Memory 1
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午後の陽ざしが、机に座る彼のところまでのびてきていた。
少し開けた窓から風が吹き込み、緑色をしたカーテンを揺らしている。それを見ているとなんだか眠たくなってしまって、彼はあくびをかみ殺した。
窓の向こうに見える空が青い。その日は少し風が強くて、羊雲が空を旅していく様子を眺めることができた。
「御影君。よそ見をしない」
声にホログラムの黒板へと顔を向けると、先生が彼のことをきつく睨んでいるのが見えた。彼がすみませんと呟いて軽く頭を下げると、それで満足したのか、先生は空中に浮かぶ緑のホログラムウィンドウに板書を書いていった。
中学校に入ってから、彼は授業では毎回先生の話に興味を持てず、よそ見をしては叱られるの繰り返しだった。仲間内でも有名で、先生も大半が諦めているのだが、今教えている歴史の先生だけは彼のことをいつもしかっていた。うっとうしかったが、しかし先生が怒るのももっともだなあと彼は思った。
「バカね」
後ろからささやき声が聞こえた。振り返ると、エボニーが頬杖をつきながらこちらを見つめて、にやにやと笑っていた。
「授業がつまんなくても、それを態度にだしちゃだめじゃん。そんなんだから、カナタはバカナタって呼ばれるのよ」
「違うよ。僕は……」
呟いた声は思いの他大きくて、彼は慌てて口をつぐんだ。恐る恐る教卓の方へと顔を向けると、先生がじっとこちらを睨みつけているのと目があった。
「御影君。何か先生の授業に文句でも?」
「……いえ、何でもありません」
彼が机に目を落としてそう言うと、周りの生徒が彼のことをクスクス笑うのが聞こえてきた。
後ろでエボも笑っているのがわかる。話しかけてきた彼女が怒られないのは、どう考えても不公平だと彼は思った。
「知っての通り、過去人類はこの星の全てを支配していた」
板書を書き終えた先生は黒板に背を向けると、こちらの方を向いて言った。大半の生徒がまだ黒板の内容を写しきれてなくて、先生の方を全然見ていないのは叱らなくていいのだろうかと思ったが、口に出すのはやめておいた。
「だが現在、人が生存できるのはここエイジイメイジア、元は日本と呼ばれていた小さな列島のみだ。その原因はなんだかわかるかな、エボニー・アレイン」
「第三次世界大戦です」
エボは間髪入れずに答えると、続けて言った。
「世界を巻き込む戦争は、最終的に核の撃ちあいへと発展。世界で最初に核を落とされた日本は既に衰退していたため、核爆弾を撃ち込まれることはありませんでした。そのため、生き残った人類がこの列島に逃げ込むことができたのです」
「よろしい。少し説明に不足があるが、中学生としては十分すぎるほどの解答だ」
先生はそう言って満足げに頷いた。
確か彼女の説明はこの前先生が黒板に書いていた内容とほぼ同じだったように思えるのだけれど、つまり先生の書いた内容は十分じゃなかったのかしらんと彼は思った。
それにしても、どうして先生もエボニーも、難しい話し方をするのが好きなんだろうか? わかりづらいと思うのだけれども。
「アレインの言う通り、第三次世界大戦を生き残った人類はこの列島へと集結。人類最後の永住の地、理想郷エイジイメイジアを建国した。その際原住民と移民との間で戦いが起きたが、今はみんなの知っての通り共存の道を選択している」
それ以外に選びようがなかったからね、と、先生は続けた。
「共通語は原住民の言葉、当時で言う日本語とし、なるべく互いの文化を保全していくことを重要視した。しかし残念ながら言語のいくつかは滅んでしまった。言語が滅ぶとは、文化が滅ぶのと同義だ」
先生の言っていることはよくわからなかったが、どうも真面目に聞いていなければいけないような雰囲気になっていたので、彼は少なくとも見た目は熱心に耳を傾けていた。
「想像してごらん? 今話している言葉がなくなったら、どうなるか。そうだね。みんなは小説よりも漫画を読む方が好きだと思うけど、文学作品にはその言語特有の味というものがある。と言っても、共通語がすべてを支配する今では、別の言語となると英語や中国語などといったポピュラーなものしか残っていないけどね。まったく。嘆かわしい話だ」
そう言って、先生は本当に悲しそうな顔になり、しばらく黙り込んでしまった。
どうやら先生の言う通り、それは『嘆かわしい話』らしかった。が、別の国の文化、言語だとか、そういう『もう既に存在しないもの』の話をされても、どうにも現実味を感じることができなかった。
「確かに人類は多くの命を亡くし、多くの物を失った。だが、代わりに得たものがある。それが、君たちだ」
予想通りの展開に彼はため息を吐いた。周りの生徒たちが、誇らしげに胸を張り、目を輝かせているのがわかる。後ろではエボも周りと同じようにしているのかと思うと、どうにもやるせない気持ちになった。
「人類の一万分の一。人の理を超える力を持つ者。君たちはそれに誇りをもって、人類一億人に貢献しなくてはならない。君たちは、神から選ばれし者なのだから」
先生は目に涙まで浮かべて、じっと彼らのことを見つめていた。
正直言って気持ち悪かった。何が気持ち悪いって、先生と同じように涙ぐんでいる生徒が何人かいることだった。
「人間の思考には質量があり、現実の事象に影響を及ぼしうる。君たちは己の思いのままに自然を操作したり、通常はありえない力を行使したりすることが容易にできるわけだ。ある者は炎を自在に操り、またある者は重力の方向を捻じ曲げることができる。知っての通り、私が今言った二つの例は、このクラスの人間の物だ」
知っている。片方は、エボのものだ。エボはさぞ得意げにしていることだろう。先生にほぼ名指しに近い形で褒められたのだから。
「本当に、素晴らしい話だ。私のような非能力者には羨ましい限りだよ」
そこで、終業のベルが鳴り響き、先生はふと我に返ると、『では次回は能力世界誕生の経緯についてだ』と言い残して、ホログラムの黒板を消去し教室から出て行った。
たちまち教室の中が喧噪に包まれる。入学から一ヶ月足らず。既に皆は自然体で学校生活を過ごしており、彼もまた何人かの友達に恵まれていた。
もっとも、後ろの席に座る誰かさんは、中学前からの腐れ縁だが。
「バカね」
後ろからの言葉に、彼は振り向くと彼女を睨みつけて言った。
「ねえ、エボ。そんなに僕のことをバカにしなきゃ気がすまないわけ?」
エボは一瞬きょとんとした顔になったあと、笑いながら手を振って言った。
「違う違う。君がバカだってことは、もう言うまでもないことじゃない」
「じゃあ、誰のことを話しているんだよ」
どちらにせよ自分が馬鹿にされていることに変わりはなかったが、彼はエボが誰のことを言っているかの方が気になってそう問いかけた。
エボに今更何を言ってもしかたがないという諦めも、理由の一つだったが。
「決まっているじゃない。あのバカ教師よ」
「先生が?」
「そうよ。あんなに生徒を持ち上げちゃって。あの人、いずれ生徒みんなから舐められるわよ」
嫌悪の表情を浮かべてそう言う彼女に、彼は首を傾げて言った。
「エボ、あの先生好きなんじゃないの?」
「ハア? なにバカなこと言っているわけ? 好きなわけないじゃない、あんな中年オヤジ」
「いやでも、授業は熱心に聞いているみたいだし、質問にはきちんと答えているし」
彼女は目を丸くすると、急に腹を抱えて笑い出した。
「アハハ! そっか! 君にはそう見えるんだ! カナタ、ひょっとしてあの先生よりもバカなんじゃないの?」
「なっ。だからバカにするなって! それに、先生のことを悪く言うなよ。先生だぞ」
「……呆れた。あんた、本物の真面目ちゃんね。それが学校の評価と噛み合えばいいんだけど」
エボニーはそう言うと、神妙な顔つきになって黙り込んでしまった。
彼は苛立ちにわしゃわしゃと髪を掻きまわした。エボが何を言っているのかがよくわからない。彼女はかなり頭が良くて、大人みたいなのだけど、それゆえに彼にはどうにもエボをきちんと理解することができなかった。
「いい、カナタ。先生でも大人でも、悪い人は悪い人なの。そうやって目上の人を全員尊敬していたら、そのうち痛い目にあうわよ」
難しい言葉で難しいことを言うなあと、変な意味で彼が感心していると、エボはそれこそあの先生には見せられないような表情となって、吐き捨てるように言った。
「だいたい何よ、あいつ。自分が板書したことを生徒に聞くとかバカじゃないの? しかも黒板に書いてあった通りに答えたら『少し説明に不足がある』って。不足があるのはあんただっちゅうの」
うわあ。優等生って、なんかすごいなあ。
ちょっとどころかだいぶ引く。中身が黒いとしか言いようがない。
ただ、先生の言ったことに疑問を持ったのは自分だけじゃなかったという事実は、少しだけ嬉しかった。
もしかしたら、あのことについてもエボなら自分と同じことを考えているかもしれない。そう考えると居ても立っても居られなくなって、彼は思わず喋り続けている彼女の手を掴んだ。
「ねえ、エボ!」
「だいたい原住民と移民の戦争をあんなさらりと……って、ヒャイ? な、なにいきなり? 愛の告白?」
「いや、どうしてそうなるの」
「違うならなれなれしく手を取るな!」
エボは顔を真っ赤にして彼の手を振り払った。
……ちょっと可愛いと思ったのは内緒にしておこう。
「ねえエボ。僕、一つ奇妙に思ったことがあるんだけど――」
※ ※ ※ ※ ※
結局。その質問に対して、エボニー・アレインは具体的な答えを出すことができず。
彼は、その疑問を、四月一日当日まで抱え続けることになる。




