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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート3 イモーショナル・ジェイラー(前編)
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プロローグ


プロローグ



 時刻は午後十時前。第一高校学生警備室にて。

 下校時間はとうの昔に過ぎているにも関わらず、学生警備の面々は事務仕事に追われていた。


「くっそ! 五月から本当に忙しい! 嫌になる!」


「ホント、わけわかんない。労働法違反だよこれ」


「はいはい。口を動かす前に手を動かす」


 かれこれ一時間以上永遠と愚痴をこぼし続けるいつもの三年生二人組、グレッグ、アリシアコンビを適当にたしなめつつ、エボニーはホログラムのキーボード上で指を滑らせる。


 エボニーに言わせれば、この二人はなんだかんだで仕事をしているだけまだマシだ。最悪なのは、アイマスクをつけて完全に寝入っているリサ・リエラと、この場にはいない上司の二人。と言っても、リエラは起きているときだけは優秀だし、隊長殿はいつものことなので、諦めて自分が仕事をするしかない。


 さらには、真面目にやっているにも関わらず、完全にこちらの足を引っ張っている赤毛の新人もいる。


「シャーリー。ここ、ミスしてる」


「へ? ……って、ああ!? すみませんっす!」


「いいのよ。あなたはまだ、新人なんだから。少しずつ覚えなさい」


 エボニーがそう言うと、グレッグ、アリシアが、じろりと睨みつけてきた。


「アレイン先輩がシャーリーに優しい。わけわかんない」


「僕らが入りたての頃は、ものすごい厳しかったのに」


「あんたらは締め付けないとそもそもやらないでしょうが。こういう、馬鹿で愚直で不器用なタイプは、褒めて伸ばした方がいいの。怒ったら無駄にへこむし」


「うわあ。褒められてるのか貶されてるのか、わからないっすね」


 シャーリー・ピットが微妙な顔をするが気にしない。実際、彼女を必要以上に立てるつもりもなかった。

 かれこれ三時間以上休みなく仕事を続けているエボニーに、後輩はあからさまな尊敬の目を向けつつも、不思議そうに問いかけてきた。


「でも、グレッグ先輩の言葉も一理あるっすよ。なんだってこんなに忙しいんですか? 校内風紀管理に定例の市内巡回だけじゃなくて、評議員の講演会の警備だとか、デモ隊の整備だとか、治安維持隊との合同演習とか、色々あるっすよね。特に最後、何っすかこれ?」


「五月で色々とやらかしちゃったからね。その埋め合わせ。私のせいで、悪いわね」


「……あれは誰も悪くなかったと思うんっすけど」


 シャーリーがまた微妙な顔でため息を吐く。どうにも繊細な後輩のようで、扱いが難しい。……なぜか三年コンビが、『違う。そうじゃない』という目を向けてくるが、気にしない。


 しかし、リエラは仕方ないにしても、隊長殿は一体どこに行ってしまったのか。あの男のサボり癖は、今に始まった話ではないが。


 そして、何よりも腹が立つのは……目の前であからさまにサボっているときはともかくとしても、姿を見せないときは何かしら、自分たちには話せない理由で動いていることが多いということだ。


 五月も五月で、攫われながらもしっかり自分のなすべきことをこなしていた。あんなに適当な性格でありながら、地味に仕事をしているのが余計に腹が立つ。


「あの野郎が何をしているか、聞いてる人いる?」


 駄目もとで聞いてみるが、案の定三人は首を振ってきた。


「そうよね。知ってるわけが……」


「友達とラーメン食べに行くって話してたよお。みんなには内緒にしてくれって」


 その場にいる全員の視線が、パイプ椅子を並べてその上に横たわった、アイマスクの少女へと集中した。

 リエラはアイマスクを片方だけ持ち上げて左目をこちらに向けると、続けて言った。


「今回は完全にサボりだから。そう拗ねなくて大丈夫だよ、アレイン」


「……いや、別に拗ねてなんかないし。……というか、起きてたんなら手伝いなさいよ!」


「お休みー」


「そして寝るな! ああ、もう! あの地味野郎! 明日顔合わせたらぶん殴ってやる!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 治安維持隊のとある建物にて。

 治安維持隊少尉、ティモ・ルーベンスは、しかめっ面で目の前のホログラムウィンドウを睨みつけていた。


「繋がんねえ……」


 やがてルーベンスはジミー・ディランに通信を繋ぐのを諦めると、移動式の椅子の背もたれに体重を預けた。


「あの野郎。ここ数日ずっと音信不通で、何やってんだ?」


 噂程度ではあるが、情報管理局の人間に少し頼みごとをしていたという話もある。何をしているかは検討もつかないが、ろくでもないことだけは確かだ。


 彼の単独行動は今に始まった話ではないが、慣れるなんてことはないし、正直不安にも思う。学校側に問い合わせても、そもそも教員との関わりがあまりないためか情報がつかめない。


 あの男。一体、どこで何をしているのか。


「まさか……治安維持隊と問題を起こした、とかじゃないだろうな」


 ……そのまさかがありうるのがまた、腹立たしいことこの上なかった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 中央エリア、某所。

 とある廃屋の扉を蹴破り、ジミー・ディランはその向こう側へと一歩足を踏み出した。


 外から見てもただの空き家にしか見えなかったが、内部にはそこで人が生活をしていたという形跡があった。といっても、今は使っていないようだったが。


「……既に退去済み、か」


 薄暗い空間でジミーは一人ため息を吐くと、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本口にくわえた。


 人が住んでいた形跡と言っても、それはわかりやすいものではない。むしろ、形跡が全くないと言った方が正しいかもしれない。部屋はボロボロでありながら、塵埃がほとんど残されていない。ここ数日の間に、徹底的に清掃されたのだろう。


「治安維持隊に内通者がいると考えるよりは、こちらが追っていることがバレていると考えた方がよさそうだね。やれやれ。彼女に関しては超能力者よりもなんでもありだな」


 ライターを取り出し、煙草の先に近づける。


 ラッチコイルを回し、小さな炎が出現したと思ったその瞬間、窓ガラスが突如割れ、ジミー・ディランの側頭部に銃弾がすさまじい勢いで衝突した。


 だが、衝突しただけで終わった。


「ガラス越しなのに大した腕じゃないか。それは、彼女に教えられたのかい? ……それとも、彼女と敵対しているからこそかい?」


 深緑の過剰光粒子の中で、彼は紫煙を吐き出すと、まだほんの少ししか吸っていない煙草の火を指でもみ消し、放り捨てた。


 廃屋の中に、殺気が渦巻いていくのがわかる。複数の人間がディランのいる部屋を取り囲んでいるのが、直感でわかった。


『冗談じゃないぞ、これ』


 余裕を保った態度はもちろんブラフ。心臓は口から飛び出そうな程に早鐘を打っている。ジミーの感覚としては昔の同僚をたずねに来たというだけなのに、突然これはない。


『まあ僕も、その同僚が隠れ家としていた場所の扉蹴破ってるんだけどさ!』


 彼はニヘラと相好を崩すと、抵抗の意志は無いことを示すために両手を上げてみせた。


「僕はここに、銀髪のハッカーを探しに来たんだけどね。君たちは彼女の協力者かい? それとも……」


 言葉の途中で、閃光弾らしきものが室内に投げ込まれ、炸裂する。


 学生警備どころか、治安維持隊すらもあずかり知らない、光当たらぬ舞台裏での闘争劇が始まろうとしていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 エンパイア・スカイタワーの最上階、元帥の椅子に座るヴィクトリア・レーガンは、円卓の反対側で無表情に立つ一人の大問題児に頭を悩ませていた。


 会議室にはヴィクトリアだけでなく、ザン・アッディーン、アーペリ・ラハティ、ケース・ニーラントといった面子もいた。いずれも、円卓の中でもヴィクトリアに特に近しい存在だ。それぞれに問題が全くないとは言わないが、能力に関しては信頼できる。


 そして、その短気さが最大の欠点であるアーペリ・ラハティが、この場所に呼び出されてもなお反省の色一つ見せない超越者序列二位、レイフ・クリケットへと怒鳴りつけた。


「どういうつもりだ、クリケット大佐!」


「どうも何も、ヴィクトリアに事前に説明した通りです。何か問題でも?」


「問題しかないだろう!」


「落ち着け、ラハティ。アイツを威圧したところで意味はない。あれは本気で、どんな処分も恐れていないからな」


 ヴィクトリアの言葉に、アーペリ中将は渋々ながら引き下がった。アッディーンやニーラントの方は、最初から問題をこちらに丸投げしている。それはそれで面倒くさいと思うのは、流石に贅沢だろうか。


 彼女はこめかみを掻きながら、ため息交じりに言った。


「結果として見れば、レイフが正しかった。隊員、一般市民のどちらにも死傷者を出すことなく、彼らを制圧できたのは称賛に値する」


「ありがとうございます」


「褒めてないわ。勝手したこと謝れよ」


「……無茶苦茶言ってる自覚はあるか、ヴィクトリア?」


 完全に敬語をかなぐり捨てて話し出した二人に、アーペリ・ラハティが手の中の葉巻をへし折った。一日何本犠牲になっているのか、カウントしてみるのも面白いかもしれない。


 アーペリの存在により少しこじれてしまっているが、彼が命令違反をしたのは何もこれが初めてではない。この男は、最善だと判断すればどんな手段でも許容する。自分の命が危うくなろうが、犯罪すれすれの行為だろうが、正しければそれでいいと割り切れてしまっている。


 実際、レイフ・クリケットは常に結果を出している。もちろん、今回のように完璧な成果を上げることは少ないにしても、当初の想定よりも大なり小なり得る物が多いこともまた確かだ。


 能力のある者なら、どんな人間でも使うのがヴィクトリアのスタンスだ。御影奏多というジョーカーすら、一時的に自陣に引き入れることを許容した以上、何もかもが今更だった。


「もういい。今回の事は不問にする」


「元帥!? しかし……」


「落ち着け中将。こんなこと、今に始まった話じゃないだろう。私の下にいるんだ。私の方針に従え」


「……了解した。そのうち火傷するぞ、元帥」


 最後の最後にそう憎まれ口をたたいた、ヴィクトリアが治安維持隊に入るよりも前から円卓で活躍してきたラハティに、彼女は薄く唇を曲げた。

 彼のことを老害と呼ぶ者もいるが、ものは使いようだ。これで案外、彼が年長者であることが、円卓を纏めるのに役立つこともある。


「ああ、そうそう。レイフ。ちょっと遅れたけど、一つ注意しておくべきことがあった」


「何だ?」


「お前、しょっちゅう何の関係もないはずの一般人を自分の部下に一時任命してきたよな。実際その中には、今も治安維持隊で活躍している奴がいるから、それはいい。だが、御影奏多に関しては許可できない」


「……何故だ?」


「そういう契約なんだよ。これを破ると、ルークがブチ切れ……」


「すまない、ヴィクトリア」


「は?」


「もうすでに、彼を少佐に任命してしまっている。今回の作戦を立案したのは彼だったからな。部隊の指揮も、彼に任せていた」


 ガタリ、と、椅子が床に転がる音が、だだっ広い会議室に響き渡った。

 椅子を倒すほどの勢いでその場に立ち上がったヴィクトリアに、周囲の者が瞠目する。ケース・ニーラント少将が、恐る恐ると言った調子で問いかけた。


「あの、元帥。何か問題でも……」


「大問題だよ! 最悪、四月一日の悪夢が再来するぞ!」


「何ですって?」


 ヴィクトリアの言わんとすることが分からないのか、ニーラントは額に皺を寄せて黙り込んでしまった。

 思わず舌打ちをしてしまう。この男は真面目だが、少々頭の回転が遅い。ヴィクトリアは後ろに立つアッディーンの方に振り返ると、半ば叫ぶようにして言った。


「ルークに連絡を入れろ! 今すぐに!」


「了解した」


 彼は余計な疑問を挟むことなく、宙にホログラムウィンドウを出現させた。


「クソッ! 私としたことが、らしくないミスを繰り返して――」


「それは仕方がない。君がルーク・エイカーの最大の好敵手であることは認めよう。だけど、それだけだ。残念ながら君では、彼に遠く及ばない」


 誰かの声が、会議室の中に木霊した。


 ヴィクトリア、ラハティ、ニーラント、アッディーンの四名の視線が、レイフ・クリケットのすぐ後ろの空間へと吸い寄せられる。


 それは、一人の女だった。


 彼女は、あたかも舞台劇の上からそのまま出て来たかのような格好をしていた。豪奢な装飾の施された黒のドレスに、長い金髪。手には中ほどで開かれた、全くの白紙のページしかない革張りの本を一冊持ち、静々とエレベーターの中から会議室へと歩いてくる。


「だけど、物語としてはその方が王道だ。逆転劇にこそ、人は狂喜乱舞し、歓喜雀躍する。一方的な蹂躙劇も悪くはないけど、万人の心を掴むのは難しい」


 ふざけた格好で、ふざけたことを宣っている。


 ヴィクトリアは知っている。中世風のデザインの服を着た彼女は……実際に、あるいは意味的に、歴史上のとある人物を抽出した存在であることを知っている。


 体が、小刻みに震えているのがわかる。それは恐怖、そして驚愕によってもたらされたもの。


 ありえない。


 こんな展開だけは、あってはならない。


 彼女が表に出てくることなど、それだけは――。


「安心しなよ、ヴィクトリア・レーガン。ジュリエットにもなれなかった、喜劇のヒロイン。私は君の知らないところで、この世界にある程度関わっている。そうだね。ここ数年は、記者の真似事をして遊んでいたよ」


「な? お前、そんなことをしていたのか!?」


「驚くことでもないだろう? 私は生まれながらの演者だ。俗世に関わってこその私だ。三流記者という役どころは、なかなかに楽しかったよ。ロミーにジュリエッタ。適当な記者名でも、生み出される文章は私のものだ。多くの人間が私のプロット通りに踊る様は……そうだね。痛快だった、と言うべきかな」


「ふざけた真似を……ッ!」


「何者だ、貴様ァ!」


 すぐ横で怒声が上がり、ヴィクトリアはハッと我に返った。


 アーペリ・ラハティが、顔を蒼白にしながらも、突然の来訪者を睨みつけている。そして、ヴィクトリアが止める暇もなく……彼女の瞳が、ラハティへと向けられた。


「無粋だね。観客としてどうかと思うよ、その態度は。私が目の前にいるんだ。もっと興奮しなよ。感動しなよ。劇的な展開を楽しまずして、どうするんだ」


「ふざけたことをぬかすな! お前なぞ、今すぐにでも……ッ!」


「よせ! ラハティ!」


 制止の叫びもむなしく、彼は懐から拳銃を取り出すと、彼女の方へと向けた。


 女の青に光る眼が、細くなる。


「ああ、ああ。君の人生は、なんてつまらないものなのだろう」


「待て! それは!」


「――君はエンドマークを望むかい?」


 パン! と、鋭い音と共に、彼女の手にした本が閉じられる。


 次の瞬間、アーペリ・ラハティの姿は、地面の中に呑み込まれ、そして消えた。


 否。それは、正確な表現ではない。彼の足元に突如、巨大な本が開かれた状態で出現し……凄まじい勢いで閉じて、彼を挟み込み、そのまま消失したのだ。


 巨大なページの群れは、ラハティの近くにあった椅子やテーブルの脚、さらにはヴィクトリア自身の体も透過して、彼という存在だけを正確に取り込んでいた。ヴィクトリアの感覚としては、巨大な本のホログラムがその場に出現したというのが正しい。だが事実として、アーペリ・ラハティの姿はもうどこにもない。


「ううん。こんなところか」


 彼女の呟きに、残された人間が、恐る恐るそちらへと目を向ける。


 手にした本のページを、彼女の細い指がめくっていく。白紙であったはずのページは、今では文字でぎっしりと埋め尽くされていた。


「タイトルは……そうだな。『我が逃走』、とかどうだろう? 洒落としてはあんまりおもしろくないけど、文学作品としては落第だから、こんなところで十分だ」


 その場にいる誰もが、完全に凍り付いていた。


 ヴィクトリアはおろか、ザン・アッディーンもまた、あまりのことに目を見開いたまま硬直している。ケース・ニーラントにいたっては言うまでもない。


 ……いや。


 この、能力世界の常識をも超えた異常事態において、一人だけ動じていない者がいた。


「……ふむ」


 超越者序列二位。レイフ・クリケットは、その場で腕組みをすると、彼女が手にした本をじっと見つめた。


「貴様、今何をした?」


「簡単な話だよ。彼を主人公に、一つの物語を書き上げたのさ。彼は私の書き上げた悲劇に満足した。ありえないほどに悲劇的だからこそ、劇的だからこそ、惹きつけられた。だからこそ彼の人生は私の物語に上書きされ……彼は、一冊の本に成り果てた」


 そう。それが、彼女の力だ。


 ある人物を主人公として、物語を書き上げ、対象がそれに心から感動したとき、その人間の人生は物語となり、存在そのものが本と化す。彼女の書く人生は、本物を越えた偽物であり、劇的でありながら現実的だ。


「それは、もはや超能力の枠で語れるものではない。魔法の領域と言ってもいいだろう。貴様、一体全体何者だ?」


「おっと。私としたことが、自己紹介が遅れたね」


 彼女が手にした本を放り投げると、それは空中に溶け込むようにして消えて無くなった。両手でドレスの裾を掴み、彼女は優美な動作でお辞儀をする。


「ウィリアム・シェイクスピア。『記録』を担当する者だ。ウィレミナと呼んでくれても構わない。今日私は、君に会いに来たんだよ、レイフ・クリケット」


「私に?」


「そう。君こそが……誰よりも観測者たりうる君こそが、私の後継者として相応しい」


 彼女は震える声で、そう言って。


 熱のこもった瞳で、表情一つ崩さないレイフ・クリケットを、じっと見つめた。


 食い入るように。魅せられたように。



  ※  ※  ※  ※  ※



 中央エリア某所。とあるワンルームアパートの一室。


「……何だ、これ?」


 御影奏多は、ある意味で目にしたことのない光景に、息を呑んだ。


 そこは、暫定的なパートナーである、レイフ・クリケットが生活している部屋だった。時間が遅いため、治安維持隊への報告を済ませたレイフはエンパイア・スカイタワーに、御影の方はレイフのアパートに滞在するという話になっていたのだが……。


「アイツがここに住んでいるのか? 本当に?」


 そこには、何もなかった。


 机、椅子など、生活していく上で必要最低限の家具はそろっている。だが、それだけだ。例えば写真だとか、小物だとか、その他あらゆる生活感を感じされるものが一つとして存在しない。さらには、この世の頂点に君臨する超越者が暮らしているにしては、あまりにも狭すぎる。


 牢獄だと言われた方が、まだ納得できる。よく喋るとはいえ、物静かな性格だとは思っていたが、それも度が過ぎるというものだ。レイフが娯楽という娯楽の一切を切り捨てているのが、この部屋を見ただけで分かった。


「……」


 御影自身、かなりストイックな生活を送っていた時代はある。中学時代、彼はありとあらゆる『余分な物』を切り捨て、己の能力を向上させることに邁進していた。


 だがそれには目的があった。鍛錬などただの手段にすぎず、その先の結果を求めてこその行動だった。


 だが、この部屋からは、レイフ・クリケットという人間からは、それが感じられない。彼はこの何もない空間で、当たり前のように生活してきたのだろう。


 何か一つのことにしか興味がない、ではなく、何に対しても興味がない。この空間は、睡眠と食事をとるためだけに用意されたのだという確信がある。


「どういう精神構造なら、こんな場所で生活できるんだよ」


 レイフは御影が精神を病まなかったことに対して驚いていたが(実際には少し病んだかもしれないが)、こちらにしてみれば彼のほうがよっぽど重症だ。どこか、取り返しのつかないところが常人と違う。


 果たして、レイフ・クリケットという人間と行動を共にすることで、これから先何がもたらされるのか。


 既に、御影にとっては大きな変化があった。自らに向き合う機会を、彼が強制的に押し付けてきた。だが、きっとこれだけでは終わらない。まだ、何かがある。何かが変わる。そんな気がしてならない。


 肌が、震える。


 これは未知のものに対する恐怖か、あるいは興奮か。そのどちらでもあるのだろう。


 そして。ある意味で、レイフ・クリケットが原因となって。


 異常事態が、御影の日常を侵食していく。


 左腕に付けた腕時計型の携帯端末が振動するのを感じた御影は、時計の表面に触れ、ホログラムウィンドウを出現させた。


 テレビ電話がつながれている。相手はあの白の詐欺師、ルークだった。


 思わず舌打ちをしてしまう。ルークと話すと、毎回ろくなことがない。だが無視するわけにもいかないため、彼は渋々ウィンドウの通話アイコンをタップした。


 画面に、白いスーツの男が映し出される。珍しいことに、ルークはかなり慌てた様子で、御影の顔を見るなり口を開いた。


『御影君! 治安維持隊の少佐に任命されたって話は、本当かい!?』


「ああ。あれか。といっても一時的なものだし、公理評議会に敵対する気は……」


『愚か者!』


「は? いや、いきなりそんなこと言われても、何が何だか分かんねえぞ!?」


『……ッ。確かに君の言う通りだ。事前に注意していなかった、私に責任がある』


 ルークは一瞬、痛恨の念に顔を歪めたが、すぐに冷静さを取り戻すと、若干早口で続けた。


『御影君。今すぐ家に戻りなさい。これは命令だ』


「……なぜ」


『言わないとわからないのか? ヴィクトリアはともかくとしても、あの子の命を狙っている人間はたくさんいるんだ。それでも彼女が無事な理由は、公理評議会の保護下で、フィールドの条件設定により、君が許可していない人間の立ち入りを禁じているためだ。だが君は、暫定とはいえ治安維持隊に加入してしまった。治安維持隊は、隊員をシステム的には『所有』している。つまり……』


 そこまで聞いたところで、御影は通信を切ると、わき目もふらずにレイフの部屋から飛び出していった。


 階段を半ば転げ落ちるようにして、駐輪場へと向かう。御影はギリギリと音が鳴るほどに歯ぎしりをして、数時間前の自分の判断を呪った。


「なんで気がつかなかった……ッ!」


 治安維持隊に加入するということは、すなわち彼らの保護を受けるということだ。だが、それは逆に言えば……治安維持隊の人間ならば、御影の家に入れるようになったことを意味している。公理評議会の人間が御影家に入れるのと、理屈は同じだ。


 バイクにまたがり、荒い動作でエンジンを入れる。轟音と共にバイクは急発進すると、周りに置いてあった自転車の間を縫うようにして道路へと飛び出した。ウォーレンに通信を繋ごうと一瞬考えたが、彼は今邸宅にはいない。


 アクセルを限界まで踏み込む。御影は喉奥からこみ上げてくる激情に身を任せて、ハンドルを強く強く握りしめた。


「――クソアマァッ!」


 彼の声は誰に届くこともなく、閑散とした無関心の街の中へと、溶けて消えた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 そして彼女もまた、一つの決意と共に、表舞台に登場した。


「……」


 黒のズボンに白のワイシャツを着た、銀の髪の女。


 人間を極めし人間。この世で唯一、人間を超えた人間に並ぶことを夢見る、異常にして凡人の範囲を抜け出ないもう一人の最優。


 彼女は今、金堂真の忘れ形見が御影奏多と共に住んでいる邸宅の前に立っていた。


 後ろでは、女神像の噴水が絶え間なく水を噴き出している。その、水の飛び跳ねる音をかき消すようにして、いくつかのエンジン音が広大な庭の中へと侵入してきた。


 彼女の周りに、次から次へとバイクが停められていく。乗り手は一様に黒ずくめで、フルフェイスのヘルメットをかぶっていた。


 彼らは一斉に拳銃を取り出し、ためらうことなく彼女へと発砲した。


 だが、当たらない。


 静かな笑い声と共に、銀の髪が月光の中で弧を描く。空中を飛ぶ彼女のすぐ下を、複数の弾丸が通り抜けていった。


 弾丸を撃ち込まれる直前にその場で跳躍し、空中で一回転して女神像の頭に飛び乗った彼女は、いつの間にか取り出していた拳銃を左手に、ナイフを右手に構え、唇の端を吊り上げた。


「私を止めたいなら、あの最優を連れて来い。話はそれからだ」



……to be continued.


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