第一章 戦意-7
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「惜しかったよ。非常に、惜しいところまで行っていた。流石は、軍直属の超能力者専門学校。なかなかの逸材がそろっている。だが、所詮は未熟者のままごとでしかない」
デリック・ミクソンの勝ち誇った声が、頭の上から降り注いでくる。だがそれに、すぐに反応することができない。意識が朦朧としている。肉体は限界まで痛みつけられ、もはや呼吸するのもままならない状態だった。
「睡眠ガス弾を持った同士のいる地下シェルターにテクラ・ヘルムートを連れて行かず、マクミランが内通者であることに気がつき、学校にいる全ての人間を無力化した。なるほど確かに、我々は裏をかき続けられたかのように見える」
徐々に徐々に狭まりつつある視界の中で、黒の革靴が床を叩いている。それが妙にうるさい。鼓膜を直接叩かれているような錯覚に襲われる。
「だが、それらは全て偶然の産物だ。たまたま登校した御影奏多が教員に反発し、偶然マクミランの裏切りが露呈し、都合よくリサ・リエラが催眠能力を持っていた。錯覚するのも、誤解するのも無理はない。最善を追い求めれば成功すると」
靴の動きが止まる。ポタリ、ポタリと、ジミーの口の端から血が零れる。彼はゆっくりと顔を上げると、虚ろな眼でデリック・ミクソンを見つめた。
「それは、僕たちに対する侮辱だよ。僕たちは常に最善を求める。求めなくてはいけない。それが、人間兵器としての責務であり、唯一の誇りだ」
「……驚いた。まだ、喋ることができたとはな」
「ああ。だいぶ衰えたけど、僕は『彼ら』と肩を並べた日々を忘れない。ここで君たちに屈するのは、『彼ら』に対する裏切りだ」
言葉が終わるや否や、喉奥から咳と血とがこみ上げてくる。何度もえずくジミー・ディランに、ミクソンは不快極まりないと言った表情で鼻を鳴らした。
「言っただろう? 君たちはもう敗北したのだと。どこに希望があるというのだ?」
「君たちの計画は、僕の部下によって全て破綻してきた。何重にもスペアを用意していたにも関わらず。武力衝突で負け、シェルターに避難することの裏をかき制圧するのにも失敗した。学校に潜り込ませていた同胞に、周囲の者を人質に取らせることにもだ」
「それらは全て偶然だ! そう言っただろう!?」
「偶然ではなく、必然だ。僕にはわかる。そうでなければ、不自然すぎる。偶然なんてものが、そう何度も続くはずがない」
デリック・ミクソンの拳が、ジミーの頬に突き刺さる。椅子が倒れ、鎖がぶつかり合い、ジャラジャラと音を立てる。ミクソンは表情を憤怒のそれにし、何度も何度もジミーの体につま先をめり込ませていった。
蹴りが入るたびに、床の上に赤い飛沫が飛び散っていく。そのあまりに一方的な暴力に、先ほどジミーに暴力を加えていた彼の部下たちまでもが顔を青くしていた。
最初は絶え間ない衝撃に体を痙攣させていたのが、ついにはまったく動かなくなる。そこまで来てやっとミクソンは足を止めると、半ばヒステリック気味に叫び声を上げた。
「いいだろう! 偶然は続かない! それを今、ここに証明してやろう!」
瞼を薄っすらとだけ開いたジミーの視線の先で、ミクソンがウィンドウを出現させる。ホログラムキーボードの表面で指を滑らせ、何らかの文書を打ち込んだ彼は、勝ち誇るように唇を醜悪な笑みの形にひん曲げた。
「彼らの計画を教えてやろう。校舎から出る二台の車はダミー。テクラ・ヘルムートは、第一高校の学生警備室にとどまっている。これまでの話を含めて、なぜ第一高校の様子を、私が知っていたのか。簡単な話だ。学生警備室には、盗聴器が取り付けられていたんだよ!」
ミクソンの言葉に、単純な暴力の嵐を受けた以上の衝撃を受け、ジミーは呆然と目を見開いた。その表情の変化にようやく満足したのか、ミクソンは息を荒げながらも勝利の笑みを浮かべて、近くにあったソファに深く腰をかけた。
「ヘルムートの近くにはアリシアという女が控えているらしいが、それも無意味だ。彼女の能力は、室内での戦闘に向いていない」
「……」
「これで終わりだ、ジミー・ディラン。想定外のさらにその先を想定した我々に隙はない。我々の英知が、ついに超能力者の慢心を打ち砕いたのだ!」
※ ※ ※ ※ ※
第一高校校舎の廊下を、十数人の男たちが疾走する。
黒のスーツに身を包んだ彼らは、ある者は拳銃を、またある者は警棒を手にし、ホログラムの地図に頼ることなく、事前に記憶していた通りの最短経路で学生警備警備室へと向かっていた。彼らは紛れもない一般人ではあったが、その様子はさながら訓練を受けた部隊の様だった。
やがて、一つの開き戸の前に辿り着き、先頭にいた者が足を止める。彼のハンドサインに反応し、中にいる人間に察せられないよう慎重に扉の両サイドに固まっていった。
その隊長格らしき男が、指を三本立てる。一秒おきに指を一本折りたたんでいき、最後の一本がたたまれた次の瞬間、扉を蹴倒す勢いで彼らは室内へと突入した。
……そして、扉のすぐ近くに、足首位の高さに張ってあったツタ植物を利用したロープに引っ掛かり、全員転んで将棋倒しとなった。
鳥の鳴き声のような軽やかな笑いが、警備室に響き渡る。それを屈辱に感じた隊長格がその笑い声の主を睨みつけたが、それが誰だか気がついた瞬間、赤く染まっていた顔を一転蒼白にした。
「お前はッ!」
「ではここで、お約束を一つ」
薄い水色のカーディガンを羽織り、少しウェーブのかかった髪を肩の上まで伸ばした、赤のアイマスクで額を隠した彼女、リサ・リエラは、片目を瞑って言った。
「私は寝ていると言ったが、あれは嘘だ」
「――ッ!」
反射的に、彼の両手が頭の横へと伸びる。だが、耳を覆い隠す前、否、それどころか、彼女が『悲鳴』を発してすらいないにも関わらず、彼の意識は強烈な睡魔に呑み込まれていった。
「……な、ぜ?」
「ごめんねえ。私の能力が『音響効果』だっていう説明も嘘なんだよお。正しくは『完全睡眠』。対象を眠らせる、精神系の能力。『悲鳴』はあくまで催眠のきっかけにするためので、私を目にした人間なら……て、もう誰も聞いてないかあ」
彼女の言葉が終わるや否や、床から立ち上がりかけていた者達も含め、警備室に突入した男たちの全員が意識を奪われ動かなくなった。
「これにて私たちの完全勝利。じゃあ、私は眠いから横になるねえ。あとはよろしく、アリシアちゃん」
「……」
リエラの能力の理不尽さを目のあたりにし、顔を引きつらせて部屋の隅に立ち尽くすアリシアに彼女はひらひらと手を振ると、また並べられたパイプ椅子の上に横になり、アイマスクを両目に下ろしてしまった。
※ ※ ※ ※ ※
――セミナーのメンバーが行動に移った、そのわずか数十秒後。
第一高校から数キロ離れた場所に位置するトウキョウ特別少年裁判所の一室で、ジミー・ディランは、部屋の中央に立ち尽くすミクソンを見上げて、宣言した。
「残念だったねデリック・ミクソン。今ここに、君達の敗北が決定した」
※ ※ ※ ※ ※
中央エリアの一般道路を、一台のバンが軽快に走る。後部座席のグレッグは鼻歌交じりに車を運転する副隊長を見て苦笑しながら、隣に『座らされて』いる密閉された寝袋のジッパーを下げた。
中から、眼鏡を外されたテクラが顔を出す。未だに白目をむいている彼女に、グレッグは笑うのを必死に堪えながら、手にしたペットボトルの水を少しだけ彼女の顔にかけた。
「わっ! ……へ、あ……い?」
「悪かったね、ヘルムートさん。恨むならあのいけすかねえ首席を恨んでくれ」
「あ、あいつはどこに!? 私の耳栓を取った、あの根暗男は!?」
「……気持ちはわかるけど、とりあえず落ち着いてくれ。身の安全は保証するから」
しばらくの間、彼女は呆然自失で瞬きを繰り返していたが、やがて自分の状態に気がついたのか、少し顔を赤らめていそいそと寝袋を体からはぎ取り、グレッグから眼鏡を受け取った。
彼女は眼鏡をかけて辺りを見回し、自分が走行中のバンの中にいることを確認すると、相変わらずご機嫌な様子で車のハンドルを操るエボニーへと目を向けた。
「なんで私が寝袋に? 先生の裏切りが発覚して、突然スピーカーから悲鳴が聞こえて……それから、どうなったんですか?」
「僕にも説明してほしいですね、副隊長。できれば最初から」
テクラの横で寝袋を畳みながら、グレッグが声を上げる。エボニーは鼻歌をやめると、少しばかり明るい声で言った。
「簡単な話、警備室に盗聴器が仕掛けられていたのよ。だから私たちは、それを逆利用した」
「それは僕も知ってます。ヘルムートさんが気絶した直後に、御影奏多がホログラムを使って教えてくれました。だけど、一番の疑問は、いつ盗聴器の存在に気がついたかです」
「何よ。そんなの、決まっているじゃない――」
※ ※ ※ ※ ※
「――最初からだよ」
特別少年裁判所の一室。
拳を指が白くなるほどの強さで握りしめてこちらを睨みつけてくるデリック・ミクソンに、ジミーはヘラリと笑った。
「盗聴器が盗聴器としての役割を果たすには、いくつかの条件が必要だ。一つ目は、盗聴器の音を拾う性能が十分であること。二つ目は、見つかりづらい場所に設置することだ。じゃあ、三つ目、最後の条件は何だと思う? ミクソン裁判官」
「……」
「答えは、見つかってもすぐには盗聴機だとばれないことだよ。絶対に見つからないなんて保証はどこにもないからね。ほとんどの人間が注目しない場所に、自然にあることが重要になる」
そこまで喋ったところで、ジミーは気管全体を震わすような、濁った咳を何度か繰り返した。
ミクソンは無表情に、また新たな血が床にまき散らされる様子を眺める。数秒後、ジミーは何度か深呼吸を繰り返し、表情を真剣なものにした。
「では、その条件を満たす最も一般的な盗聴器とは何か? ズバリ、電源タップ型だ。たこ足配線とかにするときに使うアレだね。さて。君も知っての通り、学生警備室には自動販売機が一台置かれている。それと壁の間には、コンセントが二つあって、自販機と繋いでない方は普段何もつけていないんだ。『ここに盗聴器をつけてください』と言わんばかりにね」
「……ッ!」
「エボちゃんかリエラちゃんが、こう言わなかったかい? 『自販機にラムネなんてあったか』ってね。それに対しては、またどちらかがある時刻まではなかったと答えたはずだ。ここまで言えば、もうわかるだろう?」
「ラムネは、盗聴器の隠語だった?」
「そういうこと。最初から気がついていたっていうのは、君の話からの推理だったけど、その表情を見る限り、ラムネの話題がでたのはかなり初期の段階だったと見てよさそうだね」
ジミーは鎖を揺らして笑おうとしたが、すぐに全身の痛みに阻まれたため、苦笑を浮かべるにとどめておいた。
「つまりは、君達が聞いた警備室での会話は、ほとんどが演技だったということさ――」
※ ※ ※ ※ ※
「――警備室に取り付けられた盗聴器。そして、それに気がついた直後のセミナーの人間による強襲。これだけでも、第一高校にセミナーとの内通者がいることは明らかだった」
ソニアサイド。学生警備が所有するバンの後部座席。テクラ・ヘルムートと同じく寝袋から解放されたシャーリーは、口を半開きにして御影の言葉に聞き入っていた。
「学生警備室に盗聴器をつけるなんていう真似が、外部の人間にできるとは考えづらいからだ。この時点で、アイツが信用できる人間は学生警備しか存在しなかった。なぜなら、仮に学生警備に裏切り者がいるのだとしたら、警備室に盗聴器をつける必要性がなかったからだ。学生警備の人間は警備室にいることが多いんだから、その裏切り者の服にでもつけたほうがいい」
そこで御影は言葉を切ると、何かを皮肉るように唇の端を上げた。
「状況は絶望的だった。学校側に内通者がいることはわかっている。だが、学校に属する組織である学生警備がその方針に理由もなく逆らうのは不自然だ。向こうに内通者の存在を知っていることがバレかねない。そしてなにより、こちらの会話は相手に筒抜けと来ている。アイツにとって幸運だったのは、その後すぐに俺とソニアが登校してきたことだった――」
※ ※ ※ ※ ※
「――御影とソニアが内通者である可能性はあったけど、生徒が内通者である可能性は元々限りなくゼロに近かったし、流石にあの二人に敵に回れたら勝ち目がないと割り切って信用することにしたわ。そこで私は、御影の『印象』を利用することを提案した」
「『印象』?」
後部座席の二人が首を傾げる。エボニーはその様子をバックミラーで確認しながら、噛んで含めるように言った。
「簡単な話、ある人間についての噂話よ。グレッグ。御影については、どんな噂を聞いていた?」
「いい話は聞かなかったですよ。史上最悪の問題児。傲岸不遜。人の感情が分からない、実力だけの機械人形。おまけに、四月一日に世界を敵に回したテロリスト。これは真実だと知っていましたけどね」
「まあ、そんなところでしょうね。じゃあ、ここで質問。そんな、悪魔のような奴が、『学生警備は俺のものだ』とか、『シェルターに逃げるのは認めない』とか言い出したとき、それが不自然だと感じた?」
「……あ」
「『御影奏多とはまともに話したことはなかったけど、コイツならやりかねない』って、そう思ったでしょ? 自分に絶対の自信を持っている、学年一位の不登校なら、どんな理不尽をしても不思議じゃないって」
「あれ……全部演技ですか!?」
「当然よ。アイツは確かに極悪非道だけど、馬鹿じゃない。実際、荒れに荒れまくってる第一高校の中では、教員の話はまともに聞く方よ。そうでなければ、教員と問題を起こしてとうに主席の座を剥奪されているわよ。アイツが問題視されてるのは、あれだけ自由気ままに振る舞っておきながら、周りに一切の隙を見せない点。だからこそ、『正しさしかない』と非難される」
実際、エボニーがある程度彼のことを庇うことができていたのも、それが大きい。確かに登校回数が少なすぎれば退学になるが、全ての授業に出なくてはならないという規則はない。他人を傷つけてはいけなくても、乱暴な言葉を使ってはいけないわけではない。教員の言う事は聞かなくてはならないが、言われていないことをやる必要はない。
そうやってのらりくらりと、ルールの盲点を突いてきたのが御影奏多という人間だ。端的に言えば、『うまくやっている』。だからこそ、彼は普通の問題児以上の恨みを買っている。
「だけどそれを知っているのは、彼に近しい人間だけ。具体的に言えば、あの場では私とソニアと、リエラが該当するわ。警備室に来る先生が御影をよく知っているかどうかは賭けだったけど、ほとんどの教員は問題児と積極的に関わろうとはしないだろうし、勝ち目はあった」
「何でですか? そういう生徒こそ、先生は更正しようとするんじゃ……」
「そんなことするわけないじゃない。誰だって、仕事が増えるのは嫌でしょ?」
何故かバンの中に微妙な沈黙が流れたが、気にしないことにした。だって事実だ。教員だって人間。一応規則は破っていないのだから、面倒ごとには関わらないに限る。ことあるごとに陰湿な嫌がらせをしようとしている輩は、流石に止める必要があったが、それだけだ。
悪口を言う人間は当然いたし、多くの者が彼を毛嫌いしていた。だがそのほとんどが、彼についての情報は、噂レベルでしか知らなかった。
当たり前の話だ。誰だって、自分の嫌いなものについての詳細を調べたいとは思わない。
「だから、御影に適当な理由をでっち上げさせて、テクラが地下シェルターに行くことだけは阻止した。一番怪しい場所だったからね。そして相手に、『内通者の存在はばれておらず、御影奏多さえ説得できれば計画通りに行く』と思い込ませることに成功した。グレッグたちに最後まで伝えなかったのは、何も知らない『観客』がいた方が演技が上手くいくから。テクラが気絶させられたのは、あなたには演技は無理だというアイツの独断。悪いことしたわね」
そこまで話したところで、彼女はおどけるように舌をペロリと出した。
「ま、想定外の事態も、結構あったんだけどね――」
※ ※ ※ ※ ※
「――その一つがお前だ、赤毛のアン」
「へ? 私っすか?」
恨みがましい御影の声に、シャーリーはきょとんと首を傾げた。
その反応の仕方が望み通りのものではなかったのか、御影は右手を額に押し当てると、疲れたように肩を落としてしまった。
思わず、逃げるようにして運転席へと目を向けてしまう。だが、彼女の期待に反して、ソニアもまた苦々し気に頷いてきた。
「何で? 私、何も悪いことはしていないっすよね!?」
「ああ。何も悪いことはしていない。だからこそ、問題だったんだよ」
御影は手を顔から離し、引きつった笑みをシャーリーに向けた。
「門で敵を撃退した後に、俺たちは副隊長殿とメッセージのやりとりで計画を立てた。『嫌われ役』を二つの返事で引き受けた俺は、教員相手に日ごろのうっ憤を晴らそうと、意気揚々と学生警備室へと乗り込んだ。そしたら……」
「……そしたら?」
「何故か、俺に対して好感度マックスな見知らぬ後輩が、突撃隣の先輩ラヴしてきやがったんだよ! そう、お前だ! シャーリー・ピット!」
御影はクワッ、と目を見開き、シャーリーの両耳を掴み全力で引っ張った。
「何なんだよお前! 何で俺みたいな人間失格を尊敬しちゃってるわけ!? 普通に嫌えよ!」
「む、無茶苦茶言ってるのわかってるっすか!? というか、痛い! 離してくださいよお!」
「うるせえッ! お前のせいで、計画がのっけから破綻しそうになったんだ! あそこで怪しまれていたら、最悪関係のない教員が人質にとられてた可能性だってあったんだぞ!」
「ごめんなさいごめんなさい! でも悪気はなかったんっす!」
「悪気がないのが余計腹立つんだ畜生めえぇッ! そんなんだから、お前には最後まで計画を教えられなかったんだよ!」
頭に血が上っているせいか、凄みすぎて互いの額が接触していることに気がついていない。ソニアは渋い顔をすると、ハンドルを人差し指で叩きながら言った。
「二人共、いい加減いちゃつくのはやめてくれませんか?」
「「いちゃついてなんかない!」」
「……息ぴったりじゃないですか。まったく。奏多も罪な人です。どうして、ちょっと悪ぶっちゃってる男の子だけが、不必要にモテるんですかね」
ソニアは深々とため息を吐くと、どこか遠い目をして続けた。
「まあ、いいじゃないですか。結果として、全てうまくいったんですから――」
※ ※ ※ ※ ※
「――後の想定外は、焦れた君たちがロケット弾を校舎に向けて発射したことぐらいか。まあでも、それがきっかけで、裏切り発覚からのリエラちゃんの能力発動っていう『自然な』流れをつくれたから結果オーライ。それがなかったら、焦ってシェルターに移動するよう詰め寄ってくる内通者に、そんなに必死になるのは怪しいとでも難癖をつけてどうにかするつもりだったんじゃないかな? 以上、説明終了」
ジミーの軽快な喋りとは対照的に、出入り口近くに佇む二人の男は、声一つ発することができずに俯いたままだった。
デリック・ミクソンもまた、しばらくの間無言で天井を見上げていた。だが、やがてゆっくりと首を振ると、苦笑を浮かべてジミーに話しかけた。
「なるほど、理解した。確かに、これは私たちの敗北だ」
「おや。いさぎよいんだねえ、君」
「失ったものに対して拘泥する愚者ほど、見苦しいものはないからな。もう少しだけ、君に聞きたいことがあるが、いいかな?」
「いいよ。何でも答えてあげよう。あ、でもその前に、鎖を外せまでとは言わないから、せめて椅子を立ててくれないかな。ずっと横になっているのはちょっと格好がつかない」
「いいだろう。お前たち」
彼の声に、二人の男は我に返ると、ジミーの元に駆け寄って椅子を元に戻した。
ミクソンはゆっくりとソファに腰を下ろすと、スーツの内ポケットから煙草の箱を取り出した。一本口にくわえ、先に火をつけようとしたところで、彼はふとジミーへと目を向けた。
「たしか君は、煙草が好きだったね。一本どうだい?」
「ありがたくいただくとするよ。あ、でも今君がくわえているのを吸うのは嫌だからね。おっさん同士の間接キスとか、想像しただけで寒気がする」
「……まったく。最後の最後まで、その調子を崩さなかったな、君は」
新たな煙草を取り出し、ミクソンがソファから立ち上がってジミーの方へと歩いていく。差し出した煙草をジミーがくわえると、ミクソンはライターをその先に近づけた。
「君の口ぶりだと、最初から学生警備室に盗聴器が仕掛けられる可能性を予知していたのだろう? もちろん私たちは、生徒会室や職員室といった部屋にも盗聴器を仕掛けてはいたが、ここではそれは問題ではない。なぜ君は、その可能性に思い当たっていたんだい?」
「……」
「君が言ったように、警備室に盗聴器を仕掛けられるのは、内部にいる人間だけだ。つまり君は……日ごろから、学校側に裏切られる可能性を想定していたことになる」
煙草の先に火がつく。それと同時に、ジミーは大きく煙を吸い込んだが、傷に染みたのかすぐにむせかえって煙草を吐き捨てた。
幾滴かの血が、ミクソンのスーツを汚す。だが彼は、それを気にするそぶりもみせずに、心底不思議そうな口調で問いを続けた。
「君が治安維持隊の出身だということは知っている。だが、流石に高校教員に裏切られることまで心配するのは、度が過ぎるのではないかい?」
「だけど、実際にそうなった。違うかい?」
「……」
逆に質問され答えを返せないデリック・ミクソンに、ディランは弱々しく笑いかけた。
「僕はね。周りにいる人間を、ほとんど信用していないんだ」
「……それは随分と、寂しい生き方だな」
「慣れてしまえば、そんなに悲しい物でもないさ。それにね。こんな僕にも、少しは友達がいるんだぜ?」
彼がそういうや否や、ミクソンの背後で苦悶の声が上がり、二人の男が床に倒れる音がした。だが彼は、眉一つ動かさずに、ジミーの顔を見つめていた。
「誰一人として信用しない。つまりは、国側の人間である私の事も、君は信用していなかった。私たちに捕まったのは、わざとだね? 不意を突かれたように装っていた」
「そうだよ。テクラちゃんの話題を出してきた以上、君達が彼女を狙っていることは明らかだった。僕が捕まっても、エボちゃん達ならきっとテクラちゃんを守り通す。でも、学校に攻めてきた人間を無力化しても、首謀者である君達がいる限り、安全は保証されない。話は変わるけどね。僕は、毎日四時には、必ずその日食べたスイーツが何なのかをSNSに登校しているんだ。たとえ任務中でもね。僕の友人は、親切にもそれを確認してくれている」
「なるほど。もしその投稿がなかった場合は……」
「何らかの事件に僕が巻き込まれたと判断し、友達がアカウントナンバーで僕の居場所を特定、その場所に駆けつけるというわけさ。というわけで、入ってきていいよ」
扉が押し開けられ、治安維持隊の制服に包まれた足が床を踏みしめた。ジミーは足音でそれを確認すると、満面の笑みを浮かべて言った。
「やっほー、ルーベンス君。僕は信じていたよ! 君なら、僕を助けに来るって!」
「ルーベンスではない。私だ。無論、彼の協力は得たがな」
「へ?」
顔を上げて確認する。部屋に入ってきたのは、背の高い、何やら剣らしきものを持った男だった。急に真顔になったジミーに対し頷きかけ、彼はあまりのことに口をあんぐりとあけたデリック・ミクソンへと目を向けると、堂々たる声で宣言した。
「超越者序列二位、レイフ・クリケットだ。どうぞよろしく」
「……あ、はい。どうも。初めまして」
素直に挨拶を返したミクソンに、この世界で二番目に『有能』だと認定された人間大量破壊兵器は、鷹揚に頷いて見せた。
「誠に残念ではあるが、私は貴様の身柄を拘束しなくてはならない。抵抗する場合は……」
「しません。絶対にしません。私も命がおしい」
「それもそうだな。私も馬鹿なことを聞いた。許してほしい」
「……いやちょっと待てぇッ!」
あまりの衝撃に超能力を発動して瞬時に鎖を切断し、その場に仁王立ちになったジミーは、驚きに目を丸くするミクソンを無視して、人差し指をレイフの顔に突きつけた。
「何で君が、こんな小さな事件に!? 超越者としての自覚ある!?」
「もちろんあるが?」
「じゃあ何で僕みたいな地味なおっさんを助けるために、わざわざ単身でここに来たわけ? 君にはもっとこう、助けるべき人というか、お姫様的な人がいるだろう!?」
「……ひとまず落ち着け。何を言っているのかわからないぞ、ディラン」
レイフは手にした円筒形の『柄』の先から、極薄の刃を消失させ、続けて言った。
「SNSの投稿が途切れたのに最初に気がついたのは私だ。それからルーベンスに連絡し、無理やり情報管理局の伝手とやらが誰なのかを聞き出して、超越者としての正しき在り方やらテロリストによる公理議事堂占拠やらを無視して情報管理局に突入、貴様の居場所を特定した」
「そんなこと起きてたの!? だったら、余計に僕を助けに来るべきじゃないよね?」
「何を言うか、ジミー・ディラン」
無駄に格好良くて、若々しくて、なんかもう並んでいるだけでこちらが霞んでしまって正直うざい超絶イケメンは、呆れたようにため息を吐くと、胸に右手を当て、曇りなき眼でこちらを見つめてきた。
「友を救うのに、理由など必要ないさ」
「言っていることは間違ってるはずなのに、何か説得力があって余計腹立つ!」
「度し難いな。騒ぐのもほどほどにしとけ。その出血具合だと、最悪死ぬぞ」
「……あ? やっぱり」
自覚させられた途端、全身から力が抜けて、ジミーはその場に崩れ落ちた。
まったく。先ほど誰も信用できないと言ったが、撤回だ。レイフ・クリケットほど信用に値する人間は、この世には存在しない。
何故なら彼は、ただの一度も、嘘をついたことが無いからだ。
……彼の友人であるという主張は、全力で否定させてもらうが。
「とりあえず、貴様は休め。後は私に任せろ」
「待ってくれ、レイフ。君に、頼みたいことがある」
先ほどから顔色一つ変えない彼に、ジミーはブラックアウトしそうになる意識を最後の気力で保ちながら言った。
「ミクソン裁判官を治安維持隊に引き渡したら、ヴィクトリアからの介入が無い限りは、学生警備を助けるために行動してほしい。僕の代わりにね」
「学生警備との連絡手段はないのか?」
「通信機器は取り上げられた。流石にアカウントナンバーまでは覚えていない」
「いいだろう。だが、これで事件は解決したはずだ。まだ何かあるのか?」
「馬鹿を言うなよ。解決だって? そうなるかどうかは、誰にもわからない」
彼はそこで一度息を整えると、最後の力を振り絞って言った。
「僕は学生警備の隊長だ。だからこそ、最後まで部下たちの力にならないとね」
その言葉を最後に、学生警備隊長ジミー・ディランは、戦闘不能により争奪戦から離脱した。
二三九九年、五月五日。時刻は午後五時。
テクラ・ヘルムート争奪戦。その前半が、ここに終結した。




