をまっすぐに見据える。
ヴィクトリアの唇が、弧を描いた。
「敵が行動に移るのは明後日。七月七日だ。アウタージェイル掃討作戦から七年。色々と重なってる記念日に、盛大な花火を打ち上げるつもりなんだろう」
掃討作戦という単語が出た瞬間、円卓を支配する雰囲気が、がらりと変貌した。
マイケル・スワロウが犬歯をむき出しにし、八鳥愛璃は先ほどと同種の笑みを浮かべる。対照的に、リ・チャンファは煙管をはなして口を引き結び、レイフ・クリケットは相変わらずの鉄仮面だった。
円卓の面々も反応はそれぞれだ。どちらかと言えば若手と言える者達は緊張に顔を彩り、古参は何かを覚悟するような静かなプレッシャーを放っている。
ザン・アッディーンが丸太の如き太さの腕を組む。それに反応するかのように、ヴィクトリアは楽し気に肩をゆらし、御影をまっすぐに見つめ返してきた。
「こちらが動くのもまた七月七日! その明朝! 奴らが動く寸前、現行犯で全員を捕縛、あるいは排除する! 主力は超能力者三名と特殊部隊バレットの混合部隊だ!」
岩を鞭打つが如き、鋭い叫び声。
ヴィクトリアは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がると、右手をまっすぐに突き出した。
「超能力者のメンバーは、超越者から二名、リ・チャンファとレイフ・クリケット! 残り一名は、現在クリケット大佐の配下にあたる……御影奏多。お前だ」
まさかの指名だった。
後ろで、ルークがヒョウと口笛を鳴らす。御影としても、これは予想外の事態だった。
せいぜいが後方支援かと思いきや、いきなりの前線投入。レーガン元帥に限ってこちらを買いかぶっているということはないのだろうが、それでも異例中の異例だ。
あまりのことに、円卓がざわついているのがわかる。あからさまな敵意の視線。次元は違えど、今まで何度も味わってきた物だった。
だがいい加減、それを受け止めるべきときが来たようだ。
「了解しました」
極めて端的な、参戦宣言。
喧騒に包まれていた円卓が、途端、沈黙する。そのうちの何人かは、信じがたいものを見るような目つきでこちらを見ている。
御影奏多は未熟者だ。それは客観的な事実であり、不可避の現実だ。
だが隣には、超越者、レイフ・クリケットがいる。
少なくとも彼が前を向いている限りは、進み続けなくてはならない。それが、あの日彼の手を握り返した、御影奏多の責務だった。
※ ※ ※ ※ ※
こうして、賽は投げられた。
ルビコン川は、遥か後方。
テスタメント。リベレイター。そして、ボクシ。ありとあらゆる不確定要素をはらんで、不可逆の歯車が回りだす。
組織と組織、個人と個人がぶつかり合う戦争の開幕が、ここに決定された。




