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Memory 2


Memory 2



 柔らかな日差しが、少年と少女を包んでいる。


「おーい、エボ! 早くこっちに来なよ!」


 彼は幼い顔を快活な笑みで彩り、後ろを振り返って大きく手を振った。


「ちょっと、待ちなさいよ!」


 慣れないスカートに足をとられながらも、必死にこちらへ駆け寄ってくる、黒褐色の肌をした少女を見て、彼は体を震わして笑うと、そのままあたり一面に広がる野原を駆けて行った。


 昨日の雨が、背の低い草むらに滴として付着している。彼はそれを二つの小さく華奢な足で蹴散らしながら、ただひたすらに走り続けた。地面を蹴るたび、靴に露がしみ込んで、靴下が湿っていった。


「コラー! 何でスピードを上げるのよ。まだこの格好に慣れてないし、この服は遊ぶときに着るものじゃないのよ!」


「いつもズボンの癖に、いきなりスカートなんか履くから、走るのにも苦労しているんだよ。ほら、早く追いついて」


「人の苦労も知らないで……! 女の子の悩みもわからない男とは付き合う価値はないって、お母さんが言っていたんだからね!」


「え? どうしてそれが女の子の悩みだと言えるの? 確かにここらへんじゃあまり見かけないけど、北の方では伝統衣装で男の人もスカート着るよ?」


「そういう問題じゃない!」


 騒々しく声を張り上げあいながら、彼らは無邪気に公園中を走り回った。彼がケラケラと笑い声を上げながら逃げ回り、それを母親とそっくりな鬼の形相をしたエボニーが追いかけていく。


 しばらく時間が経過したところで、エボニーが派手に毛躓き、草原に顔面から綺麗に倒れて、トマトを潰したような湿った音をたてた。


「わ、大丈夫?」


 突然のことに驚きと気遣いとが半々の声を上げて、彼は体を反転させると、エボニーの方へと歩み寄ろうとした。だが、ゆっくりと顔を上げた彼女の姿を見て、彼は思わず顔を引きつらせてその場に立ち止まってしまった。


 羞恥の心からか、エボニーの顔は耳まで赤く染まっていて、その赤よりもさらに赤い血が二筋、鼻から流れ出ててきていた。着ていた藍色のきめ細かな布地の上着と、萌黄色のスカートとは、土と草まみれになっていて、なんだか全体的に目も当てられないような有様だった。


 エボニーは上着の袖で鼻の下を拭うと、彼のことを睨みつけてきた。ちゃんと拭けなかったのか、結果として顔中血まみれになっていて、彼は初めてお化け屋敷に入ったとき以来の悲鳴を上げそうになるのを、友人としての気遣いで何とか堪えた。


「うー! カナタのせいだ!」


「あー、悪かったよ……って、その姿で飛びかかってくるな!」


 自分より背の高い女の子に本気で恐怖しながら、彼は脱兎のごとき勢いで逃走をはかったが、怒りのあまりなんだかいろいろ覚醒しちゃった彼女にすぐに取り押さえられて、そこから先はルール無用の滅茶苦茶な掴みあいとなった。


 勢いのまま二人は草原に倒れこみ、転がりながら取っ組み合いを続けた。天と地が互い違いに入れ替わっていき、草の葉から滴が飛び散って、雲ひとつない青天井を背景に、刹那、昼の星となって輝いた。


 その光景にふっと彼の意識が吸い込まれた瞬間、黒褐色の腕が蛇のごとくするりと首にまわされ、女性のそれとは思えない強烈な力で締めつけてきた。


「うわ! うっわ! ちょっと待って、苦しい苦しい!」


「知ってるわよ」


「いや、知ってるわよって……知らないだろ! やめて、本気で死んじゃうって!」


「え、嘘!」


 やっとのことで解放された彼は、軽くせき込みながら地面に大の字に寝転がった。


 空が、青い。どこまでも広く、どこまでも深く、見上げているだけで、あたかも自分の体が重力に逆らい、上方へと落下しているかのような浮遊感に襲われた。


 そよ風が草原を波打たせ、緑の大海原へと変容させる。暖かな気流が御影の全身を撫でていき、頬の水滴が口元へと転がって、彼の唇を濡らした。


 何とも言えないけだるさが不意におそってきて、彼は思わず目を閉じた。昼寝日和だな、と、彼はぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。


「いや! やめて! 死なないで、カナタ!」


 ……あー。おもしろいな、これ。


 彼はそのままくたりと力を抜くと、草原にその身を委ねた。

 エボニーの両手が、痛いほどの力でこちらの肩を握り、二、三度体を揺らしてきた。それでもなお彼が相変わらず無反応でいると、今まで聞いたこともないような、悲壮感漂う声が彼の耳に飛び込んできた。


「嫌、嘘、嘘よ……。ねえ、カナタァ……。ウェ……ヒック……」


 あ、マズイ。泣き出した。


「ウワアァ! 死んじゃイヤァ! カナタァ!」


「うわあぁ! 死んでないよ! 僕は大丈夫!」


 彼は慌てて起き上がると、天と仰いで泣き喚くエボニーの体を両手で包み込んだ。

 ふわりと、鼻腔に花のそれのような香りが広がった。香水だろうか? そんなものをつけるなんて、エボニーらしくないが。


 抱き着かれた瞬間、エボニーはスイッチを切ったかのように泣き止むと、視線をこちらに落としてきた。目が合い、彼がそのうるんだ瞳にぎこちない微笑みを投げかけると、彼女は突然顔を引きつらせて叫んだ。


「死体が動いてる! ゾンビだぁ!」


「いやどうしてそうなるの、エボ!」


 その後、今度は悲鳴をあげて逃げ回るエボニーを彼が追いかける形となり、何とか彼女を取り押さえ、自分が死んでないことを納得させて、ただの悪戯であることを告げたところ、彼はバで始まる言葉と共に顔面に本気の拳を叩きこまれた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 ……結果として、鼻血を出している小学生がもう一人増えた。



「カナタのバカ、バカ、バカ……」


「ごめん」


 憮然とした表情の彼女に、彼女がずっと小さいころからの腐れ縁である御影奏多は、それなりに反省した顔で何度目かの謝罪をしてきた。


 全体的に線の細い体つきで、どこか華奢な印象を受ける少年だった。彼は猫っ毛の黒髪を風に靡かせながら、女の子のように端正な顔を歪ませて、彼女の横に体育座りをしていた。


 対する自分は、この地方には珍しい黒褐色の肌をしていて、さらにカナタよりも背が高い。父親が黒人で、母親がエイジイメイジアの原住民である影響からか、長く伸ばした髪には御影ほどではないにしても癖が少なく、手入れはだいぶ楽なほうだった。


 彼女は思わずため息を吐くと、両手で顔を覆い隠した。カナタにからかわれていたこともそうだが、それに騙されていた自分にも腹が立つ。自分はもう十歳で、明日には『謁見』を受けることになる。つまりは、彼女はもっとしっかりとした『大人』にならなくてはいけないということだった。


 彼女はゆらりと顔を上げると、目をきつく尖らせて、隣に座るお調子者を睨みつけた。

 ありとあらゆる方向に目を泳がせ、「今日は天気がいいなあ、エボ!」などと強引かつベタすぎる話の転換をはかる馬鹿に、彼女は叱るときの大人の口調を心がけつつ、静かに話しかけた。


「もう死んだふりしない?」


「しないしない!」


「そう。次やったら、本当に死ぬような目にあわせるから」


「ついさっきホントに死にそうになったよね、僕! いや、その後のは演技だったけど!」


 彼女は御影の苦言を無視してその場に立ち上がると、自分の服を見下ろして思わずため息を吐いた。野原を二人で転がりまわったことで、服の状態がさらに悪化していた。全体が泥によって薄茶色に変色し、草の葉に混じって、様々な植物の種がひっついている。


 このまま一週間ほど野外に放っておけば、美しいリーフグリーンの塊と化することだろう。せっかく親が用意してくれた『謁見』用の服が無残な有様だった。


「カナタのせいで、明日の服が台無しだよ。遊ばずに、カナタに見せるだけっていう約束で着てきたのに……」


「服を汚したのは悪かったけど、服装は『謁見』に関係ないからいいんじゃないかな。エボ足長いから、ジーンズの方が似合うし」


「……そう、かな」


「うん、そうだよ」


 自分が加害者であることも忘れて、ニパァ、と満面の笑みを浮かべる悪友に、彼女は再び諦めのため息を吐いた。


 思えば、カナタはいつもこうだった。人のことをからかい、悩ませるようなことばかりして、叱られても数秒後にはけろりとしている。勝手気ままに、好きなことをして生きているという感じだ。今だってカナタは彼女を放ってぼんやりと空を見上げ、自分のことも、そして明日のこともまったく気にしていないようだった。


「相変わらず、のほほんとしているね。カナタはどうしていつも通りでいられるの?」


「いつも通りじゃいけないの?」


「いけなくはないわよ。でも、明日にはもう『謁見』なんだよ。少しは緊張しないの?」


 現在、二人の住む世界、エイジイメイジアの総人口は一億人強。その一億人は、二つのカテゴリに分類することができる。


 超能力者と、非超能力者。


 非超能力者とは、いわゆる一般人のことだ。身体能力、記憶能力などといった、人間に元から備わっている能力に加え、専用の機械を使用することで実現するホログラムの生成、多人数の人間により、ある一定区域における行動の『ルール』を決めるフィールド条件設定などといった、能力世界の誕生とともに新たな能力を手に入れた者たち。とはいえ、一般人には実際に世界の法則を変えたり、自然の力を操ったりなどといったことは不可能だ。


 だが、その不可能を実現してしまうのが、もう一つのカテゴリ。人類の基本能力に加え、とある一つの分野において、絶大な力を行使することを可能とした者たちがいる。


 それが、超能力者だ。


 電撃を自在に操る。不可視の隔壁を作りだす。有機物の炭素構造を変形させる。

 そういった、まさに夢のような力を、超能力者は有していた。


 能力世界において人類が新たに手にいれた超能力という力と、従来の能力との差は、それこそかつての人類と他の動物との差に匹敵するほどに大きく、十数年前までは超能力者以外の一般人は『無能力者』であると揶揄されていたほどだった。なお現在は、『無能力者』という単語は、差別的かつニュアンスが現実とそぐわない(前述のとおり、一般人にも基本の能力は存在する)ため、その使用を公理評議会により禁じられていた。


 では、超能力者を超能力者たらしめるものとは何か。


 答えは単純明快で、ただ純粋に個々の資質だ。どんなに努力しても、もがいても、非能力者は超能力を手にすることはできない。才能のある者だけが、超能力を手にすることができる。


 そして、その才能を判定する『謁見』の日は、もう明日にまで迫ってきていた。


「いよいよ明日なんだよ。明日の『謁見』で全部決まっちゃうんだよ。確かにカナタは、のほほんとしていて、人の服汚したこともすぐに忘れちゃうほどのバカで……」


「ねえ、エボ。だんだん、ただの僕に対する文句になっていない?」


「のほほんとしていて、つまりはのほほんとしているわけなんだけど、なんでそんなにのほほんとしていられるの?」


 御影は何とも微妙な表情になってしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げ、彼女のことを見つめた。


「ええと、僕が何でのほほ……緊張していないのか、だね? そんなのは簡単さ」


 御影はごろりと草原に寝転がると、頬を風に揺れる草にくすぐられて相好を崩した。


「緊張する理由がないからだよ。僕がメディエイターに超能力者として選ばれないなんてことは、絶対にありえないんだから」


 春の生暖かい風が、二人の間を流れていった。草はその動きを加速させ、ざわざわと彼女たちの足元で合唱した。

 彼女は御影の顔を覗き込むと、真顔で言った。


「あんたバカ?」


「うっわ! なんかいきなりきっつい言葉来た!」


「あたりまえよ。超能力者になるのは絶対だなんて、何でそんなことを言えるわけ? カナタも知ってるでしょ? メディエイターに選ばれる確率はすごく低いんだよ」


 全ての人類は、十歳に小学校を四年生で卒業した直後に、調停神、通称メディエイターとの『謁見』によってその才能の有無を決定づけられる。

 しかし、ここで問題なのは、その選出方法が一般には一切公表されていないことだった。


 わかっていることは、超能力者候補たちは、トウキョウの神居と呼ばれる建物にある、とある部屋へと通され、そこでメディエイターと呼ばれる何かと相対させられるということだけだった。このメディエイターについては諸説あり、曰く、それは超高性能量子コンピューターであり、あるいは脳構造をスキャンする器具であり、はてには人の魂を読み取る生物であるなどというオカルトめいた話も存在した。


 それらの真偽を確かめる術はない。政府はメディエイターに関する情報の一切を公表していない上に、なぜかその『謁見』を終えた者たちは、超能力者として選出されたか否かにかかわらず、そのときの記憶が曖昧なものとなってしまうからだ。メディエイターは、一体何を基準として超能力の才能を見極めているのか。その全てが、謎に包まれていた。


 そして何よりも問題なのは、超能力者として選ばれる者の人数だった。


 超能力者の人数は一万人強。一見かなり人数がいるように思われるが、全人類の総人口が一億を超えることを考えると、割合にして0.01%ほどでしかない。つまりは、『謁見』を受ける人間のうち、超能力者と認定されるのは一万人に一人しかいないということだ。


 たった一回の『謁見』とやらで超能力者を全員発掘できるわけがなく、落選者の中にも眠れる才能があるはずだという意見も、もちろん存在する、だが、現実問題として、『無能』と判断された者の中で超能力を発現したものは誰一人としておらず、『有能』とされた者たちは専用のカリキュラムで教育を受ける中、一人の例外もなく何らかの特異な才能を開花させていた。


 とにかく、自分が超能力者になれる可能性がどれだけ低いのかは、カナタだってわかっているはずだ。それなのに、なぜカナタはこんなにも自信たっぷりでいられるのだろうか?


「夢なんだよ」


「夢?」


「そう、夢。すっごく小さいことからの夢だから。他の未来を想像できないんだ」


「ねえ……。それって、カナタがあまりにもバカすぎて、超能力者になる以外の未来を考えられない、っていうだけの話じゃないの?」


 彼女が半目になって告げた言葉に、彼は一瞬、ぴたりとその場に固まった。


「……エボ。頭いいね」


「このバカナタ」


 彼女がクスクスと笑うと、御影も『バカじゃないもん』と唇を尖らせながらも、一緒になって笑い出した。しばし、二人のいる場所が、風と草の揺れる音と、鈴を転がしたような心地よい笑い声に包まれた。


「ねえ、カナタ? 明日、私たちどうなるのかな?」


「選ばれるよ、きっと。でも、もし駄目でも……」


「駄目でも?」


「別に、死ぬわけじゃないし」


「ふふ、やっぱりカナタはバカナタだ」


 二人の子供の背中を、雲の影が舐めていく。その雲の上に広がる空は、本当にどこまでも大きく、どこまでも青い。


 ……明日も晴れるといいな。


 彼女はそう思える自分が少し嬉しくなって、空に向かってニッコリと笑いかけた。





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