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ユートピア・アラート 〜超能力少年と不可思議少女の世界革命〜  作者: 赤嶺ジュン
ユートピア・アラート2 ファイアドール・ユアセルフ
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第一章 戦意-6





 学生警備室。

 その中央部に立たされたテクラは、テーブルの上の紙片を乗せた灰皿に両手をかざした。


 手と灰皿の間に、オレンジの過剰光粒子が舞い踊る。その見覚えのある色に御影は思わず眉をひそめた。


 過剰光粒子の色は、基本能力の特性が近ければ似た色になると言われている。エボニーが超能力を使うときに出る過剰光粒子の色も橙だが、どちらかと言えばエボニーの方が色が濃い。なんにせよ、テクラと彼女の能力には、共通点があるということだろう。


 彼の予想にたがわず、数秒後に灰皿の紙片が突然発火した。紙が過剰光粒子と同じ色の炎に呑み込まれていく様子を見ながら、ソニアがぽつりと呟くように言った。


「アレインさんのと、同じ能力?」


「いや、違う。こいつの能力は、パイロキネシスだ」


「パイロキネシス?」


「火を出す能力のことだよ。パイロキネシスってのは、超心理学とかいう、確か超能力研究の基礎の一つとなった学問で使われていた言葉だ。いや、正確にはちょっと違うか? 諸説あるが、この言葉を最初に使ったのは作家の……」


「そこらへんの雑学は後日聞くことにしましょう。発火能力なら、アレインさんのとまったく同じ能力と言えるのではないですか?」


「いや。確かに似ているが、両者はまったく異なる能力だ」


 御影はそこで言葉を切ると、疲れたように椅子に座り込んでしまったテクラへと目を向けた。


「テクラ・ヘルムート。お前の能力は、火を起こせるものと見て間違いないか?」


「……はい、そうです」


「じゃあ、もう一つ質問だ。お前はその火を、制御することはできるか?」


「それはできません。私にできるのは、火をつけることだけです」


「なるほど。アレインさんとの違いは、そこですか」


「そういうことだ」


 御影はテクラの前にある椅子に座り、前で足を組んで続けた。


「こいつの能力は、火を発生させるもの。対して、副隊長殿のは火を制御するものだ。能力を使うときには、いつもライターを使ってんだろ。アイツの神髄は、火を起こすことではなく、その逆なんだよ。さらに正確を期すなら、こいつの能力はパイロキネシスでもない。ずばり、熱を発生させる能力だ。違うか?」


「……そうも、言えるかもしれませんね。私は、火を起こすのにしか使ったことはないですが」


「精神粒子を熱エネルギーに変換するだけの単純な能力というわけか。ランクはEだろうな」


「ランク?」


「超能力者の『格』を示すものだよ。最低がE。最高がSだ。超越者は軒並みS、と言いたいところだが、俺の知る限りSランクは二人しかいねえし、ランクが人間兵器の有用性に直接繋がるかと聞かれたらそれもまた否だ。ランクはあくまで起こす異常現象の規模、と解釈するべきだろうな。まあ、詳しいことは後で調べてくれ」


 途中で説明が面倒になって、最後の方はだいぶ投げやりな口調になった。それだけでテクラが怯えたように体を震わせるが、先ほどからいい印象を与えていない以上、それは仕方のないことだろう。まあどうでもいいが。


 しかし、彼女の能力が単純な環境系の能力であることは、御影にとっては少々意外だった。もっと別の物だとばかり思っていたのだが。


「それを使って、セミナーの『成功例』を演じていたというわけか。発火能力は超能力の中でもどちらかといえば親しみやすい、多くの映像、文学作品で扱われていたものだ。さぞかし受けはよかっただろうよ」


「はい。でも、本当、詐欺にしか使えないような、ダメな能力で……」


「能力に優劣はあるが、当たり外れはない。使いようによっては強力な武器になる。例えば、そうだな。脳みそを直接加熱しちまえば、相手を一瞬で殺害できるだろうな」


「そんなこと!」


「例えばの話だよ。冗談の通じねえ奴だな」


 御影がクツクツと喉を鳴らす。唇を噛みしめて黙り込んだテクラを見て、ソニアは何かを諦めるように首を振った。


「言いすぎですよ、奏多」


「そんなことはわかってる。言っただろう? 俺はコイツが嫌いなんだ。吐き気がするほどにな。ホント、どこかで見たような目をしてやがる」


「……目?」


「気にするな。それこそ、気がするというだけの話だ」


 御影はふと遠い目をすると、警備室の奥にある窓の方へと歩いて行った。普段なら生徒で溢れかえっているであろうグラウンドが、スポーツ用品等が放置されたままがらんとしている。突然の避難もかなりの速さでこなしているところは、素直に第一高校を褒めるべきだろう。


 状況は混沌の一途をたどっている。第一高校への襲撃だけでなく、議事堂の占拠という、御影にとってありとあらゆる意味で重大な事件が並行して起きている。そこまで考えたところで、白服を着た詐欺師の姿を思い浮かべてしまい、御影は舌打ちを一つした。


「安心しろ、ヘルムート。引き受けた仕事に私情を挟むほど、俺も馬鹿じゃない。お前の身の安全を第一に考えるさ」


「ありがとうございます。……その、すみません」


「……あのクソアマにもまして、助ける気力をそがれるな」


 右手で髪をわしゃわしゃと掻きまわす。後ろから、ソニアが不思議そうに問いかけてきた。


「奏多は、そもそもにおいてなぜ、エボニー・アレインの提案にのったのですか? 貴方の性格なら、ヘルムートさんを見捨てるという選択をしてもおかしくないと思うのですが」


「……ソニアまで俺の事をそんな風に言わないでくれ。マジで傷つくから。事実だけど」


 少し気が沈んだ。やはり、言葉というのは発言者によって意味ががらりと変わる。それでいてフレーズだけが独り歩きするのだからたちが悪いと、哲学もどきの考察へと現実逃避しながら、御影は少し疲れた声で言った。


「あの女には借りがあるんだよ。アイツがいなきゃ、一月前に俺は死んでいた。それに、借りがどうとかいう話以前に……」


 そこで、御影は言葉を止めると、両目を大きく見開いた。

 あまりのことに、体が震えてくるのがわかる。御影は両の拳を握りしめると、顔を引きつらせて叫んだ。


「正気かあいつら!? 最後の一線を、何の躊躇いもなく踏み越えやがった!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 学生警備の窓とは反対側。第一高校の敷地外北部の、とある駐車場に、一台のバンが停まっていた。

 その周辺には、テクラ・ヘルムートの身柄を確保すべく動く組織、『トウキョウ超能力発現セミナー』のメンバーがたむろしている。そこからさらに少し離れた場所では、一人のがたいのいい男が、筒状の兵器を肩に乗せ、第一高校の校舎へと向けていた。


 かなりの自由が認められているエイジイメイジアにおいて、特にタブーとされていることが二つ存在する。一つは、航空機製造。もう一つは、銃火器の製造、所持だ。


 そういう意味で言えば、男の手にしているものは、この国における禁忌を二つ共に犯しているととらえられなくもなかった。


 ロケットランチャー。ありとあらゆる戦争が『消失』した世界においては、あまりにも攻撃的かつ暴力的な、許容しがたい殺戮兵器。周囲に住宅が立ち並ぶ空間で対戦車ミサイルを構えるその光景は、異常極まりないものだった。


 その瞬間まで、第一高校の校舎にロケット弾が撃ち込まれる可能性を想定していた者は皆無だったと言っていい。校舎内に彼らの保護対象であるヘルムートがいたこともそうだが、何よりそのようなものを一般人が用意し、使用するなど、普通なら笑い話にもならない。


 だが、そのギリギリの段階で、彼らの行動は御影奏多の『監視網』に捕まった、


 周囲に存在する気体を操作するためには、その全ての位置、動きを把握する必要がある。気流の動きを完全に把握し、操る。その副産物として、御影は半径一キロ以上の範囲に存在する物体の形状等を大まかにとらえることを可能としている。


 ソニアの命令で生徒会のメンバーが門近くを見張っていたが、御影もまたエボニーの依頼で校舎周囲の気体の動きを観測していた。校舎周囲という限定された場所の監視の為、御影はその空間にあるもの全てを目で見る以上に正確に理解することができていた。


 だからこそ、誰よりも早く『映像でしか見たことないような武器が校舎に向けられている』という異常事態に気がつき、それに対応することができた。


 校舎の上空に、青の粒子が大量に出現する。事前に準備していたこともあり、あっという間に複数の風が吹き荒れ、一つに纏められ、巨大な不可視の『槍』と化していった。


 ロケット弾が発射されたのと、空気の『槍』が射出されたのが、ほぼ同時だった。


 中央部の気体の一部が液化するほどに圧縮された気体の群れと、戦車をも破壊する量の火薬が詰め込まれたロケット弾が、正面から激突する。


 その瞬間、ロケット弾は轟音と共に爆発、炎上し、御影が作り出した『槍』もまた爆風により引き裂かれ、四散していった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 第一高校校舎二階、北部の廊下にて。

「な、何っすかあれ!?」


 窓の向こう側、校舎から数百メートル離れた上空で起きた爆発に、廊下の窓ガラスの一部がひび割れてしまう。あまりのことに、シャーリーが目を白黒させて叫んだ。


「一体何が起こったんっすか? というか、あの大量の過剰光粒子、もしかしなくても御影先輩のっすよね!?」


「……ええ、そうね。連中、まさかここまでしてくるなんて。念のための監視を頼んでおいて正解だったわ」


 エボニーは額に浮かんだ嫌な汗を手で拭い、安堵のため息を吐いた。

 目視はできなかったが、おそらくは無反動砲か対戦車砲あたりの弾が飛んできていたのだろう。御影がそれを迎撃できずに、校舎に当たっていたらどうなっていたかと思うとぞっとする。


 おそらく、向こう側にとってもこれは賭けだ。自分たちの思惑通りにことを進めるための、一つの布石。この戦いは、互いがどれだけ相手の思考を読み取れているかにかかっている。


「ど、どうするんっすか先輩! 御影先輩の防御も絶対じゃないっす。このままじゃ……」


「わかっているわよ」


 エボニーは腕組みをすると、近くにあった木製の柱に寄りかかった。

 こちらのとれる手は二つ。一つは、先生方の提案通りに、第一高校に備え付けられた地下シェルターに逃げ込んでしまう事。二つ目は、逆にテクラを連れて校舎から逃げ出してしまうというものだ。だが後者を選択すれば、住宅街を戦場としてしまう危険性がある。


 選択肢は実質一つに絞り込まれているが、あと一手が足りない。こういうときにはやはり、あの地味な男の不在が痛い。普段はサボり魔だが、さすがにこれくらいの緊急事態になれば頼りになる。逆に言えば、そうでもない限り全く役に立たないということでもあるが。


「エボニー・アレイン!」


 突然の呼びかけにエボニーは我に返ると、すぐ近くにあった階段の方へと目を向けた。そこでは、全力で階段を昇ってきたのか若干息を荒げた女性教員、マクミランが膝に手をついてこちらを見つめていた。


「マクミラン先生ですか」


「今の爆発は……」


「ええ、緊急事態です。今、対応策を検討しています」


「そんなことを言っている場合ではありません」


 マクミランはポケットからハンカチを取り出し、額を拭いながら厳しい口調で言った。


「敵は手段を選ばない。生徒から犠牲者を出すわけにはいきません。あなた方も早急に、地下シェルターに避難してください」


「…………」


 黙ったままのエボニーに、マクミランは流石に苛立ちを覚えたのか、整った顔を怒りにゆがめて叫んだ。


「ここまで来て、まだ逆らうと言うんですか!?」


「落ち着いてくださいマクミラン先生。御影奏多に権限を与えたのはあなたでしょう? 私も不満がない訳ではありませんが、そう決めた以上は、彼に連絡を……」


「そんな悠長なことをしている暇なんてないでしょう!? 屋上とは言え、校舎に被弾したんですよ!? 地上はもはや、安全とは言えません!」


「……何ですって?」


 マクミランの言葉に、エボニーは表情を消すと、彼女の顔をまじまじと見つめた。

 流石のシャーリーも、あまりのことに呆然と口を開いている。エボニーは腕組みをとくと、マクミランの方へと一歩足を踏み出した。


「マクミラン先生。今、何とおっしゃいましたか?」


「え?」


「え? じゃありませんよ。先ほどあなたは、『屋上に被弾した』と言いましたね。ですが実際には、ロケット弾は校舎にぶつかる前に、御影奏多によって迎撃されています。どうして、そのような勘違いをなさったのですか?」


 自らの失言にそこでやっと気がついたのか、マクミランの目があらぬ方向へと泳ぐのがわかる。エボニーはさらに一歩前へ踏み出すと、続けて言った。


「爆発音だけでは御影奏多に迎撃されたかどうかわからない、なんていう言い訳は無しですよ。あなたは『屋上』という具体的な場所を口にした。なぜ、そう思ったのですか?」


「…………」


 エボニーの問いかけに、マクミランは黙したまま喋ろうとしなかった。

 薄氷の上を渡るがごとき緊張感が、三人のいる空間を凍り付かせていく。何でもない沈黙が大きなプレッシャーとなって、両肩に重くのしかかってくるのがわかった。


「マクミラン先生。あなた、まさか……」


 言葉の途中でマクミランの華奢な手がスーツの内ポケットへとのび、中から黒塗りの拳銃が取り出された。


 だが、拳銃がエボニーに向けられるよりも早く、彼女の全力の拳がマクミランの鼻頭に突き刺さった。


「――ッ!?」


 マクミランが足元に拳銃を取り落とす。後から後から流れる鼻血が、彼女の周囲に赤の斑紋を作り出していったが、エボニーは眉一つ動かさずにマクミランの手を捻り、先ほどまで寄りかかっていた柱に彼女の体を叩きつけるようにして取り押さえた。


 女性のそれとは思えない、ざらついた苦悶の叫びが廊下に木霊する。あまりにも容赦がなく、かつ躊躇のない暴力に臆したのか、二、三歩後ずさりしたシャーリーに顔を向け、エボニーは頬についた血を拭おうともせずに淡々と言った。


「グレッグとアリシアに通信を繋いで、警備室に戻るよう指示を出して。今すぐに」


「せ、先輩! その、マクミラン先生は一体!?」


「わからないの? この女、セミナーの連中と通じていたのよ。だから、『ロケット弾が命中するはずだった場所』を知っていた。この分だと、シェルターにも罠が仕掛けられてるわね」


 言葉と共に、エボニーが腕を捻る力を強くする。おさまるどころか、段々と大きくなっていく悲鳴に、シャーリーは顔を青ざめさせた。


 エボニーはそんな後輩に眉を顰めると、口調を少し強いものにした。


「さっさと指示に従いなさい。この女の言葉を借りるわけじゃないけど、悠長なことをしている暇は、もうないわ」



  ※  ※  ※  ※  ※



 ――数分後。学生警備室にて。

 エボニーからの文書メッセージを受け取った御影は、パイプ椅子から勢いよく立ち上がると、何事かと目を見開くソニア達を無視して、部屋の奥で横になっているリサ・リエラの元へと駆け寄り、彼女のアイマスクを勢いよくはぎ取った。


 ぱっちりと両目を見開いた状態の彼女と目が合う。御影が頷いて見せると、彼女は先ほどまで横になっていたとは思えない機敏さで立ち上がり、小走りで警備室の外へと出て行った。


「……何事ですか?」


「マクミラン教諭の裏切りが発覚した。この学校の人間は、もう信用できない」


「せ、先生が!? 裏切り!? 何でですか!?」


 ショックを隠し切れない様子のヘルムートを無視して、御影は棚の方へと駆け寄ると、中から正方形をした乳白色のプラスチックケースを取り出し、テーブルの上へと放り投げた。


「……これは?」


「耳栓が入っている。人数分はあるはずだ」


「なるほど」


 ソニアがケースの蓋を開けて白の耳栓を取り出し、しげしげと見つめる。一人だけ突然の展開についていけないテクラが何かを問いかけようと口を開いたが、何か言葉が発せられるよりも先に警備室の扉が勢いよく開かれ、グレッグとアリシアの二人が駆け込んできた。


 二人はしばらくの間呼吸を整えていたが、やがてテーブルの上に置かれている耳栓に気がつき、大きく目を見開いた。


「嘘! マジで!? リエラ先輩の能力を使うのか!」


「もうわけがわからない! 一体何がどうなってるの!?」


「混乱しているのはわかるが、説明している時間はねえ」


 御影はケースから耳栓を取り出し、一人一人に渡しながら、いつになく真剣な口調で言った。


「しっかりと両耳に取りつけろよ。今お前らに退場されるわけにはいかないからな」



  ※  ※  ※  ※  ※



 校舎二階廊下。

 こんなこともあろうかと持ち歩いていた、手錠、ガムテープ、その他諸々エトセトラでマクミランの体をがんじがらめに縛り付けていたエボニーは、近くの柱に取り付けられた時計を見て、大きく舌打ちを一つした。


「みんなに連絡してから四分か。警備室に戻っている暇はないわね」


「急いでいる理由はわからないっすけど、時間が無いならどうしてマクミラン先生の拘束にこんな時間をかけたんっすか?」


「何かやってたら興がのってきて」


「アンタ本当に学生警備副隊長っすか!?」


「失礼ね。そんなことより、今すぐ耳を塞ぎなさい。でないと、意識を持っていかれるわよ」


「……へ?」


 言われたことが分からずポカンとするシャーリーを放って、エボニーは両の人差し指を耳に突っ込んで、目を閉じてしまった。


 とりあえず彼女に倣って、耳を手のひらで覆い隠す。なぜこのようなことをするのかと問いかけようとし、この状態では互いの声が届かないことに気がついて、シャーリーが歯噛みをした、その瞬間だった。


「――――ッ!?」


 何の前触れもなく、廊下に備え付けられたスピーカーから、女性の悲鳴が大音響で飛び出してきた。あまりの音量に頭痛さえ覚えたが、直後、シャーリーは強烈な眠気に、瞼が無意識で閉じかけていたことに気がついた。


『……何っすかこれは!?』


 反射的に、耳を抑える力を強くする。エボニーの言っていたように、確かにそれは意識を『持っていかれる』という表現が正しい。経験したことないような種類の頭痛がするのも相まって、脳を直接つかまれて体から引き千切られているような感覚に襲われる。


 その悲鳴は、三十秒ほど経過してもまだ鳴りやまず、シャーリーがついにその場に崩れ落ち廊下に倒れそうになったところで、彼女はエボニーに体を支えられた。足で。半分蹴る形で。


『両手が塞がってるから仕方ないけど、やっぱ乱暴すぎないっすかこの人!?』



  ※  ※  ※  ※  ※



 警備室に取り付けられたスピーカーから、あたかも黒板を爪で引っ掻いたような不快な悲鳴が響いている。テクラ・ヘルムートは、猛烈な眠気と戦いつつ、警備室の面々を見渡した。


 閉じようとする瞼を気力のみであげているせいで、アリシアが白目になっていてかなり怖い。グレッグは唇を噛みしめて耐えている。ソニアは目を閉じているが、表情が厳しいことから自分と同じく、強烈な眠気と戦っているのがわかった。


 ただ一人の、少年を除いては。


 彼女のいる場所が、少し陰になる。反射的に顔を上げた彼女は、御影奏多が自分を見下ろし、どこか意地の悪い笑みを浮かべているのと目があった。


『なんで平気なの!?』


 御影がしている耳栓だけ特別製、というわけではないだろう。となると、何らかの形で『悲鳴』を完全にシャットアウトしているのだとしか考えられない。


 彼はわしゃわしゃと髪をかき回すと、右手を手刀の形にし、あろうことかウィンクをしたうえに舌まで出してきた。


『何この人!? 気持ち悪!』


 御影奏多らしからぬファンシーな顔に、逆に恐怖を覚える。嫌な予感を覚え椅子から立ち上がろうとしたが、それよりも先に彼の右手が彼女の頭の横に伸び……素早い動作で、テクラの耳栓を取り外してしまった。


 ……え? …………ええ?


「ええええええええッ!?」


 その悲鳴で、スピーカーからの音をかき消すことはもちろん叶わず。


 目の前の問題児に怨嗟をまき散らす暇もなく、彼女の意識は暗闇の奥底へと飲み込まれていった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 校舎全体に響き渡った『悲鳴』がおさまった、数分後。

 途中で見つけた天井に尻を突き上げた状態で倒れていたムクセフ先生を華麗に無視し、『せめてあの姿勢だけでもどうにかしてあげないっすか!?』と騒ぐシャーリーを半ば引きずる形で学生警備室に到着したエボニーは、引き戸を勢いよく開けた途端さらなるカオスに直面した。


「な、なんてことだ! 耳栓をしていたのに気絶するだなんて! か弱すぎるぞヘルムート! 毎日牛乳を飲まないからこんなことに!」


「マジかよ牛乳最強だな! ……って、そうじゃないわ! 離せアリシア! こいつを一発殴らないと、僕の気が収まらない!」


「だめだよグレッグ! 気持ちはよくわかるけど!」


「…………」


 目下の保護対象であるテクラ・ヘルムートは、何故か笑みの形に固定された口の端から涎をたらし白目をむいた状態で気絶しており、彼女の体を抱きかかえる御影はというと、全力で笑いをこらえているせいか全身を震わせている。少し離れた場所では暴れるグレッグをアリシアが後ろから羽交い絞めにし、パイプ椅子に座るソニアは両手で顔を覆っていた。


 部屋の中央部には、御影が出現させたのであろうホログラムウィンドウが浮かんでいる。エボニーがそれに書かれた内容を一瞥し、消去ボタンを押した直後に、シャーリーが部屋に入ってきてあまりの惨状に固まってしまった。


「何っすか、これ!?」


「とりあえず全員落ち着きなさい。というか黙れ。うるさい」


「口悪いっすね!?」


 誰一人こちらに意識を向けていないのだから、不貞腐れもする。エボニーはため息とともにポケットからライターを取り出し、フリントホイールに親指を押し当てた。


 直後、部屋の天井近くまで火の筋が伸び、小規模な爆発が発生した。流石に黙り込んだ彼らの顔を順々に眺めながら、彼女は少し上ずった声で言った。


「全身焼かれたくないのなら、言う事を聞きなさい」


「オーケー、了解した! 全員黙れ! この女、マジだぞ!」


 御影の呼びかけに、テクラ以外の全員が真顔になって着席する。なんだか釈然としなかったが、これ以上感情に任せて動くのは得策ではないと判断し、エボニーはライターをしまいながら続けて言った。


「状況を説明するわ。マクミランの裏切りが発覚した以上、校舎内はもう安全とは言えない。速やかに内部にいる敵対勢力を一掃する必要性があったわ。そのために、ちょっと乱暴な手ではあったけど、リエラの能力を使わせてもらった」


「さっきのスピーカーからの叫び声っすよね。あれはいったい、何なんっすか?」


「『音響効果』。リサ・リエラの能力名だ」


 シャーリーの問いかけに、椅子の上で足を組んだ御影が答える。彼の隣の椅子に座らされているテクラの姿があまりにも悲惨かつ滑稽で吹き出しかけたが、唇を軽く痙攣させるだけにとどめた。


「ありとあらゆる音を生み出し、操る。音が人間に与える影響は絶大だ。音楽を例にあげるまでもなく、音は感情を変動させる。音という外部からの刺激をより洗練させることで、アイツは対象の脳に直接影響を与えることを可能としている。例えば、強烈な眠気をさそったりな。流石に電話とかでそれをするのは無理だろうが。あれは結構音が変わるからな」


「すごいっすね! その能力を使えば、敵を簡単に制圧することができるんじゃないっすか」


「物事はそう上手くいかないものだ。俺は空気の振動を阻害することでアイツの能力を回避したが、知っての通り耳栓をするだけでもある程度は対処することができる。この手はもう相手には通じない。そして何より、アイツはもう能力を使えない」


「どうしてっすか?」


「音を操ると言っても、簡単なことではありません。とても繊細な作業を必要とします」


 ソニアが御影の説明を引き継ぐ。彼女は肩にかかった長い金髪を後ろに払い、目をしばたたかせた。


「ピアノの調律師のことを考えればわかります。彼らは耳を頼りに、ピアノの音階を調整する。それと同じです。リサ・リエラは、自分の声をじかに耳で聞いて、音に狂いが無いようにしなくてはならない。結果として、誰よりも彼女の能力の影響を受けるのは……」


「リエラ先輩自身、というわけっすか」


「彼女は今、放送室で眠りについているはずよ。こんどは狸寝入りじゃなくて、本当に。顔に水をかけられても起きないでしょうね」


 エボニーの言葉に、シャーリーはがっくりと肩を落とした。


 マクミランの裏切りの発覚。予定外の事態ではあるが、対応できないほどではない。御影やソニアだけでなく、グレッグ、アリシアもうまいことやっている。だが、本当の勝負はこれからだった。

 御影の方へと目を向ける。彼が軽く頷きを返してきたのを確認し、彼女は再び全員の顔を見回しながら言った。


「リエラの能力で、今学生警備室に集まっている人間以外は全て、昏睡状態にある。この状況で攻め込まれたら、流石に対応しきれない。……それはそうと、何でテクラまで寝ているのかしら、御影?」


「その方が持ち運びに便利だから」


「外道が。いっぺん死ね」


「うるせえな。これにはちゃんと理由がある。お前ならわかるだろ?」


「……それにしても、他にやりようがあったでしょうが」


 この男に対して言いたいことは他にも山ほどあるが、時間が無い。エボニーは喉元まで湧き上がってきた怒声を無理やり胃に流し込み、淡々と続けた。


「最終手段よ。学生警備が所有する車で、二手に分かれて校舎から脱出するわ。この中で私以外に車を運転できる人はいる?」


「私が。この前免許を取ったばかりですが」


 少し不安の色をにじませるソニアに、エボニーは思わず破顔してしまった。


「免許取ってるだけいいじゃない。私なんか、バイクすら無免許よ」


「……え?」


 ソニアが彼女にしては珍しい間の抜けた声を上げる。他三人は無言で床に目を落としていた。

 一体、何が問題なのか。無免許も、事故さえなければ、ゴールドです。最悪、学生警備のバッジを治安維持隊隊員に見せればどうにかなる。


「じゃあ、私とソニア、テクラの三チームに分けましょう」


「三チーム? 二チームじゃないんっすか?」


 シャーリーが首を傾げる。確かにもっともな疑問だ。それに応えようとエボニーが口を開くよりも先に、御影がいつもの人を小ばかにしたような笑みを浮かべて言った。


「頭を使え、赤毛のアン」


「誰が赤毛のアンっすか!?」


「うるせえよ。いいか。仮に二手に別れて校舎を出たとしても、敵は必ず追ってくる。どの程度の勢力かわからない以上、それだけではあっという間に囲まれる危険性も存在する。ヘルムートに追手が一人もつかない、というのが理想だ」


「でも、そんなことは不可能……」


「馬鹿が。簡単な話だろうがよ」


 御影は右の親指を立てると、横で気絶するテクラの顔を指さした。


「こいつは警備室に残る。第一高校の敷地を出る二台の車は囮だ。敵の目をヘルムートとは別の方向に向けちまえば、それだけで俺たちの勝利は確定する。違うか?」


 彼が提案した策を事前に想定していなかったためか、シャーリーの目が驚きに見開かれるのがわかった。

 やはり、彼女は単純に過ぎる。それが長所でもあるのだが、致命的な短所であることもまた間違いないだろう。


「その作戦だけど、やっぱり危険じゃないかしら? 主戦力である四年は全員校舎の外に出る。もし彼らが車を無視して、校舎に踏み込んで来たら、守り切れるとは思えない」


「主戦力を保護対象から引き離すことが普通は『ありえない』からこそ、奴らはその可能性に辿り着けない。万が一の危険性を恐れて、妥協案を選ぶのは愚者の行いだ」


「……そこまで言うなら、あなたを信頼しましょう。でも、テクラの傍には学生警備から一人置いていくわ。アリシア、お願いできる?」


「わかりました」


 アリシアの返答に頷きを返す。その間に御影が椅子から立ち上がり、あの不敵な笑みを浮かべてみせた。


「ソニアと俺がコンビを組む。残る三人は、学生警備同士仲良く……」


「待つっす。私は、御影先輩についていくっす」


「……何だって?」


 御影の顔が、露骨な嫌悪に歪む。そんな彼のことをまっすぐに見つめて、シャーリーは固い決意を感じさせる口調で続けた。


「御影先輩は少々勝手が過ぎるっす。何でか知りませんが、ソニア先輩が貴方に従順な以上、学生警備側の人間が一人近くにいる必要がある。違いますか?」


「おいおい。俺に敵対の意志を示しておいて、その主張が通るとでも……」


「いいわよ。そいつの暴走を止めるストッパーになってちょうだい」


 御影が信じられないものを見るような目を向けてくるが、気にしない。何やら因縁があるようだし、一緒にくっつけておく方がしこりが残らないだろう。


「警備室には寝袋があるわ。シャーリー。悪いけどあなたは、テクラのダミーとして寝袋に入ってもらう。私たちは、救命訓練用の人形でも入れておくわ」


「……私、人形と同じ扱いなんっすか?」


「すねないの。三、三になった方が、人数的に不自然じゃないでしょう。他に何か質問は?」


 全員が首を横に振る。御影もまた、かなり不満そうではあったが、グループ分けに納得してくれた。

 一番の問題が、身内のメンタルケアという状況は、最善とは思えない。自らの未熟さを痛感しながらも、彼女はそれをおくびにも出すことなく、堂々たる声で宣言した。


「なら、作戦開始よ。みんなの幸運を祈っているわ」



  ※  ※  ※  ※  ※



 ――警備室の者達が行動を開始した、そのわずか数十秒後。

 第一高校から数キロ離れた場所に位置するトウキョウ特別少年裁判所の一室で、デリック・ミクソン裁判官は、椅子に縛められたジミーを見下ろし、宣言した。


「残念だったなジミー・ディラン。今ここに、君達の敗北が決定した」




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