第六章 英雄譚-1
第六章 英雄譚
1
エボニー・アレインは、上空に広がる光景を理解することができなかった。正確に言えば、数秒前に起きた現象をだ。
ミュリエルの雷に対し、マイケル・スワロウは成す術がないはずだった。何せ、彼が操るのは振動だ。電流も電子の振動と捉えられるかもわからないが、そんなこじつけが効くのならエボニーの炎を魔弾や局所地震で対応したりはしないだろう。それなのに。
「雷が……アイツを、避けていった……?」
不可視の球体にでも入っているかのように、雷はスワロウの上空で四散した。
回避不能の電流を。防ぐことのできないはずの電撃を。彼は――。
「リーダー!」
「――ッ!?」
誰かの叫びに、彼女はハッと息を呑む。振り返ると、ミュリエルがこちらに全速力で駆けてきているのと目が合った。
「早く彼を倒すべきです! でないと――」
――取り返しのつかないことになる。
ギリギリと歯ぎしりをし、震える体に鞭打って、エボニー・アレインはスワロウの方向へと目を向ける。
エボニーの右手から炎が噴き出し、螺旋を描いて超越者へと迫る。同じくミュリエルが向けた右手からも電撃が飛び出し、空へと走った。
空中で浮遊した状態のまま、マイケル・スワロウが下界を見下ろす。
次の瞬間、彼の周囲に見覚えのない光が――。
※ ※ ※ ※ ※
見覚えのある光が。
もう二度と見たくなかった色の過剰光粒子が、マイケル・スワロウを取り巻いた。
ゾワリ、と。御影奏多の全身が恐怖に泡立つ。
あの輝きは知っている。七月七日。そしてつい数分前に目撃した。
「駄目だッ! 逃げ――」
炎と電流が放たれる。
それらは全て、マイケル・スワロウの体に接触することなく霧散する。
超越者が両手を広げる。右手には炎。左手には電撃。二種の力が球体を形成し、彼の左右に浮かんでいる。
御影奏多の最悪の予想は、そのままの形で現実となり。
次の瞬間、エボニーは炎に包まれ、ミュリエルには電撃が直撃した。
※ ※ ※ ※ ※
カリーナ・エメルトは、間違いなく学生最強候補であるはずの二人が、力なくその場に崩れ落ちるのを、ただただ見つめることしかできなかった。
道路上に伏したままのラン・シャオナンを治療するために伸ばされた両手が、ワナワナと痙攣している。能力が上手く発動できない。彼女は唇をかみしめてその場に立ち上がろうとする。
だがその前に、彼女の周囲を、今度は『見覚えのある』過剰光粒子が取り囲む。
その光。その色は、忘れようがない。だってこれは――。
「な、何で? わ、私、能力発動してな――」
そして彼女は、治癒能力の暴走による肉体崩壊により、口から血を吹き出して倒れた。
※ ※ ※ ※ ※
熱い。全身が、熱い。
焼けている。燃えている。
この火は。この炎は知っている。
慣れ親しんだもの。自らの肉体以上に、熟知しているもの。炎と共に、周囲に飛び散る橙の光だって知っている。
だけれども、それらは全て、エボニー・アレインのものではない。もしそうなら、肌に火傷が刻まれていくはずがない。
『――醜いわね』
記憶。フラッシュバック。
つい数日前も、炎に包まれて。そのときは、目の前に自分ではない『自分』がいて。
その『自分』を――。
「あ……あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
知らない火が体を焙り、知らない炎が肌を苛む。
嫌だ。嫌だイヤだいやだ。
もう嫌だ。こんなのは駄目だ。こんな能力なんて――。
「――炎なんて、大っ嫌いだッッ!!」
※ ※ ※ ※ ※
御影奏多は、空を翔けた。
彼には、彼女以外が見えていなかった。またも予想外の方向にひっくり返った今の状況など、もうどうでもよかった。
今はただ、彼女の傍に行きたかった。
「エボッ!」
彼が叫ぶのと同時に、行く手にマイケル・スワロウが立ちふさがる。
空中に浮遊したまま、虹の光を放つ白の過剰光粒子を纏った男。超越者序列四位は、周囲に青の風を出現させ、御影を吹き飛ばすべく――。
「なめるな賢人ッ! その力は俺のモンだ!」
轟ッ! と、岩盤をも砕く威力を内包した風の槍が、スワロウへと走る。
それはスワロウが出した風を全て飲み込み、獣の咆哮にも似た唸りを上げて、彼に正面から突き刺さった。
そのまま吹き飛ばされていく超越者には目もくれず、カリーナ・エメルトの上空を通り過ぎ、アスファルトに着地し、ミュリエル・ボルテールを無視して、その少女の元へと駆け寄る。
「おい、エボ! しっかりしろ!」
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
「エボッ!」
新たに発生した炎が、エボニーの全身を包み込む。
彼女自身が出した火が、彼女自身を焙っていく。軍服がジリジリと燃えていき、そこから覗いた肌の火傷の上から、また新たな火傷が刻まれる。
「クソッタレがァッ!」
御影奏多の周囲を、青い光が渦巻いていく。エボニーの方へと風の筋をつくり、炎の膜に一瞬穿たれた穴へと、風と共に生身で突っ込んでいった。
「ガアアアアアアアアアッ!?」
灼熱が、御影奏多を包み込む。上下左右を、炎の橙が覆っていく。
だが、こんな熱なんてどうでもいい。こんな痛みなんて、知ったことではない。
「コイツの方が、何倍も痛いに決まってんだよぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおッッ!」
左手を、伸ばす。
風の鎧が炎により吹き飛ばされ、皮膚が直接焙られる。
それでも御影は、前へと進む。左手を彼女の体にまわし、炎しか存在しない世界の外側へと走る。
新たに生成された風の槍が、御影の背中に直撃する。
全身を強打される激痛。五体を燃やされる苦痛。それら全てを無視して、ただエボニーのことを抱きしめ続ける。
「――ッ!」
炎から抜け出し、彼らは勢いのままに道路上を転がっていく。
全身の擦り傷と火傷にうめき声を上げて、御影が瞼をこじ開ける。少し離れたところに、あの男が着地するのが目に映った。
白い光の粒。それらは彼から遠ざかるにつれてその色を変えていく。結果として生まれるのは、虹の後光。
一目見ただけで、理解できる。
あの男は、この世界に存在しうる、全てのものを操れるのだと。
マイケル・スワロウが、こちらへと一歩足を踏み出す。
御影はエボニーの体を抱えてその場に立ち上がると、膝が笑って倒れそうになるのを何とか堪え、腹の底から叫びを上げた。
「シャオナァァァァンッッ!」
炎と電撃。そして風が襲い掛かってくるのに、黒い過剰光粒子が割り込む。
「――常闇ニ巡リ巡レヨ輪舞曲!」
形成されるは、小規模のブラックホール。その、集団。
重力が曲がる。空間が歪む。マイケル・スワロウが繰り出した炎、電撃、風、その他ありとあらゆる能力による異常現象が、闇に呑み込まれていく。
吸い込まれそうになるのを足を踏ん張って耐え、スワロウとは反対方向へと走る。
御影の背後に、ラン・シャオナンが立った。
「任せたッ!」
「任された!」
両足で地面を強く蹴る。体が宙に浮かび上がった途端、強風が彼の体を浚い、十数メートルの距離を飛ばす。
歩幅が常人の十倍に及ぶ、彼のみに許された疾走を続け、戦場からの高速離脱をはかる。だが、背後でマイケル・スワロウが体勢を整えるのが気流の動きでわかり、彼は舌打ちした。
「しつこいんだよ!」
止まる時のことなど考えない。今はとにかく、この場から遠ざかることのみを考える。
背後でラン・シャオナンが再び能力を発動し、マイケル・スワロウの攻撃を吸い込んでいくのがわかる。超越者との単独戦闘を押し付けたことに忸怩たるものを感じながらも、彼はその走りを止めることはなかった。
※ ※ ※ ※ ※
頭蓋骨を斧でカチ割られたかのような頭痛に、ラン・シャオナンは膝をつく。
マイケル・スワロウはサングラスを押し上げ、口を開いた。
「お前の能力は確かに強力だ。レイフさんと同じく、俺には絶対に手が届かない、『次元』に干渉する力。だが、お前には不相応だよ。発動し続ければ思考回路が焼け切れるぞ」
「……そうだよなあ。似合わないことは、するもんじゃないよなあ。けどお前だって、似合ってないと思うぞ。何だよ白い翼って。サングラスに革ジャンでそれとか冗談だろ?」
「あんまり言ってくれるな。自覚はある」
一本取られたというように、スワロウが心底楽し気な笑い声をあげる。完全に嘗められているという自覚はあるが、それでもどうしようもできないというのが現状だった。
「う……あ。一体何が……?」
少し高い声がして後ろを振り返ると、カリーナ・エメルトがよろけながらもその場に立ち上がっているのが見えた。おそらくは、無意識下での能力発動による自己回復だろう。
「カリーナ! ミュリエルが負傷した! 彼女を連れてこの場から離れろ!」
「させると思うか、オラ?」
虹の光と共に、雨空の下にいくつもの光球が出現する。疑似太陽のように輝くそれらを前にして、シャオナンは今にも壊れてしまいそうな脳みそをフル回転させた。
「させるかよ、化け物が!」
暗闇が黒いベールのように空中に展開される。光球からは灼熱の光線が幾筋も飛び出してきたが、それらは全て闇の中に呑み込まれた。
「行け! カリーナ!」
「わ、私も残って……」
「君にできる最善は何だ! 今倒れている彼女を救うことだろう!? 違うか!」
「……ッ!」
カリーナは一度唇をかみしめたが、すぐにシャオナンへと背を向け、ところどころ陥没しひび割れた、もはや廃墟のそれと言っていい道路を走りだした。
「幸運を!」
「そっちもな!」
言葉を交わしつつも続けて能力を発動し、黒い槍のような塊をスワロウへと射出する。
マイケル・スワロウは糸で吊られているかのようにふわりと跳躍し、攻撃を回避する。闇の塊はアスファルトをえぐり取り、大穴を穿って消えた。
「殺す気で来るのか? だったら容赦しねえぞ、小僧」
「役者不足だっていうのはわかってる。それでもやらなきゃいけないんだよ、僕は」
「ま、そうだろうな。そういうときってのは……否が応でも、訪れるもんだ」
かつての最強候補とかつての超越者が繰り出した攻撃が、正面からぶつかり合う。
全てを吸収する闇と全てを操る光は、互いに相殺し合いながらも、破壊の渦を段々と拡大させていった。
※ ※ ※ ※ ※
地面の振動を感じて、八鳥愛璃は目を開いた。
道路上に横たわった状態のまま、彼女は暫しの間深呼吸を繰り返す。頭が万力で潰されているかのように痛む。三年前のヨコハマ騒乱以来の感覚だった。
「スワロウ……か? 状況は……」
腰から刀を鞘ごと抜き取り、それを杖代わりにして、八鳥はどうにかその場に立ち上がる。少し離れた場所では、胸を大きく切り裂かれたターレスが大の字になっていた。
ターレスの周りに血の池が広がっていくのがわかる。彼は赤い泡を口の端に浮かべながら、ブツブツとうわ言を繰り返した。
「ありえない……ありえない……ありえない……僕は……僕はぼくはボクハ……」
「…………」
両足を引きずるようにして、八鳥愛璃はターレスの元へと歩いていく。
彼のすぐそばに立ち、刀を抜き放って鞘を足元に放ると、大きく上段に構えた。
「――シッ!」
短い気合の声と共に、八鳥は刀を振り下ろす。だが、刃がターレスへと突き刺さる寸前で、新たな刃が間に割り込み、金属音とともに刀を跳ね返した。
全身の力が抜けて、八鳥はその場に倒れ伏せる。
刀が脇に転がる音を聞きながら、彼女はむりやり顔を上げた。
「……貴殿は」
「ウィレミナ・シェイクスピアだ。君とは初めましてでいいのかな?」
右手に両刃剣を持った黒いドレスの女が、クスクスと体を揺らす。
ターレス以外の賢人。『記録』のウィレミナ・シェイクスピア。レイフ・クリケットから話を聞いていただけだったが、それでも肌で実感できる。彼女もまた、ターレスと同じく、人間とは違う世界に生きる者なのだと。
「驚いたよ。ターレスがここまで追い込まれるとはね。だけど、流石に彼を殺されるのは困る。彼は我々AGEに必要な存在だ」
「随分と……余裕だな……。神が人に負けたというのに」
「何を言っているんだい? そんなのは、いくらでもあることだろう」
「……」
「神様っていうのは、結構人間に出し抜かれるものだよ。その方が、『劇的』だからね。人間という集団は愚かだが、それでも、君のような輝ける個人を生み出す。愉快で痛快だ。だけれども、人は知っている。人が総体として神に勝つことは、絶対にないのだと」
「総体……?」
「簡単な話だ。君は、人類を『斬る』ことができるか? できないだろう。それが君達人間の限界だ。世界の臨界点だよ。君は、君の知っている世界しか変えることができない。君は知っている。君が絶望しないことを。お前の光は今どこにある? 目指すべき星。輝ける北極星は、決して失われることはない。だが、それは世界と社会により形成された光だ。君達はその檻から逃げることはできない。今までの人類がそうであったように。……金堂真が、そうであったように」
「……」
「フフフ。私としたことが、リア王の引用なんて、らしくないことをしてしまったな」
白紙のページしかない本が、ウィレミナの右手の平で開かれる。途端、ターレスのいる場所に巨大な本が出現し、彼女がまた本を閉じるのと同時に閉じて、虚空に消えた。
ターレスの姿は、影も形もなくなっている。八鳥愛璃は絶え間ない頭痛に苦悶の表情を浮かべながらも、戦意を失うことなくウィレミナを睨みつけた。
「確かに貴殿らは、我々超越者をも超越する存在なのだろう。だが、それで我々が屈するとは思わないことだ。無力であろうとも、某はあがいてみせる。人類は斬れずとも、その人類を守るのが某の仕事だ」
「愚者もここまでくると道化師だな。君はターレスに勝ったんじゃない。彼は自滅したんだ。君に対する怒りのあまり、『殺し』という概念に自ら縛られてしまった。だが、彼の神髄はそうじゃない。我々は大量破壊兵器ではないのだから」
「負け惜しみか」
「賢人は今という瞬間に囚われない。あと十年もすれば君は全盛期を過ぎる。百年もすれば死ぬだろう。だが能力世界は存在し続ける。我々と君たちとでは、認識のスパンが違う。それにだ。もしターレスが冷静さを保っていたら。君は『概念』を前に、どう戦うつもりだった?」
「……」
「君に『悪』という概念が植え付けられた途端、人類すべてが君を滅ぼすべき『悪』とみなし、敵となる。もう一度聞こうか。――君に人類を斬ることができるのか?」
「――ッ」
「これは仮定の話だよ。実際にターレスがそれをできるかどうかは問題ではない。彼は万能であるがゆえに、その万能に縛られる。そういう意味では、そうだな。やはり、これはターレスの敗北だ。おめでとう八鳥愛璃。君は我々AGEに勝利した」
「この場から立ち去るつもりか?」
「私としても、ターレスを鎮静化してくれたのは、感謝したいぐらいだよ。私が彼の恨みをかうわけにはいかなかったからね」
ウィレミナ・シェイクスピアの本が消滅し、またすぐに出現した別の本から、白いページの群れが離れて、風に吹かれて宙を舞っていく。
「能力世界の安定のためには、本来なら君は消すべきなのだろう。だが君は『奇跡』の力を抜きにしても優れた超能力者であり、歴史に深く関わるべき英雄、超越者だ。ならば残す。残すべきだ。その方が、人類全体にとってプラスに働く」
それらはウィレミナの姿を覆い隠しながら、紙面に新たな文字を浮かび上がらせていった。
「それじゃあ、歴史の転換点でまた会おう。そのときまで、君が生きていたらの話だが」
ページが突如として消滅するのと同時に、ウィレミナもまた姿を消す。
「……まったく……食えない連中だ」
意識が急速に遠のいていくのがわかる。
理屈はわからない。だが、自分の本来の力が、この能力世界においても異常であることはわかる。脳に多大な負荷がかかってしまうこともだ。
「スワロウの言う通りだな。某には、人を斬ることしかできない。他者を助けることができない。……それでは、何も変わらない」
視界が明滅する。手足の感覚がなくなっていく。
「ヴィクトリア。やはり私には、貴殿が……」
その呟きを最後に、彼女の魂は暗闇の中へと取り込まれていく。
AGEとの正面戦闘による勝利という大偉業を達成したその少女は、その事実を『記録』されることもなく、何事も成し遂げられないという『無力感』におぼれていた。
かつての誰かと、同じように。




