Memory 5-2
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フールズグレイブヤードを壊滅させた数日後。公理評議会は、アウタージェイルがテロリストと関係していた可能性があると発表した。
その発表に、治安維持隊の意向が働いていたことは間違いない。上層部はどうやら、かねてから問題視していたアウタージェイルを本格的に潰すことを決定したようだった。
リーダーである金堂真は抗議声明を出し、世論はアウタージェイル擁護派と懐疑派で二分されることとなった。だが、曲がりなりにも政府が発表した物だ。アウタージェイル側に傾いていた天秤は、これで平行に戻された。
「だが、両者の溝はより一層深くなった」
エンパイア・スカイタワー最上階。会議後のがらんとした部屋に、私の声が響き渡った。ルーク・エイカーは椅子の上で目を瞑り、その後ろではアリス・ヴィンヤードがホログラムウィンドウを操作して事務仕事を進めていた。
「決定的な証拠が出てから、アウタージェイルを追い詰めるべきだった。司法に引きずり出すだけの証拠がそろっていれば、我々の勝利は確定していた」
「そうだね。私もそう思うよ」
「では、なぜ……」
「治安維持隊を動かしているのは、私だけではない。円卓の過半数以上と対立してしまえば、私は無力だ」
ルークは眼鏡を外すと、胸ポケットから布巾を取り出してレンズを拭いた。彼の素顔を見るのは初めてかもしれないと、ふと思った。
「変化が必要だったんだよ。どうしてもね。ここまで来ると、もう止まれないかもしれない」
「そんな弱音を吐いている暇があるのか?」
「もちろんない。だから君たちには、今まで以上に働いてもらう」
彼がそう言うのと同時に、アリス・ヴィンヤードが手元のウィンドウをこちらに滑らせてきた。内容を確認する。それは、存在を明かすことすら問題になりかねない、資本経済の根本部に寄生した犯罪組織のリストだった。どれも噂程度にしか聞いた事がない。
「君たちには、それらすべてを潰してもらう」
「……何?」
「アウタージェイルの尻尾を掴むのと同時に、彼らに協力する勢力が出る可能性の芽を摘み取ることが目的だ。ヴィクトリアにはもう連絡してある」
「待て。これは言わば、治安維持隊にとってのパンドラの箱だろう。下手に手を出せば、アウタージェイルと敵対する以上の問題になりかねない」
「前に進むしか、他に道はないんだ」
「『希望』以外は何もいらないというわけか。しかしルーク。ことがすべて終わったときには、貴様の座る椅子はもうどこにもないかもしれないぞ」
「そうだね。それでも、やるしかない。やるしかないんだが……まったく。本当に僕は、寄り道ばかりだ。損になることばかりをしているような気がするよ」
ルークはまた眼鏡をかけなおして、手振りで私に退室を促した。
私はホログラムを消して軽く頭を下げると、彼に背を向けた。
エレベーターに乗り込み、壁に背を預ける。あのルーク・エイカーが弱音を吐いたことは、私にとっても大きな衝撃だった。理屈云々以前に、あの男には諦めという言葉は似合わない。根性論のように聞こえなくもないが、えてして二項対立的概念の本質は同じ場所にあるものだ。
「……彼女は、どうするのか」
思わず、呟く。
数人の死に取り乱した彼女が、この先の騒乱に耐えることができるのか。私にはわからない。会話をしようにも、最近彼女は私を避けている。何となくだが、そんな気がする。
一階近くまでエレベーターがたどり着き、減速したことで、私は胃の内容物が途端に重たくなったような違和感を覚えて、顔をしかめた。
※ ※ ※ ※ ※
それから毎日のように、私たちは戦場を駆け抜けた。
戦場と言っても、一般的にイメージされるようなそれではない。舞台など存在せず、普通の市街地で周囲の住民に断りもなく、突発的に火ぶたは切って落とされる。
我々の存在が表に出ることはなかったが、治安維持隊が裏で数々の団体を潰して回っていることは既に周知の事実となっていた。そのため、私たちの作戦は日々難易度が高くなり、それだけ負担も増えていった。もちろんそれは、精神的な意味でもだ。
「……今日だけで何人殺した?」
ルークとの会話から、数ヶ月が過ぎたころ。作戦終了後、第二十七特殊部隊の移動用バンの中で、ジミー・ディランがうめき声を上げた。疲労しきり、俯くことしかできないルーベンスの代わりに、私が事務的に答える。
「二十人前後ぐらいか」
「本当に答えるなよ。気が滅入るじゃないか」
「立てこもり犯を惨殺した男が言う台詞じゃないな、それは」
「馬鹿。そういう問題じゃねえだろ、もはや。状況が特殊すぎる。……言い訳なのはわかっているから、もう何も言うなよな。お前の言葉は、今の僕にはだいぶキツイ」
「そうか」
彼の言う事はもっともだった。私の言葉が、他者の心を傷つけやすいというのは薄々だが察している。正しさが全てではないということだ。
たとえ私にとっては当たり前の話でも、それは他の人間にとっては目を背けたくなるような事実かもしれない。人間は弱い生き物だ。だが私は、他者に逃げ道を用意できない。
「あの子と話したか、レイフ?」
ルーベンスが顔を上げて、こちらに話しかけてくる。彼の顔からは、いつもよりも若干血色が無くなっているのがわかった。
「いや。最近はあまり話せてない」
「俺は話したぞ」
「ほう?」
少し意外だったが、ルーベンスには少しお人好しなところがある。精神的に不安定な状態にある彼女を、放っておくことができなかったのだろう。
「相変わらず俺たちのことは認めないの一点張りだったよ。強情にもほどがある」
「なるほど。それで、私に説得しろと?」
「説得する必要はない。彼女は既に、諦めてしまっている」
「……どういうことだ?」
「言葉の通りだよ。そもそも彼女は、現実から逃げ続けてきた子だ。自分の思い通り、理想通りにならないことを、嫌というほど知っている。彼女にとっての楽園も、治安維持隊の手で潰されたわけだしな」
誰だって、平和を願っている。それは人として普通の話だ。だが、思想が対立する世界を、人は楽園だとは認めない。さらに利害関係が絡んでくれば、理性など溶けてなくなる。後に残るのは争いと、何故こうなったのかという後悔だけだ。
人ひとりの力は、限られている。問題とされる事象は、表に出た時には既にほとんどが手遅れだ。解決法など、この世には一つもない。
それでも。それでも彼女が、この世にあらざる何かを求めていたならば。私はそれに従うのも、やぶさかではなかったのだが。
「レイフ。お前は本当に、とんでもない奴だな」
「何だいきなり」
ディランの突然の言葉に、私は思わず目を見開いた。
「こんな状況だってのに、第二十七特殊部隊が結成されたときから、雰囲気がまるで変わってない。お前の心は鋼か何かか」
「変わらないという事実が、強さに結び付くものなのか?」
「結びつくんだよ。少なくとも僕は、移ろってばかりだ」
そう言って彼は、自嘲気味に笑った。
最近は、こんなことの繰り返しだ。
芯が強いとばかり思っていた人間が、どこからしくない言動を繰り返している。
バン中央部に置かれた携帯端末が振動する。私が反射的に手を伸ばして、卵型の端末の表面に触れると、宙にホログラムウィンドウが投影された。
ウィンドウには、いつになく厳しい顔のヴィクトリアが映し出されていた。格好もいつもの適当な物ではなく、しっかりと制服を着用している。
『緊急事態だ。悪いが、シャワー等を済ませたらすぐに例の部屋に来てくれ』
「了解した」
極限状態まで追い詰められていたためか、即座に返答を返せたのは私だけだった。彼女はそんな自分の部下の様子に何かを察したのか、それ以上何も言うことなく通信を切った。
「これ以上、何があるってんだ?」
ジミー・ディランが、投げやりな調子で呟く。その、誰に投げかけたわけでもない問いかけは、車内を満たす沈黙の中に沈んでいった。
※ ※ ※ ※ ※
一般どころか、治安維持隊隊員も限られた人間しか利用できない、エンパイア・スカイタワー地下駐車場でバンから降りた私たちは、専用のシャワールームで手早く汗を流し、治安維持隊の制服に着替えて、地下三階の部屋へと移動した。
ドアを開き中に入ると、ソファに座ったヴィクトリアが沈痛な面持ちでこちらを見つめてきた。銀髪の少女は、凍り付いたように動かない。彼女の視線の先の部屋の中央部には、拡大されたホログラムウィンドウが浮かび、とあるニュース番組を映し出していた。
『繰り返します。今年の初めに選出された超能力者のうち、三名の親族の家が放火により全焼。多数の死傷者が出ました。被害を受けたのは、リサ・リエラ、テクラ・ヘルムート、エボニー・アレインの……』
想像を超えた事態に、出入り口付近で立ち止まってしまう。ルーベンスが信じがたいというように首を振り、ディランが震える声で叫んだ。
「おい! これって、まさか!」
『先ほど治安維持隊は、実行犯がアウタージェイルのメンバーであることを発表しました。この件に関して、金堂真はコメントを控えており……』
その、まさかだった。
治安維持隊とアウタージェイルの、水面下での対立。それがついに、表に出てきたのだ。
アウタージェイルの末端の暴走。一般市民を傷つけ、治安維持隊と決定的に対立する。これは、治安維持隊のみならず、アウタージェイルの上層部も恐れていた事態だろう。
「言っておくが、実行犯がアウタージェイルの人間だって話は本当だ。情報操作でもなんでもない」
私たちが何かを言うより先に、ヴィクトリアが若干早口で言った。
「彼らは超えてはいけない一線を踏み越えた。彼らの蛮行を、許すわけにはいかない」
「上層部はどういう決定を下した? 治安維持隊は、何をするつもりだ?」
私の問いかけに、彼女は唇を強く引き結んだ。
彼女の後ろでは、銀髪の少女が自分の肩を強く抱いていた。恐らく彼女は、既に知らされているのだろう。彼女の様子だけで、大体の予想はついた。
だがそれでも、彼女の次なる言葉は、私の思っていた最悪を遥かに超える内容だった。
「アウタージェイル掃討作戦を決行する」
「……は?」
「既に、隊全体に命令が出ている。分散したアウタージェイルの小規模な拠点は地方に任せ、本隊をもって二十四時間以内に彼らの本拠地がある町を完全包囲する」
「もう動いているのか? 決定事項だと?」
「そう言った。包囲網が完成したら、町民に避難勧告を発令する。六時間後、町内に兵を投入。敵勢力を全て殲滅する」
「……それは」
「ふざけてる! そんなのは、ただの屁理屈だ!」
私の体を押しのけて、ティモ・ルーベンスが彼女の前に立った。腕組みをした彼女を見下ろし、彼は続けて叫んだ。
「つまりは、こう言いたいんだろう? 避難勧告が出されてもまだ町内に残っている人間は、アウタージェイルの一員とみなし、殺害すると!」
「そうだ」
「町を包囲された状況で、どうやって避難しろっていうんだ! 一般市民も含めて虐殺するための方便にすぎない!」
治安維持隊は、一般市民の生命を守る義務がある。そしてそのために、犯罪者を排除する権限もまた持ち合わせている。
だからこそ、避難勧告によって敵味方の線引きをわかりやすくしようとしているのだろう。避難勧告通り逃げた者は保護。それ以外は反抗の意志ありとして殲滅。実にわかりやすい。問題なのは、ルーベンスが指摘した通り、避難できる『一般市民』などまず存在しないことだ。
アウタージェイルが多大な労力をかけて町を統括した理由の一つは、今回のような非常時のために、町民という肉の盾を用意するためだとみて間違いない。そして治安維持隊は、その盾もろとも彼らを押し潰すという決定を下した。
テロリストを殲滅するためには、『多少』の犠牲はやむを得ないと。そういうことだ。
「助けを求めてきた住人は保護するよう命令が出ている」
「あの町の人間は、ほぼ全員アウタージェイルに何らかの形で関わっているのにか!? 反抗の意志があるかないかを見分けられるはずがない! アウタージェイルを潰すために、治安維持隊はあの町の住人全てを切り捨てる気なんだろう! 違うか?」
「その質問には答えられない」
「ふざけてんじゃねえぞ! この……ッ!」
「よせ! ルーベンス!」
拳を振り上げたルーベンスを、ジミー・ディランが後ろから羽交い絞めにする。彼女は私を目線で制し、激昂するティモ・ルーベンスに向き直った。
「ティモ・ルーベンス。自分が何をしようとしているのか、わかっているのか? 上層部の決定に反抗するつもりか」
「俺にだって、認められないことがあるんだよ! たかが十人前後の一般市民が何だ! 俺たちは、百を超える人間を屠ってきたんだぞ!」
「ルーベンスッ!」
ディランが悲鳴にも似た叫びを上げる。彼の言葉に、ヴィクトリアは瞳孔までをも見開くと、ルーベンスの頬を勢いよく殴りつけた。
白い床に、赤の飛沫がまき散らされる。ディランがルーベンスを解放して後ずさりをし、ルーベンスは声もなく床に崩れ落ちた。
ぱたぱたと、靴が床を叩く音が聞こえた。そちらに目を向けるのと、銀の髪が奥の部屋へと消えていったのが同時だった。
「命には、序列がある」
殴った右手をさすりながら、ヴィクトリアが声を上げる。
床に蹲ったまま口元の血を拭うルーベンスを、彼女は肩を震わせながら見下ろしていた。
「我々治安維持隊が第一に考えるべきは、一般市民の命だ。それを間違えるな」
「その一般市民が、あの町にもいるんだぞ!」
「前にディランも話していただろう。あの町は、金堂真が支配している」
「それだけが全てではないだろう!」
「あの町にいる一人一人を気にしている暇なんてないんだよ! いいか! 事態はここまで動いてしまった! 後悔しても、現実は変えられない! 超能力者の親族にまで手を出した彼らの存在を、許すわけにはいかないんだ!」
「……ッ!」
「言いたいことは分かってる。私たちはこれから、失われた十人前後のために、その何倍もの一般市民を殺害することになるだろう。だがそれで、この列島に住む億の人間は、悪は滅んだのだと安心できる。たとえそれがまやかしだとしても、彼らの不安を払拭する必要があるんだ」
二人分の荒い呼吸音が、室内に木霊していた。
私もジミー・ディランも、彼らに口を出すことができなかった。
この場にいる誰もが、理解していた。二人共に等しく間違いであり、また、正しいのだと。どちらがより優れているという問題ではない。神の視点をもって彼らを見比べるなら、甲乙などつけようがないのだ。
だからこそ、人は争ってきた。そして、これからもまた。
「何も、第二十七特殊部隊に入ってからの話じゃない。ディレクションにいたころから、俺は正義の執行者として多くの人間を殺めてきた。そこらの連続殺人犯なんて目じゃないくらいにな。なぜその事実を俺が許容できたか分かるか? たとえ行為が間違いだったとしても、積み上げた死体の山が、平和の礎になると信じたからだ」
「……」
「せめて。せめて、流れた血に意味を与えなくては、嘘だろう? 俺が今まで地獄を潜り抜けてきたのは、断じて更なる殺しを生み出すためじゃない!」
「お前の信条はわかった。それで? お前はこれから、どうするつもりだ?」
彼女の声は、普段のそれからは考えられないほどに冷え切っていた。その声を聞いた瞬間、彼女がこの若さでルークに重用されている理由の一端がわかったような気がした。
「お前たちにもまた、掃討作戦に参加してもらうことになる。ルーベンス。お前は私の決定に従うのか? それとも否か? この場で答えろ」
誰かが、息を呑む音が聞こえた。それはジミー・ディランのものか、あるいは私自身のものかもわからなかった。
ルーベンスはゆっくりとその場に立ち上がると、姿勢を正し、ヴィクトリア・レーガンの顔をまっすぐに見据えて言った。
「貴女の命令には、従えない」
「そうか。では、今この瞬間をもって、ティモ・ルーベンス隊員を第二十七特殊部隊から除名する。追加の処分が下るまで、自宅謹慎だ。いいな?」
「わかりました。今までありがとうございました、レーガン大佐」
彼はそう言って、深々と頭を下げると、振り返ることなく部屋の外へと出て行った。
ドアが閉まる音が響き渡る。もはや立ち尽くすしかない私とディランに目をやり、彼女は厳しい口調を崩さないまま告げた。
「三時間やる。その間に、仮眠と心の準備を済ませとけ。その後すぐに、現場に移動だ。何か異論はあるか?」
「……ありません」
ディランは消え入りそうな声でそう答え、私は無言で首を振った。
彼女は最後に、奥の扉をチラリと一瞥して、部屋の外へと出て行った。後には、私とジミー・ディランの二人だけが残された。
ディランはふらふらとソファに歩いていくと、その上に身を投げ出すようにして倒れた。私は奥の自販機に行き、ミネラルウォーターを購入して、ペットボトルのキャップを捻った。
「まさか、こんなことになるとはね」
私が水を口に含んだところで、ディランが呆然と呟いた。私はミネラルウォーターを胃の中に流し込み、ソファに仰向けになって寝そべる彼の方を振り返った。
「それは、どちらに対して言っているんだ?」
「どちらかと言えば、ルーベンスの方だな。こう言っちゃなんだが、アウタージェイルに関してはある程度の覚悟はできていた。だが……ルーベンスの奴がここで離脱するのは、想定外だ。もし折れるとしたら、僕が先だと思っていた」
「確かに貴様は弱い。だがそれは、強さでもある。ティモ・ルーベンスは、あまりにも高潔すぎた。その信条が確固たるものであるからこそ、彼はこの現実を受け入れられなかった」
「わかんないものだな、本当」
彼はしみじみとそう言って、しばらくソファから立ち上がろうとしなかった。
私としては、ルーベンスはこのあたりが限界だろうと予想していた。ジミー・ディランは、自分を騙す嘘がつける人間だ。嘘を嘘だとわかりながらも、限界の手前で線引きをすることができる。逃避ができるということは、それだけ生物として優れているということに他ならない。
対するルーベンスは、どちらかと言えば不器用な人間だ。真面目過ぎるからこそ、最後の瞬間には脆い。一体そのどちらの在り方が危ういかは、私にはわからないが。
「ディラン。前から聞きたいと思っていたのだが、貴様の前の部隊に、カウンセリングはつけられていたか?」
「確か、希望制だったと思うぞ。僕は利用したことは無いけど」
「第三次世界大戦前の、先進国による特殊部隊隊員の管理は完璧だった。理論と統計をもって、一人一人の感情がコントロールされ、誰もが最優の兵士となりえた」
だからこそ私は、レイフに部隊の評価を問われたときに、『最悪』だと答えた。未成年の犯罪者がいる点には目を瞑るにしても、隊員があまりにも感情的だったからだ。
それが、倫理的に見てどうかは別として、兵士としては問題があると私は考えていた。だが、これは第二十七特殊部隊だけの話ではなく、むしろ治安維持隊そのものの問題だった。むしろ、少数精鋭で気分転換用の娯楽まで用意されていただけ、まだましだったのかもしれない。
「僕たちが生まれる前の話をされても、実感がわかないね。なんにせよ、僕たちは人間だ。限界もある。第二十七特殊部隊の解散も、隊長の責任というよりは間が悪かったってのが正しい」
「解散はしていないだろう」
「実質解散だよ。殲滅戦だぜ? 特殊部隊なんか役に立たない。僕たちはきっと、古巣のメンバーと一緒に、一兵士として戦場に立つことになる」
「だが、殲滅戦が終われば……」
「殲滅戦が終わったら、僕はきっと辞表を提出しているね。何なら賭けてもいい」
「妙な自信だな。貴様らしいと言うべきか」
「らしいかどうかは知らないけど、皮肉を皮肉と受け取らないお前はお前らしいな」
彼の乾いた笑い声が、私の鼓膜を揺らした。
ふとビリヤード台に目を向けると、台の上に真っ二つにされたキューが放り捨てられていた。
それを折った人物が誰なのかは、考えるまでもなかった。
誰もが望んでいなくても、どうしようもなく終幕へと突き進んでしまうことがある。それは戦争であり、復讐であり、憎悪でもある。
誰かが、平和な世界を想像してみろと声を上げた。しかし私には、そんなものを思い浮かべることはできない。理想郷とは、夢追い人だけが目にすることのできる、この世ならざる場所。間違っても、私のような人間が夢想する地ではないのだろう。
私たち二人は、それ以上何も会話することなく、仮眠すらとらずに、じっと身動きを取ろうとしなかった。時折聞こえる誰かの泣き声を無視して、ただ時計の針が動く様子を眺めていた。
ルーベンスが部屋を出てから、きっかり三時間後にヴィクトリアから連絡があった。ディランが言ったように、チバ沿岸部に移動するまでは二人での移動だったが、その後別れて、ディランはバレットに加わり、私は他の超越者と後方で待機することになっていた。
通信が切れた後に、私たちは地下駐車場へと行き、そこで待っていた例のバンに乗り込んだ。車独特の小刻みな揺れに眠気を誘発されたのか、ディランが大きなあくびを一つした。ルーベンスがいたら咎めたのだろうかと、ふと思った。
「お前たち後方組の出番がなくなるよう、せいぜい暴れまわってやるさ」
途中で、ディランがどこか吹っ切れたようにそう言った。
私は何も言わずに、頷きを返した。
※ ※ ※ ※ ※
チバ沿岸部某所。真夜中の町は、ある種異様な雰囲気となっていた。
治安維持隊の要請で、この町への電気、水、ガスの供給は全てストップされていた。治安維持隊隊員が手にする懐中電灯や、車のヘッドライト、持ち込まれた巨大なサーチライトなどといったものが辛うじて街灯の代わりを果たしていた。
何台もの治安維持隊の車両が道路を横断する形で止められ、臨時のバリケードとなっている。赤茶の制服を着ていない人間を探す方が難しいくらいだった。
すれ違った何人かが、私の胸に付けられた超越者のバッジを見て、慌てた様子で敬礼を返してきた。特殊部隊にいたときには一般の隊員と関わる機会は少なかったため、逆に新鮮な感覚だった。歩いていると、隊員が円状に町を丸ごと囲っているのだということが、何となくだが実感できた。エイジイメイジア史上最大規模の作戦と言っていいだろう。
「このうち、最初に最前線に行くやつは、一割にも満たないだろうな。当然のことながら、交代制になるだろう」
懐中電灯で足元を照らしつつ、隣を歩くディランが言う。
「だけど僕は、問答無用で最前線だ。手練れがなかなかいないからな。過労死寸前まで働かされるだろう」
「治安維持隊にとっても、殺しは非日常だというわけか」
「僕たちは日常だったけどね。ルーベンスの離脱は、治安維持隊にとっても痛い。まともに戦える超能力者の存在は貴重だ。……と。そろそろお別れだ」
ホログラムウィンドウに表示された地図で現在地を確認したディランが立ち止まる。どうやら近くにバレットの待機場所があるらしい。私は後方にさがるため、もう少し歩く必要がある。
ディランはこちらに拳を突き出すと、いつになく真剣な面持ちで言った。
「生き残れよ、レイフ。まあ心配なんかしても、お前の場合は杞憂に終わるだろうが」
「貴様は貴様であり続けろ。もしバレットから抜けるのだとしても、何らかの形で治安維持隊に関わっておけ。これから、貴様のような立ち位置の人間が重要になってくる」
「これから、ね。そうだな。未来を考えるのは大切なことだ」
軽く拳を合わせた後に、私たちは互いに背を向けた。
これ以上の言葉はいらない。互いに実力は把握しているし、仕事上の仲間としての信頼も一応はある。故に今考えるべきは、彼ではなく自分自身のことだ。
最初は後方待機とはいえ、まず間違いなく超越者が現場に出なくてはならないときが来る。その時に私はどうするか。この作戦が、ありとあらゆる策謀により誘引されたものであることは想像に難くない。だが今更それを追及したところで、どうにもならない。
ジミー・ディランと別れてから数十分歩いたところで、私は公園に設置されたテントの群れを発見した。テントと言っても、レジャーで使われるような小さなものではなく、大型のイベント等でよく使われるような巨大な物だ。ここが、治安維持隊の現場本部となる。
そのうちの一つのテントへと足を向ける。パイプ椅子に腰を掛けた、東洋人の血を強く引いた女がこちらを振り返り、顔をほころばせた。
「久しぶりだねレイフ」
「リ・チャンファか。貴様、今まで何をしていた」
超越者、リ・チャンファ。人間兵器でありながら潜入任務を得意とする彼女は、超越者の中でも序列一位、二位に次ぐ古参だ。
彼女は普段はチャイナドレスでいることが多いが、今日は流石に制服姿をしていた。顔はどちらかと言えば小ぶりな方で、年齢を感じさせない。全体で見れば小柄な方ではあるが、制服の下にある体躯はしなやかな肉食動物のそれに近いことが直感で分かる。髪は後ろで一つにまとめられているが、簪はしていなかった。
「それはこちらのセリフだよレイフ。今までどこで遊んでいたんだい?」
「遊んではいない。なかなか忙しくしていた」
「ああ、そう? 私はマフィアの女になって楽しんでたよ。体は一度も許さなかったけどね」
あっけらかんとそんなことを口にできる辺り、彼女もなかなかに図太い。ちなみに、彼女の能力は潜入任務それ自体にはまるで役に立たない、戦闘系のものだ。逆に言えば、今回の作戦でも彼女は十全に自分の能力を発揮することができるだろう。
「揃ったか」
とそこで、耳に届いただけで心胆を寒からしめるような、問答無用で自らが人間として格下なのだと確信させられる重低音が、私たち二人の耳に届いた。
声の聞こえた方向へと、目を向ける。
超越者序列二位が、そこにいた。




