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第三章 暗転-4





 夢を見ていた。


 草原。横たわる。上にはどこまでも広く青い空。胸が痛くなるほど美しい地平線が、御影奏多の視界に円を描く。


 手を伸ばせば掴めそうな場所に太陽はあるのに、その空には届きそうにもない。そうわかるたびに、目の奥が熱くなって、意味もなく叫びたくなる。そこに行かせてくれと。ここにいるのは、もういやだと。子供のように、駄々をこねたくなってくる。


 結局のところ、自分はずっと、あの空を追い求めていたのだ。穏やかな風が吹く草原で、ずっと、夢を見ていた。そう。見上げることしかしていなかったから、その自分だけの世界が夕日でだんだんと燃やし尽くされていくことに、最後まで気がつくことができなかったのだ。


 目が痛いと思うほどに赤々と輝きだしたその場所で、御影は使い古されたパイプ椅子に腰をかける。ひりつく喉の渇きに耐えつつ、自分は最後まで変わらないままだったという、自嘲の笑みを浮かべながら。


 ふと、頬に冷たい物を感じて、指で拭う。爪の先にこびりついたその輝きに、なぜだか何も見いだせず、戸惑いの感情を抱いたところで、その夢は終わる。


 今まで、何度も見てきた光景だった。きっとこれからも、自分はこの場所に戻ってくる。全てが変わっているのに、あまりにもその変化が遅くて、時が止まっているのかと錯覚してしまいそうなその世界で、ひたすらに無感動のままあり続けようとするのだろう。


 もっともそれは、この先の地獄を切り抜けられたら、という条件つきだったが。


 目を開ける。


 見知らぬ天井が、彼を迎える。


 御影は上半身の服を脱がされた状態で、段ボールを並べてその上からタオルをかけただけの、ベッドだかなんだかよくわからない場所に横になっていた。左肩を中心として体に巻かれた包帯に、そっと手を触れる。ぴくりと左腕が痙攣したような、そんな気がした。


「お、起きたな御影奏多君。気分はどうだい?」


 あの銀髪の女の声が聞こえてくる。


「最高だ。アルコールを胃にしこたまぶち込まれたくらい爽快な目覚めだな」


 すぐそばに座っていたボクシにそう憎まれ口をたたきながら、御影はゆっくりと上体を起こした。そこは倉庫の中のようで、そこらかしこに中身がぎっしりつまっていそうな段ボールが置かれている。ここが本当に倉庫だったらいい迷惑だなとまで考えたところで、今回自分が中央エリアに出した被害(全面封鎖&非常事態宣言)が思い出されて頭を抱えたくなった。


 ほんと、いいように神輿として担ぎ上げられるなど、どんな阿呆だと朝の自分をぶん殴りたくなる。昨日の夜についてはまだ仕方ないにしても、ノゾムがトウキョウ精神医療研究センターにいたと知った時点で疑うべきだった。あのノゾムを連れてきたヤンキーは『そこで見つけた』とか言っていたが、とんでもない。地図で見れば、あの場所と研究センターまでは三十キロ以上の距離があることは一目瞭然だったというのに。ヤンキーのカツアゲから始まった一連の事件すべてが、御影にフィクションの物語を信じ込ませるためのものだった。


 正直な話、今現在どういう状況なのかはだいたい推測することができる。ノゾムが只者ではないことは間違いないし、『金堂真の実の娘』という立場が問題をさらにややっこしくしている。治安維持隊は今更のようにノゾムを処分しようとし、公理評議会の方はノゾムを政治的なカードの一つとして手中に収めたいのだろう。だが手駒がないので、仕方なしにこの傭兵と協力し、自陣に超能力者を引き入れたと。そういうわけだ。……畜生め。


「おいおい、御影奏多。そんなに私を睨んでも、何もでないぜ? 僕はルークの依頼が面白そうだからのっかっただけだ。騙されたことに対する恨み辛みは全て彼に吐き出してくれ」


「うるさい、この妖怪一人称くるくる女。俺があの白づくめに問い詰めたいのは、また別の話だよ。つうか、クソアマはどこに行った?」


「あまりにもうるさかったから、となりの部屋に放り込んでおいた」


 あの女、騒がしさだけで妖怪をも打倒するのか。末恐ろしい存在だ。そうでなくても本気で恐ろしいが。


「対超能力者用人間兵器。それが、彼女の正体だ」


 ボクシは一言、そう言うと、ウインクと共に御影の方へと胸飾りのような何かを放り投げてきた。受けとると同時に、空中にホログラムウィンドウが出現する。


「私が言えるのはそこまでだよ。あとは、それでルークに直接聞くんだね。悪いけど、君の腕時計は足がつく前に処分させてもらった。データのバックアップは取っといたから安心しな」


「追手は? この場所は、安全なのか?」


「この場所が安全か否かと問われれば、否と答えるしかないけど、君の安全は保障しよう。探知されないことではなく、探知されたことを探知するのに特化した隠れ家だからね」


「探知されたことを探知する?」


「隠れてるときっていうのは、当たり前だけど、敵に見つかったときが一番危険だろう? もしそうなった場合は、すぐに逃げ出せるよう、いろいろ対策がしてあるのさ。例えば、治安維持隊のコンピューターにここの住所が打ち込まれた場合、即座に警報を鳴らすシステムとか」


 あんまりにもあんまりな話の内容に、御影はまじまじとボクシの顔を見つめてしまった。さらりと言ってくれたが、つまりはこの女、治安維持隊の所有するコンピューターをクラッキングしたばかりか、それを悟らせもしていないということになる。


 公理評議会自らが管理するデータとは言え、アカウントナンバーの入れ替えなどどうやったのかが疑問だったが、もしボクシの言うことがハッタリでないのなら、それもまた彼女の仕業だと考えて間違いないだろう。


「もうお前一人でどうにかなるんじゃね?」


「ああ、無理。それは無理だ。レイフが向こうについてる限り、それは不可能だろう」


「いや、確かに化け物みたいな奴だったが、想像するに、あの女は超能力の無効化、ないし、発動の阻害をすることができるんだろ? なら……」


「彼は超能力者である以上に、人間として優秀なのさ。私と同じでね。まあ、彼がいなくてもほぼ不可能だけど」


「……ああそうですか」


 つまりは、お前も一緒に働けと。そういうことか。それも、一番矢面に立つ形で。


 ボクシは倉庫の出入り口へと移動すると、御影の方を振り返って片目を瞑ってみせた。


「それでは御影君。世界の真実とやらに触れてきたまえ。僕は表向き知ってはいけないことになっているから、となりの倉庫であの子と少し遊んでくるよ」


「表向きはって、もう知っているのか?」


「知っているよ。私は人間を極めし人間だ。人間が知りえることの全てを、僕は知っているとも。当然のことながら、君の疑問が、彼女の正体に関する問題を超えたものであることも知っているよ。僕は君であり、君は私だからね」


 彼女はそう意味深な言葉を残して、倉庫の外へと出て行った。


 はっきり言って、悪徳宗教の方々並みに胡散臭い女だが、それでも彼女が嘘をついていないことは何となくだが直感でわかる。自分の力を過信しているのかと思えばそうでもなく、しっかりと一線を引いているところがまた相当な実力者であることを示していた。


 逆に言えば、そんな彼女が無理だと断言するほど状況は最悪なのだ。もちろん超越者はレイフだけではないし、彼らをなんとかできたとしても万を超える軍勢がたった一人の少女を確保するためだけに動かされていることに変わりはない。正直さっさと白旗を上げたい気分だった。


 だが、抵抗するにしても降参するにしても、ろくな未来が待っていないような気がする。前者は無駄死に。後者は死刑台。若者は未来があるからいいねとか言ったのはどこの誰だ。


 どちらにしても死が待っているのだというのなら、せめてこの複雑怪奇な現状の謎解きくらいはしておきたいものだ。


 御影は半ばやけくそな気持ちで、ホログラムウィンドウを操作していく。たった一つだけ登録されていたアカウントナンバーを選択し、ホログラムによる通信をあの男へと繋げた。


『やあ、御影君。左肩の具合はどうだい?』


 上下白のスーツに身を包み、いけしゃあしゃあとそう宣うレイフに、御影は引きつった笑みを浮かべた。


「おかげさまで、向こう一ヶ月はまともに動かせそうにないな」


『それはすまないね。私もまさか、超越者まで出てくるとは思っていなかった』


「ああそうですか。俺も思っていなかったよ。お前がまさか、一高校生に縋るほど権力をそがれた政治屋さんだったとはねえ。というか、全身白って人としてどうなのよ」


『格好いいと思ってね』


「……ああ、そうですかあ」


 もはや皮肉を言う気力もそがれて、死んだ魚のような目でホログラムを見つめる御影の前で、ルークは足を組み合わせると上体をこちらにのりだしてきた。


『さて、君も何もわからないままこちらに従うほど殊勝な人間ではないだろう。時間の許す限りは、君の疑問に答えてあげたいと私は考えている』


「それはそれは。御親切なことで」


 正直、聞きたいことは山ほどある。公理評議会と治安維持隊の確執。御影奏多という一超能力者を駒として選んだ理由。さらに言えば、あのボクシとやらの正体に、そもそもルークは公理評議会でどのような立ち位置なのかなどなど、数え上げればきりがない。


「あの女の正体が知りたい」


 だが、何にもまして問うべきことは、やはりノゾムに関することだ。レイフとの交戦中に、彼女の前で超能力を発動したときに感じた衝撃は、おそらく一生脳に刻まれたままだろう。未知なる存在と対峙させられたかのような、本能的恐怖。自分という存在、自分の持つ超能力という力そのものが否定されているのだという確信。


 正直、ノゾムを守るどころか、まずはノゾムから自分の身を守りたいと考えている始末だ。それほどまでに、あの瞬間の少女は脅威的な存在だった。


「あいつは一体何なんだ? 金堂真の娘だってことはわかった。ボクシからあいつが『対超能力者用人間兵器』だとも聞かされた。だがこの際、肩書だとか能力だとかはどうだっていいんだ。そもそもあいつは何なのか。どう、『作られた』のか。それを教えてほしい」


『先ほど可能な限り答えると言っておきながら悪いけどね、御影君』


 ルークは右人差し指で眼鏡を押し上げると、少しだけ首を傾けた。


『答える前に、君の覚悟が聞きたい』


「覚悟だと?」


『いいかい? 君にはまだ、投降という手段がある。万が一の奇跡があれば、そのあと普段通りの生活に戻れるかもしれない』


「馬鹿な。お前が指摘してくださったように、ここまでいろいろやらかしてそれはないだろう」


『だが、可能性はゼロではない。言いたいことはわかるね?』


 つまりは、ルークはこう言っているのだろう。それを知ってしまったら、もう戻ることはできないと。ただ知っているというだけで、断罪されるほどの情報を手にする覚悟はあるのかと。


 御影奏多は肩をすくめると、唇の端を持ち上げて言った。


「俺は生意気な餓鬼でねえ。先のこととかわからないし、何より好奇心が強いんだ。困った物だろう? いやほんと、早く大人になりたいものだねえ」


『こうして話している間にも、君の生存の可能性は刻一刻と減少しているんだよ?』


「どん底からさらに下になったところで今更だろ。どうせ死ぬなら、全部はっきりさせてから死にたいね。……いや、生きるけど。意地でも生き残るけど。つうか、そう思うんだったら無駄口を叩くんじゃねえよ、オイ。あと、あの策はタイミングが重要だ。どのみち待機だろ」


『……本当にいいんだね?』


「しつこいぞ、眼鏡。ここまで来て、今更引き下がれるかってんだ。教えろよ。治安維持隊、正義の象徴があの女を殺そうとしている、本当の理由を」


 暫しの沈黙が流れる。倉庫の扉の隙間から覗く景色は、一面の黒と、それらを切り裂く人工の明かり。どのくらい寝込んでいたかはわからないが、何時間単位であることは確かだろう。


『長い話になる』


 ルークはそう言って、御影から視線を逸らし、天井を見上げた。表情は見えない。その姿は何かを痛恨するようにも見えたし、ただ単純に体の筋を伸ばしているだけのようにも思えた。


 壁越しに、誰かの嬌声が聞こえてくる。おそらくは、ノゾムのものだろう。こんなときまでのんきな奴だと、御影は淡い微笑を浮かべた。


『全てを語るには、能力世界が成立するよりさらに前にさかのぼらなくてはならない。超能力研究の推移、そして、その結果を、嘘偽りなく話す必要がある』


「俺が今まで受けてきた超能力の歴史に関する教育には、虚偽の内容が存在したと、そういうことか?」


『その通りだ、御影君。小、中の義務教育のみに限らず、大学におけるその手の研究にすら制限がかけられている。私立大学に対しては研究を禁じ、国立におざなりの研究室を設立してその分野の人間を集め、雀の涙ほどの資金しか提供せずに飼い殺しにするというわけだ』


 ちらりと、記憶に何か疼くものがあったような気がしたが、それが何かを思い出す前に、ルークが続けて言った。


『もっとも、この国の人間は、本当の歴史が隠蔽されているという事実すら知らない。公理評議会の人間や、治安維持隊の上層部ですらだ。私が今から話す内容は、今は亡き金堂真、ヴィクトリア・レーガン、そして私に、超法的統治機関『AGE』しか知らない機密事項だ。表向きはね。少なくとも、AGEの連中はそう認識している』


「はあ? おい、ちょっと待て! いきなりこちらの知らない情報をぶちまけるな! というか、え、何? AGE? 政府機関は公理評議会しか存在しないはずだろう!」


 国民の選んだ評議員たちが組織する評議会が、唯一の立法機関であることは、法治国家、民主主義における大前提だ。たとえ形骸化しているのだとしても、そのような仕組みがあるという事実そのものに意味がある。法を超えた統治機関など、ファシズムの台頭を食い止める上では害悪でしかない。


 少なくとも、建前としてはそのはずなのだ。たとえそれがくだらない物なのだとしても、無視してしまった瞬間、天秤は容易に崩壊し、全てが狂気の渦に呑み込まれる。


『実際に政治を動かしているのは公理評議会であり、ひいては治安維持隊だ。AGEは最終決定を下す組織に過ぎない。彼らの意志はただ一つ、『この世界を存続すること』のみ。めったなことでは動かないが、しかしその決定には誰も逆らうことができない』


「あの女を殺すことを決定したのは、そのAGEにいる連中なのか? だから治安維持隊は、ここまでの強硬策を?」


『それは違う。今回の出来事はあくまで、治安維持隊と公理評議会の衝突だ。いいかい、御影君。AGEの主な目的は、『ただそこにあり続けること』なんだ。能力世界が誕生してもうすぐ三百年になるが、AGEは設立から数えるほどしか動いていない。めったなことでは動かないと言ったが、訂正しよう。彼らは基本静観するだけの存在だ』


 それはそれで、空恐ろしい物を感じる。何十年かに一度とはいえ、世界が動かされるのだ。権力者の面々は、いつAGEとやらからの命令が来るか気が気でないだろう。


『ここでは、AGEそれ自体はそこまで重要ではない。だが、肝に銘じておくんだ。君が今から世界の裏側を知ることそのものが、彼らを敵に回す行為なのだと』


「…………」


 あっという間に想像の限界を超えられた。もう嫌だ。帰りたい。暖かいベッドの上で、世界は平和だという夢だけを見ていたい。


 というか、誰かを助ける以前に、まず自分が生き残れるかどうかの方が怪しくないかこれ? さっき似たようなことを言われたが。


『人間の思考には『質量』があり、現実の事象に影響を及ぼしうる。この考えに基づき、超能力の研究は始まった。要は、人の思考に反応する『物質』が現実にあって、何かにぶつかったり、エネルギーに変換されたりして、その人の思い通りのことを実現するってわけだ』


 かつて、機械論的自然観というものが存在した。世界は粒子でできており、それらが接触し、運動することで、重力場やら磁場やらが形作られるという発想だ。ある物質が人のイメージに反応して世界に干渉するという考えは、これに近い物があるかもしれない。……きっと。


『要は、神話や伝説で人が起こした『奇跡』を科学的に証明しようという試みだね。いやはや、とんでもないことを考える人間がいたものだよ、ほんと』


「んでもって実現させてるしな」


 鉄の鳥が空を飛んだことだって、最初は誰も信じようとしなかった。歴史は、想定外と予想外の連続だ。ちなみに、飛行機などといった『空を飛ぶ』機械類は、現在のエイジイメイジアでは残念ながら製造を禁止されている。


『研究の過程で研究者たちは思考に質量、すなわち重さを与えているもの、思考に反応して動き現実に影響を及ぼしている物体の存在を仮定し、『精神粒子』と名付けた。そして、最終的にはそれを観測することに成功する』


「それにより、研究は飛躍的な前進を遂げた、だろう? そこまでは、学校で教えられたとおりだな」


『いや、問題はそこからだよ、御影君。研究が前進した? 違うね。そこで一度、立ち止まることを余儀なくされたんだ』


「……説明してくれ」


『精神粒子を観測することは、脳の活動を観測すること、そして、人の思考が具体的な力を持つかを調べることに直結する。だがそこで、研究者たちは大きな壁に衝突した』


 背筋に冷たい物を感じて、御影は近くに畳んで置いてあった服を手に取って、袖に腕を通した。左肩のところが血にそまり、少しごわごわとしているのが気持ち悪い。


『人によって、世界の見方が異なることが判明したんだよ。当たり前と言えば当たり前だね』


「同じ電球を見ていたとしても、人によって色が違って見えている可能性があるっつう、哲学の問題と同じようなものか」


『まあ、似ていると言えるだろうね。簡単に説明すると、確かにイメージは力を持つけど、他人のイメージと邪魔し合ってしまっていることが判明したんだ。簡単な思考実験をするとしようか。例えば、リンゴは宙に浮くと信じている男がいたとしよう。その者にとってはその事実は自明であり、彼のイメージに反応して、精神粒子がエネルギーとなり、リンゴを持ち上げようとする。しかし、他の人間がリンゴは落ちると思っていたとしたら?』


「そのリンゴは、他の人間のイメージで、落下させられてしまう?」


『その通りだ』


 こんな極端な話ではなくても、世の中の常識というやつについて少し考えてみればいい。ある独裁者がいみじくも、嘘も百回つけば真実になると指摘したように、一定数以上の人間があることを正しいと言えば、たとえ間違っているのだとしてもそれは正しくなる。


 例えば多数決。物事の正誤を二元論的に片づける手段の究極であり、少数派は正義の御旗を掲げた大多数に蹂躙される。身もふたもない言い方をすれば、民主主義はイコール数の暴力だ。


 第三次世界大戦もまた、多数決が引き金を引いた。


『このように、ある人間にとっての当たり前が、ある人間にとっては異常事態であるという事実は、超能力研究において大問題となった。一般で異常だと言われていることを引き起こすことこそが、超能力研究の終着点だったからね。前提から崩れてしまったわけだ』


「だが、そこで研究は終わらなかった」


『その通りだ。当時の科学者は、こう考えた。ならば、人間の脳を作り変えてしまえばいい』


 全身に鳥肌が立つほどの嫌悪感が、嵐となって御影の胸中を吹き荒れた。


 冷静になれば、あくまで理性的に考えるならば、それは正しい。発想としては極めて自然なものだ。研究室という密閉空間の中では、きっとそうなのだろう。


 研究者というやつを、常識でとらえてはならない。彼らにしてみれば、『不可能を可能にする』ことこそが生きがいであり、『可能となったことが何を引き起こしてしまうか』については基本二の次なのだ。もちろん全ての学者がマッドなら世界はとっくの昔に滅んでいるが、常識は発展にブレーキをかけることができないこともまた事実。


 ダイナマイトは、戦争のために開発されたわけではない。


『ありとあらゆる方策がとられた。ありとあらゆる、だ。洗脳、マインドコントロール、超早期教育。その他実にバラエティ豊かな人道を無視した実験が、複数の密閉空間を世界モデルとして行われた。だが、その全てが無駄に終わった』


「人間を、実験用モルモットとして扱ったのか。医学は人体実験により発展したとは言うが」


『この場合は発展すらしなかったね。同じ脳構造の人間を育てる? 人間には、個性があるというのに? 不可能だ。普通の方法ではね』


「…………」


『無意識レベルでの思い込みの書き換え。その方法は、予想外の場所から降って湧いてきた。別の研究で、精神粒子の動きを、機械により操ることに成功したんだ』


「何だって?」


『観測できるということは、それを操作することが可能だということに他ならない』


「つまりお前は、こう言いたいのか? コンピューターによって、人間の心を生み出したと。イメージという人間の特権を、ロボットが習得したと、そう言いたいのか!」


 絶対に無理だ。そんなことは、有り得ない。


 コンピューターのできることは、『記憶する』ことだけだ。膨大な数の失敗から、一の成功を記憶する。それによって、同じ問題に直面した時に、一瞬で解決できるようになる。ただ、それだけのはずだった。


 そもそも、有機的な現象を無機物で再現できるはずがない。コンピューターに有機物が含まれる可能性があるとかいう難癖は、この際一切無視だ無視。


『さすがにそれはないよ。人間を作るには人間を使うしかない。それは、今も昔も変わらない。精神粒子を動かすことには成功した。だが、それで世界を改変することは叶わなかった。君が言ったように、機械には心が無かったからだ』


「いや、待てよ。それって……それってつまりは、世界以外の何かは変えられたってことだよな? そして世界とは、人間が観測するものだ。まさか……まさか!」


『その通りだ。人類は、機械に精神粒子を操らせることにより、人類を変えることに成功した』


 人間の思考に反応して、精神粒子が運動する。それが、一方向の関係ではないとしたら? 精神粒子の動きに合わせて、人の脳が変化するとしたらどうなる?


 人は人とコミュニケーションを取ることで、考えを変えていく。それが実際に、科学的な反応の一つとして行われているのだとしたら?


『こうして、神が誕生した。人類よ、かくあれ。コンピューターの画面に並ぶ文字列が、人の在り方を定義する時代が到来したんだ。彼らは、自らが生み出した神を、こう名付けた。世界の平穏を約束せし者。調停神、メディエイターとね』


「神居に安置された、超能力者の選定に使われるメディエイターが、人工の神……?」


『メディエイターによる精神操作は、現在進行形で行われているとも。たとえば、このホログラムによる通信。実際には、ホログラムなんてものはない。メディエイターの手で、そこに映像があると誤認させられているんだ』


「あるいは、エリアの条件設定。建物の扉が、施錠の設定をするだけで開かなくなるのは、開かないと思い込ませられるから?」


『全人類とメディエイターの間に、パスのようなものがつながっているからこそ、アカウントナンバーにより個人の居場所を特定することすら可能となっているんだよ。ホログラム通信もこのパスを利用しているから、手順簡略化のため番号が通信にまで使われているというわけだ」


 全人類の感覚、行動が支配された世界。にわかには信じがたいように思われるが、人類は既に、第三次世界大戦前にその世界を実現している。


 コンピューターの開発と共に誕生した、情報社会。電気という魔法を使い、端末を手にした人間は、常に個人情報を世界へと公開して生きてきた。


 人が日々量産する情報の記録はビックデータとして蓄積され、その傾向により、個人の思想、言動をある程度特定することまでが可能となっていた世界がかつて誕生し、今もそのまま生き続けている。規模が違うだけで、今更驚くべきことではないのかもしれない。


「ならば、あの女は……メディエイターの支配から、外れた存在だっていうのか?」


 ノゾムにはホログラムの地図を見ることができなかった。なぜなら、そこには何も存在しないと、彼女だけが理解できていたからだ。


 朝、ノゾムを見つける前に、不自然な鍵のかかり方をしていた扉。ノゾムは一度、鍵のかかってないドアを開けて外に出たのだ。その後、ドアノブを動かせなかった御影が間違いだった。


『彼女はメディエイターの精神操作を受けていない、唯一の人間なんだよ。だからこそ、異常を操る超能力者にとって、彼女は天敵なんだ。日中、彼女はずっと眠りについていただろう? あれはこちらで遅効性の眠り薬を仕込んでおいたからだよ。できれば彼女が眠っているうちに、ことを済ませたかったんだけどね』


「……それであの馬鹿、あれだけ頭をぶつけても目を覚まさなかったのか。眠りに落ちたときも突然だったし。というか、この件の早期解決とか、相当な無茶だったって自覚はあんの?」


『正直に言うと、彼女を保護しようとすることに、治安維持隊がここまで苛烈な反応を見せるとは思っていなかった。そこは申し訳なく思っているよ』


「謝ってすむなら治安維持隊はいらねえよ。いや、その治安維持隊に追われてるんだけど」


 知らないうちに犯罪者にされている恐怖を、まさか現実に体験するとは思っていなかった。どうしてくれるんだ、ほんと。人生返せ。


『ボクシの言葉通り、彼女は金堂真が『制作』した、対超能力者を想定した人間兵器だ。いったいどのような手段を使って、その子をメディエイターの監視下から隠したのか。どんな思いで、自分の娘を世界一孤独な少女に成長させたのか。その一切が不明だ。まあ、どうやって作ったかについては、だいたい見当がつくけどね』


「例えば、どんなものだ?」


『エイジイメイジアの外、メディエイターが精神粒子を観測できない場所で、出産、子育てをさせること』


「人類がいない、放射能やら未知のウイルスやらで汚染された土地でか? もしそうだとしたら、金堂真は親として失格だな。味方巻き込んで自爆した時点で、人間としても失格だが」


 さぞ愉快な幼年時代を過ごしたことだろう。金堂真の方はエイジイメイジアでせっせと反社会活動に勤しんでいただろうから、彼女の周りには母親、ないしアウタージェイルの関係者しかいなかったに違いない。


 同年代の友人などいるはずもない。ノゾムの精神年齢が異常に幼く、傍若無人ここに極まれりの天然ボケをかましていたのは、想像したより深刻な理由によるものかもしれなかった。


『七年前、アウタージェイルが壊滅したときに、彼女は治安維持隊の手で殺されるはずだった。それを精神病院に閉じ込め無害にすることで、何とか生きながらえさせることに成功していた。が、治安維持隊の連中は、ついに彼女の殺害を決定した。許すわけにはいかない』


「人道的な理由で、か?」


『人道的な理由でだ。笑うかい?』


「笑わねえよ。笑えるわけがねえだろ。もしそれが、本当ならな」


『…………』


 饒舌だったホログラムウィンドウが急に黙り込んだのを鼻で笑い、御影は畳まれた状態のまま放置していたパーカーを手に取ると、上に羽織る。空気がだんだんと冷え込んでいるのを感じる。もう深夜に近い時間かもしれない。


 どうせ、ノゾムが今まで生きながらえてきたのも、治安維持隊と公理評議会の権力闘争によるものだろう。全てをひっくり返すカードとして、評議会はノゾムに目をつけていた。それを奪う前に治安維持隊に殺されそうになって、焦っている。反吐が出そうなほどに単純だ。


「それで?」


『ん?』


「それで、と聞いたんだ。まさか、話はここで終わりとか言わねえよな?」


『……ッ! 御影君、まさか!』


 朝に通信を一度してから初めて、ルークは目に見える形で狼狽していた。そのことに暗い愉悦を感じる御影に、彼は慌てふためいた様子で言った。


『それは駄目だ、御影君! そこから先は、駄目だ! 今回の件には関係ない!』


「だからどうした。この際だ。隠しごとは無しにしようぜ?」


『君のためを思って言っているんだ!』


 映像の中で、ルークの拳が机に強く叩きつけられた。その振動が、こちらまで伝わってきているかのような、そんな錯覚に襲われる。


「まだあるんだろ、裏が! 全人類の精神粒子を操作して、やったことが『脳を作り変える』だけってのはないだろう! まだ説明していないことがあるんじゃないのか!」


『その隠された事実に、君が耐えられないと言っているんだ! これ以上は限界だ!』


 少し考えれば、ルークの説明に穴があることは容易にわかる。この男は明らかに、御影のかねてからの疑問に回答することを避けていた。


「話せ、支配者!」


 超能力者、御影奏多は、隣の倉庫に自分の声が届く可能性も一切考慮することなく、七年前に『選ばれた』直後から抱き続けていた何かを憤怒に燃やして、ルークに向かい叫んだ。


「全人類の脳を均一化したのならば、全ての人間が超能力を使えるようにならないとおかしい! だが、現実は違う!」


 その叫びは、もしかしたら。


「超能力という絶望的な『格差』を生み出したものは、一体何なんだ!」


 他人の耳には、悲鳴のように聞こえていたかもしれなかった。




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