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第三章 暗転-7





 タワー最上階、治安維持隊総司令部。

 度重なる想定外に完全に後手に回されている総本部では、悲鳴にも似た怒号が飛び交っていた。


「Rの二十二番交差点の検問が突破されました! 御影奏多は二十二のS番道路を東に走行中だと思われます!」


「思われるだと? ふざけるな! 確定情報をよこせ!」


「監視カメラで追跡するには態勢が整っていません! 加えて、主要ブロック全体にわたり、突如強風が発生! 指揮系統の混乱により、敵の具体的な位置が……」


「速報! Tの二十二番交差点にいた部隊が御影奏多と交戦開始!」


 ただただうろたえるしか能のない連中に頭を抱えそうになっていたヴィクトリアは、その最後の報告に目をむいた。


 Tの二十二番交差点は、議事堂から西に一ブロック、およそ五百メートルしか離れていない場所にある。議事堂に続く大通りには一般隊員のみならず、超越者ほどではないにせよ実力があると言える者たちを配置している。そう簡単に突破されないにせよ、そもそもそこまで近づかれたこと自体が失態だった。


「追加の情報は?」


「議事堂の北西部に待機していた八鳥愛璃少将が、議事堂南西部Uの二十二番交差点へと南下中! 御影奏多がこのまま東に進攻したとしても、食い止めることが可能かと!」


「八鳥の周りからは隊員を避難させておけ! マイケルほどではないにせよ、奴の能力も味方を巻き込みかねない!」


 いかんせん時間がなく、主要ブロック周りのバリケードはかなり薄いものとなってしまっていたが、議事堂周りは万全と言ってもいい。たとえ戦車の弾が当たろうとも破壊することなどかなわない壁が三重だ。いかに御影奏多と言えど、一撃で破壊することは叶わない。


 そうでなくとも、このまま行けば議事堂にたどり着かれる前に八鳥愛璃で迎撃できる。かなり水際まで追い込まれてはいるが、水際だからこそ守りは固い。


 だが、ルークの指示か否かはわからないが、敵は今まで二度もこちらの思惑を外れてきた。何か策が無い方が、もはや不自然だ。


「スワロウ中佐は?」


「それが、北西で確認されたという『誤報』を知り独断で動いたのか、現在Sの十九ブロックにいるとのことです」


「主要ブロックの最北西端じゃないか! 何やってんだ、あの馬鹿は!」


 レイフ・クリケットのように独断専行でも成果を上げてくるのならばまだいいが、マイケル・スワロウの方は優秀ではないとは言わずとも、少し勝気のありすぎるきらいがある。誰かが手綱を取らなければ、暴走しかねない。


 やはり超越者の指示は自ら取らなくてはと歯噛みするヴィクトリアの耳に、新たな報告が飛び込んでくる。しかしその内容は、円卓にいる誰もが想像だにしていなかったものだった。


「Tの二十三番交差点から報告です! 御影奏多が進行方向を変え、Tの二十二番道路を北上しだしたとのこと!」


「……何?」


 議事堂へと続く西からの大通りは、二十一番と二十二番の二本だ。さきほどまで御影がいたのは、南の二十二番。北に行けば確かにもう一本通りがあるが、もちろんそれは遠回りだった。


「増援に押され、交差点から離脱することを余儀なくされたのでしょうか?」


「マイケル・スワロウ中佐もまた、南下中とのことだ。多少意表はつかれたが、順当に追い詰められているのではないかね?」


 ニーラント少将とアーペリ中将が至極まっとうな意見を出してくる。確かにそれが一番ありうる可能性だろうが、良くも悪くも常識の範疇にとどまっている。敵は、世界最大規模の軍隊を敵に回せるような神経の持ち主。常にこちらの予想を超えてくると考えなくてはならない。


 予想通り金堂真の娘を昏睡状態にさせて、能力を十全に用い主要ブロックまで侵入を果たした御影奏多。もちろんそれだけでも敵ながら称賛してやりたくなるくらいではあったが、敵の目的はその先にある。逃げ回れば逃げ回るほどこちらの戦力が拡大し、態勢も整ってくることは明白だ。それは向こうも当然わかっている。


 ならば、御影奏多は無理にでも東への進攻を進め、最短距離で『聖域』に向かうべきだった。検問を完成してから六時間近く行動を控えるほど図太い神経を持ち合わせてはいるが、それとこれとは話が別だ。このままぐずぐずしてては、八鳥のみならずスワロウまでもが……。


「いや、待て」


 ヴィクトリアはそこで一端思考を止めると、周囲の熱気に気圧されることなく、あくまで冷静沈着であるために、大きく深呼吸をした。


 超越者二人がばらけているのはこちらの都合によるものだ。超越者が個性派ぞろいだという事実は御影奏多も知っているだろうが、スワロウのように勝手に行動する者が出ることまで期待はしないだろう。互いに想定すべきは常に最悪。甘い幻想は持ちえない。


 ならば、敵にとっての最悪とは何か? 言うまでもなく、超越者との接触だ。ターゲットの能力阻害を使う意志が無い以上、向こうは真正面から力で挑んできている。だが、御影奏多は一度、レイフに手痛い敗北を喫している。彼らとの戦闘は極力避けようとするはずだ。


 だが、向こうの勝利条件が『聖域』への逃走ただ一つである以上、こちらが最大戦力を公理議事堂に配置することは必定と向こうは考える。


 『聖域』に行くには、超越者との戦いを避けられないという矛盾。超越者だけではない。他の超能力者、そして純粋に鉛玉も彼にとっては脅威だ。今までからめ手で攻め続けた男が、馬鹿正直にそこへ喧嘩を挑むのはおかしい。が、現状向こうにとれる手段はそれしかない。


「ヴィクトリア。最新の情報だ」


 一人椅子の上で思索にふけっていたヴィクトリアは、すぐ後ろにいたザン・アッディーン言葉に我に返ると、目線で続きを促した。


「敵は、Tの二十一番交差点もまた北上しようとしているとのことだ」


 順当に考えれば、御影奏多がなすすべもなく逃げ回っていると考えるのが正しい。


 主要ブロックにある四つの重要施設。中央部にはメディエイターが保管された神居。その南西のブロックには最高裁判所があり、南東部には『聖域』である公理議事堂がある。神居の横を北上とは、議事堂の反対方面と言ってもいい。そちらに移動したところで、敵に利益はない。北に向かったところで、その先には……。


 その、先には。


「……まさか! どういう頭の構造をしているんだ、御影奏多!」


 最高司令官である元帥の叫びに、将官たちの視線がヴィクトリアへと集中する。


 彼女はその全てを無視して、超越者、マイケル・スワロウ中佐へと通信を繋いだ。



  ※  ※  ※  ※  ※



 主要ブロック内部、Sの二十番道路にて。

 マイケル・スワロウ中佐は治安維持隊の白のバイクにまたがり、大通りを南下、議事堂を目指していた。


 首にかけていたネックレスが振動し、すわ独断専行に対する説教かと首をすくませながらも、彼は左手をハンドルから離し、ホログラムウィンドウを出現させる。元帥直々の通信に、スワロウは思わずうめき声を上げてしまった。


『スワロウ!』


「いや、悪いヴィクトリアさん! だが、虚偽の情報を掴まされたアンタも……」


『よく北西にいてくれた! そこからならまだ間に合う!』


 ヴィクトリアの言葉に、スワロウはあんぐりと口を開けた。今まで幾度となく説教を食らってきた経験から、今回も手ひどい叱責を食らうものだと覚悟していた。それが、蓋を開けてみれば称賛の言葉になっていたのだから、正直わけがわからない。


『今、Sの二十番交差点にいるな? 東に一ブロック、Tの二十番を敵が通るはずだ! そこで、敵を交差点ごと吹き飛ばせ! 責任は私が取る!』


「Sの二十番交差点?」


 そこは確か、神居があるブロックの北西に位置する交差点だったか。ちょうど、議事堂から斜めにワンブロック離れた場所に位置しているはずだ。


「南西から来た敵が、どうして神居を回り込む? 明らかに遠回りじゃ……」


『それでいいんだよ! 奴にとっては、それが最短ルートなんだからな!』



  ※  ※  ※  ※  ※



 神居東部、Uの二十一番道路にて。

「にわかには信じがたいな。失礼ながら、その推測に確証はあるのか?」


 超越者、八鳥愛璃は、部下の運転する車に乗っていた。乗ると言っても、車内にいるわけではなく、車両の天井の上に文字通り直立するという極めて危険な乗車の仕方だ。通常ならば車から振り落とされるところを、彼女は吹き寄せる強風にも涼しい顔をしていた。


『ヴィクトリアの判断だ。指示に従え。たとえ間違っていたのだとしても、御影奏多の追撃戦に移行できるだろう』


「それは確かにそうだ。だが某には、どうにも納得できないのだよ。そこまでする敵なのか?」


 足元から紫の過剰光粒子を散らし、前から押し寄せる気流に着物の裾をはためかせる八鳥愛璃の疑問に、ザン・アッディーンはあくまで事務的な答えを返してくる。


『可能性としてあると、ヴィクトリアは言っている。だが、状況を俯瞰すれば、なるほどと納得できなくもない』



  ※  ※  ※  ※  ※



『御影君。今更だが、成功の確率はどれくらいなんだい?』


「五分五分……いや、それ以下だ。高速のときと違って、お荷物がいるからな」


 神居の西に位置する大通りを、御影奏多の乗るバイクが疾走する。それに先行して、青の粒子を含んだ空気の束が通りをのたうち回り、群がる治安維持隊隊員を迎撃し、設置されていた小規模なバリケード群を弾き飛ばしていく。


 さながら巨大な弾丸の如く、御影奏多は前へ前へと突き進む。安全地帯であるはずの公理議事堂に対し、完全に背を向ける形で。


 Tの二十一番道路の中間を通り過ぎたところで、ルークのウィンドウの横に新たなウィンドウが出現して、自称人間を極めし人間であるところのボクシを映し出した。


『こちらの準備は整ったぞ、少年。あとは君が、ぶちまかすだけだ』


「了解だ! 期待したいとこだが、失敗された時に落胆しないよう、最後までアンタの腕は疑ってかかることにするよ!」


『キツイねえ! こんな状況下でも、その毒舌ぶりは健在なようで何よりだ!』


 戦場という異常地帯において正気を保つためには、ジョークというものが意外と重要な働きをする。笑えるということは、それだけ心に余裕があることの証左だ。


 いくら虚勢を張ろうとも、緊張に手の中でハンドルが汗に滑るのまでは止めることはできない。精神的に追い詰められていることだけが理由ではないが、限界が近いことも確かだった。


 陽気な声を上げるボクシのホログラムに、ルークは何かを諦めたような渋面となりつつも、御影に向かい言った。


『君に託すと決めたのは私だ。この際だ。勝ってしまえ』


「当然だ! こちとら、最初からそのつもりだっつうの!」


 御影が吼えるのと同時に、三体の不可視の化け物が、前方からやってきた治安維持隊の車両を迎撃する。あまりの衝撃にひっくり返っていく車の中心を通りながら、御影奏多は夜空へとそびえ立つ巨大なビルの影を挑戦的に睨みつけていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 治安維持隊本部にて。

「どういうことですか、レーガン元帥!」


 ヴィクトリアがアッディーンと共に超越者へと指示を出す様子を見ていた一人の将軍が、たまりかねたように叫んでくる。


「敵を追い詰めるのは重要なことです。しかし、超越者二人を追撃に出すのは戦力過剰! 大事をとって、一人は『聖域』の守護を……」


「『聖域』? そんなのはどうでもいい! 奴の目的はそこではない!」


 ヴィクトリアは立ちすくむ円卓の人間を睨みつけて続けた。


「敵の勝利条件は、『聖域』にターゲットを連れていくこと! だが、それだけではなかった! あの野郎、こちらの戦力が圧倒的であるという事実を、また利用しやがった!」


 そう。検問を敵に突破されたとき、相手が単独犯である可能性が高いとしてしまっていたのと同じだ。一体どういう頭をしているのか。正直、思考形態が理解しがたい。


「誰が思うよ! 御影奏多の目的が、治安維持隊そのものを潰すことだなんて!」


 彼女の言わんとすることをいち早く理解したのか、アーペリ中将があり得ないとでも言いたいように首を振りながら、右手の葉巻をへし折った。


 一拍遅れて、何人かがざわつきはじめ、まさかという目でこちらを見つめてくる。


「こちらの敗北条件は何だ? 敵に『聖域』に逃げ込まれることだけか? 断じて違う! こちらにとって最大の敗北は、作戦本部を落とされること! つまり御影奏多の目的は、今手薄となっている治安維持隊総本部、すなわちこの場所、エンパイア・スカイタワーだ!」


 治安維持隊に追われているのならば、治安維持隊の頭を潰してしまえばいい。至極単純な理屈だが、しかし実際にはリスクが高すぎて実行に移すことはない。


 だが、今この瞬間だけは、それが敵にとっての最善手となりうる。


「最大戦力をもって迎え撃つ! 全員、御影奏多が取るであろうルートから、隊員を避難させることだけに尽力しろ!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 主要ブロック外部の西方にて。

 レイフ・クリケットの運転する車の助手席に座っていたジミー・ディランは、レイフから聞いた本部の報告に、数秒の間固まってしまった。


「……治安維持隊本部の襲撃を画策している疑い? 御影君が?」


「どう思う、ディラン」


「そりゃあ、まあ、間違いなく正気の沙汰じゃないねえ」


 ジミー・ディランは言うまでもないありきたりな感想を口にして、車の助手席に深々と座り込んだ。


 治安維持隊を敵に回すところで既に凄まじい物があったが、それが正面から治安維持隊を潰すものだとは聞いていない。そんなことを宣う高校生が目の前にいたら、その場でインターネットを開き腕利きの精神科医を探すところからまず始める。


 実際に主犯が高校生であるところが笑えないが。ここまでしてしまうとわかっていたら、最初から全力で確保しにいくべきだったかもしれない。


「一人の少女を巡る全面戦争か。どうしてこんなことになったんだろうねえ、レイフ君」


「さあな。ターゲットを持ちうる限りの戦力をもって潰そうとする元帥の思惑も、それを無謀にも保護しようとするあの男の意図も読めない。だが……」


 レイフは非常事態であるにも関わらず馬鹿正直に車の制限速度を守りながら、レイフに流し目を送った。


「どちらに転ぼうが、この先荒れる。貴様が免職されるのはまだ先であるべきだ」


「うへえ。反逆罪で地獄旅行の切符を手にする予定だったのにねえ」


 心にもないことを言って内心安堵しているのを隠そうとしながらも、表情と態度に出ているジミーに対し、レイフは特にこれといった反応を示すことはなかった。


 ジミー個人的には居心地の悪い空気となっている。レイフがそういったものに気づいているのか気づいていないのかはわからないが、こういった雰囲気でひたすらに無言を貫けるのは昔からだ。正直、ジミーが知っている中でも、かなり付き合いづらい人間の一人だった。


「いいのかい、レイフ君。こんなのんびりと車走らせてさ」


「今から急いだところで、もう間に合わないさ。貴様がもたらしたアカウントナンバーは、あの時点ではこれ以上被害を拡大することなく事件を終わらせる最善のカードだった。ゆえに私がこちらに派遣された。治安維持隊は、見事貴様らに出し抜かれたというわけだ」


「いや、ぶっちゃけて言うと、僕もそのすり替えについては知らなかったんだけどね。主要ブロックから出て北西に向かえとは言われたけど」


「どうだか。相変わらず意味深長なことを宣うのだけは上手い男だな、貴様は」


 半分嘘で半分本当のことを言ってお茶を濁すのは、ジミーの十八番、というよりただの悪癖だったが、この男の前にはそれも通用しない。ジミーに言わせれば、レイフもまた人と絶妙な距離でいるのが上手いのは七年前から変わっていなかった。


「だが、貴様らの抵抗が身を結ぶかどうかは、御影奏多がこれからどこまで粘れるかにかかっているだろうな。見ろ」


 レイフはそう言って、フロントガラスの下にあったホログラムをジミーの方へと滑らせた。


 主要ブロックの様子を表した地図だ。治安維持隊隊員である青の輝点が、南東部の公理議事堂へと集結している。だが、ひと際明るく輝く二つの赤い光が、その逆方向に残ったままだった。


「超越者の二人が出動だ。私と違って、彼らは容赦がない。傷つくのは避けられないだろうな。……街が」


「…………」


 レイフが超越者としてはどちらかというと例外であることを知っていたため、その事実を否定したくとも頷かざるを得ないのが悲しい所だった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 主要ブロック。

 神居西の大通りからTの二十番交差点へと飛び込んできたところで、御影奏多は粘性のある液体に頭から突っ込んだような、ねっとりとした何かを感じて、全身を総毛立たせた。


 半ば吸い寄せられるようにして、視線が左へと向かう。その通りの中央で、一人の男が両手を地につけ、こちらを見ているのが視界に映った。


 少し縁の尖ったサングラスに、革製のジャンパー。荒々しさと豪胆さとを感じさせる佇まい。


 状況から考えても、彼は間違いなく超越者の一人、マイケル・スワロウ中佐だ。


 一瞬、レイフ・クリケットと交戦した際の記憶が蘇り、左肩がじくりと痛んで、額に嫌な脂汗が浮かんでくるのがわかる。反射的にバイクのアクセルを踏み込んだのと、交差点一面が赤い光に包まれたのが同時だった。


 あまりのことに、御影奏多は呼吸が止まるほどの衝撃を受けた。マイケル・スワロウの能力は知っている。彼の過剰光粒子は、空中ではなく地中に出現している。その膨大な量から、赤の光芒が幾筋かアスファルトから空へと伸びているのがわかる。


 奴はここで、自分たちを交差点もろとも吹き飛ばすつもりだ。


 自分でもわけのわからない叫び声を上げながら、御影は無意識にマイケルを迎撃しようとしていた空気の槍を方向転換させ、ペダルを踏む力をさらに強くした。


 固い物が砕けていく嫌な音とともに、交差点の中心がだんだんと盛り上がってくる。御影のバイクはその突如出てきたアスファルトの山に乗り上げ、そのまま空中へと飛び出した。


 御影の操る風の束が別れ、二人の乗るバイクを包み、空中での姿勢を安定させていく。そのまま交差点の反対側へと着地した瞬間だった。


 Tの二十番交差点の地面が、地下からの衝撃に弾け飛んだ。


 炎を生まない、ただただ純粋な力による爆発が、道路の表面をべろりと剥がし、コンクリートを破砕して、その欠片を空へと吹き飛ばしていく。下から突き上げるようなその力は、交差点の破壊にとどまらず、主要ブロック全域に小規模な地震を発生させた。


 一つの交差点が、今やただの大穴となっている光景に戦慄しつつ、御影はその恐怖をも追い風として、ひたすら前へ前へと進んでいった。



  ※  ※  ※  ※  ※



 エンパイア・スカイタワーの最上階が、マイケルの攻撃の余波でぐらりと一瞬揺れる。ヴィクトリアは円卓に手をついて体を支えつつ、ホログラムに向かい叫んだ。


「どうだ、マイケル?」


『駄目だ! 紙一重で間に合わなかった! あの野郎、横に逸れるどころかそのまま直進して、強引に行きやがった!』


「ちぃ! やはり、奴の実力は伊達ではないか!」


 交差点どころかその下にある下水道や送電線をも破壊して、何の成果も得られなかったというのはかなり来るものがあるが、もともと超越者を動かすとはそういうことだ。全員を動かした暁には、中央エリア全体が焦土となることも覚悟しなくてはならないほどの両刃の刃。


「ザン! 八鳥愛璃大佐は今どこにいる!」


「Uの二十番道路を北上中だ」


「スカイタワーの前で何とか迎え撃てるか! マイケル! お前もタワーまで戻ってこい! 可能ならば八鳥と挟撃しろ!」


『マジで? あの女、うっかりで俺を殺しかねないぞ。もうすでに向かっているけど』


 ぶつぶつ文句を言うマイケルの後ろの景色は、先ほどからマイケルが向いてる方向とは逆方向に流れている。御影を撃ち漏らした時点で、追跡に移行するくらいの判断はできたようだ。


 ヴィクトリアはマイケルとの通信を切断し、円卓へと視線を向けた。その先ではアーペリ中将が、半分以上が灰になりつつある葉巻をくわえたまま、両手をせわしなくホログラムキーボードの上で動かしていた。


「タワーの防衛システムは起動できないのか!」


 ビルという少々破壊されやすい構造をしてはいるが、エンパイア・スカイタワーにも万が一の襲撃に備えた機構が組み込まれている。フィールドの条件設定により、関係者以外は侵入不可能とするのはもちろんのこと、侵入された際にも通路を防御壁で封鎖していくことが可能だ。条件設定の方はターゲットに無効化されかねないが、それ以前に、タワーのシステムが操作不能となっている状態が先ほどから続いている。


「外部からクラッキングだ! タワーの制御を完全に乗っ取られている!」


「どこまでもやってくれる……!」


 ヴィクトリアは忌々し気に吐き捨てると、天井を睨みつけた。


 ここまでの芸当ができる人物など、一人しか心あたりが無い。


「ボクシめ! なぜ我々の邪魔をする!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 主要ブロック外部、南西方向に位置する某倉庫にて。

「もちろん、その方が面白いからさ。一生に一度見れるか見れないかだぜ? 治安維持隊に真っ向から対立する勇者様は」


 タワー最上階に取り付けていた盗聴機から流れてきたヴィクトリアの嘆きに、彼女はクスクスと人の悪い含み笑いをしていた。


 彼女の周りには、同時に三つのホログラムウィンドウが展開され、両腕がせわしなく三個のキーボードの上を飛び回っている。彼女は現在進行形で治安維持隊の構築したクラッキング対策のセキュリティと格闘中だった。といっても、戦況は一方的なものだったが。


 このクラッキングは、一朝一夕で準備されたものではない。こういうこともあろうかと、この国のすべての機関には、それなりの仕掛けを施してあった。


 今回の一件で、エンパイア・スカイタワーは徹底的に洗われ、ボクシが施していた細工は全て潰されてしまうだろう。だが、今この時に限っては、向こうに勝ち目はない。


「まさか仕込みをこの件で使うことになるとは思っていなかったけどね。こちらとしては最大の投資だよ。無駄にしてくれないでくれよ、御影奏多君?」



  ※  ※  ※  ※  ※



 御影奏多はがたつくバイクをなんとか立て直しつつ、Tの十九番交差点を右折した。


 どうやら、先ほどの着地の衝撃でバイクが異常をきたしているらしい。このまま乗り続けるのは危険かもわからないが、エンパイア・スカイタワーまではあと三百メートルもない。そこまでは何とか耐えられるだろう。


 だが、案の定というべきか、バイクの不調以上の問題が御影の前へと立ちふさがった。


 エンパイア・スカイタワーを挟んで反対側の交差点、Uの十九番交差点を治安維持隊の車両が高速で通り抜けていく。そして、何者かが車の上から道路へと飛び降りるのが見えた。


「……ハア!?」


 思わず、引きつった声が上がる。薄桃の着物を身に纏い、腰に時代錯誤な日本刀を差したその女は、肩にかかった一本に纏められた髪を後ろへと流し、じっとこちらを見つめてきた。


 超越者、八鳥愛璃。超能力者一、能力が敵の殺害に特化していると言われる女。


 辛うじて、彼女の手が刀の柄へと伸びていくのが見えた。


 バイクを方向転換させている暇はない。そう判断した御影奏多は、バイクのハンドルから両手を離し、サイドカーへと突っ込んだ。周囲の空気を操り、バイクの姿勢を無理やり安定させていく。といっても、付け焼刃ではあるが。


 Tの9番交差点で右折したばかりであり、スピードはそこまで出ていない。御影奏多はノゾムを自分の前に乗せて両手を背中に回させると、ブレーキを思い切りかけた後に、バイクの横へと自らの体を突風により吹き飛ばした。


 御影とノゾムの体が宙へと投げ出されたのと。八鳥とバイクを結ぶ、紫の過剰光の筋が引かれていったのが同時だった。


 八鳥愛璃が、一息に刀を前へと抜き放つ。


 御影奏多の紺をしたバイクが、完全に両断された。


 バイクだけではない。八鳥愛璃がいる場所を起点として、バイクのある位置までの道路に大きな溝が入れられているのがわかった。


 それに驚きの感情を持つ暇もなく、御影は左肩からアスファルトの上へと落下した。宙で空気を操り、勢いをある程度殺していたものの、かなりの衝撃が全身に襲い掛かってくる。なんとか受身を取り、ノゾムを中心にするようにして道路上を転がることに成功はしたものの、まず間違いなく左の肩が外れた音がした。


 致命傷ではないにしても、動けなくなるには十二分。ノゾムが無事かどうかもわからない。道路上に横たわることしかできない御影は、視界に更なる絶望が映し出されたのに思わずうめき声を上げた。


 八鳥がいる場所とは反対側から、サングラスの男が向かってくるのが見える。バイクは既に乗り捨てたのか、周囲に赤の過剰光をまとってこちらへと走ってきていた。


 まず間違いなく、八鳥愛璃もこちらに向かってきている。スカイタワーの眼前まで来て、御影奏多は完全に追い込まれていた。


 少なくとも向こうは、そう考えていることだろう。


 しかしこちらにはまだ、最後の『兵器』が残されている。



  ※  ※  ※  ※  ※



 ――数十分前。主要ブロック南西部の倉庫。

 出発直前になって、御影はノゾムのいる倉庫の扉を開け放った。


「寝たか、クソアマ? 寝てないよな! 知ってる!」


「うわあ! 悪魔が来たあ! 待って、まだ交渉という選択肢が!」


「そんなもんあったら戦争いらねえよ」


「おかしい! いろいろとおかしいよミカゲン!」


「さあて、そんなわけで覚悟しろ。永眠……じゃなかった、睡眠の時間だ」


「いやあああ!?」


 聖人の如き安らかな表情をうかべながら、御影はノゾムへと近づいていく。

 半ば恐慌状態に陥っていた彼女は、御影が目の前まで来たところで覚悟を決めたのか、ぎゅっと両目を瞑った。それを見た御影は、一つ頷くと、彼女へと右手を伸ばし……。


 ……超能力を、発動させた。


 ノゾムの頭の周りに複数の過剰光が出現し、小規模ながら発生したつむじ風が鳶の髪を揺らす。何が起こったのかわからないのか、ノゾムがゆっくりと目を開けると首を傾げた。


「な、なに? 何なのミカゲン?」


「ミカゲンって呼ぶな、御影でいい。しかしこりゃあ、思った通りだな」


 若干苦しそうに顔を歪めながらも、御影は自分の立てた推論が正しかったことに深い満足感を覚えていた。彼はノゾムから離れると、自分の前に浮いていたホログラムへと言った。


「コイツの意識があるときには超能力が使えないというお前らの見解は、これで間違いだと証明された。そもそも、下水道にいたときに俺が能力を使えたことの説明がつかなかったしな」


『なるほど。彼女は存在そのものが能力世界の真実を暴きかねないタブーだったからね。彼女の力に関する研究もろくにされていなかった』


「そして、当然のことながら、治安維持隊の連中はこのことを知らない」


 知識は武器になり、無知は致命的な足かせとなる。私情を排して考えるならば、彼女は対超能力の兵器としては非常に優秀だ。使わない手はない。


 だが当然のことながら、それで自分の能力まで封じられてはかなわない。彼女の特性を使うのは、最後の手段とするべきだ。


「理屈はわからねえが、実験と経験とで確かめたことだ。まず間違いないだろうよ」


 地下で超能力を使っていたときと、レイフとの戦闘で使用したときの違いは一つしかなかった。そして今、それに基づいて立てた自分の仮説が正しいことが立証された。


 何が起きているのかわからず、ポカンとした顔のノゾムの前にしゃがみこむと、御影は彼女の目をまっすぐに見つめて言った。


「よく聞け。バイクに乗った後は、たとえどんなことがあっても、俺が言うまで……」



  ※  ※  ※  ※  ※



 エンパイア・スカイタワー正面の道路にて。

 御影奏多は全身の痛みに意識が消し飛ばされそうになるのに全力で抗いながら、両側から超越者たちが近づいているのを確認しつつ、腕の中の少女に向かい叫んだ。


「目を開けろ!」


 彼の呼びかけに、倉庫を出てからずっと『気を失った』演技をさせられていたノゾムは、ぱちりと目を開けると、御影の様子に顔を引きつらせて体を起こした。


 彼女の瞳に、赤と紫の光が映った、その瞬間。


「な、なに?」


「……む!」


 道路上を疾走していた超越者両名が、一様に苦悶の表情を浮かべて、その場に崩れ落ちた。マイケルは勢いあまって道路に倒れ伏し、八鳥愛璃の方は片膝をついて手で額を抑えている。両名共に、あのときの自分と同じように凄まじい頭痛に襲われているのだろう。


 地下道のときと、レイフの一件のときの違いは単純だ。地下道の方は、確かにノゾムの前で力を使っていたが、実際に操っていたのは地上に吹く風だった。逆に対レイフ戦ではあろうことかノゾムの周りに小規模な竜巻を起こすことで、レイフから守ろうとしていた。


 両者ともに頭痛を感じはしたものの、程度の差は歴然だった。ここから考えられる仮説は二つある。一つ目は、一般の超能力者と同じく、彼女の能力阻害にも限界範囲があるということ。超能力発動はせいぜい百メートル先までが限界だが、あのとき御影は五百メートル以上離れた場所で能力を展開していた。


 そして、直感的に正しいと確信できた仮説その二。ノゾムの超能力の阻害には、視覚が大きく関わっているというものだ。つまりは、彼女の目に見える場所で超能力を発動したときが一番、能力の使い手の受ける被害が大きくなるということ。


「な、なんかすごい衝撃を感じたうえに、ぐるぐる目が回ったかと思ったら! ミカゲンがものすごい重傷! 大丈夫じゃないよねえ!?」


「大丈夫じゃないから大丈夫だ! いいからもう一度目をつ……」


「左肩! 左肩が、変な風に!」


「痛い痛い! 触んな阿呆! ええい、面倒くさい奴め!」


 右腕で背中を掻き抱き、ノゾムの顔を胸に押し付けて彼女の視界を遮断すると、御影は目の前にそびえる巨大なビルを睨みつけた。


 大気がうねる。一人の超能力者の指示に従い、空気分子が寄り集まって天翔ける竜へと変貌する。その気流を枝分かれさせて、自分たちの体を包み込み、彼らは風に乗って宙を舞った。


 御影の一撃がエンパイア・スカイタワーのエントランスを正面から破壊した。かなりの衝撃にも耐えうるはずの防弾ガラスが、一瞬で砕け散る。


 世界が回転する。胃の中身が根こそぎ持っていかれそうな浮遊感。そんな、一瞬の飛行の後に、御影奏多はノゾムを抱えたままタワーに穿たれた大穴へと高速で突っ込んでいった。


 いくつものガラスの破片が、とっさに前にした左腕を中心に、全身へと突き刺さっていくのがわかる。それに何か感じる暇もなく、彼の体はガラスが散乱した床を滑って、タワー内部の壁に激突した。


 レイフにやられたときとは比べ物にならないほどの痛みが、ありとあらゆる神経を通じて脳に突き刺さっていく。


 何とか立ち上がらなければという思いが体を動かすよりも先に、御影奏多の意識はこの日二回目のブラックアウトを迎えていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 エンパイア・スカイタワーの正面。

 完全に未知の体験に忘我の状態だった超越者の二人は、御影奏多とターゲットの体が宙を舞い、タワー内部へと突っ込んでいったところでようやく我に返った。


 まったく考慮していない事態だったが、スワロウ、八鳥は共に、治安維持隊の最高戦力。想定外の事態には慣れている。彼らは速やかに態勢を立て直すと、本拠地の惨状に驚愕しながらもターゲット追跡のためタワーに向かおうとした。


 だが、彼らがタワーの敷地へとたどり着く直前に、けたたましい警報と共に、タワーの四方に半透明の赤く輝く隔壁が地面から空へと伸びていった。


 それは瞬く間にタワー最上部へと到達し、建物すべてを覆っていく。それと同時に、窓のすぐ内側で、専用の隔壁が上からスライドして内部の様子を隠していくのがわかった。


 三十秒もしないうちに、まがまがしい赤の光を放つ、実質窓が一つも存在しない姿へとタワーが変貌を遂げる。マイケル・スワロウが恐る恐るその壁、ホログラムによりできた障壁に指を近づけると、バチリという鋭い音と共に手が跳ね返されてしまった。


「何だこれは? 噂に聞く、タワーの防衛システムか?」


「そのようだな。某も実際に見るのは初めてだ」


 フィールドの条件設定により外部からは何人たりとも入れなくなり、たとえグレネードランチャーを窓のあった場所に打ち込んだところで、表面のガラスが割れるだけで内部に被害が及ぶことはない、絶対防御。


「だが、何でこんなタイミングで? しかも、俺たちまで締め出されてんじゃねえか」


「詳しいことはわからん。だが結果として……」


 彼女は慣れた手つきで納刀を済ませると、赤の直方体に包まれたエンパイア・スカイタワーの最上階を見上げ、呟くように言った。


「これで、この戦いは実質、治安維持隊本部と御影奏多との『一騎打ち』となった。外からの手出しはできまい」


「最悪の展開じゃねえか、オラ! ハハッ、面白いねえ!」


 自分たちにとっては不都合なことになっているのにも関わらず、心底楽し気な様子のスワロウに、八鳥愛璃はとがめるような視線を向ける。


「敵に利するこの状況を楽しんでいるようで何よりだが、あいにくここまで来ても御影奏多に勝ち目があるとは某には思えんな。むしろ、彼にとっては最悪だ。まず間違いなくあの無茶な突入で重傷を負っているうえに、最上階の円卓には……」


「序列一位がいるって言いたいんだろ? だから、アイツにとって最悪だと言ってんだよ! まったく、誰がこんなことを想像するよ。燃えるじゃねえか。完全に蚊帳の外にされちまったが、俺は今の状況に対して、心の底からこう言うぜ」


 超越者、マイケル・スワロウは、諦め顔の八鳥に対し、歯をむき出しにして笑ってみせた。


「こんな展開を、待っていた!」




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