Outer Jail-3
3
二三九九年。八月の中旬。
悪夢の七夕事件から、一か月半後。
「……結局、あれから一度も連絡は来なかったな」
御影家客間。テーブルを挟んで二脚あるソファに、私とスワロウはそれぞれ腰を掛けていた。
「参ったぜ。何かを企むなんて柄じゃねえぞ。なんせ俺は馬鹿だからな。多分、御影奏多よりもだ。自信をもって言えるぜ?」
「そんなことで胸を張られても困る」
「そりゃそうだわな」
私の生真面目な指摘にも、彼は嬉しそうに笑ってみせた。
マイケル・スワロウはいつもこうだった。私の言動の一つ一つに、いちいち反応する。正直、鬱陶しいと思う自分がいたが……彼の存在が幸いだと思う自分もいた。
実際、このときの私は壊れかけていた。ボクシという少女に、私は私が思う以上に頼り切っていたのだ。能力的にも、精神的にも。
私はきっと、彼女のことを姉のように思っていたのだろう。軽々しく甘えていい存在。適当に疎んでいい存在。私にとって唯一無二になっていた少女は、超越者序列二位と互角に戦い逃走に成功するという華々しい戦果と共に、歴史の裏側へと姿を消した。
「彼女の引継ぎ作業は完璧だった。彼女が残したものは、問題なく使えてる。あなたとの能力を使わない通信。そして、盗聴機をはじめとしたこの家の監視システムも構築できた」
「……愛が重いな」
「愛? 何の?」
「そっかあ。本気で実利だと思っているのかあ。ボクシの苦労がしのばれるぜ」
「君まで意味深なことを言い出さないでくれない? そんなのは、彼女一人で十分……」
そこまで言ったところで、もうボクシには会えない可能性があることに気が付いて、私は口をつぐんだ。
スワロウは私の沈黙については何も言わず、テーブルにあったティーカップを手に取って中身をすすった。正直、私の紅茶はウォーレンのより数段劣るものだったけど、彼は私が出すものは何でも美味しそうに口にしていた。きっと舌が鈍いのだろう。
「御影奏多は?」
「多分、学校だと思う」
「アイツは不登校だと聞いていたが?」
「何かあったみたい。最近はずっと帰って来てないよ」
「そりゃさみしいこったな」
「何で? ウォーレンさんがいるし、君もいる」
「何だそりゃ? ったく。仕方ねえなホントに。自覚するのを待つしかないってボクシは言ってたが、本当にそれでいいのかよ?」
「だから、意味わからないこと言わないで」
「わかったよ、お姫様」
「その呼び方もやめて。何か、馬鹿にされている気がする」
「わかったよ、望ちゃん」
「……」
「じゃあ、望で」
なんだかそれはそれでフレンドリーすぎる気がしたけど、面倒になって私は頷きを返した。
「執事は?」
「ウォーレンさんは休みだよ。彼がいるときに呼ぶわけないじゃん」
「秘密の関係だ」
「何か言い方がいやらしい」
「楽しそう、って言えよ」
「だからいやらしく見えるんじゃない?」
「冷たいなー」
マイケル・スワロウは拗ねたように唇を尖らせる。彼こそ仕事はどうしたのかと思ったが、レイフ・クリケットの自由奔放さを思い出して聞くのをやめた。きっと、超越者はそういうものなのだろう。
「これからどうする? 俺がボクシに命じられたのは望の守護までだ。超越者権限で出来る限りのことはするつもりだけど、まずはお前の願いを聞かねえとな」
「……これ以上、御影を傷つけたくない」
「それはもう知ってる。そのためにどうするかを聞いている」
「能力世界そのものを壊す、って言ったら、びっくりする?」
スワロウが紅茶でむせた。
彼は暫くの間胸をさすっていたが、やがてクツクツと体を揺らして笑い出した。
「世界の破壊ねえ。考えることのスケールが違うぜ。流石は金堂真の娘、って感じか」
「あんな人、お父さんじゃない」
「へえ。ふうん。ほーん」
「……何?」
「いやな。ちったあボクシのおかげで成長したんだなって思うと、こう、目頭が熱くなってきてだな?」
「もうやめてよ。あの人のことを思い出させないで」
「あー、悪い。そうだよな。笑いごとじゃなかった」
「……」
なんだか、彼の言葉の全てに裏があるような気がしてきて、私はため息を吐いた。何というか、雰囲気が御影に似ている。格好つけるところとか。レイフ・クリケットもまた、別な方向で似ていたような気がするけど。類は友を呼ぶ、というやつだろうか?
「それで? 能力世界の解体なんて、アウタージェイルですら成し遂げられなかった大偉業を、どうやって実現するつもりなんだ?」
「君、超越者だよね? 超能力がなくなることに抵抗はないの?」
「そりゃ嫌だよ。ここまで来るの、結構大変だったしな。だけどな。俺が超能力者でなかったら、お前に出会えなかった。だったらもうそれで十分なような気もするんだよ」
「言っていることの意味がわからないんだけど?」
「お前、マジで本の虫だったのか? こう、俺が言外に伝えようとしてることがわからないのかね?」
「わからないよ。ボクシとどんな取引をしたのか知らないけど……君は私のことを、何とも思っていないでしょ? なのにどうしてそんな冗談を言うの? 面白くないよ?」
「……」
スワロウが真顔になる。
彼は天井を見上げ、また視線を戻し、今度は床へと目を落として首を振った。
「流石にショックだな……」
「何が?」
「いや、いい。お前はただ、俺に協力する理由があると理解してればいい。少なくとも今は、それでいい。今のお前に対し怒りを抱くのは、そりゃ、残酷すぎるってもんだ」
「難しいことを言うね。頭悪いんじゃなかったの?」
「頭が悪いから格好つけてんだよ」
「ふうん」
「暖簾に腕押し、糠に釘か。不毛すぎるな。話を元に戻そう。能力世界を壊す。それはわかった。だがどうやって?」
「わからない」
「は?」
「わからないから、一緒に考えてほしい。駄目?」
「今のよかった。今の言い方すっごく良かった! もちろんオーケーですとも!」
「…………」
驚いたり悲しんだり喜んだり。なんだか本当に忙しい人なんだなあと。私はとりあえずそう思うことにした。
※ ※ ※ ※ ※
九月一日。御影奏多はまたしても、世界を敵に回した。
急いでウォーレンと病院に行ったが、彼は満身創痍で治療を受けており、面会謝絶の状態だった。
混乱する病院で、マイケル・スワロウの姿を見かけた。私の無言の圧力に屈し、彼は治安維持隊やウォーレンの目を盗み、人気のない場所に移動して簡単な説明をしてくれた。
「一言で言うとだな。ヤツは、彼女を振るために戦ったんだ」
「どういう意味?」
「俺が聞きてえよ。何にせよアイツはそのために、俺、八鳥、そしてレイフさんと戦った。超越者との地獄の三連戦。もちろん俺達が負けることはなかったが、アイツが先に進むのを止めることはできなかった。ヴィクトリアさんもあれには舌を巻いていたよ。ってか呆れてたな」
「……」
「逃げ足だけで見るなら一級品だよ。もちろん褒め言葉だぞ? とにかく、俺とお前が通じているのがバレたらマズイ。ひとまず執事の元に戻れ。な?」
※ ※ ※ ※ ※
御影との面会が許されたのは、それから数日後のことだった。
「……ああ。ウォーレンにクソアマか」
ベッドの中から、彼は私たちに笑いかける。
「悪いな。また、心配かけちまった」
「まったくですよ。なぜこんなことに?」
「そりゃ言えねえ」
「もう。またそれだよ。ミカゲンはいつもそう。いっつもそうやって、ノゾムの知らないもののために戦っている」
「いや、今回は本当に悪かった。何の言い訳もきかねえ」
「そう思うなら、まずは休んで体を治してください。説教はそれからです」
「……ウォーレン。お前は俺の親か何かか」
「執事ですが、何か?」
「ああ、はいはい。わかりましたよ。しかし……これで本当に、第一高校退学決定だな。いっそ清々しいくらいだが」
「また強がりを……」
「少しぐらい格好つけさせろよ。……っ。悪い。ちょっと気分が悪くなってきた」
「医者を呼びましょうか?」
「いや、いい。少し……疲れただけで……」
言葉の途中で、彼は電池が亡くなった玩具のように、ぱたりと眠りに落ちた。
「やれやれ。また相当な無茶をしたようですね」
ウォーレンがため息を吐いて、来客者用の椅子から立ち上がる。
彼のいる部屋から出たところで、私はウォーレンに話しかけた。
「ちょっと、トイレに行ってもいい?」
「ええ、もちろん。車を準備しておきます」
「うん。ありがとう」
廊下の曲がり角のところで別れて、私はトイレに足を踏み入れる。
そして個室の中に入り、素早く鍵を閉め、そして――。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
便器に胃の中身をぶちまけた。
吐いた。
内臓が全部なくなるかと思うくらい、吐いて吐いて吐きまくった。
気持ち悪い。気持ち悪いきもちわるいキモチワルイ。
「…………何、あれ? 何なの!?」
どうして、あの人は。
顔中真っ白にして。唇を紫に染めて。手の甲に骨が浮かんでいて。全身が震えた状態で。
明らかに心身に異常をきたしていて、食事もとっていないだろうに。
いつも通りの笑顔を、浮かべようとしていたのか。
自分よりも、私という他人を優先しようとするのか。
私が彼をかわいそうだと言ったら、彼はこう言って笑うだろう。
そんなことはない。世界は不幸に満ちている。自分より恵まれない人間がたくさんいる。不幸? 違うね。俺は極めて現代的かつドラマチックな別れを経験し、精神的に成長したんだ。失恋を通じてレベルアップ! 大人の階段をステップアップ! ってやつだな。
ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな。
例え世界の誰が何と思おうとも、自分は誰よりもかわいそうだと思う権利が、彼にはあるはずだ。それなのにどうして、あんな風に笑えるんだ。
どうして、私は――。
※ ※ ※ ※ ※
その日の夜。家の外に出たいという私の申し出に、マイケル・スワロウは一言の文句も言わずに付き合ってくれた。
夜の街を、私たちはあてもなく歩いた。ただただ歩いた。もうどれほど歩いたのかわからなくなって、疲れはてて、一歩も足を踏み出せそうにないところまできたところで、私は歩道にしゃがみこんだ。
スワロウは無言で私の隣に立った。見つかったらどうするだとか、何が目的だったのかとか、聞きたいことは山ほどあっただろうに、それでも彼は無言を貫いてくれた。
「……御影……すごく、すごく、辛そうだった」
「そうか」
「肌が真っ白でさ。死人みたいな顔しててさ」
「そりゃ、超越者と三回も戦えば、そうなるだろうな」
「それなのにさ。私に笑いかけてさ。自分は大丈夫だって、見栄を張ってさ」
「そうだろうな。きっと俺でもそうする」
「おかしいよ、そんなの!」
「男はみんな格好つけなんだよ」
「そんなこと知るか! 全然格好よくなんかない!」
「それでもさ。格好つけたくなるんだ」
「それで何が解決するの!? ズタボロになった心を、さらに自分で抉ってどうするの!? 悲しいときには泣けばいいのに、笑おうとするなんて!」
「そうなんだよなあ。ただの自己満足なんだよなあ。馬鹿だよなあ」
「本当だよ! ……だけどさ。だけどさ! そんな彼を見て、私は……」
「……――私は、嬉しかったんだよッ!」
「これで御影は一人になった! 彼の隣から、あの金髪のムカつく女はいなくなった! これで彼を私のものにできる! 私が彼を、独占できる! やったぜざまあみろ! 神様、彼を不幸にしてくれてありがとう! 彼は誰にも渡さない! だってかわいそうだから! かわいそうだと私が思っているから! これで私は、彼の隣に立つことができる!」
「―――――――っ」
「どうして? どうして私、こんなこと考えたの!? こんなの私じゃない! だって……だって! 私が作った私は、もっと綺麗だ! そうじゃなくちゃいけないのに! なのに、私の中からさ……私の胸の奥からさ! ドロドロと、黒いものが湧いてくるんだ! 知らない! こんなの知らないよ! 何なの、これ!? 怖いよ! 苦しいよ! きっと……きっと……」
私ガ生マレタコトハ間違イダッタンダ。
……気が付いた時には、私はスワロウの腕の中にいた。
それをいいことに、私は顔を彼の胸に押し付けて、子供のように泣きじゃくった。
後から後から涙が溢れてきた。
このまま涙に溶けて消えてしまいたいと、そう、強く思った。




