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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート3 イモーショナル・ジェイラー(前編)
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Episode 3-2





 食後の軽い運動を終えてから数分後。


 どう見ても銭湯のそれとしか思えない脱衣所で手早く服を脱いで、備え付けられていた籠の中に放り込み、女物の薄桃の下着が入った籠の横の棚に入れて、タオルを腰の周りに巻き、緑色をしたシャンプーハットを装備して鏡を見ながら角度を調整した後、ガラス戸を開け放ってどう見ても以下略な風呂場に乗り込んだ。


「邪魔するぞ、娘」


「わーお! ついにミカゲンが積極てきぇぇぇェェェえええエエエ!? 何で!? 何がどうしてこうなったの!? 変態! シャンプーハットをかぶった変態が!」


「この列島には、古来より伝わる伝統がある」


 私は持参していた洗面器に入れておいたアヒルのおもちゃを湯船の中に放り入れ(さすがの広さで、一般家庭の十倍以上の大きさがある)、丁度体を洗っていたのか、泡まみれで複数ある小さな椅子の一つに座る彼女に向かって頷いた。


「ずばり、裸の付き合いだ」


「それは精神的な意味ーッ! というか、何でそんな台詞を終始真顔で言えるのさ!?」


 椅子を蹴倒して立ち上がり、こちらに人差し指を突きつけてくる。私は片方の眉を上げ、いつもどおりの平坦な調子で言った。


「やかましい。あとどうでもいいが、見えてるぞ。色々と」


「……ヒッ!」


 正確に言えば、泡によってきわどいところは無事だった。が、今現在自分がどういう格好をしているのか今更ながら思い出したのか、金堂真の娘は顔を真っ赤に染め上げると、泡まみれの状態のまま湯船に頭から飛び込んでいった。


「おい。何をしてる、貴様。ちゃんと体を洗ってから湯船につかれ」


「$>XE! 0QD0>HUE~YQE!」


 うるさい! わたしわるくないへんたい! か。水の中から泡が出てきたのが見えただけだったが、だいたいそんなところだろう。


 仁王立ちになるという選択をしたのは彼女だが、それが無意識の行動であったのなら、こちらからフォローを入れる必要がある。


「安心しろ、金堂真の娘。私は、暖色系の照明に煌く水滴を纏う張りのある肌色に、鳶の髪と泡の白が彩りを添える貴様の裸になど、まったくもってこれっぽっちも興味はない」


「ばっちり観察してるじゃないかあッ!!」


 今度は湯船の中から立ち上がって、こちらを指さし叫んでくる。今度は泡がないため先ほどより危険だったが、長い髪と湯煙がいい感じに仕事をしていた。


 彼女の必死の抗議に、私は肩を竦めると、立ち並ぶシャワーの一つに歩いて行った。


「当然だ。私は人間観察を習慣としているからな。この際だ。貴様の体も査定してやろう」


「セクハラもいいところなんですけど! イケメンならなんでも許されると思ってない!?」


「身長は女性としては平均的。体つきも可もなく不可もなくだ。胸はどちらかと言えば微乳だが、大きすぎず小さすぎず、全体的に中途半端で個性がない。不遇メインヒロインの象徴のような存在だな、貴様は。強く生きろよ」


「最悪! この人、最悪だよ!」


「さらに言うと、貴様は見られたことに対してではなく、見た人間が私であった事実に戸惑っているとみた。具体的に言うと、同居人である彼に対してはむしろウェルカ……」


「きーこーえーなーいーッ! ノゾムはそんな変態さんじゃない! 君の方が変態だ! ノゾムの体に興奮してたんだ! だって鼻血の跡があるもん!」


「……む」


 椅子に腰を下ろし、湯気で曇った鏡に水をかけて、自分の顔を確認する。確かに彼女、ノゾムの言う通り、私の鼻の下には赤い筋が残されていた。


「これは、欲情によるものではない。むしろ物理だ。今から風呂に行くとウォーレンに言ったら、なぜか激高してな。戦いになった」


「当たり前だよ!」


「何に憤りを感じていたのかはさっぱりだったが、あれだけの憤怒を見せられた以上は、私もそれに全力で応えなくてはならない」


「うん! 何でそうなっちゃうのかさっぱりわからないね! あと今わかったけど、君、本気で下心ないんだ! びっくりだよ! ものすごい天然さんだ!」


「私の生涯でも、一、二を争う激闘だった。あの男、まさか八極拳までマスターしていたとは」


「そしてあの執事さんは本当に何者なんだーー!!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 ――ここで少し、回想タイム。


 食器が割れる鋭い音と共に開戦した我々の戦いは、激化の一途をたどった。


 そこに生まれたわずかの間隙で、私たちは互いの目だけを見て対峙する。


 譲れない思いがあった(らしい)。不退転の覚悟があった(ようだ)。


 交渉の余地はなく(なんでだ)、暴力だけが残されていた(だからなんでだ)。


 所々が擦り切れてしまった燕尾服に身を包んだウォーレンが、空を斬る音と共に様々な型で構えてくる。……確かにすごいが、その一連の動作に意味はあるのか? 威嚇目的か?


「最後の晩餐が私の麻婆だったことを幸運に思――」


「やかましい」


 こうして決着の瞬間が訪れ……。



  ※  ※  ※  ※  ※



「そ、それで? どうなったの? ……勝敗はわかっているけど!」


 今の状況を忘れて、湯船から身を乗り出してくる彼女の顔を鏡で眺めつつ、私は肩をすくめて言った。


「ウォーレンがぎっくり腰になって手打ちとなった」


「かっこ悪!?」


「そう言ってやるな。寄る年波には勝てず。御老体にしてはよくやった。……もっとも、そこまでして戦った理由は最後まで明らかにならなかったが」


「まだ自分の間違いに気がついてないんだ、この人……。ウォーレンさん。あなたの犠牲は、どうやら無駄だったようです」


 ノゾムが目に光る物を拭う。それがただの水滴なのか、涙なのかは判断がつかない。私としては前者を支持するが。


「それで? ノゾムの体が目当てじゃないなら、何しに来たの?」


「まだ言うか」


「まだ言うよ!」


 相変わらずどこか噛み合ってないようだったが、立ち上がらない限りは私の位置からは彼女の顔しか見えない状況になったことで、幾分か落ち着いた口調になっていた。


「金堂真の娘。貴様と話をしにきた。それだけだ」


「だったら風呂場である必要性はないよね!?」


 ……やはり落ち着いていないみたいだった。


「そう言われてもな。純粋な、論理的思考に基づく行動だ」


「女の子の裸を見に行くことの、どこが論理的なのかな……」


「貴様は私を恐れている。それは、仕方のない話だ。そして、御影奏多は私を貴様から遠ざけようと尽力するだろう。故に、貴様が逃げられず、御影奏多が介入できない状況をつくる必要があった。私がここにいる限り、貴様は裸を見られることを恐れて外に出られない。そして御影奏多が唯一自由に出入りできない場所がここだ」


「わーお! 理路整然としているけど、致命的な間違いがあるぜ! 君も男なんだから、女風呂に入っちゃいけないはずだよね!?」


「私は貴様に欲情することなどないのだから、問題ないだろう」


「別な意味で問題だーッ!」


「……度し難いな」


 私の行動に対して混乱するのはわかる。だが、怒りのポイントがよく見えない。これ以上そこを追求するのは不毛だと判断した私は、持ち込んだタオルにハンドソープをしみこませ泡立たせながら、背中越しに彼女へと話しかけた。


「真面目な話だ。私を恨んでいるか、娘」


「どうして?」


「私はエイプリルフールに、貴様ら二人を追い詰めた張本人だ」


 少し身じろぎしたのか、ポチャリと水面が揺れる音がした。私がタオルで背中を洗い出すと、彼女はため息をついて言った。


「恨んではないよ。それよりも先に……怖かったね」


「なるほど。当然だな」


 あのとき、彼女らには逃げ場はなかった。結果として、ヴィクトリア曰く彼女が対超能力者用人間兵器であることから私に隙ができたが、その事実は本人も知らなかったはずだ。


 自分に殺意を向ける人間が、目の前にいる。恨むも何もない。自分の命が本当に危機にさらされたときまで、怒りを保持できる人間はそう多くはない。


「その恐怖も、今回の君の奇行で消えちゃったんだけどさ」


「なぜそこで、失望したような声を出す?」


「夢にまで出てきた恐怖の対象が、シャンプーハット装備の残念イケメンだったからだよ……」


「シャンプーハットの何がおかしい。これは、目に泡が入ることに対する恐怖に打ち勝つべく、人類が生み出した至高の逸品だぞ」


「まだ頭洗ってないよね?」


「これから洗う。備えあれば患いなしだ」


「…………」


 黙り込んでしまった。


 どうやら私は、また何かを間違えたらしい。やはり、会話というものは難しいものだ。言葉はいくらでも紡ぎだせるが、単語の一つ一つが抽象である以上、完璧な相互理解はありえない。


「娘。御影奏多についてどう思う?」


「ミカゲンについて?」


「……みかげん? 彼のあだ名か?」


「うん。そう言えば、君の名前はなんていうの?」


 彼女の言葉に、私は少なからず衝撃を受けた。私としたことが、自己紹介を忘れていた。コミュニケーションの基礎を忘れるとは。道理で、色々とすれ違いがおきるわけだ。


「レイフ・クリケット。治安維持隊大佐、超越者序列二位だ」


「うわあ。あだ名がつけづらい名前。とりあえず、普通にレイフさんでいいか。一応ミカゲンの敵だし。……敵なんだよね?」


「かつてはな。今は……そうだな。共闘関係にあるというのが、正しい表現か」


「それで、ミカゲンは納得してるの?」


「力は貸さないと、先ほど明言された。だが、私が傍にいることを拒んではいない」


「ふうん。御影らしいね」


 らしい。御影奏多らしい、か。


 曖昧な表現だ。だが、本質をついているのは間違いない。問題なのは、その抽象を具体化していけば、必ず誤解が生まれてしまうという点だ。


「謝罪は無意味だが、それでも謝罪しておこう。すまなかった」


「それは、ノゾムを殴ったことに対して? それとも、心の傷に対して?」


「両方だ」


「許してほしいの?」


「別に。私は命令に従っただけだしな」


「それを聞いて、逆に安心したよ。うまく言えないけど、君は御影に少し似ている気がする」


「ありえないな」


「御影もそう言うと思うよ。君がこの家に来ることを許したのは御影でしょう? ノゾムよりもつらい目にあった御影が君を受け入れたのなら、ひとまずそれで納得するよ」


 彼女はそう言って、クスクスと笑った。私が最初にこの家を訪問したときに見せていた敵意は、すっかり霧散している。四月一日に戦っていたのは、何も御影奏多だけではない。彼女もまた、彼女なりに現実に立ち向かっていたのだろう。


「まずは……そうだね。格好つけだね」


「ウォーレンもそう言っていたな」


「すんごいひねくれていて、いつも一歩引いた場所にいるの。なかなか立場を決めないというか……。それを卑怯だって言ったら、『今更か』ってあっさり頷いちゃうところが卑怯なの」


「ふむ」


「それから、ものすごい負けず嫌い」


「具体的には?」


「そう言われても困るよ。ただ、カードゲームでもなんでも、勝てないといつも以上に不機嫌になるね。ババ抜きで負けた後に、チェス盤を持ってきたりもする」


 別のフィールドで勝負しようというわけか。しかし、運の要素が強いカードゲームから、露骨に実力が問われるボードゲームへ切り替えるとは、かなり大人げない。


 先ほども、私との模擬戦でこちらのバッジを奪うという行動に出た。勝てずとも、必ず一矢報いる。その性格は四月一日の邂逅のときにも表れていた。そもそも、勝負に貪欲でなければ、治安維持隊との正面衝突など初めから避けて通るだろう。


「……」

 私はタオルを洗面器の中に放り込み、腕組みをした。

 今のところは、これといって新しい情報はない。『抵抗者』、『日和見』、『自己嫌悪』。この三つで説明できることばかりだ。


「でもね。とっても優しいんだよ」


「優しい? 御影奏多が?」


「そう。御影はね。ノゾムのことを、かわいそうだって言わなかったの。この家に住みたいっていう、ノゾムの意思も尊重してくれた」


「愛されている、というわけか」


「へ?」


 私の言葉に、彼女が意外そうな声を上げた。私としては、彼女の反応の方が意外だった。二人がかなり親密な関係にあると結論付けるのは、ごく自然なことだと思っていたが。


「恋愛関係にあるのではないのか?」


「……レイフさん、堅物な印象とは裏腹に、実はチャラいの? コイバナとか大好き?」


「いや。ただ、そう考えるのが一番わかりやすいというだけの話だ。恋愛感情は馬鹿にできたものではない。悲劇、あるいは逆転劇の根本にあるのが、他者への愛情であることは、数々のフェアリーテイルが証明している」


「うわあ。現実と幻想を混同している系だった」


「いたって真面目な話をしているつもりなのだが」


「……」


「文学とは人の内面を描くもの。言葉の伝達機能を放棄した自己表現であり、他者の心に傷をつけたいという欲望の叫びだ。主体は常に書き手であり、語り手。観客は必要だが、制作には不必要だ。故に、そこに描かれる愛はある意味で現実のそれよりも重く、根深い」


 頭からシャワーを浴びる。シャンプーハットを伝って、水がタイル敷の床へと滴り落ちていく様子を眺めながら、私はボトルを手に取って中身を手のひらに出した。


 粘り気のある白の液体を髪に擦り付け、かき回すことで泡立たせる。どうやら花を模したらしいシャンプーの芳香が、私の鼻腔をくすぐった。


「自覚がないようだから教えてやるが、貴様らがエイプリルフールに成し遂げたことはまさに奇跡。たった一人の少女の為に、世界を敵に回し生き残る。あたかも英雄譚の如き成果だ」


 最後のあの瞬間、『転換』、あるいはそれ以上の何かが起きていたようだが、そこはさして問題ではない。全体として見て、救出劇として成立していることそれ自体が希少なのだ。


「愛情は感情の一つであり、感情は人間の根本だ。貴様を愛していたからこそ、彼は最後まで膝を屈することは無かった。私に肩を貫かれようとも、超越者に殺害されかけようとも、進み続けた。貴様を手に入れる。ただ、それだけのために。美しい話と言えるのではないか?」


 再びシャワーを浴びて、頭を洗い流す。やはりシャンプーハットを最初に考え付いた者は偉大だ。これさえあれば、目に泡が入るあの不快な感覚を味わう可能性は限りなくゼロとなる。


 十分洗い流したと判断した私は、シャンプーハットを頭から取り外し、桶の中に放り込んだ。次いで、顔を洗おうと蛇口から水を出そうとしたところで、彼女の呟きがふと聞こえた。


「君の判断は正しかったね」


 思わず、後ろを振り返る。


 ノゾムは湯の表面に鳶の髪を泳がせて、私の顔をまっすぐに見つめた。


「御影の前でそんなこと言っていたら、殴られるじゃすまなかったと思う」


「……何だと?」


「その場では何ともない。いつも通りに、肯定も否定もせずに、笑って流すよ。でも……多分御影は、もうレイフさんに心を開くことはなかっただろうね」


「どういうことだ?」


「わからないよ。ただ、そう思うってだけ。誰にもわからなくて、きっと、御影にもわからない。だから、みんな苦労しているの」


「……」


「でも、これだけは言える。御影がノゾムを助けたのは、ノゾムのためじゃない。自分のためでもない。だって、御影はずっと……どこか遠くを見ていたから」


 どこか、遠く。ここではない、どこか。


 隣にいる少女ではなく、その向こう側にあるもの。


「御影はそこに行くために戦ったの。なのに、御影がそこに辿り着くことは重要じゃないの」


「矛盾していないか?」


「そうだよ。でも、御影はノゾムにこう言った。『お前と一緒に、あの場所へとたどり着く』」


「遠い場所というのが具体的にどこなのかは判断がつかないが、その宣言こそが、御影奏多が誰よりも貴様を優先していることの証左では……」


「御影は誰も優先してないよ」


「馬鹿な。前提を忘れたのか。彼は貴様のために、他でもないこの私に歯向かった」


「ノゾムが救われたのは、ノゾムがノゾムだったからじゃない。御影が御影だったから、ノゾムは救われた。けれど、誰もむくわれない」


「……度し難い」


「ゴメン。自分でも何を言っているのか、わからなくなってきたよ」


「そういうことではない。貴様はむしろ、私が今まで会話してきた者たちのなかでも、かなり知的な方だ」


「そ、そう? レイフさん、ノゾムの話ちゃんと聞いてくれるし、もしかしなくても、実は優しい? いやあ、ミカゲンになじられてばかりだったから、感覚が麻痺してたのかな!」


「幼稚でもあるが」


 ノゾムの頭が、湯の中に消えた。どうやら、潜水することで現実から逃避しようとしているらしい。そういうところが幼いと、なぜわからないのか。


 今までの会話を、頭の中で整理しようとする。が、いかんせん元が矛盾の塊であるため、論理だった流れに個々のピースをのせられない。看過できない、ロジックエラー。手に持った地図と実際の地形が一致していないような、そんな感覚。


「何なんだ、そのあり方は? 正義という言葉で片づけたくなるが……」


「御影は鼻で笑うだろうね。『お前は、そう思うのか。俺にはわかんねえよ』って」


「あの男は、ありとあらゆる可能性を想定しているからな。わかっているからこそ、そのような否定の仕方ができる。だが、その態度を形成した、本人さえ気がついていない、あるいは、忘れてしまった原点が存在するはずだ」


 本質はいつだって、無意識の中にある。


 人を言葉で定義することはできない。確かにその通りだろう。しかし、何かしら気づかされることはあるはずだ。定義不可とは、理解不可と必ずしも同値にはならない。


 彼に選択を強いる以上は、条件をそろえてやらねば始まらない。見る必用のない現実に向き合わせる以上、こちらもそれなりの労働をしてしかるべきだろう。


「なんだか、難しい考え方をするね。色々考えすぎて、空回りしていない? というか、なんでミカゲンのためにそこまで頑張るの?」


「そう言われても困る。私は、手を抜くという概念を知らないからな。どんなことであっても、全力を出す。いや、出してしまうというほうが正しいか」


「だから無自覚に、とんでも行動に出ちゃうのか」


 彼女はため息を吐くと、浴槽の縁に頬杖をついた。いくつかの水滴が、谷間へと滑り落ちていくのが目に映ったが、そのことには気がついていないようだった。


 先ほどの反応からして、何か言うべきなのだろうか。私がそんな益体もない迷いを抱えていると、不意に外から荒々しい足音が聞こえてきて、風呂場の引き戸が開け放たれた。


 なぜか服を着た状態で入ってきた御影奏多が、私の姿に目を剥いて叫んだ。


「お前! 何してくれちゃってるの!?」


「貴様こそ何をしている。女性のいる風呂場に突入するとは」


「そっくりそのまま返すぞ超越者! というか、別にコイツの裸とかどうでもいいわ!」


 私が来たとき以上に顔を真っ赤にして(のぼせたことが原因ではないようだった)あたふたしていたノゾムが、急に真顔になって再び潜水してしまった。乙女心は複雑である。


「お前、ウォーレンに何をした! 食堂で伸びてたぞ!」


「風呂場で彼女と話すと言ったら、急に激高して戦闘になった」


「……くっ! ウォーレンの馬鹿野郎! この女のために、そこまですることないだろ!」


「怒りのベクトルが違ーうッ!」


 何をどうしたのか、水中から私たち二人の会話を聞いていたノゾムが、浴槽からかなりの水を溢れさせるほどの勢いで立ち上がった。華奢な体に張り付いた鳶色の髪が、芸術的なまでにきわどいところを隠していた。


「ノゾムが一番かわいそうでしょう!? 誰もノゾムの体に興味がないなんて!」


「……んん?」


 思わず戸惑いの声を上げてしまう。どうやらこの風呂場、一般的な価値基準というやつが適用されない空間と化しているらしい。……なぜだか、それを私が指摘してはおしまいのような気がしてきたが、事実なのだから仕方がない。


 私が蛇口からの水を手で掬い取って顔を洗っていると、ノゾムがついに羞恥の心をかなぐり捨てて、真っ裸のまま湯船から抜け出し御影奏多と向かい合った。


「別の男がノゾムと裸でいたんだよ? 少しは心配してよ!」


「そこの天然は、命令された以上のことをしない、私情絶対殺すマンだからいいんだよ。ウォーレンの奴も過剰に反応しすぎだ」


「そういうことじゃないもん! もう少し、ノゾムのことを心配してほしかったの!」


「心配? 夜中にパソコンで、男女か男同士か女同士がほにゃららしている画像を見ながら悶絶しているお前が、風呂場に入られる程度のことを気にするわけがねえだろ」


「なんで知ってるの!?」


「ハッタリかましただけなのに本当だったんかい! お前がそんなんだから、心配する気になれねえんだよ!」


 『微笑ましい会話』だと私は思った。ノゾムはああ言っていたが、こうして見ると、二人の仲が良好であることは間違いないだろう。


 ボディーソープを流し水を切ったタオルを手早く洗い腰に巻いて、言い争いを続ける二人を放って浴場の外に出る。何となくだが、二人だけにしておいた方がいいような気がしたからだ。


 衣服等を入れていた籠からバスタオルを取り出して、体を拭く。下着を身に着け、寝間着に身を包んだところで、御影奏多が浴室から顔を出した。


「ミカゲンのバーカ! 他の女とばかりイチャコラして!」


「事実無根なことを言うな! 大体、もしそうだったとしても、お前には関係ねえだろうが!」


「うわーん! この冷血男! 機械人間! ニヒリスト!」


「今更だろうが、阿呆」


 御影奏多はノゾムに背を向けると、後ろ手にガラス戸を閉めた。扉に背中を預け、額に掌を押し当てて嘆息する。どうやら、普段から彼女の扱いに相当手を焼いているようだった。


 先ほどのノゾムとの会話を参考に、今の二人のやり取りについて分析を試みる。だが、騙し絵で描かれた建物が現実に目の前にあるような戸惑いがあった。


 たとえ恋愛感情ではないのだとしても、御影奏多が彼女に少なからず好意を持っていることは間違いないだろう。しかしそのことは、四月一日の件には関係ないと彼女は言い切った。


 彼女自身に言ったように、ノゾムは幼稚ではあるが、頭の回転が速い。論理を無視した勘が、最適解を導き出すことはよくある。ただ今回は、導出された結果もまた曖昧だった。


「おい。なにぼーっとしてるんだ、お前」


 御影の呼びかけに、私はふと我に返る。訝し気な視線に対し、私は肩をすくめた。


「別に。少し、考え事をしていただけだ」


「アイツの裸がどうだったかを思い出していたのか?」


「そんな無意味なことはしない」


「そいつは重畳。それで? お前は、今回の騒動に対して、どう責任を取ってくれるんだ?」


 御影奏多が皮肉気な笑みを浮かべて、こちらを見つめてくる。だが、目はまったく笑っていない。相手は子供であるとは言え、生半可な答えを返すわけにはいかないだろう。


「何に対する責任を求めている?」


「ハ? 何言ってんの、お前? そんなの、お前が一番わかってんだろ?」


 ここで明言しないところが、御影奏多らしい。自然な流れでそう思える。どうやら、彼女との会話は、想像以上に御影奏多という人間を把握するのに役立ったようだ。


 先ほどの態度からは、御影奏多は風呂場の一件については気にしていないように見える。だが、本当のところがどうなのかは、わからないように誤魔化しているのだろう。


「私が常識外れであるという自覚はある。だが、彼女と風呂を共にしたのは、私なりの考えがあってのことだ。彼女が強く拒絶するようだったら、私はすぐに謝罪して退室していただろう」


 実際にはそうならなかったし、ならないと予測していたからこその行動だった。と言っても、私にしては珍しい、根拠薄弱な予測だったが。


 そう。初対面の時からして、彼女からはどこか、ボクシやヴィクトリアと同じ雰囲気を感じた。……言うなれば、痴女だ。そのあたりをウォーレンが把握していなかったのがまずかったのだろう。良くも悪くも、彼は古風だったというわけだ。


 三人の女性とあの執事に知られたら問答無用で刺されそうなことを考えつつ、私は自然体で御影奏多の反応を待つ。彼は呆れたように鼻を鳴らして、笑みをより一層深いものにした。


「それは別にいいさ。アイツもまんざらじゃなさそうだったしな。それよりも、うちの執事を寝込ませたことの方が重大だろう」


「……」


 私が金堂真の娘について話題に出さなかったとしよう。その場合は、『あんな奴でも女性なんだから、少しは気を使え』と苦言を呈してきていたような気がしてならない。


 だがどちらでも、御影奏多自身が彼女を気遣っているのかどうかはわからない


「彼についてはすまなかった。だがそうでなくとも、貴様も言っていたように、サミュエル・ウォーレンには少し休暇を与える必要があるのでは?」


「確かにな。だが、最近はアイツに頼りきりだった。損失はでかい。埋め合わせをするのは、簡単じゃねえぞ?」


「私が、彼がこなしていた家事の全てを、代わりに担当する。それで手打ちとしてくれ」


 沈黙が、更衣室を支配していった。


 私の言葉に、御影奏多はしばらく口をあんぐりと開けてこちらを見つめていた。だが、やがて耐え切れなくなったというように噴き出すと、腹を抱えて笑い出した。


「オイオイ、正気かお前!? よりにもよって、世界の頂点に立つ超越者様が、ハウスキーパーの真似事かよ? いいね。最高に期待外れで、期待通りだ!」


「まどろっこしい言い方をするんだな」


「そういう年ごろなんだよ。しかし……マジか。お前が家事をやるのかよ。想像だにしていなかったな。謎の優越感があるぞ、これ……」


 御影奏多は心底おかしそうに肩を揺らしながら、更衣室から立ち去っていく。私はその後ろ姿から目を逸らすと、天井へと顔を向けた。


「……卑怯者、か」


 彼は最後まで、いつもの軽薄かつ傲岸不遜な態度を崩すことは無かった。これでは、ともすれば犯罪者扱いされかねない行動にまで出て、彼の『地雷』を踏みぬいた意味がない。


 もちろん、彼女と会話したいと思ったことは本当だ。ウォーレンがあそこまで激高したことに、違和感を覚えたのもまた確か。


 しかしその裏に、あわよくばの可能性を見出していたことは否定できない。何事に臨むにも、手段を選ばないのが私だ。リスクを負った分、得られたものも多かったが、しかし……。


「手詰まり、だな」


 別に、御影奏多の内面を分析するのは、命令されたわけでもなんでもなく、習慣と自分の唯一と言ってもいい行動指針に基づいただけのものだったのだが。


 それは確かに、私にしては珍しい『敗北宣言』だった。


 だがその諦念は、数日後にある男から聞かされた話で、霧散することとなる




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