第一章 戦意-3
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エンパイア・スカイタワー最上階会議室。
「それじゃあ、いつもどおり対策会議といこうじゃないか、諸君」
壁の全てがガラス張りのその空間に、治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガンの声が朗々と響き渡った。
巨大な円卓の周りには、名だたる高官たちが席についている。ただ、その半分以上が空席となっていた。それもそのはず。四月一日の一件で窮地に追い込まれたはずのヴィクトリアが、逆にその状況を利用して、治安維持隊に有益ではないと判断した円卓の人間を全員更迭してしまった結果だった。
「しかしすっきりしたな、この円卓も。あれから一月だ。今回の件で、更なる空席が生まれないことを望んでいるよ」
ヴィクトリアのブラックすぎるジョークに、何人かが引きつった笑い声を上げる。だが、上座に近い人間であればあるほど、表情に落ち着きがあった。席の位置はそのまま隊内での地位と、元帥の信頼に直結するからだろう。
ヴィクトリアの右隣に座るのは、円卓で唯一紺色の制服に身を包む、ケース・ニーラント少将。社会情勢を見極め、将来の危険性を未然に防ぐべく活動する、ある意味でエイジイメイジアを統率する上での最重要機関、情報管理局の局長だ。
左隣で葉巻をくゆらせるのは、円卓でも最古参である、アーペリ・ラハティ中将。ほとんど生還者のいないアウタージェイル掃討作戦の生き残りであり、それゆえに部下からの信頼も厚い。ヴィクトリアとしては少々扱いづらいが、実力があるのは確かだった。
「それじゃあ、始めるとしよう。アッディーン補佐官」
「了解した」
ヴィクトリアのすぐ後ろに控えるザン・アッディーンが、彼女の呼びかけに頷き、自分の前にホログラムウィンドウを出現させた。
その途端、ヴィクトリアのすぐ上に巨大なウィンドウが出現し、また、円卓に座る面々の目の前にも通常のサイズのウィンドウが現れた。
「議題は言うまでもなく、テロリストによる公理議事堂占拠事件だ。ケース・ニーラント少将。詳しい説明を」
「了解しました」
ニーラントはまた新たなホログラムを出現させると、一度円卓を見回して、を開いた。
「五月五日の今日午後三時頃、情報管理局に通信が入り、『公理議事堂を占拠した』との犯行声明が出されました。この手の悪戯は頻発しているため、当初はその信憑性が疑われましたが、直後に映像データが送られてきました。それがこちらです」
彼がそう言った次の瞬間、全てのホログラムに問題の映像が表示された。何人かがそれを見てうめき声を上げるのがわかる。ヴィクトリアは椅子に深く腰掛けなおすと、こげ茶の髪を後ろにはらってその映像を見据えた。
画面の中心で、時の内閣総理大臣が、手足をロープで束縛され、猿轡までかまされた状態で転がされていた。額からは血が流れ、目は閉じられている。見た感じでは気絶しているだけのようだが、一国の総理が負傷しているという事実それ自体が大問題だ。
「皆さんの中には、既にこの映像を目にした方もいらっしゃるかと思います。犯人グループはニュースサイト、トゥルースにもこの映像を送り、トゥルースはそれを大々的に公開。公理議事堂がテロリストの手に落
ちたことは、周知の事実となっています」
「にわかには信じがたい事態だな。エイプリルフール時以上の失態だ」
アーペリ・ラハティ中将が葉巻を口から離し、ニーラントの顔を見上げた。
「仮にも人類に残された唯一の国の立法機関。対立しているとはいえ、議事堂の警備には我々治安維持隊も協力している。それが全て、無力化されたということか?」
「現地にいた隊員とは連絡が取れていない状況なので、恐らくそうかと」
「映像それ自体が作られたものである可能性は? 加工された形跡はないのか?」
「その点については情報管理局側でも徹底的に調べ上げています。映像に手が加えられていれば、何かしらの痕跡が残されているはずです。しかし、この写真にはそれがない。加えて、議事堂にいる人間すべてに通信が繋げられない状態となっています。信じられない事ですが、総理は実際に拘束されており、公理議事堂は完全に制圧されていると考えるべきです。想定するのは常に最悪。そうですよね、元帥」
「その通りだ。このような事態になってしまった以上、後悔も懺悔も後回しだ。まず行動に移らなければ、国民から更なる叱責を受けてしまう」
彼女はそう言って一瞬皮肉気に唇を曲げたが、すぐに表情を引き締めて立ち上がった。
「今件は四月一日以上の非常の事態だ。故に、元帥令をもって部隊は既に動かしている。彼らは議事堂から治安維持隊隊員の姿を一人でも確認した場合は、総理の命を絶つと言っている。つまりは、目につくかどうかがデッドラインだってことだ。よって、公理議事堂を中心とした神居を含む九ブロックに非常事態宣言を出しバリケードで封鎖。議事堂の近くには極力近づかないよう命令を出した。異論は無いな?」
その場にいる全ての人間の視線が、ヴィクトリアへと向けられている。彼女はその一人一人の顔を見ながら、堂々たる声で告げた。
「議事堂を制圧しているテロリストの組織名は、フェイスレスマン。彼らはアウタージェイルの意志を継ぐ者だと自称している。そう、あのアウタージェイルだ」
視界の隅で、アーペリ・ラハティ中将が手に持った葉巻をへし折るのが見えた。円卓の何人かの表情が、さらに厳しいものになるのがわかる。治安維持隊の者にとって、アウタージェイルの後継を名乗ることはそれだけで明白な宣戦布告だった。
「テロに屈することは、断じてあってはならない。我々の威信にかけて、公理議事堂をテロリストの手から解放する」
こうして、たった一月前に正面から対立していた組織を救うための戦いが始まった。
――あるいは。
『それ以外の何かが、と言うべきか』
一斉に動き出した将官たちに背を向けて、地上八十階から議事堂の方向を見下ろす。議事堂のあるブロックは目隠し用の木に囲まれているが、この高さからなら議事堂の全貌を見渡すことができた。
※ ※ ※ ※ ※
第一高校、学生警備室。
「銃声!?」
突然の校舎の外からだと思われる鋭い破裂音に、エボニーとシャーリーの二人は勢いよくその場に立ち上がった。
第一高校に御影とは別方向の不良生徒が大量にいることは事実だが、流石に銃を持ち込むほどの馬鹿はいない。そもそも、エイジイメイジアにおいては銃の所持は違法とされている。
「外部からの襲撃? でも、どうして……」
「仮にもここは、超能力者が通う学校っすよ!? 私たち以外の警備担当は何をしていたんっすか!?」
「……何もしてなかったんだと思うよお」
またしてもの寝ている筈のリエラの発言に、二人共に思わず黙り込んでしまった。
リエラはつい先ほどまで横になってたとは思えない素早い動きで身を起こすと、つけていたアイマスクをはぎ取り、エボニーの顔をまっすぐに見つめた。
「緊急事態だ。副隊長、指示を」
「……ええ。わかったわ」
リエラのテンションが急に変わるのには、長い付き合いなので慣れている。エボニーは気を取り直すと、二人の顔を順番に見て言った。
「リエラ、シャーリー。アンタたち二人はこの場で待機。私が現場を確認しにいくわ」
「え? でも、先輩独りじゃ危なくないっすか?」
「舐めないでちょうだい。この中で一番現場慣れしているのは私。アンタはまだ新入りでしょう? それに、この段階でリエラを動かすわけにはいかない。それから、テクラは……あれ?」
そこでエボニーは、テクラの姿が見当たらないことに気がついた。
外に出てしまったのかと思い、あわてて部屋の中を見回す。部屋の隅で座り込んでいる彼女の後姿に気がつき、胸をなでおろしかけたが、すぐに彼女の様子がおかしいことに気がついた。
「テクラ?」
「ああ。ああっ!」
テクラは自分の肩を強く抱いて、全身を震わしていた。彼女の元に駆け寄ろうとしたシャーリーを片手で制す。エボニーは彼女の背中に向かって、慎重に問いを投げかけた。
「どうしたのかしら?」
「私の……私の、せいです! あいつらが、私を連れ戻しに来たんだ! 私はもう、あそこには戻りたくないのに!」
「……成程ね。言いたいことはわかるわ。でも、そうではないかもしれない。ひとまず落ち着きなさい」
「何の話っすか?」
「シャーリーはちょっと黙る」
情報を与えられていないシャーリーの気持ちもわからなくはないが、残念ながら彼女に気を使っている暇はない。エボニーは彼女の元に近づき、肩に手を置いて言った。
「落ち着きなさい。たとえそうだとしても、彼らには引き渡さない。私たち学生警備が、必ずアンタを守ってみせる」
※ ※ ※ ※ ※
銃声が響き渡る。
だが、発せられた弾丸が、グレッグの体に当たることはなかった。
「よっと!」
グレッグの足元の地面が、せりあがる。アスファルトが四角柱に切り取られ、紅の光と共に文字通り上方へと飛び出し、グレッグの体を宙へと射出していた。
銃弾は突如出現した柱に当たり、火花を散らした。突然のことに、銃を取り出した者があんぐりと口を開き、その場に硬直する。
グレッグは空中で姿勢を整えると、そのまま当初の狙い通り男の背後へと落ちていき、着地の勢いそのままに足を振り上げ、彼のこめかみに強烈な蹴りを入れた。
「――ガッ!?」
珍妙な叫び声を上げて、男がその場に崩れ落ちる。グレッグはそのまま男を組み伏せると、ズボンのポケットから手錠を取り出し男の手を拘束した。
「わお。そんなもの持ち歩いているの?」
「隊長に最低一つは身に付けとくよういわれているだろう。ま、役に立つことは少ないけど」
グレッグはその場に立ち上がると、うつ伏せになった男の背中を踏みつけた。
潰されたカエルのような声を上げて体を痙攣させる男を、グレッグは無表情に見下ろす。アリシアは彼の傍に屈むと、のんびりとした調子で言った。
「ごめんね。君みたいな輩は、私たちにとっては珍しくないんだ。超能力者は嫌われ者だからね。週一回は乱暴な人が何かしようとする」
「ま、お前みたいに越えてはいけない一線を越える奴は珍しいけどな」
グレッグは男の背中に靴の底をぐりぐりとこすりつけながら、両目に宿る光を更に冷たいものにした。
「訊きたいことは山ほどある。銃器が厳しく取り締まられてるエイジイメイジアで、どうやって拳銃を手に入れたのか。そして何より……」
言葉の途中で、強烈なエンジン音が割り込んできた。
正門の方向へ目を向ける。赤いレンガ造りのようにデザインされた塀と、バラの蔓をかたどった黒い鉄門の境目を、白のバンが高速で潜り抜けてくる。その車は明らかにグレッグ、アリシア、さらには横たわる男をひき殺そうとしていた。
「……アリシア」
「わかったよ!」
アリシアが両の掌を、地面に押し当てる。その途端、彼女の足元からブラウンの光の粒子が湧き出てくる。それはそのまま車の方へと走っていき、ぶつかる直前でその光を強くした。
アスファルトの間からはみ出る雑草が。正門からの道の両脇に植えられた街路樹が。彼女が出現させた光に触れるや否や、通常では有り得ないスピードで成長していく。木はその大きさを倍以上にし、草は互いに絡み合いあたかも網のようになっていく。
それらはまるで意志を持っているかのように枝や葉を車の方へと伸ばし、包み込んでいく。多くは車によってへし折られ、引き千切られていくが、アリシアに操られる『生きた』植物の群れは、その身を砕くことにより確かに車の速度を殺していく。
結果として、三人をひき殺そうとしていたそのバンは、緑の塊となって制止した。
車の中に閉じ込められた連中が、窓越しに銃をこちらに向けようとしているのが見えた。グレッグは片眉をあげると、右手を前に出し、人差し指をくいと上に曲げた。その途端、自分たちと車の間の地面が凄まじい勢いで隆起し、彼らの姿をグレッグの視界から遮断した。
「……くっ! 事後処理が!」
グレッグは肩の力を抜くと、両手で頭を掻きむしった。
不審な男を発見してから、ものの数分でこのありさまだ。確かに彼らをほぼ完全に捕縛できたのは喜ばしいが、その代償として第一高校の正門近くは、地面から謎の壁がせりあがり、木と雑草が生い茂る魔界と化してしまった。
「ねえ、グレッグ。正門周りの修繕費、いくらぐらいかかるかな?」
「まあ、俺たち二人の一年分の補助金が軽く吹き飛ぶだろうな」
「……だよねえ」
顔を見合わせ、二人そろって大きくため息を吐く。超能力者とは人間兵器だ。たとえ銃を突き付けられようが、車で突っ込まれようが、生き残るのは大前提。結果として破壊の限りを尽くしてしまったことに対する言い訳にはならない。
実際には超能力者にも死傷者が多いと聞いた事がある。超常の力を持っていようが、体は普通の人間と同じなのだから当たり前だが、どうにもそのあたりを理解していない輩が多い。
「ま。責任を取るのはいつもどおり隊長だし、気にすることないか」
「そういえば、隊長は? やっぱりサボってるのかな。こんな非常時にいないとか、わけわかんない」
「いや。襲撃を受けてからまだそんなに経っていない段階でそれは流石に酷じゃないか? 車からは誰も出てきていないよな?」
「うん。完全に閉じ込めたよ。扉が開けば分かるし。窓ガラス割ったところで意味がないし」
彼女がそういった次の瞬間、銃声と共にガラスが砕け散る音がした。
「……無駄な抵抗」
アリシアが半目になって、再び周囲に過剰光粒子を出現させる。そのとたん、壁の向こう側から悲鳴と車のフレームが軋む音が聞こえてきた。
グレッグが思わず顔を引きつらせる。見えないところで何が起きているかはだいたい想像がつくが、正直見たいとは思わなかった。
「殺すなよ」
「当然。それくらいの加減は……っと。まずいね、これ」
「どうした?」
アリシアの方を振り返る。彼女は地面に片手を触れた状態で、目を瞑っていた。
「東門から、別の車が入って来ている。草木がざわめいているよ」
「普通の来校者、とは考えづらいな。今日の来客の予定はないはずだ」
そこで、グレッグが首にかけていたペンダントが震えだした。グレッグが手を伸ばしその表面に触れると、ホログラムウィンドウが彼の前に出現した。
ウィンドウは、副隊長から通信が入っている旨を映し出していた。通話用のアイコンをタップする。その瞬間、廊下らしき場所を走っているエボニーの姿が映し出された。
『状況を報告』
極めて端的な命令に、グレッグは無駄口を挟むことなく返答した。
「正門の暴徒は制圧。出入り口はアリシアが封鎖しました。ですが、東門からまた新たな車が入って来ているとのことです」
『了解。アンタたちは取り押さえた奴らの身柄を完全に拘束しなさい。他の門は生徒会と合同で守り抜くわ』
その言葉を最後に、通信が断ち切られた。グレッグは地面に座り込んだままのアリシアに目を向けて、顔を引きつらせて言った。
「副隊長殿が出陣だ」
「うわあ。それは、同情するなあ。敵に」
アリシアはグレッグとそっくり同じ表情を浮かべてその場に立ち上がると、スカートをはたきながら続けて言った。
「あの人、実戦においてはある意味で反則だからね」
※ ※ ※ ※ ※
第一高校敷地内東門付近。三台のバンが、校舎までの道のりの中ほどという、どうにも中途半端な位置で静止していた。
運転席に座る者たちが必死にアクセルを踏み込むが、車の方はまったく反応を示さない。そして、正門から来た者達と同じく黒のスーツに身を包んだ車内の男たちは、窓の外に広がる光景に瞠目していた。
オレンジ色の光の粒が、バンの周囲に降り注いでいる。そして、ジーパンに銀のアクセサリーをつけた背の高い少女が、真正面から堂々と彼らの方へと歩いて来ていた。
「……なめやがって!」
誰かの唸り声を合図にして、バンのドアが一斉に開けられ、十人以上の男たちが学生警備副隊長エボニー・アレインの前に立ちふさがった。
エボニーは眉一つ動かず、男たちへと近づいていく。自分たちを恐れていないことを屈辱に感じたのか、彼らはそれぞれにスーツの内ポケットから拳銃を取り出すと、彼女の方に向けて躊躇いなく引き金をひいた。
だが、弾丸は一発も発射されることはなかった。
「いきなり発砲しようとするなんて、野蛮な人たちね。交渉の二文字を知らないのかしら?」
呆然と立ち尽くす彼らの姿に、エボニーがせせら笑う。彼女は目を細めると、右手に握りしめたライターのフリントホイールを回した。
ライターからでた火が瞬く間もなくその勢力を増し、蛇のようにのたくって、円状に彼女と男たちがいる空間を囲っていき、そして消えた。
「これでわかったでしょ? あなたたちは私から逃げることすらできないって」
武器も無力化され、背を向ければ即座に焼却されることを悟った襲撃者たちが、徐々に表情に恐怖の色を浮かべていく。エボニーは鼻を鳴らすと、つまらなそうな口調で言った。
「銃は私には通じないわ。火だるまになりたくないなら、さっさと投降しなさい」
何人かが、二、三歩後ずさりをするのがわかる。だが、踏みとどまったうちの一人が、気丈にもエボニーのことを睨みつけてきた。
「我々を殺せば、君は社会から罰せられる。違うか?」
「悪党にしてはなさけない発言ね。私、ステーキを焼くのにはいつも失敗するけど、人肉に関してはスペシャリストよ。何なら試してみる? 焼き加減の希望くらいは聞いてあげるわ」
子供相手に自分の脅しがきかなかったのがよほどショックだったのか、男の顔が灰のように白くなっていくのがわかった。
だがその男は、エボニーの期待とは正反対に、銃を放り捨ててナイフを取り出してきた。
他の連中も、警棒やスタンガンなど、各々に銃から近接用の武器に持ち構える。目に悲壮な決意を宿す彼らの姿に、エボニーは苛立ちを隠そうともせずに言った。
「そ。なら私も容赦しないわ。言っとくけどね。テクラは別に、貴方達の物じゃない。彼女には自由に生きる権利がある。それは誰にも否定できることじゃないわ」
その言葉を聞いた瞬間、男たちの表情が恐怖から憤怒のそれへと変わった。
どうやら、彼らの地雷を踏みぬいてしまったらしい。獣の如き叫び声を上げながら、ナイフや鈍器を片手に迫りくる彼らに、エボニーはそれ以上何も言うことなく右手に握りしめたライターを向けた。
※ ※ ※ ※ ※
第一高校校舎内。学生警備室にて。
「大丈夫っすよ、テクラさん。この学校にいる生徒は大体が役立たずだけど、一部は滅茶苦茶強いっすから」
「シャーリー。フォローになってないよお、それ」
パイプ椅子の上で震えるテクラの背中を撫でるシャーリーの言葉に、リサ・リエラが大きくあくびをしながら言う。
シャーリーは緊張の色を欠片も見せないリエラに少し不満を感じつつも、それを押し殺して彼女に問いかけた。
「南門と西門はどうするっすか? まだ来ていないみたいっすけど」
「門を閉じたところで逆効果の可能性があるからねえ。中で迎え撃つのが、ベストではなくてもベターと言えるかなあ」
「私たちも外に出た方が……」
「それは駄目だよ、シャーリー。アレインは私たちに、ここで待機してろって言った。副隊長の命令は絶対だよお」
トロンとした目のまま、リエラはパイプ椅子の前方を器用に浮かせて、ゆらゆらと体を揺らしている。流石に表情をきついものにするシャーリーに、リエラは少しだけ口調をあらたまったものにした。
「大丈夫。西の門には、生徒会のメンバーがいる。私たちは、その子を守ることだけに尽力すればいい」
「南門はどうするんっすか?」
「それはもっと大丈夫。さっき、生徒会の人たちから連絡があったんだけどね。アレインを含めたこの学校のトップスリーのうち、残る二人が到着した」
「え? それって……」
予想外の援軍に目を輝かせるシャーリーに、リエラは苦笑を浮かべた。
「ま、私は二人共苦手なんだけどねえ。あの二人が来たからには、向こう側には万が一にも勝ち目はないと思うよお」
※ ※ ※ ※ ※
第一高校南門付近。
計二台のバンが校内に侵入し、その片方からスーツの男たちが降りたのと、一台のサイドカーをつけたバイクが凄まじいブレーキ音を上げて、タイヤと地面の間から煙を上げながら彼らの前に制止したのがほぼ同時だった。
男たちが反応する間もなく、辺り一帯に青の過剰光粒子が出現する。それとほぼ同時に、極限まで圧縮された風の束がまだドアを開いてないバンの側部に直撃した。
バンの表面がひしゃげ、一瞬宙に浮いたのちに、轟音と共に横転する。超能力者を相手取るにしても、想定をはるかに超えた事態にもはや足を踏み出すこともままならない彼らは、バイクの上空に無数の光球が出現していく様子を、なすすべもなく見守ることしかできなかった。
それらは、過剰光粒子にしてはかなり大きく、輝きもまた強いものだった。あたかも小規模な太陽のように輝くそれらは、全く音を立てずに浮遊していた。
バイクのサイドカーから降り立った少女が、つけていたフルフェイスのヘルメットをはぎ取る。あふれ出た金糸の如き長髪に、彼らの視線が引き付けられたその瞬間、彼女、生徒会会長ソニア・クラークは、薄桃の唇の端を吊り上げた。
「放て」
彼女の呟きと共に、宙に浮かぶ無数の光球から、幾筋もの光線が射出された。
それらは男たちの肩や足に突き刺さり、服の表面から煙を上げた。一様に苦悶の叫び声を上げて地を転がる彼らを冷たく見下ろすソニアの横に、第一高校最大の問題児にして、最強の人間兵器が並び立った。
「てめらにとっては大変残念なことに、今の俺は気分が悪い」
ソニアと同じくヘルメットをはぎ取った御影奏多は、額に青筋を浮かべながら、ソニアの光線に焼かれた男たちと、横転した車から何とか這いずりだした残党を見据えた。
「手段を問わず、速攻で片をつけさせてもらおうか!」
叫びと同時に、制服の内ポケットから銀の円筒を取り出し、取り付けられた栓を抜く。向こう側が態勢を整える前に、御影はそれを彼らの方へと放り投げた。
地面に落ちた円筒が、回転しながら白の煙を吐き出していく。煙は瞬く間に男たちの姿を覆っていったが、あたかも見えない壁に阻まれているかのように、必要最低限拡散しただけでその場にとどまった。
「相変わらず汎用性が高いですね、奏多の能力は」
いまだ周囲で明滅を繰り返している青の過剰光粒子の群れを眺めながら、ソニアが相好を崩した。
「学生警備が所持する催眠ガス弾。本来なら室内で使用するものです」
「だが俺の能力なら、風を吹かすだけでなく無風空間を作ることも可能だ。空気の檻の中にガスを閉じ込めりゃ、室外でも十分高濃度に保つことができる。やりすぎると対象が窒息死しちまう可能性もあるが……」
御影が右手を上に振ると、辺り一帯の気体が白い煙の立ち込める場所へと吸い込まれていき、上昇気流を発生させて催眠ガスを上空へと拡散させていった。
「ある程度時間が経ったところで吹き飛ばしちまえば無問題と。初めてやったにしては悪くない出来だったな」
「一応、彼らの意識があるかどうかを確認したうえで、手足を拘束しておきましょう」
「了解した」
ソニアの言葉に頷き、御影は歩幅を彼女に合わせて、間違いないなく気絶しているであろう男たちが累々と横たわる場所へと移動した。
御影たちのいる南側は、校舎との間に広大な校庭が横たわっているため、どちらかと言えば利用する者が少ない。だが、そんなことには関係なく、装飾のため膨大な金が投じられているのがわかる。
街路樹の枝は綺麗に切りそろえられ、鉄格子の門は植物をモチーフとした凝ったデザイン。数メートルおきに設置された街灯はかつて存在した西洋の街並みを想起させ、道の舗装は外壁と同じく赤レンガ。とても、軍直属の学校のそれとは思えない。
横転したバンのせいでそのレンガの道に罅が入っているのが見え、御影は忌々し気に舌打ちを一つした。
「超能力者が集う学校なんだ。デザインよりも先に、耐久性と修繕費を考えろってんだ」
「いろいろと災難ですね」
「まったくだ。正門が木の枝と雑草で塞がってて、何事かと西に回ってみれば、生徒会からの襲撃を受けるしよお」
「外から敵が来ると学生警備に言われていたのですから、仕方がないでしょう。彼らも一応私の部下ですので、あまり悪く言わないでもらえませんか?」
「……いや。別にそういう意味で言ったんじゃないんだが」
少しばつが悪くなって、御影はソニアから目を逸らした。
そんな御影の反応に、ソニアは口に手を当てると、クスクスと楽しそうに笑った。
「おやおや。校内一の問題児が、随分とかわいらしい反応ですね」
「うるせえよ。というか、お前絶対わざと強い言い方しただろ」
「バレましたか」
「ったく。底意地の悪い女だ」
若干捨て台詞のようになっているのが、自分でもわかる。御影は気を取り直すように左腕を持ち上げ、この前新調した腕時計へと視線を向けた。
現在の時刻は、ちょうど午後四時ごろ。自宅でソニアに会ってから、約一時間半が経過したことになる。つい先ほどまで、退学になるかどうかで騒いでいたのが嘘のようだ。まあそれは、御影にとってそこまで重要な話ではなかったが。
ノリで学校まで来るんじゃなかったと、益体の無いことを考えていた御影は、見下ろしていた腕時計が突如振動しだしたことで現実世界へと引き戻された。
ウェアラブル端末である時計の表面に触れ、ホログラムウィンドウを出現させる。あの、自分より背の高い幼馴染からメッセージが届いているのを確認し、彼は盛大に顔をしかめたが、その内容を見て更にげんなりとした顔になった。
「おい、ソニア。これ見てみろ」
ウィンドウの端を掴み、ソニアの方へと滑らせる。同じくエボニーからの文書データを確認し、彼女は腕組みをして呟いた。
「……慎重に行く必要がありそうですね」
「まったくだ。敵さんもなかなかやる」
御影はまた大きく舌打ちを一つし、吐き捨てるようにして言った。
「クソが。この緊急事態に、あの地味なおっさんはどこをほっつき歩いてるんだ?」




