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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート2 ファイアドール・ユアセルフ
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第三章 悪意-6





 エボニー・アレインは誰よりも強い少女だった。


 もちろんこれは、女性であるにもかかわらず腕力があるなどといった意味ではない。気が強く、頭が強く、体が強い。ただ生きていくだけならまったく問題のない完成品だということだ。


 そのことを、御影奏多は誰よりもよく知っていたし、また、痛感していた。


 だから、周りの自分に対する評価も、本当の話、笑い飛ばしたいくらいだったのだ。


 心が折れない? 馬鹿を言ってはいけない。エボニー・アレインほどの鋼の心を持った人間を、御影奏多は誰一人として知らなかった。


 親を早い時期になくすのは、全体として見れば珍しい話ではない。御影もまた、幼い時に母親を失っている。もっとも、エボニーのは完全に特殊例であり、本来不幸というものは相対ではなく絶対的なものとして語らなくてはならないのだが、ただ親を失うというその一点に限って言えば共通していると言える。


 母親を亡くしたとき、御影はただ泣き喚くことしかできなかった。御影にとって日々の団欒とは当たり前にそこにあるものであり、いわば空気であり、それが失われた世界など考えることもできず、ただただ戸惑いしかなかった。


 だが、エボニー・アレインは違った。


 両親を失い、自らを支えるもの全てを失っておきながら、彼女は涙一つ流さなかった。


 遺産の相続から葬式の手配まで、本来大人がやるべきことを何から何まで一人でやった。もちろん子供なのだから限界はあるが、一度助けを借りるだけでやるべきことを完璧に理解し、憐れみという憐みをはねのけ、笑顔さえ浮かべてみせた。


「私は両親を殺した人たちを憎みません。憎しみからは、何も生まれませんから」


 それを、葬儀の参列者の前で、十歳の少女が堂々と演説してみせるさまは、御影からしてみれば異様にしか映らなかった。


 だから、誰も彼女を助けることができなかった。助けを必要としていない者を、人は助けることができない。彼女に限界があるという事実は、普通の人間と変わらなかったというのに。


 御影奏多が自己嫌悪の塊? 確かにその通りだ。だが、それは彼女の方にこそ当てはまる。殺した人間を恨まず、守れなかった自分を憎むなど、通常の在り方とあべこべだ。


 そして僅か数ヶ月で、その限界のときが訪れた。


 彼女は超能力を用い、自らの体を焼いた。それがどれほど苦痛に満ち満ちたものだったのか。御影にはわからない。しかもそれを三回だ。エイジイメイジアの医療は、外傷に限って言うならば人類史上トップクラス。故に、傷こそ残っていないが、問題の本質はそんなことではない。


 そして彼女は、焼身自殺を断念した。いや、断念させられた。


 彼女の能力は、火を起こすことではなく、燃焼反応の度合いを操るもの。だからこそ、自らの体のどこが焼ければ致命傷なりうるかを感覚として理解した彼女は、そこに近づく炎を無意識でかき消してしまうようになった。三度目には、体のほとんどが焼けることなく、全て軽傷で済むほどに。こうして彼女は、エイジイメイジアで唯一、炎では死ねない体になった。


 まったくもって情けない話だが、この時期、エボニー・アレインと御影奏多には、ほとんどと言っていいほど接点がなく、当時この事実に御影は気がついていなかった。それは御影もまた大きな問題に巻き込まれていたからなのだが、そんなことは言い訳に過ぎない。


 御影奏多には、エボニー・アレインを救えなかった。


 三年前、彼女が二度目の限界を迎えた時にも、また。


 エボニー・アレインが次に求めた『救いの道』は、超能力者として弱者を救うという、まっとうな代物だった。ただし、通常とはその度合いが明らかに違った。


 彼女にとって、時間とはただ一点、今しか存在しなかった。子供であるなど、成長過程であるなど、彼女にとっては立ち止まる理由にはならなかった。


 彼女は即時、社会貢献することを求めたのだ。中学時代、彼女はかなりの数、高校への飛び級を求めて教員と直談判したのだという。そしてこの事実もまた、御影は後から知った。御影が不登校になりがちになったのと、丁度時期が同じだからだ。


 だが、あくまで義務教育の延長でしかない中学で、それが認められることはなかった。多大なストレスを抱えたまま高校へ進学した彼女は、そこで天職に出会う。


 その年から第一高校に勤務することになったジミー・ディランが新設した、学生特別警備隊。通称、学生警備。第一高校で行われる犯罪行為が、公理評議会特別少年調査班の手により次から次へと隠蔽されることに対抗することが組織結成の目的だったが、彼女にとってそれはどうでもいいことだった。


 やっと自分の力を使える場所が手に入ったのだと。彼女はそう、狂喜したのだ。


 そこで教員団に自分の有用性をアピールし、あわよくば飛び級の許可をもらう。そんな野望を抱いて彼女は学生警備に入隊したが……それは、すぐに頓挫することとなる。


 理由は単純明快で、治安維持隊隊長であるジミー・ディランが、良くも悪くも優秀すぎたのだ。いつも適当で笑ってばかりだった彼だが、当時はこと隊員の評価に限って言えば厳しいものがあり、常に優しさを見せていた筈の上司が時折見せる刃の冷たさに耐えることができず、当初十人以上いた学生警備は、あっという間に二人にまで減った。


 治安維持隊出身であること以外経歴不明のジミー・ディラン。燃えさかる炎のような生を送るエボニー・アレイン。眠らぬ獅子と呼ばれたリサ・リエラ。この三人が活躍した数ヶ月は、学生警備の黄金期であるのと同時に、エボニーの精神が崩壊する前触れでもあった。


 きっかけは、大したことではなかった。些細な方針の違いでジミー・ディランと対立した彼女は、放課後、誰もいない筈の校舎裏で、雨に打たれていた。


 簡単な話、彼女はそこに、泣きに行ったのだ。誰もいない場所。誰も見ていない空間でしか、彼女は弱い自分をさらけ出すことができなかった。


 そこに、あろうことか特に理由もなく立ち寄った少年が一人いた。その少年はエボニーの幼馴染であり、幼年期、彼女のことを『強い』と誰よりも褒めたたえていた人間だった。


 そして彼、御影奏多は、何とも愚かなことに、彼女に対し純粋な疑問の問いかけを投げかけてしまった。


「……オイ。お前、どうして……泣いているんだ?」


 それは、絶対にしてはならない問いかけだった。


 その瞬間、彼女は激高した。目の前の御影に対してではなく、他人に対し、それもよりにもよって幼馴染に対し『弱さ』を見せてしまった彼女は、彼女自身を許せなかった。


 そうして、エボニー・アレインは。


 『自分の涙を見られた』という。ただそれだけの理由で、幼馴染を焼き払った。


 これだけでも十分普通ではなく、狂気的であり、異常の極みだ。だが、話はこれで終わらない。これだけでは、終われない。


 終わることが、できない。


 自らの体を雨水も蒸発させるほどの炎で吹き飛ばされた御影は、薄れゆく意識の中、雨に打たれながらエボニーが犯人であることの証拠隠蔽を図った。具体的には、御影の周囲にある靴跡を、地面に向かって風を吹かせることで全てなくした。その際、自分の足跡まで消してしまい、ジミー・ディランに怪しまれるきっかけとなったのだが、その事実は重要ではない。


 後日、入院していた御影奏多を、エボニー・アレインが見舞いに来た。


 ……満面の笑みを、浮かべながら。


 ……一体誰にやられたのかと、まったく仕方ないと言った調子で、本当に自然な流れで、こちらに問いかけてきた。


 考えてみれば、エボニー・アレインは、とっくの昔に限界を踏み越えていたのだ。


 御影奏多が正気じゃない? 狂っている?


 そんなことは断じてない。


 少なくとも、幼馴染を爆発で吹き飛ばした張本人であるにもかかわらず、その事実を完全に忘却し、こちらを見舞いに来たあの少女に比べれば。


 PTSDか、健忘症か。何にせよ、彼女が重度の精神疾患を抱えていたことは確かだが、精神科医により診断され、具体的な病名を言い渡されることはなかった。


 最初の事件を含め、御影奏多はエボニー・アレインと三度対立し、三度とも敗北し。


 その後、自らの狂気を自覚したエボニー・アレインと、事件の真相に気がついたジミー・ディランがぶつかり、ジミーの手で彼女の狂気は『殺害』され。


 リサ・リエラは、その全てを見届け。


 ジミー・ディランは喫煙者のサボり魔となり、エボニー・アレインは鬼の副隊長となり、リサ・リエラは眠れる獅子となり。


 学生警備の黄金色に輝く暗黒時代は、終わりを告げたのだった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 そして、現在。

 ティモ・ルーベンスは、目の前の少年を呆然と見つめた。


「つまり……つまりお前は、こう言いたいのか? 本当に危険なのは、テクラ・ヘルムートではなく……」


「エボニー・アレイン。真の意味での敵は、彼女の方だ」


 つまりは、倒すべき相手と、助けるべき対象が逆だった。


 加害者が被害者であり、被害者が加害者だった。


 だが冷静になって考えるのなら、これは珍しい事でもなんでもない。現に、過去最大の加害者であったテクラ・ヘルムートも、元をたどれば哀れな被害者だ。


「本来なら、これは俺たちが高校一年生のときに、ジミー・ディランが無慈悲かつ処理的な方法で解決したはずの問題だった」


 それはただの解決であり、救いでもなんでもなかった。


 最善ではなかったし、最良とも言い難い結末だったのだろう。だが、少なくとも御影には何もできなかったし、ジミー・ディラン以外の人間が関わっていれば全てが上手く行っていたかと言われれば、それにもまた首を傾げざるをえない。


 とても、デリケートで。最悪、大切なものが永遠に失われるところで。


 その道の専門家ですら失敗することの多い綱渡りを、彼は舞台装置ごと破壊することで、全て有耶無耶にしたのだった。


 ただ、御影奏多という人間に彼を否定する権利はない。あのとき御影は徹底的に敗北者であり、どこまでも傍観者でしかなかったのだから。


「あの時、俺たちは治安維持隊の手を借りることができなかった。それがなぜだかわかるよな? 治安維持隊少尉、ティモ・ルーベンス」


「……」


 よくわかる。ジミー・ディランが全てを隠匿しようとした理由が、嫌と言うほどに。


 ルーベンスは一度両目をきつく瞑ると、御影奏多をまっすぐに見つめて言った。


「超能力者とは、兵器だ。その存在は、市民の安全のためにある。だが、その超能力者が我を忘れ、市民にその力を振るう不良品であるならば、速やかにそれを排除しなくてはならない」


 テクラ・ヘルムートに対し捕縛命令が出されたのは、彼女が本件の最重要人物である可能性が高いのと同時に、彼女が最後の一線を越えていないからに他ならない。彼女はあくまで他人を操っただけで、殺害はしていない。


 だが。エボニー・アレインの方は、まずい。自分が泣いているところを見られただけで、その人物を攻撃するほど精神が不安定な超能力者など、問答無用で存在することを許されない。


「俺が上層部に彼女のことを報告すれば、殺害命令が下るだろう。たとえテクラ・ヘルムートに対する同情心を操られたのだろうが、どんなに辛い過去があろうが関係ない。君の言う通り、治安維持隊の第一目的は、個人の命を守ることではなく、社会の安寧を保つことだからだ」


「ああ。よく知っているよ。だからこそ俺は、四月一日に、お前たちと対立した」


 沈黙が、二人の間を流れる。御影奏多は目の前の治安維持隊隊員を睨みつけ、ティモ・ルーベンスはきつい表情でそれを受け止めていた。


 風が、吹く。鉄塊が、蠢く。


 和解などありえない。ティモ・ルーベンスが治安維持隊の人間である限り、御影奏多は彼を信用することはできない。それは絶対であり、真理だ。


「もう一度言うぞ、ティモ・ルーベンス。そこを通せ」


「それはできない。俺は個人の感情よりも、社会正義を重視する」


 たとえ一月前に、ジミー・ディランに請われ、彼の味方をしていたのだとしても。ここで彼の前に立ちはだかるのが、本当は間違いなのだとしても。


 それでも、ここは譲れない。治安維持隊の人間としては、既に満身創痍の御影奏多を戦場に行かせるわけには行かないし、少なくとも彼よりはうまくやれる自信がある。


「……わかってんだよ」


「……何を?」


「俺がまだガキで、アンタらに問題を丸投げした方が、よっぽどうまくいくってことは、理屈ではわかってんだよ! だが俺は、お前を……お前たちを、信じることができそうにねえ! 七年前、お前たちはアウタージェイルに対する報復として何をした!」


「何も知らないお前がそれを語るか! 御影奏多!」


 理性の箍が、粉々に砕け散る音がした。


 これは理屈ではなく、ただの感情論だ。お互いがお互いにそれがわかっていて、こんなところで時間を使う事は無駄だとわかっていて、それでもなお対立する。人間である以上、この戦闘欲求は不可避のものだ。


 だからこそ。治安維持隊は、アウタージェイル掃討作戦を避けて通ることができなかった。


 青の風が宙を駆け、灰の鉄が空を裂く。


 二人の頭上でそれらはぶつかり合い、ルーベンスたちへと火花を散らす。


 相手は気体分子であるにもかかわらず発生した激甚な衝撃に、ティモ・ルーベンスが両目を見開くのと、御影奏多が体を横にスライドさせたのが同時だった。


 御影奏多の背中に、威力をある程度落とした空気の槍が直撃し、彼の体を前方へと射出する。彼はルーベンスのすぐわきを通り抜けて、そのまま走り去っていった。


「待て!」


 あたかも嵐の如く強風が吹き荒れるなか、何とか体勢を保ったルーベンスは、後方へと振り返り、右手を彼の背中に向かって振り下ろした。


 根元で折られた道路標識。黒々と光るマンホールの蓋。さらには近くにあった自動販売機まで地面からもぎ取り、磁力を用い投げつける。だが、ルーベンスと御影の丁度中ほどの空間に、巨大な銀色に煌く『壁』が突如出現し、投擲物をそのまま全てこちらに跳ね返してきた。


「――な!?」


 突然の事態に戸惑いながらも、ルーベンスは前に伸ばしていた右手を振り下ろし、鉄塊の群れを能力をもって地面に叩き付け静止させた。


 それと時を同じくして、ルーベンスの攻撃を防いだ、あたかも鏡の如き極薄の『壁』も、銀に煌く過剰光粒子と共に消滅していく。彼は怒りにこめかみを蠢かせて、こちらから見て校舎の影となっている場所から姿を現したその男を睨みつけた。


 どちらかと言えば短めに切られた茶色い髪に、治安維持隊の制服に包まれた背の高い引き締まった体躯。長い白の指の中に握られた金属の円筒からは、先ほどの『壁』とまったく同じ輝きを放つ極薄の刃が生えていた。


「……レイフ! 超越者であるお前が、なぜここにいる!」


 ジミー・ディラン同様行方不明となっていた、最優の兵士。超越者でありながら大量破壊のみならず、通常作戦をも完璧にこなす、常勝の化け物。


 超越者序列二位、レイフ・クリケットが、そこにいた。


「貴様らしくないな、ルーベンス。私がここにいる理由など、一つしかないだろう?」


「学生警備の守護を、ジミーの馬鹿に頼まれたのか!」


「正解だ。そして御影奏多の話から判断するに、貴様を行かせるのは最善ではない」


 まったく表情を変えることなく、淡々とそう言ったレイフに対し、ルーベンスはギリと歯ぎしりをした。


「最善か。いつだって、大した覚悟も無くその最善を求めて、俺たちは失敗し続けた」


「その通りだ、ティモ・ルーベンス。だが、過去は過去。今は今だ。我々の敗北は、私が貴様の前に立ちふさがらない理由にはならない」


「……ハッ。そう言うと思ったよ。お前は何も変わってねえな、レイフ!」


 ルーベンスは引きつった笑みを浮かべて、パチン、と指を鳴らした。その途端、鉄パイプの群れが回転しだし、巨大な鉄塊の群れがルーベンスの頭上を輪を描くようにして飛翔する。剣を構えたレイフ・クリケットに対し、ルーベンスは高らかに叫んだ。


「超越者だからと言って、俺が臆すると思ったら大間違いだ! せいぜい、今回も部外者にされた俺のストレスを発散させやがれ!」


「なるほど。私もまた、こうなると確信していた。貴様も何一つ変わっていないようで何よりだ、ルーベンス」


 こうして、勝者も敗者も決して誕生しない、時間つぶしのため戦闘が幕を開ける。


 彼らの選択が正しいか、否か。それはルーベンスにもわからない。わかるのはただ、全ての決着のときが近い事だけだった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 頭が痛い。胸が痛い。


 酷く痛い。耐えがたい。


 頭蓋骨を金属棒でこじ開けられ、肋骨を全てへし折られたよう。


 記憶が、混濁する。


 憶えている。思い出す。


 忘れていたというよりは、蓋をしていたと言った方がいいかもしれない。それが、テクラ・ヘルムートが第一高校に来てから与えられ続けた熱で、沸騰している。湧き出ている。


 テクラが何かを喚きながら立ち上がり、大講堂の出入り口へと走り出す。


「……裏切ったのね、テクラ」


 親指の下で、ライターのフロントホイールが回る。


 エボニーが慣れ親しんだ、慣れさせられた炎の束が、彼女の足に巻き付く。甲高い悲鳴を上げて、テクラは出入り口の前で倒れ伏した。


 泣き声が聞こえる。何を言っているのかわからない。頭の中で木霊している。今だけではなく、過去に聞いた声もまた。


 御影奏多が何事か叫んでいる。ジミー・ディランが悲しそうに言葉を発する。リサ・リエラが悲鳴を上げて自分に抱き着く。


 過去に自分自身が焼却したはずの、その記憶。


 ずっと忘れていた。忘れることで前に進めていた、そのはずだったのに。記憶の灰は脳を循環し、頭蓋の染みとなることで残っていた。


 ああ。テクラ・ヘルムートの身の上を知った時、決してそうしまいと決心したのに。


 ――どうして私は、彼女に同情してしまったのだろう。


 こうなってしまうことは、体が憶えていたはずなのに。


 焼き付けられていた、はずなのに。


 彼女のことが愛おしい。彼女のことが哀れだ。


 だからこそ、その体を焼き尽くしたい。


 テクラの元へと、たどり着く。


 両足を抱えて泣き喚く彼女の背中を踏みつけ、強制的に黙らせた。


「……大丈夫。優しく、焼き殺してあげるから」


 甘く、とろけるような声が、自分の口からこぼれ出る。とても自分のものとは思えないと、頭のどこかで、誰かがささやく声がした。


 ライターを構え、テクラへと向ける。涙と鼻水とでぐしょぐしょになった彼女の顔が、死を目前にした恐怖でさらに歪む。白のコンタクトレンズが彼女の左目から落ち、床を転がって、彼女自身の体で粉々に潰された。


 テクラが、潰されたカエルのような声で、命乞いをしてくる。助けてほしい。もうしない。私が悪かった。……その全てが的外れであり、彼女がなぜそんなことを言うのか、エボニーには理解できなかった。


 ただ、彼女が泣いていることだけは理解できた。


 その涙は、見たくない。他人のも、自分のも、もう見飽きてしまったから。


 あの日、幼馴染を焼いた日に浴びた雨の冷たさは、もう二度と味わいたくない。


 自分にも、誰にも、与えたくない。


 そう。結局のところエボニー・アレインの始まりは、両親を焼き殺された日でも、ジミー・ディランに『殺された』日でもなく、ただ子供ながらに思った願いだった。


 自分にこんなことを言う権利はないかもしれない。でも、どうか。お願いだから――。


「――助けて」


 私が、痛みしか与えることのできないこの子を。


 私よりもずっと、哀しい思いをしてきた、一人の少女を。


 テクラ・ヘルムートという人間を、どうか――。


「やなこった」


 誰かか。よく知った、声が。


 彼女の願いを、『否定』した。


 視界が揺れる。両目の周りを、いくつもの透明な滴が飛び散る。


 前を見る。


 上半身のほとんどを包帯にくるみ、その上からいつもの紺のパーカーを羽織った、中性的な顔立ちを凶悪な笑みで歪めた、一人の少年が。


 御影奏多が、そこにいた。


 思わず、笑みがこぼれる。それは安堵か、はたまた失望か。


「……ねえ、カナタ」


 それでも。どちらかは、わからないけれど。


 エボニー・アレインの言う事は、すでに決定されていた。


「――お願い! 私を、助け(ぶっ殺し)て!」


 その、心からの叫びに。御影奏多は、笑みを柔らかなものにすると、包帯まみれの左手を、強く強く握りしめた。


「もちろんだ」


 少年の左拳が、少女の顔面へと、勢いよく吸い込まれる。


 こうして、御影奏多とエボニー・アレイン、二人の幼馴染の狂気じみた意志がぶつかり合う、最終決戦にして最大の『殺し合い』が、幕を開けた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 左手の指に強い抵抗を感じるのと同時に、エボニー・アレインが仰向けに倒れた。


 今の一撃で左腕が完全に使い物にならなくなったことを自覚しつつも、御影はその場に屈んで、両手で顔を覆い隠して泣き喚くテクラ・ヘルムートを抱き起そうとした。


 だがその瞬間、倒れたエボニーの両足が跳ね上がり、宙でねじられ、御影の頭を挟み込んだ。


 エボニーが両手を床に付け、体を起こしながら、足を元に戻すことで御影の体を回転させ、床の上に逆に叩き付ける。


 受身を取ることもできず、頭もまたしこたま床に打ち付ける形になり、御影は数瞬意識が飛んだ上に白目を剥いた、余りの痛みに、苦悶の叫び声を上げながら床を転げまわる。


「……何、左手で殴るなんて、甘いことしてんのよ」


 エボニー・アレインがその場に立ち上がり。鼻の片方を指で押さえ、もう片方から息を強く吐き出すことで血を外へと出しながら、冷え切った目で御影を見下ろした。


「本気で来なさい。容赦しないで。私はアンタの、敵なんだから」


 彼女が自分の前に、ライターを構える。御影は絶え間ない頭痛を無視してその場に立ち上がり、彼女を迎え撃とうとした。だが直後、彼女が笑みを浮かべているのを見て、何をしようとしているのかを彼は瞬時に察知し、驚愕の叫び声を上げた。


「てめえッ! まさか、自爆する気じゃ……」


「そのまさかよ。もっとも、私は絶対に生き残っちゃうんだけどね!」


 ライターのホイールが周り、火打石から火花が散る。


 御影はとっさにテクラの体を抱きかかえると、なりふり構わず発生させた強風で、自分と彼女の体を近くにあった出入り口から大講堂の外へと吹き飛ばした。


 直後に、御影の目の前にある全てが、橙色に輝く炎に呑み込まれた。


 屋内にいる彼女を中心として、小学校体育館の倍ほどもある大講堂が一瞬で爆発、炎上する。御影たちはその爆風にさらに吹き飛ばされ、数十メートル離れた道まで転がり、全身痣だらけになりながら何とか静止した。


「クソが! 無茶苦茶すぎんだろ!」


 突然の爆発と御影の悪態で正気に戻ったのか、テクラ・ヘルムートが、赤く腫れた両足をさすりながら上体を起こした。


 大講堂はあっという間に骨組みが見えるまで焼き尽くされ、その一部が音を立てて崩壊していた。テクラ・ヘルムートは、目の前の炎とは対照的に、顔面を蒼白にして呟いた。


「アレインさんは……」


「生きてるよ! この程度で、あの化け物が死ぬわけねえ!」


 御影がそう叫ぶのと同時に、大講堂を燃やす巨大な火の塊が、真っ二つに分かれた。


 黒く焼け焦げた道の中央部を、エボニー・アレインがゆっくりと歩いている。一つに纏められた髪は解かれ、上のTシャツは吹き飛ばされ下着が露出し、下のジーパンにも複数穴が開いていた。露わになった肌は、所々がやけどで変色している。


「アハ! アハハ! 感謝するわ、カナタ! 久しぶりに、自分の体を焼くことができた!」


 斑に腫れた右手をエボニーが持ち上げ、べろりと舌を出して、火傷したらしき個所を舐める。その所作一つ一つが恐ろしいが……何よりも恐ろしいのは、あれだけの規模の炎に身を投じておきながら、服と軽いやけどで済んでいるばかりか、酸欠にすらなっていないことだった。


 生物の呼吸すら、広い意味でとれば燃焼反応と言える。彼女にとっては、火も熱も酸素も、自分の手足よりも容易く操れるものなのだろう。


「アレインさん……どうして」


 変わり果てた、否、この程度の変化で済んだエボニーを前にして、テクラ・ヘルムートが理解できないとでも言うように首を振る。御影は一つ舌打ちをすると、吐き捨てるように言った。


「お前は今の今まで、周りの人間の心に火を灯し、それで暖を取ってきた。だが不幸にも、最後の最後にマッチを投げ込んだのが、とんでもない規模の火薬庫だった。人の心は千差万別。簡単には操れねえってこった!」


「私……私……」


 彼女の両目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。顔をしかめる御影の前で、彼女は幼子のように何度も何度も首を強く振った。


「こんなことになるなんて、思ってなかった!」


「……てめえ」


「私はただ、愛が欲しかった! それだけなのに!」


「それはそれ、これはこれだ阿呆! お前の苦しみなんて俺にわかるか!」


 炎の中で、エボニー・アレインが両手を広げる。御影は周囲に青の過剰光粒子を出現させ、気流の動きを掴みつつ、悄然と項垂れるテクラ・ヘルムートに向かい叫んだ。


「償いたいなら、贖いたいなら、その焼けた足で走れ! というかここにいるな! 邪魔だ!」


 言葉の途中で赤々と燃え上がる炎がうねり、四本の筋が伸びて螺旋に絡み合って、御影のもとへと走った。


 それを、気流の束をまとめた空気の槍が迎え撃つ。橙色の火の破片と、透明な空気の群れが、四方八方に飛び散って融合し、強大な熱風となって御影たちに吹き付けた。


「行け、ヘルムート! お前を救える人間は、俺じゃねえ!」


 右手を顔の前に構えて熱波から目を庇いつつ、御影が声を上げる。


 テクラ・ヘルムートは一瞬何か言いたそうに口を開け、そして閉じ、唇を強く引き結ぶと、その場に立ち上がって、よろよろと、彼女にとっての全力でその場から立ち去って行った。


 それを見送ることなく、御影は右手を上に掲げる。風がうねり、空が動く。元から吹き付けていた風が。さらには、火災により発生した上昇気流までもが、御影の操作によりその動きを変え、一つに束ねられていく。


 エボニーが燃え盛る大講堂から外に出て、頬を上気させて、妖艶ささえ感じさせる笑みを浮かべる。御影はそれにいつもの不敵な笑みで応え、彼女に向かい叫んだ。


「さあ。三年前の続きと行こうじゃねえか、エボニー・アレイン!」


 御影の右手が振り下ろされ、彼女の右手が前方に突きつけられる。


 直後、御影の上空からは大規模な気流の槍が、エボニーの後ろからは巨大な炎の球が複数個飛び出て、彼らの間でぶつかり、轟音を上げて爆発した。




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