3.夕立の男、夕凪の男、今来た女。 その2
「あ、こんにちわー。 ここに大衡善継さんて人、働いてませんか?」
―突然の来訪者からの意外な一言にカラダが固まってしまう、因みに頭の中は小パニック状態だったりする、
『誰だこの人?』
『え? 夜のお仕事っぽくないしかも日本人女性から善継さんの名前出てきた?』
『ヤバい! 俺って今どんな表情してる?! 固まったままじゃ失礼だよな!』
必死に志向を巡らせる、この間、実に2秒!
―脳というのは未解明な部分が多い、例えば窮地に追い込まれた大ピンチの場面では、まるで脳内で情報をスパークさせるかのようにさまざまな情報が頭を駆け巡り、その瞬間まるで時間は圧縮されたかのような感覚に陥る。
自分を残した全てがスローモーションに感じる中で一瞬で思考の逡巡を行い次の行動の最適解を導くことができるのだ。
かく言う俺もその不思議な体験のド真ん中にいた… だが俺は2秒でパニックから気持ちを静め、さらに圧縮され密度を増す時間の中で最善の行動を探す…
『そうだ、まずは笑顔だ。』
『そして挨拶、軽い自己紹介も交えれば相手の印象も良くなるはず。』
『とりあえず立ち話もなんだから座ってもらうことにしよう、応接テーブルへ案内しなくては。』
流れるように次に取るべき行動の数々が導き出されて行く。
そうだ、冷静に賢く、思考に要した時間にしておよそ3秒程度であろうか… 俺のとるべき行動は、決まった。
まずは笑顔で挨拶だ。
「…あの、大丈夫ですか…?」
「フヘヒッ!?」
やっべなんか変な声でちった。
「なんかずっと固まってたみたいなので… 忙しかったですか?」
うん、まぁね、そりゃあね、そりゃそうよ。
パニックから回復に2秒、次のアクション考えるのに3秒、初対面の相手の前で5秒もフリーズしてりゃあ相手だって心配するよね。
0.1秒で理解できたわ、あ、今ので冷静になれたわ、なんか逆に。
「あ、いえ、こっちのアレなんで大丈夫です。 とりあえず立ち話も何なのでソファにでもかけててください。」
「え? あ、はい。」
今さらキリッとした態度を取ったところで時すでに遅しという感じは否めないが、『笑顔で挨拶からの軽い自己紹介、爽やかに訪問客のお相手コース』のプランが潰れてしまった今、コミュ障の俺に残っているのは『なんちゃってクールキャラのただの不愛想なヤツ』という、ほぼ素の俺で闘っていくしかないのだ。
とりあえず応接用ソファへ案内する。
「どうぞ、こちらへ。」
「あ、はい、失礼します。」
女性がソファへと腰掛ける、続いて俺もテーブルを挟みソファへと座る。
「…」
「…」
あれ? 俺まで座っちゃってどうすんだコレ? 普通は飲み物くらい出すんだっけ? ヤバいコミュ障が発動しっぱなしで行動が滅茶苦茶だ。
「…とりあえず、飲み物でも、確かお茶かなんかあったと思うんで…」
「あ! いえ大丈夫ですよ?」
「いやいや、座っててください」
テーブルから少し離れる、とは言えそう広くはないオフィスビルの1室だ、間仕切りのない1フロア、壁際においてある腰高の書棚の上にポットを置き、棚の中にコーヒーカップやら茶碗やらを入れた実に簡素で簡易的な給湯スペースだ。
棚を開き中を探る、コーヒーを入れようとするが切らしていたことに気付く、紅茶のティーバッグも無い、こんな時のために日本茶だってあるんだこの事務所には!
棚の上に急須、茶筒、茶碗を置いたは良いが…
「うーん…?」
やり方がわからん。
茶筒に入ってた軽量スプーンみたいなコイツで2つで2杯分取ってもいいものなのかこれは?
それだと濃くなるのか? そもそも急須ってどのくらいお湯入れれば茶碗にどのくらい入るんだ???
「あ? もしかして困ってます?」
「んあぇ?!」
まーた変な声でちった。
それもそのはずだ、ソファに座っていたはずの女性が急須を目の前に佇む俺の横から急にヒョコっと顔を出してきたのだ、心臓に悪いなぁもう。
「わ! びっくりした!」
「あぁいやすいません! 急に話しかけてくるから… 困ってたっていうか、まぁはい困ってました。 何気に使ったことなくて…」
「じゃあ座っててください、あたしやりますよ。」
女性に促されるままにソファへと戻る、すれ違いざまにふわりと甘い香りが広がってくる。
事務所に入ってきた時にも感じた甘い香り、薔薇のような上品でいて強い香り。
この香りは何なんだろう、香水かな? シャンプーかな? …変態かな?
立ち上る香気にうっとりとしてしまう自分に少しの自己嫌悪。
匂いフェチの属性は自分には無かったと思っていたが、何故だか惹かれるモノがある、それは彼女から漂う香りが、ただそれだけのモノだけでなく女性の雰囲気にもマッチしているからだろう。
女性がお茶を入れる後姿をボンヤリと見つめる。
背は…165?女性にしては高身長の部類だろうか。
肩まで伸ばした髪、ボーダー柄のカットソーにショートパンツ、手首につけたシュシュ、一見するとギャルのようにも見えなくもないが言葉遣いや立ち居振る舞いはそれを感じさせない。
うん、ガッツリとガン見してるけどアレだよ?
今後の参考にお茶の入れ方を見てるんだよ?
などと自分で自分に言い訳をする。
女性はと言えば、手際よく準備を進めている。
急須の蓋をあけ茶葉は擦り切り一つより少し多いくらい、そして急須ではなく二つの茶碗にポットからお湯を注ぐ… なるほど、それをそのまま急須に入れればお茶2杯分か。
善継さんをゴリラ呼ばわりしたが俺もチンパンジーかそこらとあまり知力は変わらないのかもしれない。
などと思っていると、女性は茶碗のお湯を急須ではなくポットに戻し始める。
「え? それってなんか意味あるんですか?」
「これはまずお茶碗を温めてたんです、そのまま入れるとすぐぬるくなってしまうので。」
「あー、なるほど…」
「本当はポットじゃなくてヤカンでお湯を沸かして入れると美味しいんですけどね、お茶碗が温まったらもう一度お茶碗にお湯を注いでー、これは計量の意味もあるんですよ? 急須には目盛りとかないですからね。」
フッ、お嬢さん、そこにはボクはもう気づいていたんですよ。
などと妄想でドヤる俺を余所に講義は続く。
「お茶碗にお湯を注いだら湯気がちょっと収まるまで冷まします、お茶がおいしく出る温度がだいたい75度から80度なので… でも待つのはほんの少しでいいです、そうしたら急須にお茶碗からお湯を入れて、少し茶葉を蒸らして…空気に触れると渋くなるので静かに注いで… できましたー! これでわかりました?」
あぁ、この人は、俺にわかりやすくなるようにやってくれていたのか。
すごく、優しい人だ、いいひとなんだなぁ。
「…うまい。」
「でしょう? べつに高級な茶葉じゃなくても一手間で味って結構変わるんですよ?」
「へぇ~… 何かすごい感動しますね… 勉強になりました。」
「いえいえどういたしまして。」
自然と顔が綻んでしまう、ただただ穏やかにゆっくりと優しく時間が流れていく。
ふと今さら重要なことを思い出す。
「そう言えば自己紹介がまだでしたね、俺、木暮佑介って言います。 一応、この事務所の所長です。」
「あ、あたしは小石川みちるって言います。 よかったぁ事務所に入った時から時々変な空気になるからずっと聞き出せずにいたんですよー。」
「あ、あーすいません。」
マジですいません。
「そういえば善継さんの知り合い? なんですか? ちなみに今日はもう善継さん帰ってこないと思うんですけど…」
「あ! そうだったんですね! 別に特に連絡とかしてなくて、この辺でなんか新しいこと始めるって人から聞いて、ちょっと来てみたんです。」
「あー、そうだったんですねぇ。 ほんの2時間くらい前まではいたんですけど… 呼び戻します?」
「いえ! 別にそこまでしなくても大丈夫です。 勝手に来ただけなんで… ところで、ここって何の事務所なんですか?」
「え?」
「表のテナントの看板も下のエレベーターの表札も空白で、事務所のドアにも何も書いてないし…ホントにココなのかなぁって思っちゃいましたよ。」
「……あ!」
―前略、母上様、どうやらこの事務所に勤める二匹の霊長類はヒトではなくゴリラとチンパンジーだったようだ。
おそらくIQが70程度しか無いのだろう、ズボンのベルトを締めてシャツのボタンを留めて二足歩行で活動しているのが奇跡のレベルだ。
無為に過ごしてしまった時間は戻りはしない、だがこれから人類への進化を期待する、健闘を祈る、以上。
脳内で故郷の母を想う通信兵の信号をキャッチする。
「大丈夫ですか? 何かありました?」
「あ、大丈夫です。 こっちのアレなんで。」
などと曖昧な返事をする。
そうかー、そっかぁ〜、全て人任せにしていたけど、この事務所認知度がどうのこうの以前の問題で商売としてのスタートラインにすら立ってなかったかぁ~。
「…看板も表札も、ちょっと発注がまだでして、まぁ今は試運転…的な?」
「へぇ...そうだったんですか」
恐らくは誤魔化せていないだろう。
なぜなら結構大きめな声で「あ!」って言っちゃったから。
まぁ疑問に思いつつ飲み込んではくれたようだ、優しい人で助かる。
「この事務所は、探偵事務所なんです、完成すればですけどね。」
「えっ?! 善継さん今度は探偵始めるんですか?」
「まぁ善継さんって言うか、メインは俺で、善継さんはサポートと言うか助手と言うか…」
「えぇ?! じゃあ善継さんの上司の方だったんですか! 若いのにそんな風に見えないですねぇ...」
「あ、歳は俺の方が下なんです。 事務所の所長って言っても開設費用のほとんどはあの人持ちなんで部下でもあってオーナーでもあるって言うか...ちょっと複雑ですけどね。」
「へぇ~なんか面白い関係ですね!」
目を細め、口元に手を添えて女性が少し笑う。
空気作りの上手い人なのかな、とも思う。
基本初対面の女性の前では緊張しまくりの俺でも普通に会話をしていられる。
「えっと、小石川さんは、」
「あ、みちるで良いですよ!」
「あ、ハイ。 みちるさんは善継さんとはどんな知り合いなんですか?」
「うーん... どんなって言うか、昔少し色々あって、今でもホントに時々連絡を取り合ったりとか、周りの人から噂とか近況が聞こえてきたりとか、そのくらいの距離感の知り合いって言うか…」
昔少し色々あって今は連絡取ってるけど距離は置いている???
オイ、何だそれ元カノか?
普通に日本人と普通の恋愛出来るんじゃないか、ただのプッツンゴリラだと思ってたのに。
「面白い、人ですよね。」
「へ?」
「善継さんが、ですよ。」
「あ、あぁ、まぁそうですよねぇ。」
急に話しかけられた気分でいたが、普通に会話をしていたわけで、相手からすれば俺が急に黙ったように感じたのだろう。
みちるさんのペースで話は続く。
「そっかぁ、今日はいないんだぁ。 連絡すれば良かったですね。」
「今からでも呼べば来ますよ? 呼び出しますか?」
「んー... でも悪いから別に良いですよ、 次は連絡してから来ます。」
「気にしなくても大丈夫だと思うけどなぁ… 何か、意外ですね。」
「? どうかしました?」
「みちるさんと善継さんの組み合わせって。」
「そうなのかなぁ?」
仕事でも無いのに今日の俺はよく喋るな。
少しぬるくなってしまったお茶でノドを潤し、会話を続ける。
「何ていうか、先輩ですけど好き嫌い別れるタイプじゃないですか? やたらうるさいし時々ワケわかんないし。 あの人自体も人の好き嫌い激しそうだし。」
「確かにそうかも知れませんね。 でもあたしも木暮さんも、別に嫌いでもないし嫌われてもないでしょう?」
「あぁ...まぁ...」
「...あの人は、よく晴れた日の天気雨って言うか、夕立みたいな人だと思うんです」
「夕立みたいな人?」
「そうですよ。 急に来て、みんなに少しの迷惑をかける、かも知れないけど... 過ぎて行った後は少し爽やかな感じになって、時間が経てばみんな迷惑だった事すら忘れて... 暑い日には『また夕立でも降れば少しはサッパリするのに!』って思うって言うか… ごめんなさい何言ってるかわからないですよね?」
「いや、何となく、わかります。」
「ホントですかぁ?」
「本当ですよ?」
喋り始めにハッキリと『みんなに迷惑をかけて』ってワードが出た時はどうなる事かと思いきや、着地点はなるほどなと思わせる話だった。
付き合いがまぁまぁ長い俺としては言いたい事はすごく良くわかる。
善継さんのペースで物事をやっている最中は確かに迷惑と感じる時の方が多い、が、終わって時が経つと『これで良かったんだな』と思う時の方が多いのだ。
夕立みたいな人、言い得て妙な例えだと思う。
「木暮さんは...夕凪みたいなひとですね。」
「夕凪?」
「海って夕方、ホンの少しだけ無風のタイミングがあるんです。 風も波も一瞬止まって、それまで感じていた潮風や海の香りも一瞬消えて、それでまた風が吹き始めるんです。」
「へぇ... 初めて聞いたかも、で、なんで俺が夕凪みたいなんですか?」
「え? えぇと、会話の最中に時々一瞬止まるから...みたいな?」
ははぁ~ん、夕立と揃えて「夕」の付く言葉で韻を踏もうとして失敗したな君ぃ。
みちるさんその優しさは酷だぜ。
「あぁ... 止まるから...」
「はい... 止まるんで...」
あ、この空気どうしよ。
この状態こそ夕凪ってヤツか。
「あ、もうこんな時間、結構この席って夕陽が目に刺さりますね。」
「あ、ごめんなさい! ブラインド下げましょうか。」
「いえ! 今日はもう帰ってまた出直します。 今度は連絡しますね... あ、この事務所電話番号って...」
「あー名刺とかも作ってないんでメモで良ければ、書くんで少し待って下さい。」
ネット環境を引くために固定回線も引いていたのだ。
ん?待てよ、善継さんの携帯の番号を直接教えるか? とも思ったが、何か癪に触ったのでやめた。
メモに走り書きした電話番号をみちるさんに渡す。
「ありがとうございます! じゃあ、また、いつか、そのうちに。」
「はい、また来てみて下さい。」
-ほんの数歩の距離、事務所の出入り口までのお見送り。
ドアに手を掛けたみちるさんがふと振り返り、軽くお辞儀をする。
薄く甘い香りを残してみちるさんは帰って行った。
善継さんは夕立のようだと彼女は言っていた。
俺は夕凪のようだとも彼女は言っていた。
俺は彼女を何に例えよう。
俺の名前は木暮佑介、職業は、探偵だ。
推理の経験は、まだない。