第二部あとがき
あとがき
狂人はとても恐ろしい。普通ではなく、異常。常から異なる存在です。ここで普通とは何かという方向に話を持っていくと、途端に面倒臭くなるのは皆さんにも経験があるかもしれません。では逆に、狂うとは何かについて掘り下げてみるとどうなるのでしょうか。差別、偏見につながりかねないことを承知で言いますが、一般の感覚でいうなら『人間の言葉が通じない人』がもっとも適切でしょう。会話が成り立たず、コミュニケーションがとれない。もしくは、『考えていることがわからない』でもいいかもしれません。だからこそ、とても丁寧に、完璧に説明しても自分の考えを理解してくれない人たちを、馬鹿なのか、はたまた阿呆かと罵倒することになる。そうすると、狂うというのはやはり自分の見方から外れた存在ということになります。ここで重要になるのは、狂気とはあくまで相対的なものとなり、絶対的なものではないということです。狂人と呼ばれる人間の中では、確かに理屈も理論も成立している。矛盾も無く論理的だ。だけど、『あなた』には理解できない。そういうことなのでしょう。
それでもやはり、絶対的な狂人もまた存在するはずなのです。万人が共通して、『この人間は人間ではない』と判断する一定のラインが存在する。そうなると、やはり物理的要因、あるいは過去の出来事に証拠を求めざるをえません。頭を強く打ったから。生まれつき脳が小さいから。過去に虐待されていたから。負の遺伝要素があったから。ある原因があって、そこから過程が生じて、だからこそ結末が訪れて、その人間が他者から忌み嫌われることは正当化されて、嫌悪の感情を抱くことは正当で、自分は絶対に狂うことなくごく普通の一般人でいることができる。なんにせよ、その議論に当の本人である『狂人』が入り込む余地はありませんが、少なくともエボニー・アレインが誰よりも正しかったことは確かです。というわけで、誰が一番狂っていたのか。ユートピア・アラート第二部、ファイアドール・ユアセルフでした。
一部では世界と一般人を語り、二部では個人と超能力者を語りました。一般人も超能力者も普通にキャラクターとして登場し、互いに干渉し合い、物語を創り出していきます。一体どの勢力に感情移入すればいいんだと戸惑うかもしれませんが、それもまた一興。少なくとも私は愉悦できます。次からまた更なる混迷を極めるストーリー展開をお楽しみに。
ここまで読んでいただいた全てのかたに、最大級の感謝を。御影奏多を中心とした能力世界の旅路に、もう少しお付き合い願えれば幸いです。
……読んでほっこりするような、ハートフルな小説を目指しています(棒読み)!




