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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート3 イモーショナル・ジェイラー(前編)
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Episode 1-1


Episode 1





 当然のことながら、話は現在から始まる。


 過去に思いをはせるには、その理由が必要だ。何らかの目的、あるいはきっかけが無い限り、人はそのような無駄なことをしない。


 少なくとも、私はしない。


 理由づけが、必要だった。


 六月の初頭。早朝のトレーニングをしている最中に、私は元帥から直々の呼び出しを受けた。よほどの緊急事態なのだろうと普通なら判断するが、相手がヴィクトリアでは一般論など役に立たない。行動の予測がつかないのは、七年前からまったく変わってない。


 無論、私もまた、変わってなどいないのだろう。


 微塵にも。


 あまり知られていないが、エンパイア・スカイタワーには地下施設が存在する。主に倉庫として用いられているが、地下三階には、トレーニング、訓練用の設備が整えられている。


 超越者には、かなりの自由が与えられている。訓練を強制されるなどということはまずない。それ以前に、自身のコンディション管理もできない人間は最初から選ばれない。


 超能力を使わない範囲でのトレーニングには、超越者は大抵この地下施設を用いている。すぐ上が職場というのも利便性が高い。毎朝六時から使用するのは私だけだが。


 軽くシャワーを浴び、更衣室で赤茶の制服に着替えて、エレベーターへと向かう。途中、サングラスに革ジャンと、相変わらずちゃらけた格好をしたマイケル・スワロウと鉢合わせた。


 超越者の中でも、かなりの若手だ。七年前のアウタージェイル掃討作戦にも、参加していなかった。


「ありゃ。朝の運動はもう終わりですか、レイフさん」


「ヴィクトリアから呼び出しを食らってな」


「レーガン元帥から?」


 スワロウは一瞬怪訝そうな表情になったが、すぐに興味を失ったのか、廊下を歩き去っていった。いい意味でも悪い意味でも、切り替えの早い男だった。


 地下からのエレベーターは一階までしか通じていない。更に上の階に行くには、一階ホール北突き当りのメインエレベーターに乗る必要がある。


 一階に辿り着き、少し奥まった場所にある乗り降り口から、正面ホールへと移動する。まだ閑散としている時間帯にも関わらず席についている受付の者に挨拶をし、メインエレベーターへと向かう。


 待ち合わせの場所は、タワー最上階の円卓だった。軍上層部の者が会議で使用する場を指定するとは、いよいよ彼女の隊私物化が進んでいるような気がしてならない。


 彼女が優秀であり、円卓の連中のほとんどが無能であったことは否定しない。しかしえてして、絶大な権力を握った者は暴走するものだ。危険だと言わざるをえないだろう。


 しかしまあ、彼女の場合は大丈夫か。


 少なくとも、最大の好敵手が外部にいる間は、何とか均衡が保たれることだろう。恐らく私の予想は間違いではない。


 感情というやつは、実にわかりやすい。……度し難いこともままあるが。


「おう、来たか」


 エレベーターで最上階へと到達した私は、朝焼けに浮かび上がるビル群を背景に、巨大な円卓に一人座るレーガンに出迎えられた。


 パジャマに寝癖で、朝食を取っていた。


 私としては、たとえ彼女が下着姿であっても気にすることはないというか、七年前に何度も見せられたというか、何というかなのだが、一応は元帥という立場にいる以上、部下に対する威厳というものを保つ努力を、もう少しした方がいいかもしれないとは思う。


「今日のニュース見たか」


「まだだ」


「なら見ろ。今ここで。これは命令だ」


 そう言って彼女は、クロワッサンの端を噛み千切った。何故だか、肉食動物が獲物を食いちぎる様を連想させた。


 言われた通りに、胸ポケットからペン型の端末を取り出し、ボタンとなっている天ビスの部分を押し込んでホログラムウィンドウを出現させ、ニュースサイトを開いた。


 『未成年超能力者負傷』という見出しが躍っている。一瞬、先月の御影奏多による暴行事件を思い浮かべたが、状況はそれとは真逆だ。


「昨夜のことだ。第一高校の学生が四名、襲撃を受けた」


「そうだな」


「……ニュース見てないって言ったよな、お前」


「今日はまだ見ていなかった。昨日確認したが」


「ああ、そう。相変わらず妙なところで律儀というか、頭が固いというか……」


 ヴィクトリアはどこか釈然としないといった顔で、中断していた説明を続けた。


「被害にあったのは、学生警備副隊長エボニー・アレイン、生徒会会長ソニア・クラーク、第一高校主席の御影奏多、四年生特設クラス学級委員長ロイド・ウェブスターの四人だ」


「第一高校では、それなりに名の通ったメンバーということか」


「一人につき、二、三人で包囲される形だったらしい。全員刃物を所持していたから、暴行というよりは殺人未遂だな」


「なかなかに過激な話だ」


「アレイン、御影の二名は無傷で済んだ。ソニア・クラークは腕を斬りつけられたが軽傷。最後にロイド・ウェブスターだが……腹部を刺され、今も意識不明の重体だ」


「改めて情報を確認すると、かなり切迫した状況だと言えるな」


「そう思うなら、少しはそれらしい顔をしてくれないか」


 ヴィクトリアがそう言ってきたのに対し、私は首を傾げた。


 どうも、彼女には何か気に食わないことがあったらしい。それが何なのかは、ある程度推測することが可能ではあるが、彼女の期待通りに振る舞う必要性を感じない。


 彼女は治安維持隊の元帥であり、私はその部下だ。たとえ、寝間着の間から下着が覗いていようが、現在進行形でオニオンスープを胃に流し込んでいようが、円卓の上に足を投げ出していようが、私には関係ない。


 関係ないのだろう。


 主従関係を保つことが、治安維持隊という組織においては最善だというのが私の結論だ。


「襲撃者の身柄は確保できたのか?」


「それは高望みが過ぎる。あの御影奏多ですら、ルークに報告を入れたときには気を動転させていたらしい。体術で撃退できただけでも幸いだったと言うべきだろう」


「体術だと? 能力ではなく?」


「そう報告された。まったく。ルークも、大事な手駒なら警備くらいつけろってんだ」


「一名軽傷。一人重傷。犯人不明。そこまでは、私も掴んでいた。重要なのは、ここから先だ」


 この程度のことは、報道機関からも発表されている。ネットの世界は、犯人を糾弾する声で大いに盛り上がっているらしい。五月とは論調が逆なのが、皮肉と言えば皮肉だ。


 幾度となく繰り返されたことだ。それはただの事実であり、そのことについて嘆くことを強要されるのは、たとえ私のような人間でなくとも戸惑いを覚えるだろう。


 よって、私に悲嘆は必要ない。少なくとも、今、この場においては。


「なぜ、私を呼び出した?」


 ヴィクトリアはパンの最後のひとかけらを咀嚼し飲み込むと、椅子の上に座りなおした。


「つい先ほど、反社会的組織の一つである『テスタメント』が犯行声明を出した。公理評議会がマスコミを黙らせてはいるが、それもいつまでもつかわかったものじゃない」


「戦争になる恐れがあると?」


「それだったらまだよかったんだがな。アウタージェイルと違い、テスタメントに関する情報は少ない。何が起こるか分からないというのが現状だ。我々はまたもや、後手に回っている」


「守る側は、大抵そうなる」


「攻撃こそは最大の防御、というわけにもいかないのが悲しい所だ」


「それも分かり切ったことだ。いい加減、本題を切り出してもらいたい」


 全ての皿を空にし、ナプキンで口を拭う元帥に対し、私はあくまで平坦な調子を保って続きを促した。


「お前は少し、愛想というやつを身に付けろ」


「緊急の話ではないと?」


「本当、面倒くさい奴だな、お前。能力があるのがより一層たちが悪い」


 なんと返したものか、わからなくなってしまった。


 私としては、私は通常通りの私であり、どこを見てもどこまで探っても普段通りの私でしかなく、考察していようが思考停止していようが私は私だった。


 このあり方に、不便を感じたことは無い。


 変えろと言われて、変えられる物でもない。


 『気に食わない』が、『共感できない』。


 黙り込んだ私を見て、彼女はそれを嘲るように唇の端を上げた。何とも皮肉気な笑みだ。しかしそれは、愉悦を感じているが故に出ているものにすぎないのだろうと、私は解釈した。


「レイフ・クリケット大佐。御影奏多の護衛につけ。これは命令だ」


「……なるほど」


 一拍、沈黙をためて、私は肯定とも否定ともとれない、曖昧な返答をしていた。


 私にしては珍しい。それだけ、命令の内容が予想外だったということか。


「四月一日に殺せと命令した少年を、今度は守れと」


「エイプリルフールだったからな。あれは嘘だ」


「はぐらかすな。だいたい、そのようなことを御影奏多が許すはずがない。彼にとって、私は脅威だ」


「既に公理評議会からの許可は取った」


「……」


 にわかには信じがたい話ではあった。


 治安維持隊と公理評議会、ひいては、ヴィクトリアとルークが対立していることは周知の事実。そして御影奏多は、評議会側にとっては極めて重要な駒だ。


 駒。


 私は今まで、それがチェスのものだと思っていたが、どうやら将棋の方だったらしい。ヴィクトリア・レーガンの性格、及び、現状について分析すれば、自ずと解答は導き出される。


 人間らしい、というよりも、二人らしい結論だった。


 悪くない。


「了解した」


 私がヴィクトリアに対して深い頷きを返すと、彼女は治安維持隊の制服に着替えようと考えたのか寝間着のボタンを外しながら笑った。


「有能な男は嫌いじゃないぞ」


「先ほどと言ってることが矛盾しているが」


「いいんだよ。私は気ままな人間なんだ」


「そういうことにしておこう」


「午後二時から、超越者連中も集めてここで対策会議を開く。遅れるなよ」


「了解だ。では早速、移動するとしよう。地図情報を送ってくれ」


 会話とは、相互理解さえ成り立てばよい。職場では尚更だ。既に承知していることを、また再確認する必要性など皆無なのだから。


 それは、コミュニケーションの理想形だ。言うなれば以心伝心。目くばせのみで互いの意思を伝えられるなら、それにこしたことはない。実際には、それ専門の超能力者でも連れてこない限りは実現が困難であるからこそ、慎重になる必要があるのだが。


 そして、少なくともこのときに限って言えば、私は少々性急すぎであったし、彼女もまた、私のことを過大評価していた。


 私には別に、彼女が考えていたことの全てが見えていたわけではない。その事実を私は、僅か数時間後に思い知らされることとなる。



  ※  ※  ※  ※  ※



 エンパイア・スカイタワーを後にし、私は御影邸を目指して、車を走らせていた。ラジオは丁度スタッフの休憩時間なのか、繋ぎとして今年流行りのポップスを流している。


 音楽は人間独自の物ではない。鳥もしかり。虫もしかり。求愛の証として、音を用いる生物は思いのほか多い。


 だが、人間のそれはやはり独特だ。独自の進化を遂げている。何せ、意味もなく、ただ音を聞き流すのを耽美するという、生産性のない行為なのだから。


 好む。趣味とする。それこそが文化の原動力であり、芸術を開花させる土壌となる。……とまで言うと、少々大げさかもわからないが。


 動物にも趣味がある。動物園に行けばそれは一目瞭然だ。人間観察と動物観察を併用し分析すると、あの空間が単なる娯楽施設を越えた何かに見えてくる。


 彼らは檻の中にいる。だが彼らから見れば、私たちが檻の中にいるように見えているだろう。はたして、快楽を追い求めるがゆえに発展してきた人類と、それに支配される側となった畜生のどちらが幸福なのか。答えは誰にもわからない。


 なぜなら、動物には心が無いからだ。


 議論の前提からして、破綻している。


 スピーカーから飛び出た音の群れが、小魚の群れとなって車の中を跳ね回る。軽快なポップスが鼓膜を揺らすのに対し、私は意味を求めることなく目的地へと向かう。


 やがて歌も終わり、番組はニュースへと移行していく。子供の超能力者が襲われたという事件がセンセーショナルに取り上げられ、報道する側もまた、自らの紡ぎ出した言葉に酔いしれ過熱していた。


 彼の舌が、一か月前まで反超能力者を唱えていたことを、私は知っている。人間とは都合のいい生き物だ。誰もが二枚舌であり、言葉に責任を持つことが無い。


 言霊という概念があるが、ある意味で文字通りに、我々にとって言葉とは、霊となり霞と消えていくもののようだった。


「……これは皮肉か、諦念か。いや、どちらでもないか」


 ハンドルを握りながら、誰に聞かせるわけでもなく呟く。私にしては珍しい、何の意味もない独り言だった。


 そうこうしているうちに、私は御影奏多の自宅を取り囲む塀の脇を走っていた。鉄格子の向こう側に広がる庭は、少なくとも私の目の届く範囲では手入れが行き届いているようだった。


 かなり背の高い門が見えてきた。閉じられている。ヴィクトリアがああ言っていた以上、フィールドの条件設定により私が締め出されていることはないだろう。しかし当然のことながら、門を無理やり突き破って進むわけにもいかない。私は一度車を停めて外に出ると、表札の下に設置されたインターフォンを鳴らした。


 私の目の前にホログラムウィンドウが出現する。その中では、燕尾服に身を包んだ老人が微笑んでいた。


『どちら様ですか?』


「治安維持隊のレイフ・クリケットが来たと、御影奏多に伝えていただきたい」


『承知しました』


 老人が一礼するのと同時に、ウィンドウの映像が消える。あの高校生は、どうやら執事を雇っているらしい。超能力者であることを考慮しても、かなり豪奢な生活を送っているようだ。


 しばらくして、再び執事が映し出され、困ったような顔で言った。


『絶対に通すな、と言われてしまったのですが』


「それはおかしい。既に話はついているはずだ」


『さようでございますか。ならば、お通りになってもよろしいかと。門に鍵はかかっていませんので』


『おい、ちょっと待て! なに勝手なことしてんだ! アイツ敵だぞ! それも最強格だぞ! 冗談抜きで殺されるっちゅうの!』


『お茶を出してもてなせということですね。了解しました』


『クビにすんぞオイ! というか何で超越者が来るわけ!? 公理評議会は何してた!』


「……」


 大体、察することができた。


 どうやらヴィクトリアは、今回の件について評議会には伝えていたものの、肝心の御影奏多本人に連絡を入れていなかったらしい。


『評議会に通信! 通信を……繋がった! おい、白! 何でうちに超越者が攻めてきて……ハアッ!? 何でそこで爆笑してんだよ! 冗談じゃねえぞ!』


「落ち着け、御影奏多。貴様と事を構えるつもりはない」


『ああそうですか! 左肩ぶっ刺した奴が言うと本当に説得力がありますねえ!』


『クリケット様は、紅茶とコーヒーのどちらをお好みでしょうか?』


「紅茶で」


『いい加減にしろウォーレン! 戦闘準備だ! あの居候も連れて来い!』


 最終的には錯乱状態にあった御影奏多の姿も映していたウィンドウが、完全に消滅した。


 彼も冷静になれば、私があの少女を殺めるべくこの家を訪れたわけではないことがわかるだろう。もしそうであるなら、馬鹿正直にインターフォンを鳴らしたりはしない。


 問題は、彼の言う通り、私が彼に重傷を負わせた過去があることだが、そこはルークとあの良識ある老人が宥めてくれることを祈るしかないだろう。


 神頼みか、運頼みかはわからないが。


 何にせよ、そのどちらも私は頼りにするべきではなかった。神が私に救いを与える可能性は皆無に等しく、また、運という曖昧な概念は、基本信用ならないのだから。


 案の定と言うべきか。門を開き、車を邸宅へと走らせている途中で、私はそのどちらにも裏切られることとなった。


「……む」


 青の粒子が視界に飛び込んできたのを確認するや否や、車の外で強烈な暴風が吹き荒れた。


 ブレーキを踏み込む。それと同時に、車体の前方部へと激甚な衝撃が加えられ、気がついたときには車の前輪が地面から離れてしまっていた。


 そこからの行動は、全て脊髄反射的なものだった。


 まずは懐から、『柄』としている金属製の棒を取り出し、その先に極薄の刃を出現させる。それをもってフロントガラスを円状に切り取り、車の外へと脱出した。


 直後に、車は空中を回転しながら飛んでいき、白い砂利道の上に墜落してボンネットをひしゃげさせた。


 私は地面を何回か転がることで勢いを地面との摩擦で緩和していき、完全に相殺されたところで、制服についた土埃を払いつつその場に立ち上がった。


「シートベルトをしていなかったのは、不幸中の幸いと言うべきか」


 そう呟いた途端、周囲の空気が、ぞわりと生き物のように揺れ動くのを感じた。


 青い粒子を纏った空気の槍が、おそらくは四本、私を取り囲むようにして襲ってくる。それを地面から極薄の『壁』を出現させることで防ぎつつ、『柄』を内ポケットにしまった。


「やれやれだ」


 これは政治的意図の介在しない、無駄な戦闘だ。正直相手をするのは億劫ではあるが、そうこうしている間にも、『壁』の間を縫うようにして、人を容易に吹き飛ばせる規模の強風が押し寄せてくる。それを能力で新たに作り出した『壁』で防ぎ、大きく深呼吸を一つした。


 これは自然現象ではなく、御影奏多という人間が起こした異常現象だ。言うなれば意思を持った風である以上、そこには必ず隙が生じる。


 私には、風そのものに対する知識などない。よって、目に見える物、耳に届く物を頼りにするのではなく、相手の呼吸を読む。たとえ相手の姿が見えなかろうが、戦闘の形式が常人と大きく異なっていようが、彼が人間であることに変わりはない。


 人間は、パターン化することができる。


「……」


 真空の刃がつい先ほどいた場所の地面を抉り取ったところで、私は一気に邸宅の方向へと疾走した。


 姿勢を低くし、動きを洗練させ、最高速度で目的地へと走る。過剰光粒子の密度が一瞬薄くなったことから、御影奏多が突然のことに動揺している様子が手に取るようにわかった。


 こうなればもはや、こちらのペースだ。時には前転をし、ときには側転に近い動きも取り入れて、見えざる敵意を回避する。ものの数分もしないうちに、玄関前の噴水像に辿り着いた。


 普通なら、ため池を避けて、右か左に進路を変える。しかしここはあえて、直進するべきだと私は直感した。


 噴水の上へと跳躍した瞬間、気流の束が二本、噴水の脇を通り抜けた。どちらかを私が通るものと考えていたのだろう。


 空中で体を前に回転させ、女神像の頭に右手をついてさらに跳躍する。懐から『柄』を二本取り出し両手に構え、着地と同時に刃を出現させ、玄関の真新しい大扉を切り裂いた。


 扉の分厚い板が三角形に切り取られ、向こう側に倒れていく。それをさらに踏みつける形で邸宅内部へと侵入した。


 とそこで、二ヶ月ほど前に体験したのと、まったく同じ頭痛が襲い掛かってきた。


「……ッ!」


「よーし! よくやった、居候! アンチ(超能力者)フィールドじゃあ!」


 見ると、御影奏多と四月一日に治安維持隊が追い回していた例の少女が、大階段の近くに立っているのがわかった。


「それネタとしてまずくない、ミカゲン!?」


「ミカゲンって呼ぶな、御影で……って、嘘だろ!?」


 脳を攪拌されているかのような痛みを無視して、更に前進した私に、御影奏多は驚愕の表情となった。


 御影奏多の目前まで接近し、『柄』を二つとも投げ捨て、彼の腕を取り床に叩き付けようとする。だが私はそこで、こめかみのあたりにチリリと疼く何かを感じて、上体をのけぞらせた。


 あの老紳士の蹴りが、つい先ほどまで私の頭があった空間を穿った。


 私はそのままバク転して後方に下がると、空手の基本姿勢を取った。


 自分の息が少し乱れているのがわかった。私と同じ構えをとった老人は、かなりの手練れだと直感でわかる。私と同じく、数多くの格闘術を身に着けているようだ。


「ウォーレンの一撃かわすのかよ……」


 御影奏多が呆れかえった顔で見つめてくるが、呆れているのはこちらも同じだ。一高校生がなぜこれほどの者を執事として抱えているのか、理解に苦しむ。


「しっ!」


 拳を握りしめ、気合の声と共にウォーレンと呼ばれた執事の顔面へと放つ。彼は紙一重のところでそれを避けると、こちらの腕を取ろうとしてきた。


 この一瞬で、柔道に切り替えたのか。敵ながらその技量には舌を巻く。相手の手を払いのけ、更にカウンターで左の拳を突きつけるが、ウォーレンもまた難なくそれを防いでみせる。足払いをかければ、かわされるばかりか逆にこちらの態勢を崩そうと画策され、ならばと肘打ちのような喧嘩殺法を用いても動揺することなく対応してくる。


 だが、残念ながら私と彼では体力が違う。ウォーレンの顔に若干の焦りが出たと見て取るや否や、私はバックステップで彼から離れ、両手を広げてみせた。


「御老人。大方御影奏多に言われて仕方なくだろうが、これ以上の戦闘は無益だ。違うか?」


「……その通りでございますな。いやはや、ここまでの実力者に会ったのは初めてです」


「お互い様だ。貴様の全盛期なぞ、想像したくもない」


 ウォーレンは肺の空気を全て出し切ろうとするかのように、長い長いため息を吐くと、階段の上に座り込んでしまった。少々こちらも本気を出しすぎた感はある。


「居候とウォーレンを引きずり出してこれか。まったく。お前、超能力者である以前に、人間としておかしいだろ」


 御影奏多が両手を上げて歩み寄ってくる。その背中に隠れるようにして、鳶の髪の少女がじっとこちらを見つめていた。


 警戒心に満ち満ちた目だった。当たり前だが。


「途中からは確信犯だな。私がここに攻め込みに来たわけではないとわかったうえで、四月の報復をしようとでも考えたのだろう。車代は支払ってもらうぞ」


「一台くらいなら問題ない」


「それから、要所要所で詰めが甘かった。自らの能力を過信しすぎだ。いや、頭脳をか。計画が全てうまくいくことを前提としている。四月の件で己惚れたか」


「説教かよ」


「む。すまないな。そのつもりは無かったのだが。私はどうも、高飛車に出てしまう癖がある」


 高圧的な態度を取っているつもりはないのだが、客観的に見るとそうなっているらしい。私としては気がついたことをただ言葉にしているだけなのだが、どうもそれだけでは丸く収まらないのが社会というもののようだ。


「だが四月の件は、ボクシとルークのサポートがあったからこそだ。それを忘れないことだ」


「わかってるよ、そんくらい」


「頭ではな。しかし感情としてはどうだろうか。自らが劣ると言われて納得できないのは、人として自然なことだ」


「……ちっ」


 御影奏多は気に入らないといった様子で私から目を逸らした。こういう妙な意地があるところは、彼がまだ子供であることの証左だろうか。


 ふと目を移すと、彼の服の裾を掴む少女の手が、震えているのがわかった。


『……なるほど。そういうことか』


 道理で、御影奏多の機嫌が悪いわけだ。私もつくづく、空気の読めない男だった。


 直感的に、人の気持ちを理解することができない。


「紅茶をいただきたいですね」


「わかりました。では、客間に案内いたしましょう」


 私の呼びかけに、ウォーレンは階段の上から立ち上がると、こちらに背を向けた。私はそれを、無言で追いかけた。


 御影奏多へと、再び視線を向ける。


 少女はいまだ、彼の後ろに隠れたままだった。




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