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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート2 ファイアドール・ユアセルフ
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第三章 悪意-7





 トウキョウ超能力発現セミナー、元校舎前。

 ティモ・ルーベンスとレイフ・クリケットは、両者共に戦闘の意志を放棄して、中央エリアの夜空を赤々と照らし出す火柱を見つめていた。


 レイフは金属製の円筒の先から刃を消失させると、それを懐にしまい、ルーベンスのことをじっと見つめた。

 それに対し、ルーベンスは深々とため息を吐くと、宙に浮いていた鉄塊の群れを全て地上におろし、ホログラムウィンドウを出現させ、上層部へと通信を繋いだ。


「アッディーン補佐官か? 既に連絡が行っているかもしれないが、緊急事態だ」


 ルーベンスはホログラムの向きを変えると、セミナーの火災が向こうにも見えるようにして、淡々と続けた。


「『テクラ・ヘルムートに操られたと思われるエボニー・アレイン』が暴走。今、第一高校生徒である、御影奏多と交戦中だ。介入することは、たまたま現場に居合わせた、レイフ・クリケット大佐と協議したうえで不可能だと判断した。よって、セミナーのあるブロックに非常事態宣言を出し、完全に封鎖してくれ。以上だ」


 一方的にまくしたて、ウィンドウを消去する。へなへなと力なくその場に座り込んだルーベンスに、レイフはすました顔で言った。


「結局、御影奏多を擁護するとはな。貴様、もしやとんでもないお人好しなのではないか?」


「……お前に言われたらおしまいだよ。というか、ここまでの事態になったら、誰にも手を出せるかよ。御影奏多がエボニー・アレインを救えるかどうかはまた別としてな」


 ルーベンスは右手を持ち上げると、亜麻色の髪をわしゃわしゃと掻きまわした。その隣で、レイフは静かに腕組みをすると、大講堂を燃やす炎をじっと見つめた。


「いつだって、結末がどうなるかは誰にもわからない。ならば私たちは、最悪の事態に備え、事後処理を考えるまでだ」


「わかっている。もし、御影奏多が失敗した場合は……俺が責任をもって、エボニー・アレインを殺害する」


「嫌なら私がやるが?」


「馬鹿。殺しには慣れてるよ。ま、お前もそうだろうけどな」


 ルーベンスはそう言って首を振ると、忌々し気に舌打ちを一つした。


「まったく。何で俺はいつも、まるで信用できない馬鹿のサポートにまわってるんだろうな。……こんなことには、まるで意味がないってのに」


「少なくとも今回の件に限って言えば、エボニー・アレインを救えれば、貴様の行動に意味はあったと言えると私は思うが」


「どうだか」


 結局のところ、全ての行く末は、天上におわす神とやらに委ねられた。


 全く信用ならず、誰を救うこともなかった、この世の全てを統べる、神様に。



  ※  ※  ※  ※  ※



 風が走り、炎が飛び、空気が飛び散り、火が吹き飛ばされる。


 舞い散るは、橙と青の粒子たち。その下で舞い踊るは、傷だらけの少年少女。


 空気の槍が複数本、御影奏多の頭上を越えて、エボニー・アレインの元へと翔ける。


 それは不可視の攻撃であり、過剰光粒子の密度もあてにならない、迎撃不可能な代物だ。だが、エボニー・アレインも、だてに第一高校のトップスリーと呼ばれているわけではない。こんなものは彼女に効かないことは、御影自身がよく知っていた。


 エボニーが両手を上げるのと同時に、炎の幕が巨大なドームとなって彼女の姿を覆い隠す。もちろん、そんなものでは御影の攻撃は止まらない。ただし、御影の槍は不可視なだけであり、炎をそのまま通り抜けられるものではなかった。


 槍が炎の膜に触れ、ドームに複数の穴が開く。エボニーがかっと目を見開き、叫びを上げた。


「そこ!」


 彼女の足元から炎の筋が伸び、次から次へと御影の槍にぶつかり爆散、相殺した。


 エボニー・アレインは、実技だけで言うなら第一高校で唯一御影と渡り合える超能力者だと言ってもいい。ソニアとはまだ当たったことはないため彼女とは比べられないが、御影も実技テストの模擬戦ではエボニーを相手に手を抜いたことはない。いや、抜けない。


 今回の戦いのいつもと違う点は、既に彼女の手からはライターが失われていることだ。極論を言ってしまえば、模擬戦では火の元であるライターさえどうにかすれば勝利となる。


 だが、今もなお燃えている大講堂がある以上、彼女にとっての武器は無限に存在すると言える。しかも、彼女の攻撃を避けるたびに燃え広がるというおまけつきだ。


「――チッ!」


 そうこうしているうちに、周りから囲むようにして、炎の津波が御影を飲み込もうとしてくる。右手を横に振ることで周囲の空気を拡散させ、その炎の壁を散り散りにするも、先ほどからどちらかと言えばこちらが押されているのは確かだった。


『……本来なら、能力の相性的にはこっちの方が勝っているはずなんだが』


 そのセオリーが、この場では通用しない。何しろ、いつもと火力がまるで違う。こちらの優位に進めるには、取り敢えず火のない所に彼女を誘導する必要があるが……。


「そう上手くはいかないよな!」


 御影がそう叫びを上げるのと同時に、エボニーに操られた炎の束が、二人を取り囲むようにして、さながら竜のようにのたくりながら宙を駆けた。


 その直撃を食らった街路樹、建物が、次から次へと炎上していく。完全に炎の中に閉じ込められた形だった。


「帰りをどうするかとかは……考えてないよなあ」


 少なくとも、エボニーなら炎の中を走って逃げることだってできるだろう。何にせよ、御影にはこの場を戦場にする選択肢しか残されていなかった。


 露出した肌を煤で汚しながら、エボニーがこちらへと歩いてくる。御影はじりじりと後ずさりしながら、相手の過剰光粒子の出現に注意しつつも、思考回路を限界まで働かせた。


『向こうの立場になって考えろ。長距離戦を封じたのは、そうなったら圧倒的に不利だとわかっているから。そして俺を相手する上での一番のセオリーは、理想は室内戦、次点で接近戦だ』


 校舎の戦闘時にはああ言ったが、近づかれれば気配探知以外の大半を封じられてしまう以上、接近戦が苦手であることに変わりはない。


 だが、それには少なくとも一度、こちらの態勢を崩す必要がある。つまりは、こちらの意表を突く攻撃だ。


 エボニー・アレインにできること。それでいてかつ、模擬戦で使っていなかったもの。わからない。そもそも、そこらかしこが燃え盛っているような状況下で、彼女と向かい合うなど本来なら絶対に避ける。どう考えてもこちらに不利だ。


「考えたところでらちが明かないか!」


 中距離で撃ちあうのがベストな以上、こちらの取る戦略はいつもと変りない。そう思い、御影が右手を上に掲げたのと、彼女がその場に蹲ったのが同時だった。


 一瞬、火傷かあるいは酸欠かと勘違いしたが、すぐに彼女が地面に手を当ててることに気がつき、御影は全身に怖気が走るのがわかった。


 超能力者とは言え、ノーモーションで超能力を発動させるのはなかなかに難しい。それは人間が手足の延長線上にしか影響を及ぼしえないと無意識下で思い込んでしまっているからであり、彼女の行動はすなわちその後の攻撃に直結する。導かれる結論は、一つだ。


「クソ!」


 御影がなりふり構わず仰向けに倒れたのと、彼女の手の近くから火の筋が地を這うようにして御影の元へと伸び、すぐそばにあった瓦礫の山の中で爆発したのがほぼ同時だった。


 御影の上半身があった空間を、コンクリート片が散弾となって通り抜けていく。判断があと少し遅ければ、全身蜂の巣にされているところだった。


 避けれはしたものの、今のは完全に不意を突かれた形で、大きな隙ができてしまっている。立ち上がる間に接近されることは、仕方がないだろう。


 案の定、エボニーがこちらに向けて駆けてくるのがわかる。御影はそのまま後転して立ち上がると、体術で彼女を迎え撃とうとして、直後目にした光景に思わず息を呑んだ。


 彼女の全身が、炎に包み込まれている。いくら燃焼反応の全てを操るといっても、これはかなりの無茶だ。そしてそれを見るまで気がつけなかったのは……明らかに、御影が限界を迎えつつあることの証左だった。


 エボニーのハイキックが、御影のこめかみに襲い掛かる。それを首を曲げることで避けつつ、髪が数本焼かれ煙を上げたのに肝を冷やしながら、御影はバックステップで彼女から距離を取ろうとした。


 だがもちろん、それを見逃すエボニー・アレインではない。元々体勢からしてこちらが不利なのに加え、全身傷だらけとなれば、再び追いつかれるのも時間の問題だった。


「……なら!」


 肉を切らせて骨を切る。あるいは、毒を食らわば皿までか。何にせよ、ここまで来たからには、腕の一本ぐらいはくれてやる。


 こちらへと突き出された炎を纏った拳を、左手で受け止める。予想外のことに硬直するエボニーに肉薄し、そのまま左手を振るい背負い投げの要領で彼女を地面に叩き付けた。


「……ア……ガッ!」


 左手が焼けるどころか、パーカーに火が燃え移り、御影は苦悶の叫び声を上げながら、地に横たわるエボニーから距離を取り、パーカーを脱ぎ捨てて足元に叩き付けた。


 間髪を入れずに、無数の真空の刃、かまいたちを出現させ、エボニーに向けて飛ばす。事前にそれを予測していたのか、彼女は地面を転がることでそれを避けると、すぐに立ち上がって、体に纏っていた炎をこちらへと飛ばしてきた。


 エボニーよろしく左手の周りに円状のごく小規模な風を吹かせることで空気の鎧とし、その炎の塊を薙ぎ払う。さらにバックステップを用いるのと同時に、自らへと風を吹かせることで高速で後退しつつ、御影は内心で舌を巻いた。


『……強い』


 ただ、そんな感想しか出てこない。


 いつもより条件的に向こうに有利だとか、そんなことはどうでもいい。ただ、明らかに一つ一つの動きの練度が、他の生徒と違う。先ほどまでの相手と比べても、彼女は別格だ。


 ここに辿り着くために、一体どれほどの修練を積んできたのか。御影には容易に想像することができる。実感として、理解できる。


 そして、何とも浅ましいことに、彼女が自分と渡り合っているという事実が、単純に嬉しい。心が躍る。そんなものは戦闘狂の感想であり、通常の人間のそれではないと頭でわかってはいても、体が喜びを感じてしまっている。


 唇が、笑みの形を描くことを止められない。あくまで第一高校に限定するなら、ここまで自分と戦える人間なんて、彼女一人しかいない。


 思えば。御影奏多という人間が、徐々に周りを遠ざけつつあるなかでも、自分の隣に立ってくれた人間は、彼女だけだった。


 右手を持ち上げ、顔の半分を隠す包帯をむしり取る。御影はその両目を持ってエボニー・アレインを見つめた。


 その実力を、信頼している。


 その精神を、信用している。


 だからこそ、全力を持って彼女の心の叫びに応えよう。


 御影奏多がかつて、決して勝利できなかったエボニー・アレインという敵を叩きのめし、完膚なきまでに救ってみせよう。


 今だけは。御影奏多という人間が、彼女を救うにたる者であると、思い込んでいよう。


 ……いや、違うか。


 ずっと。そして、四月一日もまた、こちらに性懲りもなく手を伸ばし続けたエボニー・アレインは、御影のみならず、自分自身をも救済できると。そう、信じている。


 右手を、空へと掲げる。気流の群れが泣き叫び、いくつもの風の塊が蛇のように宙をのたくり、御影でも完全には制御できないほどに暴れまわる。


 エボニー・アレインの周囲から、再び線状の炎が竜のように空に向かって飛び出て、御影を飲み込もうとその咢を開く。御影は腹の底から咆哮を轟かせ、右手をエボニーに向かって振り下ろし、超局所的な台風のそれをも超える暴風を前方に叩き付けた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 御影奏多は、第一高校最強の実力者であると同時に、最悪の問題児だ。


 いや。そうなった、と言った方が正しい。なにも御影は、最初から、生まれながらに、中学入学当時からそんな肩書を持っていたわけではない。


 それどころか、評価はまったくの真逆だった。


 御影奏多は、第一中学最弱の能力者であると同時に、誰にでも好かれるような、笑顔の絶えない、人懐っこい少年だった。


 そのことを、エボニー・アレインは誰よりもよく知っている。彼の明るい性格は十歳になる前から知っていたし、中学入学直後までは常に二人でいて、彼を近くで見てきた。


 エボニー自身もまた、かなりの実力者であることは否定しない。ただ、彼だけでなく、中学から高校にかけて校内の勢力図も大きく変動した。


 中学入学直後のトップスリー。超能力者としての格が他と段違いであり、まず間違いなく治安維持隊を引っ張っていくことになると褒めたたえられた三人。燃焼反応のエボニー・アレイン。重力操作のラン・シャオナン。電撃電波のミュリエル・ボルテール。このうち、第一高校に進学したのはエボニーだけであり、トップスリーの二角は御影奏多とソニア・クラークの二人にとって代わった。


 だがその過程で、御影奏多とエボニー・アレインの道は分岐している。エボニーはもはや記憶も定かではない暴走を繰り返し、周囲に多大な迷惑をかけ、自分以外のものがまったく見えていなかった。


 そしてその間に、御影奏多は目覚ましい勢いでその力を伸ばし、ソニア・クラークから学年首席の座をかっさらった。


 ……今思えば、御影との関係性に変化が生じたのは、彼に嫉妬していたというのも理由の一つなのだろう。結局のところ、エボニーは強い人間でもなんでもなく、周囲の人間と同じように、心の底では彼のことを見下し、そして憎悪していたのだ。


 実際、御影奏多という人間を尊敬することはできない。素直に凄いと、賞賛することもできない。彼は明らかに周りを自分から遠ざけるようになり、エボニーにもまた背を向け、ときに敵意すら見せるようにあった。


 そしてエボニーを含めた第一高校の人間は、彼を『問題児』という枠組みに入れることで、自分と比べる必要は無いと、比べる価値もないのだと、そう、安心することができた。


 彼を、別格だと、化け物なのだと、遠ざけることができた。


 実際、彼は化け物だ。


 この際、はっきり言おう。御影奏多は誰よりも努力してきた。努力の化身であり、自己研鑽の塊であり、天才ではなく秀才だった。


 だだ、その度合いが明らかにおかしかった。


 彼は冷徹に、冷酷に自己分析を繰り返し、自分に何が足りないのか、何が必要なのかを、機械的に計算をもって判断して、自分に必要なものだけを取り入れた。いわゆる、みんながやらされているものであっても切り捨て、誰もやっていないことを取り入れる強さがあった。


 彼はたった一人で、勝手に成長していった。


 ……だから彼は、誰にも好かれなかった。


 ……だから彼のことが、エボニー・アレインは嫌いだった。


 必要十分な数の授業にしか出ず、登校日数のギリギリを守り、テストにだけは出席して、学年一位をかっさらう。普通に考えて、こんな人間はただの化け物だ。彼の本質が見抜けない生徒は素直にそう考えたし、見抜けてしまった生徒もまた、諦めと共に彼を化け物扱いした。


 学校に行かず、御影奏多は何をしていたのか。なんてことはない。前述のとおり、彼はたった一人で、自分に必要な分だけの鍛錬を繰り返していた。自宅の庭を用いたフリーランニングに、中央エリアの専用施設を用いたトレーニングなどなど。超能力者として、人間兵器として、彼は全ての趣味に背を向け、己を磨き続けた。心が欠けてしまうほどに、体を摩耗させた。


 それを知った者は、誰もがこう思った。


 どうやら自分たちの努力というやつは、全て無駄だったらしい。


 言われたことを言われたようにやるだけでは、成長することはできないようだ。


 努力というやつには無駄なものと有益なものがあり、学校が提示したもののほとんどが、個人の枠で考えるなら、何の役にも立たないらしく、かといって何が役に立つかなど、自分たちにはまったくわからない。


 中高が義務教育の延長であり、たとえ超能力者であっても、自分の力を把握できていない者は治安維持隊入隊直後まったく役に立てないという噂は、どうやら真実のようだ。


 御影奏多は自分達が守っている学校の基準で言えば問題児だが、純粋に数字だけの評価なら明らかに優れており、その数字を獲得するためのすべを御影奏多は知っていたのだと。


 努力と苦労はイコールではなく、効率というものが存在し、苦労は努力に結果として付随するものにすぎず、徒労に終わる可能性も常にあるのだと。


 ……誰だって、こんな事実は嫌になる。


 隣にいるだけで、自分が指示に従うだけの人形だったのだと痛感させられるなんて、まったくもって理不尽だ。


 結論を言ってしまえば、御影奏多には努力をする才能があった。


 そしてそのことを、彼は誰よりも知っていて……だからこそ、彼はそんな自分を嗤い、憎悪し続け、自分から周りの生徒たちに背を向けたのだった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 風が、吹き荒れる。


 エボニーは四方八方から向ってくる空気の槍を迎撃するたびに、熱く燃え上がっていた心が、徐々に徐々に冷え込んでいくのがわかった。


『……強い』


 ただ、そんな感想しか出てこない。


 彼女自身にもまた、実力はある。だからこそ自分が徐々に徐々に追い詰められていっているのが、僅かに残された理性だけでもわかってしまう。


 自分は絶対に、御影奏多には勝てない。敗北の未来は既に、確定された現実だった。


『……ここに来るまでに、どれだけの』


 羨ましいのと同時に、哀れにも思ってしまう。


 御影の能力は、一つの芸術作品と言っていいほどに昇華されている。気体を用いてできることの全てを実現させてると言ってもいいだろう。だが、そこまで行くのにどれだけ自分を虐めぬいたのか。誰からも評価されずに、なぜそこまで行けたのか。エボニー・アレインの知りえない原動力が、きっとそこにあるのだろう。


 複数の炎の球を作り出しながら接近しようとするエボニーに向かい、御影が右手を突き出す。その途端、エレベーターや高山でよく味わう耳が詰まるような感覚に襲われ、彼女はたまらずその場に片膝をついた。


 自分の周囲の気圧が、突如として下げられた。さらに、そこから生まれる現象は単純だ。空気の密度が薄くなったエボニーの周囲の環境を元に戻すべく、周りの空気が寄り集まって来て風となり吹き付けてくる。さらには、エボニー自身が出した炎までこちらに来るというおまけつきだ。


 彼女は押し寄せる熱波に顔をしかめながら、迫りくる炎の群れを片っ端から消滅させる。そうこうしている間に御影には距離を取られ、いよいよこちらが不利になってきた。


 距離を取られるだけでなく、炎の密度が薄い場所へと誘導されているのがわかる。この戦いの主導権は、今や完全に向こうに握られていた。


 真空の刃の群れが、炎の壁を切り裂きこちらに迫る。止める手段が無い以上、甘んじて受けるしかない。彼女は目の前で両手をバツ印に組み頭を守りつつも、かまいたちの直撃を食らい、体のあちらこちらから血を噴出させて後退することを余儀なくされた。


 ……本当は、自分が間違いなのだと、わかっていた。


 テクラに何か操作を受けていたのは、ぼんやりとだが理解している。だが、このうちから湧き出る感情は、確かにエボニー自身のものだった。


 そう。間違いだったのだ。


 常に正しくあろうとしていた以上、そこから一歩足を踏み出してしまえば、転落していくしかないのだと。


 本来なら善悪の間を、どっちつかずに進むことが人間として当たり前のことのはずだったのに、自らにとって都合の悪い事を何一つ認めることができなかった。


 だからこそ。自分の記憶は、ところどころ虫食いのように、抜け落ちてしまっているのだろう。弱さを見せた自分を、誰かを傷つけた自分を、許容することができなかったのだろう。


 本当に。愚かすぎて、腹が立つ。


 そんなことで、こうして他者を傷つけることになるだなんて。


 ……ただ、自分と同じ存在を、これ以上生み出したくなかった。始まりはそれだけだったのに。どこで、間違えてしまったのか。


 そしてエボニーの混濁しきった思考回路は、目前に現れた更なる脅威に再び活動することを強いられることとなった。


 風が、強く強く、吹いている。


 御影奏多の両手が広げられる。さながら十字架に磔にされた、罪人のように。


 次から次へと、周囲の火がエボニーの能力による操作から離れていく。この場を支配しているのはお前ではないのだと告げるように、こちらに背を向け、御影の前方の空間に吸い寄せられていく。


 その場所に引き寄せられているのは、何も炎だけではない。瓦礫の群れが。舞い上がる土埃が。そして、エボニー・アレイン自身もまた、両足でその場に踏ん張らなければ前のめりに転んでしまいそうになる。


 気流の群れが、螺旋を描く。回転していく。


 それは全てを飲み込み、上方へと吹き飛ばす天災。能力世界が成立してからですら、突発的に発生するそれの対策は完ぺきとは言い難い。気候変動が激しいこの列島ですら、異常と呼ばれる超常現象。


 一つの、ごく小規模な、しかし確かな威力を内包した竜巻が、そこに顕現していた。


 思わず、苦笑してしまう。あんなものを出されて、一体どうしろというのか。


 打開策が、見つからない。


「……それでも、このまま何もせずに負けることはできないわね」


 わかっている。これは意地だ。無駄なあがきにすぎない。


 それでも、そもそもの始まりが完全に感情の暴走によるものである以上、最後の最後まであちらにはつきあってもらうことにしよう。


 右足の膝より下が引き千切れてしまったジーンズのポケットに手を突っ込み、中から三つの弾丸を取り出す。右手親指以外の指の間にそれらを挟み、竜巻の向こう側にいるであろう御影へと向けた。


 空中で螺旋状に爆発を連鎖させ、弾丸にその中心部を進ませることにより加速させる、即席の銃。生物に対して使用することを禁止された、対物用超能力技。正式名称は『多段加速螺旋砲(カノン)』。とても実戦で使う機会がないロマン砲だが、御影相手に使うのをためらう理由はない。


 この強風の中では、炎の砲身を作り出すことも不可能に近い。しかもそれが、三発だ。だが、これを押し通さなければ、エボニー・アレインに勝機はない。


 竜巻が轟音と共に全てを巻き上げながら、ゆっくりとエボニーに向かって移動してくる。


 彼女は喉も嗄れよと、半ば悲鳴に近い絶叫を上げて、三つの弾丸を平行に発射した。


 燃焼反応の全般を無効化するはずの右手に、灼熱の痛みが走る。たまらずエボニーはその場に崩れ落ちながら、弾丸の行方を見守った。


 イメージとしては、弾丸を覆う炎で加速させ続けるのと同時に、周囲の気流から完全に保護すると言った具合だ。つまりは、爆発で竜巻そのものを局所的に吹き飛ばし、御影奏多までの道を作り出して、弾丸を向こう側に確かに届ける。それで、この戦いも終わる。


 エボニーの渾身の一撃は、竜巻そのものに三つの大穴を穿ち、気流の統制を乱して四方八方に吹き飛ばしていった。一瞬、勝利を確信したエボニーだったが、次の瞬間立ち込める煙の中から御影が姿を現し、三つの弾道のわずかな隙間を疾走してしてきたのに声もなく瞠目した。


 彼の背後で、弾丸が建物に激突し一瞬で倒壊していく音が聞こえる。だが、御影本人にまるでダメージが無いのでは意味がない。


『……コイツ!』


 騙された。引っかけられた。


 彼が作り出した竜巻は、切り札でもなんでもなく、ただの煙幕に過ぎなかった。だからこそ発射した弾丸と炎が、竜巻を食い破ることができた。


 エボニーに全力の一撃を出させ、疲弊しきった所を、接近戦を挑む。最初から、それが狙いだったのだ。


『これがブラフだって気がつけるわけがない!』


 彼の作戦が成功するには、二つ、クリアすべき条件がある。一つはもちろん、こちらの攻撃の進路を読み切り、前進しながらなお躱すこと。そしてもう一つは、目くらましとして出現させた竜巻が、確かにエボニーの手で消滅させられることだ。そうでなければ、自ら竜巻へと飛び込んでいった彼が無事で済むはずがない。


 つまり。御影奏多は、エボニー・アレインならばそれができると信じていた。


 信じていたからこそ、前に足を踏みだすことができた。


 彼は自分の命を、敵である彼女に預けたのだ。


『……そんなのって』


 御影奏多が壮絶な笑みを浮かべながら、全身にまとわりつく炎を振り切ろうとするかのように、エボニーに向かって走ってくる。


「卑怯者め」


 何で、最後の最後で、そんな泣きたくなるようなことをしてくるのだろうか。


 かつて涙を見せたことを理由に、自らを焼き尽くした狂人を相手に。


 もう絶対に逃げられないと判断したエボニーは、全身の力を抜き、淡い苦笑を浮かべながら、仰向けに倒れていった。


 倒れてしまう、はずだった。


 煤で真っ黒になってしまった包帯にくるまれた左腕が、エボニー・アレインの背中を支える。そして御影は、半ばこちらに向かって崩れ落ちるようにして、彼女の体を掻き抱いてきた。


「え?」


 何とも間の抜けた声が、口から零れ落ちる。


 それと同時に、心のどこかが、急速に冷え込んでいくのがわかった。


「……どういう、つもり?」


「……」


「これで、何かを解決したつもりなのかしら?」


 先ほどとはうって変わって、感情がまるで込められていない、平坦な声が飛び出す。それに対し、御影は苦笑しながら、赤く焼けた額をエボニーの肩に押し付けた。


「行為それ自体に、意味はないさ。こんなものは、ただの体温の共有に過ぎない」


「……」


「……だけど」


 背中を抱く力が、少し強くなる。包帯が擦れて、少しくすぐったい。


 御影は彼女の肩から頭を持ち上げると、耳に向かって直接、囁くように言った。


「こうしていれば、お前の顔は、俺には見えない」


「……」


「俺たちが派手に戦闘をしていた以上、周囲に人は誰もいない。お前は今、世界で一番孤独だ。もう、誰かの目を気にする必要はないんだよ。声は俺に聞こえちまうが……そこはまあ、大目に見てくれ」


「…………あ」


 彼の言葉の意味することが、徐々に、徐々に、体の隅々まで染みわたっていく。こちらに直接伝わってくる、彼の体温と共に。


 ……ずっと、ずっと。


 エボニー・アレインは、誰かの目を気にしながら生きていた。


 人に弱さを見せるのが、恐かった。お前は不幸なんだと、そういう風に定義されてしまうことが辛かった。


 強くありたかった。どんな逆境もはねのけて、周りを導く人間でありたかった。誰も恨みたくなかったし、誰も憎みたくなかった。誰かを救い続ければ、それが自分を救うことになるのだと、馬鹿みたいに信じていた。


「……ねえ、カナタ」


 彼のボロボロの体を、そっと抱き寄せる。それに安心したのか、全身から力を抜いた彼に対し、エボニーは震える声で問いかけた。


「自分の親がテロで殺されても、世界平和を信じられる人を……気持ち悪いと思うのは、間違いかしら?」


「……間違ってない」


「娘を殺した人間が、刑務所で更生することを望むとテレビで宣言できる人を、ありえないと思うのは、間違いかしら?」


「間違ってない」


「自分一人の命で世界が救える状況下で、ためらいなく自らを殺せる人なんて、いるわけがないと思うのは、間違いかしら?」


「何も間違えていない。そう思うことは、人として当然の権利だ。恥じる必用なんて、ない」


「……そう」


 彼を抱きしめる力を、強くする。


 心臓の鼓動を感じる。互いの鼓動が、重なり合って、二人が一つになったかのように錯覚してしまう。


 本当は、感情を完全に共有することなんて、絶対にできないのに。触れ合って、混ざり合って。自分と彼の境界線が、曖昧になっていって。震えて、震えて。心が、揺さぶられて。


 もう何も、考えられなくなってしまう。


 きっと、こんなのは、解決でもなんでもない。これで、何かを許された事にも、許されているわけでもないことは、わかっている。わかっているのだけれども。


 ……今だけは、自分が世界で一番の女王様なのだと、信じていよう。


 自分は誰よりも不幸で、悲しむ権利があるのだと、そう決めつけてしまおう。


 だって、ここには。自分という存在が、ただ一つあるだけなのだから。


「――ヒッ」


 喉が上下し、唇が歪んでいく。


 叫び声が、耳の中で木霊する。


 両目を熱く燃やす涙が、胸で冷たく凍る炎を、緩やかに溶かしていく。


 過去、そして現在と。対立し、反目し合った幼馴染の胸に縋りつき。ただただ、感情を吐き出して。


 エボニー・アレインは、誰に憚ることもなく。


 子供のように、赤子のように、泣き喚いた。






 テクラ・ヘルムートを中心とした一連の騒乱は、二人の意識と共に暗闇へと沈んでいく。


 この国に住む全ての人間が眠ることを許される夜の中で、二人は静かに微睡み続ける。


 全ての問題を、どこか遠くへと置き去りにして。






 ……こうして。


 五月五日、子供の日に開幕を告げた、子供じみた子供による喧嘩騒ぎは、他いくつもの例に違う事なく、涙と叫びと感情に流されて、何一つ解決することなく、何一つ変えることなく、ただただ一方的に事態の解決を宣言し、何でもない日常の中に埋没した。




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