第一章 開幕前-1
第一章 開幕前
1
十月初めの朝。
自分の部屋で紺を基調とした第五高校の制服に着替えていた御影奏多は、突然邸宅中に響き渡る甲高い悲鳴を耳にした。
「……もしかしなくても、アイツだな、この声」
いらだちにわしゃわしゃと髪をかき回す。半ば現実逃避気味にネクタイの位置を直し、制服に皺がないかのチェックにたっぷり時間をかけて、御影はようやく部屋の外へと歩いていった。
長い廊下に、窓の矩形で区切られた太陽光が降り注ぐ。何となく気分がよくなって、大きく伸びをしていたら、左側からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
御影が嫌々そちらに目を向けたのと、ノゾムが廊下に飛び込んできたのが同時だった。
「朝っぱらから騒がしいぞ。一体どんな愉快な事件が起きた」
「ご、ゴキブリ! 食堂にゴキブリが!」
「ほう? それは珍しいな。ウォーレンが幾ら万能でも、邸宅の方が広すぎるってことか。いっそのこと引っ越すか? 学校少し遠くなったし」
「引っ越す? ミカゲン、この家に愛着とかないの!?」
「あるはあるけど、利便性には代えられないからなあ」
制服のポケットに両手を突っ込んで、少し歩幅を狭くして廊下を進む。後ろからノゾムが、ギャンギャン喚きながら付いてきた。
「嫌だよそんなの! ウォーレンの御影家民宿計画はどうなるの!?」
「いや、流石にその計画を素直に認められるほどお人好しじゃないっつうか、馬鹿じゃないというか、何というかなんだが。それはそうと、ゴキブリだな? 自分で何とかしろって言いたいのは山々だが、アイツらを前に逃げ出す気持ちはわからなくもない」
そう言って笑いながら、中央大ホールの階段を一段一段降りていく。窓の外から見える雑木林の群れは、緑から赤、黄、茶と、様々に色を変化させていた。モザイクのパッチワーク。十月。御影としては一番好みであり、なぜだか早足でいなくなる秋が始まっていた。
ホールを抜けて、食堂へと歩いていく。御影はのんびりと歩きながら楽し気に肩を揺らした。
「アイツらは忍者もかくやの俊敏性に、驚くほどの繁殖力と生存力、加えて翼まで持ち合わせているからな。地球の終わりまで存在し続けるだろうよ」
「嫌だよそんなの!? セカイジュウゴキブリマミレトカソンナ……」
「おーい。魂どっか飛びかけてんぞ、お前。しかしアイツらも、害虫ではないのにその見た目だけで嫌われてんだから、ある意味で哀れっつうか、社会の象徴っつうか……」
適当にそんなことを言いながら、御影は食堂に辿り着き、扉を開けた。
黒光りする小さな虫が、テーブルの上に五体ほど居座っていた。
御影はニッコリと微笑むと、完全なる棒読みで言った。
「あ、どうもこんにちは。今日はお日柄も良く。それではさよならまた明日」
そして扉を閉めた。
御影は若干顔を俯かせ、ノゾムは虚ろな目を天井に向けた。しばらくの微妙な沈黙の後に、御影はカッと両目を見開くと、ノゾムの肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
「どういうことだよオイ! 一体何がどうしてこうなった!? あいつらゴキブリだろ!? 忍者だろ!? 忍者なんだから忍べよ、馬鹿じゃないのか!?」
「お、落ち着いてミカゲン! 言ってることが意味わからないよ!?」
「虫の分際で、人間様の家であんな堂々としてんじゃねえって話だ! 生存競争的には逃げて隠れるべきだよな!? なのに俺を見ても動じないって、あれか!? ついにゴキブリエイジイメイジア支配計画がスタートしたのか!?」
「ご、ごきぶりがせかいをしはいするの?」
「白目になって泡吹いてる!? やはり奴は人間の敵か!」
目じりを尖らせ、確かな決意と共にドアノブを握りしめる。悲壮な表情で全身をガクブルと震わせる御影に、ノゾムが涙目になって叫んだ。
「駄目だよミカゲン! あの黒い悪魔に、勝てるわけがない!」
「それでも……それでも俺は、この扉を開けるんだ! 世界を救う、そのために!」
「雰囲気が最終回!?」
「止めてくれるな! 男も女も人間全員度胸が大事! というわけで突撃じゃあ!」
一度大きく深呼吸をして、再びドアノブを掴む。ノゾムへと目を向け、一度頷き合うと、御影は扉を一気に開け放った。
それと同時に、意識を集中させる。脳の思考回路を切り変えるような感覚。部屋の中を睨みつけ、周囲に青の光をまき散らし、御影は食堂の絶対悪へと咆哮した。
「吹き飛べ雑魚どもろうらっしゃぁぁああ!!??」
そして当たり前のように、凄まじい頭痛に襲われてその場に倒れ伏した。
「……能力阻害! クッソ! 久しぶりすぎて忘れてた!」
「馬鹿ァ! ミカゲンのば……イヤァァァァァアアアアアア!?」
耳元で本気の悲鳴を上げられ鼓膜に痛みを覚えながらも、御影は鍛え上げた受身の技術を応用する形で即座に体を起こした。
そしたら、ゴキブリ共が部屋の中を飛び回っていた。
「……………………」
ちょっと意識が吹き飛びかけた。
四月に世界を敵に回し、五月に幼馴染と殺し合い、六月にテロリストと渡り合い、七月に殺人鬼に半殺しにされ、八月に恋人が黒幕枠だったことが発覚し、九月に大失恋をしてもなお元気にこじらせ反抗期だったはずなのに、未知かつ根源的な絶対悪を前にして、完全に戦意が消失してしまっていた。
だが、ここで素直にやられるわけにはいかない。黒い悪魔よ。御影奏多は貴様らになど屈してやらないとも。
自分は無力だ。立ち上がる気力もない。……だから、誰かに助けてもらおう、そうしよう。
「ウォーレンッ! お願い助けてヘルプミー!」
「人生最大の危機で他力本願!? こんなミカゲンは見たくなかったーーッ!!」
「うっせー! ヒーローなんて柄じゃねえんだよ!」
たまらずそう叫んだ次の瞬間、御影とノゾムの間を黒い影が通り抜けた。
ゴキブリではない。人間のものだ。あまりの速さに風が発生し、御影の前髪が揺れ動く。二人して呆然と立ち尽くしている間に、食堂に突入した自称御影家執事、サミュエル・ウォーレンは、左手に不透明のビニール袋を持ち、右手の火箸を目にもとまらぬ速さで突き出した。
何と、箸で空飛ぶゴキブリを掴み、袋に入れていっている。もはや驚きを通り越してあきれ果てる御影の前で、ウォーレンは全てのゴキブリの捕獲を終えると、深々とお辞儀をしてきた。
「申し訳ありません。屋敷の掃除が行き届いていなかったようです」
「……何者だよ、お前」
「御影様の執事ですが、何か?」
「ああ、ハイハイ。お前みたいな有能な執事をもてて幸せですよ、俺は」
苦笑しながらネクタイを直し、御影は食堂に背を向けた。そろそろ登校しなくては遅刻してしまう。第一高校時代とは異なり、遅刻欠席はかなり厳しいので、急がなくてはならなかった。
後ろからトコトコとノゾムがついてくる。大ホールまで来たところで、御影は一度立ち止まり、彼女の方を振り返った。
「前にも話したが、平日俺は基本家を空けることになる。ウォーレンに迷惑かけるなよ」
「それはもちろん。お世話になっているのに、申し訳ないからね」
「そう思うんだったら、自室の整理整頓をしっかりしろ。ひっでえぞアレは」
「……アウ」
御影にデコピンをくらい、ノゾムはくしゃりと顔をゆがめた。羞恥に頬が赤らんでいるが、残念ながら同情の余地はない。あれはない。酷すぎる。具体的な描写を避けたいぐらいには酷い。というか、最近のノゾムは完全なるヒキニートと化している。
外との繋がりが、前世界の技術を流用したスクリーン付きの旧型パソコンしかないのだから、仕方ないと言えば仕方ないが、せめてウォーレンの掃除が追いつくぐらいにしてほしい。
「ほら。さっきもウォーレンに助けてもらったし、これ以上迷惑かけるな。ゴートゥーホーム。駆け足」
「はーい。……何だか、犬みたいな扱いをされてるような気がするのは気のせい?」
「気のせいじゃない。そういえば、今思い出したが、多分今日中に犬が来るぞ」
「……犬?」
突然のことに、ノゾムが首を傾げる。彼女にはこの話はまだしていなかった。
ソニアと御影が共同で飼っていた犬だ。九月の初めに犬の世話をしていたソニアが姿を消し、暫くの間は施設に預けていた。
御影は唇の端を持ち上げて、悪戯な口調で言った。
「この前買ったんだ。一目ぼれしてな」
「一目ぼれ。犬に」
ノゾムがなぜだか恐怖に顔を歪ませる。御影は真顔になって、彼女の両肩を強く掴んだ。
「違うぞ。お前が何を考えてるのかは知らんが、多分違うぞ」
「ミカゲン、ケモナーだったんだね」
「コイツ、マジで言いやがった……ッ! ペットを買っただけで何でそうなる!」
「でも、いきなりどうしたの? ノゾムに満足できなくなった?」
「お前に満足したことなんて一秒たりともない。だから、一目ぼれだって。第一高校を退学処分にされて傷心しきった俺は、癒しを求めてペットショップに行ったわけだ」
「十月の初めから転校まで家の外に出てなかったけど、いつの間に」
「お前の知らぬ間にだ。そしてあの犬……ドッグを購入してだな」
「……ちょっと待って。まさかと思うけど、ドッグってその犬の名前じゃないよね?」
「俺じゃなくてソニア……店員に言え。その名前以外では反応しないんだよ」
「ああ、そう。買う前から名前あったんだ。あと、ソニアさんが店員だったんだ。バイト?」
「そうそう」
「ふうん。で? その犬の特徴は?」
「でかい。多分お前よりもでかい。なんせレオンベルガーだからな。年齢は五歳」
「そんなのがペットショップに売ってるわけないよね!? 売り物としては高齢すぎるしでかすぎる!」
「うっせえな! 小賢しいんだよてめえ!」
ついに言い訳を考えることすら放棄して、御影はわしゃわしゃと髪をかき回した。
「いろいろあるんだ、察しろ! ホーム! 部屋に戻りなさい!」
「やっぱり扱いが犬同然!? 流石のノゾムも、基本的人権を主張したくなるぜ!」
「わかったから部屋の片づけをしろ。俺はもうでかける。戻るのは夕方。話は終わり……って、ちょっと待て。何だこの気配」
周りの様子を気流の動きで確認するのは、もはや無意識レベルのくせになっている。御影式観測レーダーによると、玄関大扉の向こう側に何かいる。間違いない。
そいつは人間大だがなぜか四つん這いになっていて、荒い息を繰り返している。その隣に立つのはもしかしなくてもウォーレンだ。流石、仕事が早い。テレポートか。
なんだか猛烈に嫌な予感がして、御影は大ホールの高い天井を仰ぎ見ると、諦めの笑みを浮かべた。隣でノゾムが騒いでるが全く耳に入ってこない。
「よし、覚悟決めた! 入ってこい、ドッグ!」
そう言って御影が大扉を開け放った次の瞬間。
筋肉質な体を持ち、ライオンのたてがみを思わせる豊富な毛と、ブラックマスクが特徴的な、もっと具体的に言うと、体高七十センチ、体重四十キロ越えの、普通『穏やかで優しい』はずな、超やんちゃ大型犬が飛びかかってきた。
御影がノゾムの隣から一瞬で消え失せた次の瞬間、彼は大ホールに大の字に倒され、胸の上に乗っかったドッグから顔中を舐められていた。
「か……感動の、再会ッ! なんだけど! 死ぬ! 重い! 骨が軋む! ウォーレン!」
「微笑ましい光景ですね」
「貴様雇い主を殺す気かぁぁぁぁァァァァああああアアアアッッッッ!!」
朝っぱらからじたばた暴れて騒いでいたら、ドッグはしばらくして勝手に御影の胸の上から降り、廊下の出入り口を目指してのそのそと歩き出した。
何となく気になって、御影はノゾムとウォーレンを連れ立って、ドッグの後を追った。
客間に辿り着いたドッグは、ソファの一つに飛び乗って占領し、そのまま目を瞑って、数十秒後にはいびきを上げてだした。
「……ねえ、ミカゲン。もしかして今日から、家主交代?」
「でかすぎる犬は逆に家を支配するというが、こんな奴をソニアはどうやって手懐けたんだ?」
「やっぱりさっきの話、嘘だったじゃん」
ノゾムがまなじりを上げて、下からこちらを睨みつけてくる。
「嘘は嫌いか?」
「……誰だってそうだと思うよ?」
「そうかい。いや、そうだよな、うん。嘘はいけない。それが大前提だよな」
御影はしばらくの間、ソファで気持ちよさそうに寝るドッグを見つめていたが、やがて両手をポケットに突っ込むと大股で玄関へと歩き出した。
「急がないと遅刻だ。朝から騒ぎすぎたな」
「ノゾムのせい?」
「そんなことは一言も言っていない。ウォーレン! 悪いがバイクの準備を……」
そう言いながら玄関口から噴水の前に出たら、白い砂利道の上にサイドカー付きのバイクが置いてあった。
御影は両手を広げて、ヒョウと口笛を吹いた。
「わーお。さすがはウォーレン。準備がいい」
教科書類はデータ化されており、先頭実習はもちろん体育も無い以上、持ち物は何もない。そのままバイクにまたがってエンジンを入れた御影に、ノゾムが声を張り上げた。
「ねえ、ミカゲン!」
「何だ! 質問なら手短にな!」
「……元気になった?」
「バーカ。俺はいつだって元気だよ」
エンジンがうなりを上げ、タイヤの回転が白い砂を後方へと飛ばす。
サイドカーに入っていたヘルメットを適当に被り、御影は後ろを振り返ることなくバイクを発進させた。
※ ※ ※ ※ ※
二三九九年。治安維持隊の権威は再び失墜した。
アウタージェイル掃討作戦から七年。ルーク・エイカーからヴィクトリア・レーガンへと元帥が交代し運営されてきた治安維持の活動は、四月一日、五月五日の敗北、そして、七月七日の市民による市民の大虐殺により、完全に瓦解した。
七夕の悪夢から二か月間、レーガン元帥は新元帥への引継ぎ作業に没頭。後継者が軒並み殺害ないし行動不能にされていたのが最大の問題だったが、対立派閥に全ての権限を譲り渡す形で一定の解決を見る。彼女
は治安維持隊を去り、それを歓迎する声も少なくなかった。
「……だが、レーガン元帥がいなくなったことで、ザン・アッディーン殿も治安維持隊を辞した、か。治安維持隊にとっては大打撃。どうなることか」
エンパイア・スカイタワー地下へとおりるエレベーター内部にて。
超越者序列四位、八鳥愛璃のぼやきに、同じく超越者序列五位のマイケル・スワロウがクスクスと肩を揺らした。八鳥愛璃はいつも通りに、楓の模様が入った赤を基本とする着物を着て、長い日本刀を腰に下げている。スワロウはサングラスに革ジャンと柄が悪い。
「レーガン元帥の最大の功績は、今年のエイプリルフールまで超能力者による人的被害を最小限に抑えていたことだ。身内の火消しが主業務とは笑えねえが、重要な仕事だった。当然、アッディーンさんも一役買っていた。序列一位という象徴としてな」
「実際、彼の実力は本物だった。元一位と互角に戦えるのは、彼以外いないだろう」
「ああ。けど、いなくなっちまった。レーガン元帥に心酔していたんだ。案外、俺たちが思うよりも、単純な人だったのかもな。何にせよ、一位の座が空いたことは痛い」
「だが代わりはいる。某と貴殿、そして御影奏多の師である、レイフ・クリケット殿だ」
エレベーターが止まり、分厚い鉄扉が開いていく。スワロウはサングラスを指で押し上げ、八鳥愛璃は着物の端を揺らしながら廊下を進んだ。
「レイフさんねえ。色々と不思議だよな、あの人」
「今更言うまでもないだろうさ。アッディーン殿が最強の一言で示せるとしたら、クリケット殿は最優。あるいは不敗だ。あまりにも完璧に過ぎる。それ故に、最強にはなりがたい」
「ま、仕事人としては最適解なんだから、過度な心配は必要ないだろ」
「違いないな」
二人はそう言って笑いながら、廊下の突き当りにある超越者用控室に辿り着き、勢いよくドアを開け放った。
次の瞬間、リクリエーション用の設備が整った部屋の中央で、序列二位レイフ・クリケットが、両手両足が毛むくじゃらな熊のそれと化した序列七位ロザリンド・ウィルキンスにジャーマンスープレックスを食らわされるという、色々と世界終了な光景を目撃した。
二人は思わず目を合わせて、すぐに逸らすと、無言で扉を閉めた。
「……何が起きたんだ、オラ?」
「某が知るか」
八鳥愛璃が吐き捨てるようにそう言った直後、扉の向こう側から天然二位と狂人七位の愉快なおしゃべりが聞こえてきた。
『ウィルキンス。流石の私でも、ジャーマンはマズイ。危うく首を痛めるところだった』
『何でそれで済むんだ! そこは重傷負っとけ! 俺様が一瞬で治すから!』
『……度し難いな。貴様、何がしたい』
『気分転換だよ! クソ! 何でアイツが、チャンファの代わりに参加するんだ! というかチャンファ死ぬの早すぎだろ! あと、殺した奴が誰か是非知りたい! すっごく興味ある!』
つまりは、相変わらずのノリだった。
超越者の間で最大級の爆弾扱いされていた、ロザリンド・ウィルキンス。基本は研究に没頭しているが、こうしてたまに表に出てくる。そういうときは大抵、レイフ・クリケットと茶番劇を繰り広げる。それをたしなめるのは、序列一位の仕事だったが……。
「何でいなくなっちゃったのかね、アッディーンさんは……ッ!」
「詮無きことを言っても仕方ないだろう。行くぞ、スワロウ」
もう一度ドアを開けた。
そしたら、レイフ・クリケットの背中に、マリ・ウェルソークが飛びついていた。
「遊んで欲しいのです暇なのですヴィクトリア恋しいのですウワーーーンッッ!!」
「それな! 知ってたけど、レーガン放逐とか無能もいいとこだぞ治安維持隊!」
「……やかましいぞ、貴様ら」
何と言うか、秩序という物が欠片も無かった。
マイケル・スワロウはため息を吐いて、灰色に染めた髪を右手で掻き上げた。
「レイフさん。これからあなたが超越者をひきいることになるんですよ? もう少し、その、威厳というものをですね」
「私にそんな甲斐性があると思うか?」
「開き直ってんじゃねえよ、人類最優……ッ!」
というか、革ジャンサングラスのヤンキーと、元極道着物人斬り魔が、超越者の中では比較的まともとはこれいかに。
ちなみに、八鳥愛璃は三年前のヨコハマ騒乱で、反社会的組織に所属し暴れまわっていたのをリクルートされ即超越者に。マイケル・スワロウの方は、七年前にレイフ・クリケットから指導を受けた後に、二年前に超越者に加入している。レーガン支配体制下では、経歴ではなく実力が評価されたことを証明する二人と言えよう。
『上層部としては、八鳥愛璃の離反が心配だろうな』
そう心の中で呟き、スワロウはちらりと彼女の方を振り返った。
今は我関せずと言った様子でソファに腰をかけているが、ヴィクトリア・レーガンが治安維持隊を去ると判明したとき、一番激高していたのは彼女だ。七月七日の『災害』を抑えた功労者を切り捨てるなら自分も隊を抜けると、新元帥に詰め寄っていたのを覚えている。
最終的にはザン・アッディーンの説得で残留を決意したが、内心穏やかではないだろう。
「……ったく。どいつもこいつも、らしくない」
いつの間にか顔を俯かせていたせいでサングラスがずり下がっていたことに気が付いたスワロウは、サングラスのつるの真ん中を指で叩いた。
「それはどういう意味だ、スワロウ?」
レイフ・クリケットが心底不思議そうに問いかけてくる。この人だけは何も変わらないと苦笑しながら、スワロウは肩を竦めてみせた。
「別に? たいしたことじゃありませんよ。それで? 今日超越者を呼び寄せた理由は何なんですか?」
スワロウの言葉に反応する形で、マリ・ウェルソークがレイフの背中から離れ、八鳥愛璃は眉を蠢かせた。ロザリンド・ウィルキンスは眉間にしわを寄せると、近くの壁を思いっきり蹴りつけた。
「……ウィルキンス」
「わかってるよ。これは八つ当たりだ。だけど、俺様はアイツが大っ嫌いなんだよ」
「感情的な問題である以上、共感はできないが理解は示そう。だが少しは自制してくれ」
レイフ・クリケットは超越者の面々を見渡して、腕組みをした。
「毎年行われる、超能力者参加型体育大会。通称『七天祭』。皆も知っての通り、その最終日には、我々超越者と高校生代表による五対五の模擬戦が行われる」
「今年はそこそこに歯ごたえのある者達が期待できるな。特に、御影奏多。……ああ。ラン・シャオナンもいたか。某も高ぶっている」
「俺様としてはミュリエル・ボルテールとカリーナ・エメルトに期待したいね」
八鳥愛璃が長刀をもてあそぶ横でそう呟いたウィルキンスに、レイフ・クリケットが意外そうに片眉を上げた。
「ほう? 貴様が、最終日代表の名前を把握しているとは意外だな」
「多趣味多幸が俺様のモットーだ。どんな場所でも手は抜かないさ。彼女たちには期待できる。もっとも、君たち凡人の期待とは真逆のベクトルだろうけどね」
相変わらず偉そうなウィルキンスだった。実際偉人といってもいい存在だから、余計にたちが悪い。
科学者でありながら、起こすトラブルは多種多様。九月には御影奏多と手を組み、第一高校を混乱の渦に陥れた。本人は多くの趣味に幸いがあって何よりだが、周りを考えて欲しいというのがマイケル・スワロウの本音だった。
「超越者側のメンバーは、私、八鳥、スワロウ、ウィルキンス。そして、リ・チャンファの五人だった。だが、言うまでもなく彼女はもうこの世にいない」
「結局誰に殺されたんですか?」
スワロウの問いかけに、レイフは珍しく釈然としないような曖昧な表情になった。
「それが、何とも判断しがたい。私が駆けつけた時には既にこと切れていた上に、現場には争ったような痕跡はなかった。つまりは、不意打ちだ。相当な実力者によるものだと予想できるが……」
「例の、ボクシという奴の仕業じゃないんですか?」
「それだけは、天地がひっくり返ろうともありえない。彼女の標的は私だったからな」
レイフは自分の言葉を念推すように、何度も頷いた。だがしばらくして、自分が周りの注目を集めているのに気が付き、眉をひそめた。
八鳥愛璃、マリ・ウェルソークのみならず、ロザリンド・ウィルキンスも目を丸くしている。またまた珍しいことにどこか狼狽した様子のレイフに、スワロウが代表して手を上げた。
「いや。レイフさんが、誰かのことを強く擁護するなんて珍しいなと」
「強く擁護? 私が?」
今度はレイフ自身が目を丸くしてしまう。思わず黙り込んだスワロウの前で、彼はあごに右手をあてがい、ブツブツと呟き出した。
「ありえない。それだけは絶対にない。しかし、自我が他者の観測で成り立つ以上……いや、それでも不正解だ。そこには解釈の余地がある。だが……確かに、私が彼女に対し、何らかの論理的理屈をもって対しているのは間違いないのか……?」
「……あのー。何に空回りしてるのか知らないですけど、そろそろ本題をですね」
「む? ……ああ、そうだったな。すまない。少々思考にエラーが生じていた。まあ、これが彼女の望むものである可能性はゼロであることは断言できるが」
またまたこちらにはわからないことを言いながら、レイフは気を取り直すようにこちらに向き直った。
「リ・チャンファが死亡したことにより、最終日『聖天祭』超越者メンバーに一人分の欠員ができている。ヴィクトリアはその穴をアッディーンで補填することを考えていたが……」
「ただでさえ勝ち目ゼロな高校生たちが、さらにかわいそうになるじゃないですか、それ」
「スワロウの言う通り、その案には前から難色が示されていた。そもそも治安維持隊から彼が抜けた以上は不可能だ。よって新元帥は、超越者序列八位を動かす決断を下した」
「序列八位を!?」
驚きの声を上げるスワロウ。八鳥愛璃も目つきを鋭いものにし、ロザリンド・ウィルキンスにいたっては床に唾を吐きつけていた。マリ・ウェルソークはというと、一人会話についていけず、戸惑っている様子だった。
超越者序列八位。戦闘系、研究系の超越者を含めた八人の内、最下位にあたる彼だったが、リ・チャンファが潜入任務を基本として序列が低かったのと同じように、彼にも最下位である理由がある。
自らの居城である国立研究センターから、基本一切動かないこと。
自らの素顔を晒すことを、極度にきらっていること。
つまりは、彼の活動は基本記録されない。誰もがその実力を知りながら、活躍の場を知らない。ある意味でリ・チャンファよりも秘匿された存在である彼は、それ故に底辺を良しとした。
「皆の驚きもわからなくはない。何せ、私を含めた序列一位から六位までの超越者は彼と面識がない。接点があるのは、ロザリンド・ウィルキンスただ一人だ」
ウィルキンスは乱暴な動作で両手を白衣のポケットに突っ込んだ。
「俺様しか接点がない、ね。確かに君たちと彼には接点はないだろうさ。普通に考えればね。ただ、一方的に観察されてはいるだろう」
「どういうことだ?」
「それは自分で考えろ、マイケル・スワロウ。それよりも、彼は本当にここに来るのか? 大方、超越者に彼を紹介するために俺様達を集めたんだろうが……」
「――確かに。君の懸念はもっともだ。凡才であるがゆえに天才を越えた秀才、ロザリンド・ウィルキンス。だが君にとっては残念なことに、僕はオリジナルとして表にでることに、特別な意義を見出した」
部屋の出入り口から、声が聞こえた。一拍遅れて、超越者たちの視線がそちらに集中した。
マイケル・スワロウは、己の肌に鳥肌が立つのを自覚した。
ふと、誰かがよろめく気配がした。部屋中央部に目を向けると、あのレイフ・クリケットが、困惑しきった顔で額に手をあてていた。
「これは……一体全体、どういうことだ?」
「見た通りだと、そう答えておこうか。人類史最優の兵士、レイフ・クリケット」
何かを蹴りつけるような大きな音がしたと思った時には、テーブルがひっくり返されていた。ウィルキンスは肩を上下させながら荒い息を繰り返すと、見たこともないほどの憎悪と敵意をその双眸に宿し、紫の髪のすだれごしに最下位を睨みつけた。
「その顔、やはりそうなのか。吐き気を覚えるね。至上最悪の、才学非凡が」
なぜだかわからない。なぜだかはわからないが、このとき初めて。
マイケル・スワロウにとってもまた化け物でしかなかったはずの超越者の面々が、急に人間味を帯びて見えた。
あたかも、人類にとっての絶対悪たる存在が、この部屋に降臨したかのように。