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プロローグ


プロローグ



 甚だ遺憾なことに、西暦二三九九年四月一日木曜日は、御影奏多にとって特別な日となった。


 より正確に言えば、特別だったのは前日の三月三十一日からだ。その日の夕方。御影奏多は習慣として、知り合いに預けているペットの犬を受け取りにバイクを走らせていた。


 人間でさえバイクの二人乗りは危ないのに、犬とバイクで移動となると、何も対策をしなければ犬にバイクと等速で地獄のマラソンを敢行してもらうより他にないが、さすがにそういうわけにもいかないので、御影は自身のバイクにサイドカーを取り付け、そこに犬を収容できるようにすることでこの問題を解決した。


 だが、もしかしたらサイドカーが活躍することは、今日はないかもしれなかった。いや、そもそも知り合いの家にたどり着けるかどうかさえ、御影にはわからなかった。


 結論を言おう。御影奏多は包囲されていた。不良の皆様に。


 そいつらは文句なしに、どこからどう見ても、どのような色眼鏡を通してもヤンキーにしか見えなかった。明らかに改造されたバイクにまたがり、ほとんどの者がノーヘルで、耳にはピアス、頬にはタトゥー。グシャグシャに歪んだ鉄パイプ、またはバットを担ぎ、髪は人類のそれとは思えないような明るい色に染めていた。


 極めつけは少年の前方にいる明らかにリーダー格の奴だった。茶色い革のコートに、肩には剣山のような棘の飾りをつけ、両頬には十字架の刺青をし、端が尖ったサングラスをかけている。髪型はまさかのモヒカンヘッドで、おまけに真っ赤に染められていた。


「オラオラァ! 黙り込んでるんじゃねえヨウ!」


 そのモヒカンヘッドが大変近所迷惑な大声でそう叫ぶと、それ以外の連中もバットやらパイプやらをこれ見よがしに揺らして、次々に叫んできた。


「テメエ共通語理解できないの? それともびびって口もきけない?」


「さっさと金目の物出せっつってんだよ! それくらいわかるだろお?」


「嘗めた態度してんとブチのめすぞオラァ!」


 夜の街は煌々と人工の光を放ち、夜空の幾千もの星明かり達をかき消していく。今御影奏多のいる場所は、その光の群れの中心からは少し離れた、薄暗い都市の間、人通りの少ない裏路地で、比較的少ない照明がポツポツと真っ黒なアスファルトを白く染めていた。


 御影は近くの建物の壁によりかかり、ポケットに手を突っ込んで佇んでいた。そこは、近くの電信柱につけられた照明、僅かに届く月明かり、街から溢れた灯りも照らせない位置だった。


 御影は右手で癖のない髪をわしゃわしゃとかき回し、大きく舌打ちした。背中を壁から放し、数歩前へと進む。電柱についたLEDの白い光が、彼の姿を照らしだした。


 平均的な背丈に、華奢とは言えないまでも、ひょろりとした線の細い少年だった。紺の擦りきれた、脚にぴったりとフィットするタイプのジーパンに、何やらアルファベットが斜めに入った白のシャツ。その上から、これまたジーパンと同じく、暗く濃い青をしたジャンパーを羽織っている。その中性的な顔は端正に整っており、ぱっと見ただけなら大人しそうな印象を受けた。黒の短髪は癖の無い猫っ毛で、現在も空気の流れに従いゆらゆらと揺れている。


 御影はゆっくりと首を回して周りの様子を確認すると、恐怖も怒気も欠片もない、むしろ眠たそうに細められた目をさらに細めて、面倒くさそうに顔をしかめた。


「グダグダありきたりなこと言うな。つまんねえぞ」


 その言葉に、口調に、彼にガンを飛ばしていたヤンキー共は一斉に息を呑んだ。どうやらこの反応の仕方は、彼らの期待通りのものではないらしかった。


「失望したぜテメエら。ヤンキーってそんなものなの? もっと、こうさ。意表を突いてくれないと。これじゃあ、全然面白くないじゃねえか」


「ハア? 何わけのわからないこと言ってんだヨウ!」


 御影が不良共のことを全く恐れておらず、『わけのわからないことを言っている』という今の状況が、とてつもなく奇妙だと察し、黙り込んだ部下達を尻目に、モヒカンヘッドが気炎を上げてくる。どうやら見た目通りに、期待通りに、こいつの頭は鶏並みのようだ。


「お前馬鹿なの、阿呆なの? 金目のもん出せって言ってんの。お前今カツアゲされてんの。言うこと聞かなきゃ、俺達お前をボコボコにすんの。理解したかヨウ!」


「ああ理解した。お前が本物の大馬鹿野郎だってことはよく理解したよ、チキンヘッド」


「テメエ! 俺のモヒカンを馬鹿にすんじゃねえ!」


「馬鹿にする要素しかねえよチキン。なになに、何ですかモヒカンって。古いんだよ」


 そのどこまでもふざけた言葉に、モヒカンは完全にブチキレてしまったようで、こめかみをピクピクと痙攣させて御影を睨み付けてきた。


 さすがに少しおちょくりすぎたかもしれないと、御影は思った。だが、思っただけで後悔することはない。強いて言えば、誰も傷つけずにこの場をやりすごすことが少々難しくなってしまったことは、後悔の対象になるかもしれないが。


「調子にのるなよ。クソガキが」


 モヒカン男が右手をまっすぐに上げる。その途端、今まで御影の態度に少なからず動揺していたヤンキー集団が、合図に従い一斉に御影のことを睨み付けてきた。


「……へえ」


 御影は思わず感嘆の声を漏らし、ヒョウと口笛を吹いた。

 どうやらコイツは、この集団の中では、皆を纏める立派なリーダーのようだ。


「いいねいいね。凄いじゃねえか。只の馬鹿じゃなかったんだねえ、鶏君」


 御影はいい加減爆発寸前なモヒカンの前で、人差し指を左右に振ってみせた。


「だが、お前が救いようのない馬鹿だというのは否定できないね。俺の態度からして、いい加減俺が何者なのか、わかってもいいころだと思うんだが」


「ああ? どういうことだヨウ?」


「まだわからないのか? 本当に? じゃあ、馬鹿でもわかるようにしてやろうか」


 御影奏多は、一見表裏の全くなさそうな、完璧な笑顔を浮かべた。


「99.99%の平民が、0.01%に逆らうなっつってんだよ」


 この場を切り抜けるためだとはいえ、あんまりと言えばあんまりなことを言ってしまったことに御影が顔をしかめ、彼らが一瞬呆けた表情になった、次の瞬間。


 暗闇の中に、青白い光の粒の群れが出現した。


 それは雪のように御影の周囲に降り注ぎ、蛍のように彼の周りを漂う。それと同時に、御影の柔らかな髪が、まるで生き物のように蠢き、ジャンパーの裾がゆらゆらと誘うように揺れた。


 しかしその変化も一瞬で、光は瞬く間に消え、後には何事も無かったかのように澄まし顔で立つ御影と、馬鹿っぽく、阿呆っぽく口を開けているヤンキー軍団が残された。


「……なんてことだヨウ」


 呆然とその場に突っ立つ頭に、ヤンキー部下たちが口々に叫んだ。


「やべえっすヘッド! コイツ、超能力者だ!」


「嘘だろ! コイツが一万人に一人の選ばれし者だなんて!」


「コイツ、雰囲気からして軍直属の第一高校の生徒だ! 人間兵器の卵だぞ!」


 先程までとは一転して、御影におののき喚く不良共に。


「んだよその反応は。定型通りすぎるじゃねえかよ」


 人類の一万分の一、神様とやらに特異な才能を与えられた存在、常識の範囲を超えた絶対なる力を操る超能力者の一人、御影奏多は、再び大きく舌打ちした。


「ざっくりとした解説をどうもありがとう。そしてそれが何を意味するのかわかるよね、馬鹿で阿呆なモヒカン君。金目のもんなんて俺から取れないの。カツアゲする相手間違えてるの。言うこと聞かなきゃボコボコにされるのは、お前らの方なの」


 自分の正体を、まあそれなりに劇的な明かし方をしたことで、完全にその場の主導権を握った御影奏多は、今や借りてきた猫よりもおとなしくなったヤンキーの皆様方に続けて言った。


「はい、わかったら、とっとと良い子のままお家に帰った帰った。変な気起こして殴りかかってきたりするなよ、お願いだから。現実問題、暴力沙汰は面倒だからさ。あと仮に現在進行形で何か悪いことしてても、俺に知られないようにしてな。知っちゃったら、立場上動かないと駄目だからさ。ほら、さっさと道をあけ……」


「アニキー! 凄い上玉見つけやした!」


 言葉の途中で、一台のバイクが爆音を上げて御影達の方へと突っ走って来た。何だ今度はと片眉を上げた御影と、明らかにしまったとでも言いたげな鶏頭の前に到着すると、運転主のヤンキー(リーダーと同じくモヒカン)が周りの空気を完全に無視して叫んだ。


「さっきそこで見つけたんすよ。ほら!」


 そう言って彼は、バケツのような形をしたサイドカーに手を突っ込み。


 ……中から、白い入院服のようなものを着た、意識不明の薄幸少女を引っ張り出した。


 次の瞬間、世界が沈黙に包まれた。


 暫く、誰も口を開かなかった。


 ある者は肩を落とし、ある者は夜空を見上げ、またある者は手の得物を手放し、首を振った。新たに登場したヤンキーだけが、状況が最悪で、しかもその原因が自分だと気づかずに、ポカンと口を開けていた。


 御影奏多は、大きく息を吸い、吐いて、薄笑いを浮かべると、すぐ隣に立つ鶏に言った。


「……これは?」


「等身大美少女リアルフィギュア……」


「三秒やるから、最期に叫ぶ言葉を考えろ」


 そして三秒後――。



  ※  ※  ※  ※  ※



 現場の一帯全てが、黒と化していた。


 特別能力育成第一高等学校四年生、エボニー・アレインは、見知った少し猫背な人影を見つけて、そちらへと歩いて行った。


 カフェオレ色の健康的な肌をした、すらりと背の高い少女だった。かなりの長身で、身長は男性平均のそれを優に越えているだろう。黒人の血が入っているにしては癖のない長い黒髪は後ろで束ねられ、風に吹かれて夜闇にゆらゆらと揺れていた。蓬色のポロシャツに、タイトな紺のジーンズをはき、腰のベルト通しのところには銀のアクセサリー類を大量につけている。胸元には紅の十字架のペンダントが下げられ、耳には大きな輪の形をした金色のイヤリングがつけられていた。


 総じてどこか軽薄そうな雰囲気を醸し出す少女だが、右胸で銀色に輝くバツ印のデザインをしたバッチがその印象を吹き飛ばしていた。


 学生特別警備隊。通称学生警備のバッチだ。


 彼女の通う超能力者専用高校の一つ、トウキョウ特別能力育成第一高等学校は、治安維持隊直属の教育機関だった。卒業後には隊の何らかの職業につけることが確約されており、優秀な生徒には在学中に軍から階級と簡単な仕事が与えられる。彼女もそれに該当しており、主な仕事として週二、三回の市内警備と、第一高校にいる不良生徒の取締りを行っていた。


 そんな彼女も、本来真夜中には学生らしくベッドの中にいてもおかしくないのだが、緊急の仕事だと、隊員中唯一学生ではなく教員の隊長にホログラム通信で叩き起こされ現在にいたる。


「学生警備副隊長、エボニー・アレイン。ただ今到着しました」


 エボニーが背筋を正してそう言うと、対する男は眠そうにこすっていた目を少し見開いて、まじまじとエボニーのことを見つめて言った。


「なんだいエボちゃん? どうしてそんなに気合入っているわけ? こんな真夜中なのに」


「……こんな真夜中に呼び出した張本人が何を言っているのですか、地味な隊長」


 彼女の言葉に、男は少し微妙な表情を浮かべた。


「ねえエボちゃん。僕が、その、なんだ。少し地味なことは認めるよ。だけど僕にはちゃんとジミー・デュランっていう名前があるわけでね。いや確かに共通語だとどちらの発音も同じに聞こえるけど、ジミーと地味には天と地ほどの差があるわけで」


「無駄話はやめてください。状況の説明を、地味ー隊長」


「違ったよね。いや、確かにどっちもジミーだけど、今の絶対に漢字の方だったよね」


 ジミーは左手で無精ひげを撫でながら、近くにあった電信柱に寄りかかって胸ポケットからタバコの詰まった箱を取り、一本つまみ出して口に加えた。


 それに応じて、彼女はポケットからライターを取り出し右手に握ると、彼の方へと突き出し、


「未成年の私に汚い煙を吸わせる気なら……煙草ごと顔面焼き払いますよ?」

と言って、鋭い視線を彼に突き刺した。


 ジミーはくわえていた煙草をとり落とすと、若干顔を引きつらせて言った。


「気をつかってくれたわけじゃないのね。というか君が言うと洒落にならないよエボちゃん」


「ええ、そうでしょうね。だって本気ですから」


「そこは嘘でも冗談だと言ってほしかったかな!」


 かなり残念そうに煙草の箱を胸ポケットへと戻すジミーに、エボニーはフンッ、と鼻を鳴らすと、隊長から目を逸らして、問題の現場へと視線を向けた。


「……酷い有様ですね」


 エボニーがいる場所は、端的に言ってしまえば火災現場だった。


 どうやら放火であるという話はエボニーも通信で既に聞いていた。火がつけられたのはトウキョウ精神医療研究センター。かなり大型の建物で、かつ防火設備もしっかりと整っているはずであり、本来ならば火災になったとしても施設の一部が燃えるだけで済んだはずだった。


 それが、全焼していた。


 階数は五階。敷地の総面積もかなりのものであるはずなのに、施設のすべてが、炭と化した部分と煤とで黒に染め上げられていた。


「隊長。なぜこのようなことに? 国営の重要施設が、放火とはいえ全焼するなんて、ただ事ではありません」


「情報が錯綜していてねえ。どうにも状況がはっきり見通せないけれど、少なくともこれだけは言える。この一件、まず間違いなく、超能力者が絡んでいるね」


「超能力者が?」


 エボニーの問いかけに、ジミーはにへらと相好を崩して言った。


「ねえエボちゃん。もしかしたら君が犯人だったりしない? そしたら速攻君を治安維持隊に突き出して、出世の材料にするんだけど」


「こんなときに不謹慎な冗談を言わないでください。……しかしまあ、確かに、燃焼反応一般を操る私は、容疑者候補の一人ですね」


「……え? エボちゃんマジで犯人なの?」


「自分が怪しいと言う犯人が、どこの世界にいるのですか。そんなに怪しむのなら、私の行動記録を閲覧したらどうですか」


 エボニーの言葉に、「冗談なのに」と口を尖らせながら彼は胸ポケットの煙草へと手を伸ばし……部下にゴキブリか何かでも見るような視線を突き刺されて、しぶしぶと箱を戻した。


「僕も根拠なく、超能力者が関わっているなんて言っているわけではないよ。これだけの建物が全焼だなんて、普通ありえない。そして周囲の住人が爆発音のようなものを聞いたという報告もない。つまり、何らかの形で火が燃え広がるようにされていたと考えるのが適当だ」


「それこそ、常識の枠を超えた力が必要だと言うのですか?」


「そう考えるのが楽だね。それからあと、火災の報告が消防隊へと行くのがあまりにも遅かった。どうして通報が遅れたのやら」


 それはエボニーも疑問に思っていたことだった。研究センターが全焼したということは、火災時にはかなり派手に燃えていたはずだ。それなのに消防隊が駆け付けたときには、既に火は収まりかけていたのだという。


 通報が来たら、現場が中央エリア付近であることも鑑みるに、十五分もあれば現場に駆けつけることができると思われる。なのに、全てが終わるまで活動できなかったということは、何らかの電波的な妨害により通報が遅らされたと考えるのが妥当だ。


「それでもって最後に、火事による死傷者及び負傷者は一人もいないときた」


 一瞬、負傷者がいないことの何が問題なのかと言いかけたところで、彼女はジミーが言わんとしていることに気がついた。


「別の理由で負傷した人間がいるということですか?」


「さすがエボちゃん。察しがいいねえ。ちょっと違うけど、誤差範囲だ。ところで、煙草くわえちゃだめかな? いや、火はつけないからさ」


「それくらいならいいですけど」


 ジミーは嬉しそうに箱から煙草を一本取り出し、口にくわえた。健康云々の話を除けば似合っているかもしれない。それを口にだしたら、絶対に調子に乗るのでしないが。


「うん、やっぱり僕は、煙草をくわえていたほうがかっこいいよね」


 ……言わなくてよかったと、心底思った。


「負傷者はいない。死傷者もいない。だが、意識不明の人間ならたくさんいた。この研究センターで働いていた人間の何人かが、庭に寝かされていたんだよ。丁寧に並べてね」


「それは、煙を吸って気絶してしまった人を、施設の人間が運び出したからでは?」


「違う。彼らには外傷がないばかりか、服には煤すらついていなかった。火災とは別の理由で意識を失い、そして放火の前に庭に運び出されたんだ」


「……疑うわけではありませんが、本当ですか?」


 エボニーは眉をひそめてジミーのことを見つめた。


「もしそうだとするなら、それは明らかに放火犯がしたことです。ですが、犯人……いや、犯人たちにそのようなことをするメリットを見出すことができません」


「そうだね。僕にもわからないよ。放火なんて大それたまねはできても、人の命を奪うことには抵抗があったのか。それとも……何か、別の目的があるのか」


 それだけ言って、ジミーは腕組みをして黙り込んでしまった。


 エボニーは思わず舌打ちしそうになるのをなんとか堪えた。何か考えていることがあるなら、口に出して言ってほしいものだ。エボニーが話の先を促そうと口を開いた、そのときだった。


 突然、エボニーが首に下げた十字のペンダントが小刻みに振動しだした。


 「うわお、なんかエロい」とわけのわからないことを言う上司をぶん殴りたいという衝動をおさえつつ、エボニーはジミーに一礼すると、少し離れた建物の陰へと移動した。そこには今時は珍しい煙草の自販機が置いてあり、エボニーは自販機の側面によりかかると、胸元で震えるペンダントに手を触れた。


 その瞬間、彼女の目の高さに、半透明な長方形の板のようなものが出現した。薄い、青の色ガラスのようにも見えるそれは、暗闇の中で淡い光を放っている。


 ホログラムウィンドウ。一般人にもそなわったホログラム生成能力を応用した物の一つだ。


 ホログラム生成能力とは、三百年近く前に超能力と同時に発見されたものだ。機械の助けがあればの話だが、二三九九年現在、人は自らがイメージしたものを宙に投影することが可能となっている。例えば、専用のデバイスを使い、目の前にバラがあるのだと想像するだけで、3Dのバラの映像を出現させることができると言った具合だ。


 もっとも、何かを正確にイメージするのはかなり高難度なことで、外部のアシストがなければホログラムなんて作りだせない。今エボニーの前に浮かんでいるのも、自分が作り出したというよりは、むしろ自分の力を利用して機械が勝手に作り出したと言った方がいいだろう。


 コンピューターにホログラムウィンドウを投影する機能を付け加えたものは、今までのスクリーンをホログラムで代用することによって本体の形状を一つに決める意味がなくなり、腕時計はもちろん、眼鏡、指輪など様々な形態をとっている。エボニーの端末は、この十字架のペンダントだった。


 メールなどの通知が来たときには、こうして本体が振動することで教えてくれる。普通ならウィンドウを出した時点で止まるのだが、ペンダントはまだ振動を続けていた。となると、これはメールではなく、ホログラムを利用したテレビ電話だ。


 エボニーはウィンドウに表示された名前を見て、思わず顔をしかめてしまった。

 奴が自分から連絡してくることなんて、いつもならまずありえない。だとすると、何か厄介ごとに巻き込まれているのだと考えるのが妥当だろう。


「この忙しいときに」


 一瞬このまま端末の電源を切ってやろうかと思ったが、まず間違いなく後で面倒くさいことになるのでやめておいた。エボニーはため息を吐くと、ウィンドウの真ん中に表示された通話アイコンを人差し指で押した。

 ウィンドウが通信相手を映し出した。その人物はエボニーを見ると、憎たらしいほどにこやかに話しかけてきた。


『よう、エリートさん。相変わらずエリートだねえ』


「なによ、その変な挨拶。やめてよね」


 エボニーは頭に鳥のフンでも落とされたかのようなけったいな顔つきをして、目の前のいけすかない男のことを睨みつけた。


「なんの用よ、不登校。私今忙しいんだけど」


『そんな呼び方はないだろう。俺にはちゃんと、御影奏多っていう名前があるんだからよ』


「どの口がそれを言うの極みね」


『あいにくと俺は、お前みたいにいい子ちゃんじゃないんでね』


 御影奏多。エボニーと同じ第一高校の四年生で、史上最高の優等生にして、最悪の問題児。


 そんな奴が通信の相手である今、このまま話を続ければ面倒ごとに巻き込まれることは折り紙つきだ。だがここで一方的に通信を切るには、癪なことだが御影が指摘したように、エボニーはお人好しすぎた。


「さっさと要件を言いなさい。今仕事中なの」


『そうなのか。学生警備ってのは大変だなあ、オイ。じゃ、手短に済ますとするか』


 御影はそこで急に真面目な顔つきになると、エボニーのことをまっすぐに見つめて言った。


『たった今、ヤンキーに攫われそうになっていた幸薄い少女を助けたんだが、これからどうすればいいと思う?』


「……」


 通信を切った。

 通信を切った後も、精神的ショックでしばらく身動きできなかった。


「…………なあに、これ?」


 何やら攫うだとか、ヤンキーだとか、幸薄い少女だとか、そんな日常を遥かに超越した単語が出てきていたような気がする。


「いや、気のせい。気のせいよ」


 エボニーは首を勢いよく振ると、額に右掌を押し付けた。


 そうだ。ありえない。なるほど確かに、学生警備たる自分はそういう事件に出くわすことがないこともなかったが、御影は曲がりなりにもただの一般人だ。普通の生徒にしては、ほぼ不登校なくせにテストで学年首位の座をかっさらったりするなど、なかなかに尖ったことをしていらっしゃるが、しかしそれはそれ。これはこれだ。


 大体あいつは、人を助けるほど殊勝な奴じゃない。雨に打たれた子犬を見つけても、平気で見なかったふりができるような人間だ。どうしてそんなことをできるのかわからない。犬かわいいのに。いや、もしかしたら御影も助けるかもしれないけど。


「……って、今はそんなことはどうでもいい!」


 思わず叫んでしまった直後に、ペンダントが再び振動した。半ば無意識で通信に応じると、画面に至極まじめな顔をした御影の姿が再び映し出された。


『たった今、ヤンキーに攫われそうになっていた幸薄い少女を助けたんだが、これからどうすればいいと思う?』


「そっくりそのままリピートするな!」


 彼女は肩で大きく息をしながら、御影のことを睨みつけた。


「冗談に付き合っている暇はないって言っているでしょうが」


『冗談じゃないんだなあ、これが。ヤンキー共がカツアゲしてきて、んでもってそいつらがとある少女に手ひどい真似をしようとしてるなんて状況にあっちゃあ、血も涙もちゃんとある俺としては、見て見ぬふりをするのは忍びないってものでねえ』


「正論なのに、アンタが言うとまったく説得力がないわね」


 エボニーは急に疲れを感じて、その場に座り込みそうになった。御影との会話は、いつもこうだ。向こうは適当なことを言っているのにいちいち取り合ってしまって、なんだかこちらがひどく損しているような気分になってくる。


 それでいて、曲がりなりにも友人関係を保ち続けているのだから、お人好しもいいところだと自分でも思うのだが。


「まあ、仮にアンタの言っていることが本当だとして……」


『仮に?』


「……本当だとして」


 エボニーは怒りに頬が痙攣しそうになるのを、必死にこらえながら続けた。


「まず私は、忙しくて手が離せない」


『はあ? おいおい、正義の味方さん。今ここにお困りになられた少女様がいらっしゃるのに、それを無視するっていうのかよ』


「言ったでしょ。忙しいの。それに、アンタも一応第一高校生徒なんだから、最後まで面倒を見てあげなさい」


『まいったな。ったく、本当に面倒なことになってきやがった』


 御影は舌打ちをすると、右手でわしゃわしゃと髪をかき回した。


『学生警備様に頼れないとなると……俺が病院に連れていくしかないか。気絶しているようでね。目立った外傷はないが、まあ病院に預ける理由としては十分だろう』


「……ああー」


『何か問題なのか?』


「いや、その、病院に預けるってのも無理かもしれない。結構規模の大きな火事があってね」


『火事。……ちょっと待て』


 画面の中で御影は新たなウィンドウを出現させた。エボニーのウィンドウの右上に、その内容が表示される。どうやらネットのニュースサイトを調べているようだった。


『これか。トウキョウ精神医療研究センターが火災、と。……全焼? こんなでかい建物が?』


「で、その火災自体も問題なんだけど、意識不明の人がかなりでちゃっててね。きっと深夜も開いているような病院はどこもパンク状態よ。少なくとも、急を要さないなら、新たな意識不明の患者の対応をする余裕はないと思うわ」


『ったく。肝心なときに役にたたねえな、病院様は。国が超能力者優遇政策に予算を振りすぎるから、こういうことになる』


「仮にも超能力者であるアンタが、よくもまあそんなことをぬけぬけと言えるわね」


 彼女はため息を吐くと、続けて言った。


「私みたいな末端の人間まで現場の警備に駆り出されているくらいだから、治安維持隊の方も面倒見切れないと思うわよ。となると、アンタのやることは決まっていると思うけど」


『……俺に何をしろと?』


「自分で考えなさい。本当にその少女がいるならね」


『おい、待て。お前、まさか今までの話が嘘だとでも――』


 また通信を切断した。

 正直言って、御影の戯言に付き合っている暇なんて今はない。仮に本当だとしても、普段の行いが悪いのだから仕方がないだろうと半ばやけくそに考えながら、エボニーは隊長の待つ場所へと戻っていった。



  ※  ※  ※  ※  ※



「……冗談だろ?」


 通信がまたもや一方的に切られた後、御影はしばらくの間、呆然とその場に突っ立っていることしかできなかった。


 ヤンキー共の相手自体はそれほど苦労しなかった。正確に言えば面倒ではあったのだが、それは問題ではない。問題なのはその後だ。御影は自他共に認める人でなしではあるのだが、さすがに意識不明の少女を前にしてそのまま立ち去れるほど人間をやめてはいなかった。


 しかし、人間失格と言われてでも、この場から立ち去るべきかもしれない。なんせ、どう考えてもこの少女は訳ありだ。関われば、まず間違いなく面倒なことになる。


 御影は、つい先ほどバイクのサイドカーの中に入れておいた少女へと目を向けた。

 長い鳶の髪の少女だった。前髪まで伸びているわけではないので、それなりに手入れはされているのだろうが、どうも本人がこだわっているわけでもないように思える。身長は推測だが、御影より頭一つ分小さいくらいか。小ぶりに整った顔に、薄桃の唇の上では少しかかった髪が呼吸で揺れている。顔の造形と肌の色からして、どうやら御影同様、エイジイメイジア原住民の血が濃いようだった。


 だが問題なのは、彼女が御影基準で『まあそれなりに美人』なことではなく、その恰好だ。

 薄い青に無地の上下。前開きで、パジャマなのだとしてもあまりにも飾り気のないその服は、どう見ても病院で入院したときに着せられる物だ。まさかヤンキーが病院に突撃して少女を攫ったわけではないだろう。そうだったら困る。


 となると、彼女は元からこの格好で夜の街を出歩いていた、もしくは、道端で倒れていたところをあいつらに攫われたと考えるのが妥当だろう。どちらにせよ、異常事態であるとしか言いようがない。


「どうしたものかね」


 御影は少女から目を逸らすと、空を見上げた。田舎では一面の星空を見ることができるだろうが、残念ながらここは大都会。見える星の数は限られ、空のほとんどが闇に包まれている。


「まさに、お先真っ暗って感じだな」


 御影はそう嘯いて唇を曲げると、サイドカーに少女を乗せた状態のままバイクにまたがった。


 いろいろとごたごたしたせいで、時間は既にかなり遅くなってしまっており、頼りになるところは救急病院ぐらいしかない。だが、あの学生警備の言う通り、今夜に限って言えば彼女より優先すべき患者が大量にいるだろう。


 治安維持隊に任せるにしても、同様に今夜はかなり混乱状態にあることが予想できる。第一高校関連のつてを頼るという手もあるが、自分に無条件で手を貸してくれるようなお人よしは、あの学生警備とソニアくらいしか思い当たらないし、ソニアに迷惑をかけるのは躊躇われた。


 曲がりなりにも自分は超能力者。市民の安全を守る治安維持隊直属の、第一高校生徒だ。


「まったく。らしくねえことしてんな、俺」


 御影は、深々とため息を一つ吐いた。残された道は一つ。彼女を、一時的に自分の家に保護することだ。幸いなことに、空き部屋はいくつもある。


「ああ、でも、ベッドは一つしかねえんだよなあ。どうするかなあ」


 御影はわしゃわしゃと髪をかき回すと、乱暴にバイクのエンジンを入れた。サイドカーが大きく振動し、少女の頭がサイドカーのふちに当たる。なかなか痛そうではあったが、それでも彼女はぴくりとも動くことはなかった。


「……目え覚ませよ。いい加減」


 手を伸ばして、彼女の頬を何度か叩く。少女は何の反応も示さない。もしかしたら、あのヤンキー共に薬でも嗅がされたのかもしれない。ありうる話だと御影は思った。


 御影は大きく舌打ちすると、ハンドルにかけていたヘルメットを手に取り装着した。バイクを発進させ、当初の目的とは逆方向へバイクを向ける。


 風が、首を撫でていく。こうしてバイクを走らせていると、自分たちが空気という、目に見えないが確かに存在するものに囲まれて生きているのだということを再認識できる。


 バイクを運転するときにいつも感じる高揚に、胸の中にわだかまる不安を押し流す。


 時の流れは残酷で、しかし何に対しても平等に働く。面倒なことになったが、いつも通りに、時間がすべてを解決してしまうのだろうと、そんなのんきなことを御影は考えていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 こうして、御影奏多は失敗した。


 何を失敗したのかと聞かれたら、全てだと答えるしかないほどに、失敗した。


 そして。自分が失敗したというのを、自覚することにもまた、失敗した。


 失敗しても次がある。たとえある問題が解決不能なほどにこじれてしまっていても、別の問題にすり替えてしまえば、何度でも『やり直す』ことが可能だ。だが、失敗したのだということを自覚しなければ、『やり直す』ことすらできない。


 十歳の夏を過ぎてから、御影奏多はずっとそんな状態だった。

 失敗して。失敗して。失敗して。やり直すことに、失敗して。

 勝利という名の敗北を、ずっとつかみ続けてきた。


 三月三十一日。この日も御影奏多は失敗した。

 初手から、彼は既に敗北していた。


 御影奏多一人にその失敗の責任を押し付けるのは、少し酷かもしれない。そもそも、御影には勝利のための選択肢なんて、最初から与えられていなかったのだから。


 しかし、一つの事実として。この瞬間、御影奏多は、四月一日に起きた、嘘にしてしまいたいような、しかし絶対に嘘にはできないある事件に巻き込まれるという運命を、決定づけてしまったのだった。




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