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第一章 名もなき舞台の上で-1


第一章 名もなき舞台の上で






 窓から差し込む光に、御影奏多はゆっくりと目を開けた。


 横になっていたソファの上から体を起こすと、ぼんやりとした頭を覚醒すべく首を勢いよく振った。何度か瞬きを繰り返すと、ぼやけていた視界も次第にはっきりしたものになっていって、御影はその場に立ち上がると大きく伸びを一つした。


 ずいぶんと昔の記憶だった。夢というのは奇妙な物ばかりだと思っていたが、こうして過去が再現されることもあるらしい。もしかしたらこれは、夢と呼べないのかもしれないが。


 不安定な場所に横になっていたせいか、体の節々が痛い。思えばベッド以外の場所で寝るのは久しぶりだなと苦笑しつつ、御影は周囲へと視線を向けた。


 そして、そのままの姿勢で凍り付いた。


 少し話は変わるが、御影奏多は一人ぐらしだ。といっても、一人暮らしそれ自体は珍しい話ではない。超能力者は全国から選出され、そして能力者となった者は首都トウキョウにある超能力者専用の学校に行くことになる。地方出身者は当然のことながら実家から離れなければならず、御影だけでなく同郷のエボニーもまた学生寮で生活していた。


 だが、御影はその中でも少し特殊だ。まず、住む場所は確かにトウキョウ内部ではあるのだが、学校のある中央エリアからはかなり離れた、いわゆる郊外に居を構えていた。


 さらに、家は邸宅と呼んでも過言ではないぐらいに広い。二階建ての幅がある、かつて西洋に存在したのを模倣したデザインのその建物は、御影一人が住むにはあまりにも大きすぎた。家だけではなく庭もかなりのもので、総面積は一平方キロメートル以上と、通常の家を百棟建ててもまだおつりがくる。死人の出ている物件であることを考えても、とても一高校生が購入できるような代物ではないはずだったが、望む望まないに関係なく、超能力者には政府から莫大な『補助金』が出されるため、資金に困ることはなかった。


 当然デッドスペースも山ほどあるが、自分の部屋と書斎、風呂場に台所、客間ぐらいはきちんと整備してある。掃除の方も万全のはずだった。


 それなのに、御影のいる部屋は、強盗か何かに入られたかのように、荒れに荒れていた。

 昨夜、二階自室のベッドの方はあの少女に譲り、掛布団を着ていたパーカーで代用して一階客間のソファに横になっていたのだが、寝ている間に何者かが客間を詮索したらしい。


 いや、詮索という言い方は少し丁寧すぎるかもしれない。何も壊されてはいないようだが、それでも何者かによる破壊活動という表現が正しいように思われた。


 テーブルの上に置かれていた花瓶は倒され、その中に生けておいたマーガレットの花は赤い絨毯の上に無残にもばらまかれている。棚という棚全てが開かれていて、中に入っていた小物類はドミノか何かのように床に並べてあった。前の主人の持ち物である川を描いた油絵は、何故か壁から御影の向かい側のソファの上に移動していて、そしてそこにあったはずのクッションは開きっぱなしのドアの横にうっちゃられていた。


 御影は無言で伸ばしていた手を下ろすと、ソファの上のパーカーを羽織り、クッションの横を通り過ぎて廊下へと出た。予想通り、目に付く限り全ての扉が開けられている。御影はその一つ一つを覗いて行った。


 どこも客間と同じような惨状だった。物置部屋にいたっては、御影が持ち込んでいた子供時代の懐かしのおもちゃまで床にとっ散らかっていた。少しそれで遊んだ形跡まである。トランプのカードが明らかにスピードをやった後のそれだったのには、流石に吹き出しそうになった。


 台所に行くと、冷蔵庫の中身を何者かが食い散らかした痕跡が残されていた。だが注目すべきは御影自身も使用していなかった部屋で、何もないことは一目見ればわかるはずなのに、備え付けのクローゼット等も全て開けっ放しの状態となっていた。


 どうやらこの家を荒らした何者かは、物取り等を目的とせずに、ただただ己の好奇心をみたすために徘徊したようだ。一階は全て回ってみたが、その何者かに好き勝手されてない部屋はただ一つとして存在しなかった。


「……さーて」


 正面玄関のある大広間にたどり着いたところで、御影は腕組みをすると、何やら一世紀以上解かれていない数学の問題を前にした数学者のような、険しい顔つきになった。


「誰かなあ。一体全体誰なのかなあ、俺の家をこんなにした犯人は。どうしようか。さっぱり見当がつかないねえ。まいったなあ、まいったなあ。アッハッハッハッハ!」


 ちなみに鍵を閉めていたはずの、御影の背丈の二倍はある、正面玄関の両開きの扉も片側が開いた状態だった。最悪、文字通り名の知れぬ犯人は既に御影家の敷地外へと逃亡している可能性があったが、しかしそのときはそのときだ。素直に諦めるとしよう。


「でも、まだ家の中に残っているようなら、どうしてやろうかね」


 一応治安維持隊配下の人間で、いわゆる『正義の味方』であるはずの御影奏多は、表情を犯罪者のそれへと豹変させると、正面玄関へと歩いて行った。

 とりあえず家の中にあの女……じゃない、犯人がいたらぶちのめそうと、御影はとても平和的なことを考えながら、両開きの扉を閉めようとした。


 が、何かがつっかえたような鈍い音がして、扉は最後まで閉まらなかった。


「……」


 扉の横を確認すると、ドアノブを回すと出入りする突起が『固定』されたまま動いていなかった。


 御影の家の鍵は、ホログラム同様一般能力を応用したもので、ノブをタップすることでホログラムウィンドウを出し、扉をロックすればドアノブが人には動かせなくなるものだ。つまり、御影がこの扉が『開かない』ように設定すれば、ラッチコイルは動かなくなる。


 御影が扉のホログラムウィンドウを出現させると、画面に『LOCKED』と表示された。どうやらきちんと扉を閉めないまま鍵をかけてしまったようだ。我ながら馬鹿なことをしてしまったと反省しつつ、御影は扉を完全に締めると、大広間中央にある階段へと目を向けた。


 広間は二階までの空間全てを貫いている。御影のいる玄関の真ん前にある大階段は、少しのぼったところで左右に分かれており、それぞれ二階へと続いていた。階段を昇り切ったところには踊り場があり、そして廊下へと続く扉がある。そのうちの片方だけが開いているのを見て、御影はさながら肉食獣か何かのような唸り声を上げた。


 この家は、全てを見て回るにはあまりにも広い。現在時刻は午前九時過ぎ。昨日のゴタゴタもあってだいぶ寝坊してしまったが、仮に彼女……もしかしたら彼かもしれないが、とにもかくにも犯人が深夜から行動していたのだとしても、全ての部屋を回りきるのは難しいだろう。あれだけ丁寧に一部屋一部屋荒らしてくださっているのだから、まだ奴が……いや、その誰かさんがこの家に残っている可能性は十分にあった。


 そして今、二つある扉のうち、片方だけが開いている。これはもう、その開いている扉の先に、あの入院服を着た、攫われ体質を持つ薄幸少女がいるとみて間違いないだろう。


「いや、わかるよ。うん、わかる。目を覚ましたら知らない場所にいたとなっちゃ、まずは探検したくなるよね。冒険心ってやつか」


 御影は二、三度屈伸運動をすると、体を前後に曲げながら言った。


「引き出しの中身とかをぶちまけたのも、好奇心によるものだろうねえ。夢中になっているうちに、片づけを忘れるっていうのもよくわかるよ」


 首を右方向に回し、そして左方向に回したあと、アキレス腱を伸ばす運動を続ける。


「うん、納得している。すごく納得しているね。途中で台所についたら、まあやることは一つだしな。きっと病院では、貧相な食事しか出なかったんだろうよ」


 腕を十字に組むのを左右二回、次にふくらはぎを伸ばす柔軟もまた二回する。


「あいつは決して本能の赴くままに行動しているんじゃないってことは、ちゃんと理解していますとも。俺はこれっぽっちも怒ってなんかいませんからね。助けてやったのに恩をあだで返しやがってとか、そんな格好悪いこと考えてませんから。結論を言うと……」


 手首をぶらぶらと揺らして、足首も回し、最後に大きく深呼吸。


「……問答無用で処刑だ、クソアマ」


 準備運動を終えた御影奏多は、階段の一段目を強く強く踏みしめた。

 両目を爛々と光らせて、さながら幽鬼か何かのように肩を左右にゆらゆらと揺らしながら、御影は上の階へと昇っていく。決して負けられない戦いが今、始まろうとしていた。


 御影は階段の上までたどり着くと、開いていたドアのすぐ横の壁に、背中を貼りつけるようにして立ち、顔を少しだけ出して廊下を観察した。

 予想通り、扉という扉が開けられている。御影は第一高校の生徒に課された軍隊用訓練で得た技能を最大限に利用して、足音一つ立てずに前へと進んだ。


 いくつかの扉を通り過ぎたところで、御影奏多はぴたりと動きを止めた。またもや二つあった扉のうち片方だけが閉まっているのが見える。開いている方は書斎だった。


 御影は思わず舌打ちをしてしまいそうになるのを、懸命に堪えた。御影は幼少期から超がつくほどの本好きで、電子書籍が増えていくなか、紙の本を愛好する奇特な人間の一人でもある。書斎には彼が今まで購入した本のほとんどが置かれており、それも荒らされたのかと考えると、本気で殺意がこみあげてきた。……いや、殺意は元からあったのだが。


 書斎の入り口横に隠れるようにして壁を背にして立つと、御影奏多は一瞬目を閉じ、そして開き、立てこもり事件を起こしている犯人の居場所へと突入する特殊部隊のごとき勢いで、書斎内部へと侵入した。


 そして、目の前の光景に、御影奏多は思わず息を呑んだ。


 まず目に入ってきたのは、開かれた窓からの風に揺れるカーテンと、その前の机に山と積まれた本の群れだった。


 次に御影は、あの少女が椅子に座って、一冊の本を読んでいる姿を目撃した。


 薄青の入院服に、鳶の髪が線を描く。目元に降り注ぐ陽光を微細なまつ毛で切り裂き、人形のそれのように端正な、それでいてあどけない印象の顔に真剣な表情を浮かべて、彼女はこちらに気がつくことなく一心不乱にその本を読んでいた。本のタイトルは、逆光で影となりまったく見えなかった。


 その時点で、御影のとれる選択肢は限られていたはずだった。彼女が何者なのかを問いかける、問答無用で取り押さえるなど、自らの家で狼藉を働いた見知らぬ人物に対する行動の模範解答が、そうたくさんあるとは思えない。


 しかし彼は、そのどれも選ばなかった。選ぶことが、できなかった。


 代わりに彼は、自分でもなぜそのようなことを聞くのかもわからないままに、一つの、なんとも間の抜けた、単純な問いかけをしていた。


「おい、お前。……一体、何を読んでいる」


 彼女のまつ毛がピクリと動いて、顔がゆっくりとこちらに向けられた。


 少年の陰を湛えた黒の瞳と、少女の光輝く茶の瞳が交錯した。


 朝日に輝き揺れる、長い鳶の髪の中。彼女は少し首を傾けると、その表情を満面の笑みで彩り、言った。


「――君、おもしろいね」




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