虫と雷
どこか西洋を思わせる石造りの建物と、多くの人々が自分の横を通り抜けていく。
街には活気が満ち溢れていて、ガヤガヤと行き交う人の喧騒、商人の客引きの声、露天から漂ってくるスパイシーで美味しそうな匂い、空飛ぶ風船と子供の泣き声。どこの世界でも人の営みというのは、エネルギッシュだ。
やっとこさ、マイカに追いつき横に並んで歩く。
彼女の顔に目をやると額に滲んだ汗が玉となり頬を伝い首元に落ちる。
いつも通りの涼しいキリっとした表情には変わりないのだが、この長きに渡る買い物旅の疲れを隠しきれていない。
「ん、なんですか。私の顔に何か付いていますか」
「いや、なんにも付いてはいないけど・・・お前疲れてないか」
「疲れてなどいません!ですが、ガクがどうしてもと言うならばすぐ近くに美味しいチャイを出しているお店がありますのでそこで涼んでいく事を許しましょう。私は万物に慈悲深いのです。」
相変わらず汗を垂れ流しながら、必死の形相でマイカは答える。
「・・・疲れてんだな。よし!俺も丁度一服したかったんだよ」
仕方ないですねぇと呟くマイカにズルズルと引っ張られチャイ屋の暖簾をくぐった。
店先で店員にホットチャイを二つ注文し料金を払うと、席に座る。
この店は露天に毛が生えたような外装をしていて入口に壁はなく開け放たれていた。
冷房器具などもちろん無く空気を回すだけのプロペラが天井でキシキシ音を立てながら回っているだけ。
だが湿気の少ない聖都では日陰に入るだけで暑さは少しばかり遠くに追いやられる。
ホットチャイを啜りながら、街の喧騒をマイカと共にゆっくりと眺める。
チャイの効果で更に汗が流れるが自然と身体の温度は下がっていく感覚がする。
暑さのキツイ地方ならではの発想だなとガクは感心した。
チャイを飲みきり一段落が着いたガクはマイカに話しかけた。
「ふぅ、まさか一週間前に『磁界』の襲撃があったなんてこの平和さからは想像がつかないよな」
「そうですね、あれは私たち九龍教にも予期せぬ事態でした。私だけの力ではどうすることも出来なかったですし、ガクが居てくれて本当に良かったと思っています」
「あれはほとんどマイカが倒したんじゃ・・・俺がした事と言えばじいさんと逃げただけだと思うんだが」
今、思い出すだけも寒気がガクを襲う。
磁界の兵士をバタバタと倒していた、目の前の少女の強さに。
「ガクがおじい様を避難させてくれたからこそ自由に動けたのですよ。今回は小規模の戦闘だったから、私の力で何とかなりましたが次はどうなるか分かりませんね・・・トランス帯を超えて直接の攻撃は初めての事でしたし」
マイカは自らの能力を【コンデンス】と呼んだ。
体内に電荷を蓄え放出する。
充電時間が長いほどその電気エネルギーは上がっていくがそれと共に照準を保つのが難しくなると説明を受けた。
その為に彼女はガクに、おじい様ことマクスウェルを逃す任務をお願いしたとの訳だ。
能力を使っている時のマイカは美しかった。
チャージを始めると身体は青白くボヤっと発光し、放出すると光は消え去る。あぁ、ホタルみたいだなとガクは感じた。
夏の夜空を彩るホタルの様な細やかで力強い明かり。
戦いの左中であっても、遠目に浮かぶ少女のまたたきに目を奪われ見とれてしまっている自分がいた。
「あの時のマイカは綺麗だったよ。昔見た『綺麗な虫』によく似ていた」
マイカはポカーンとした驚きの表情でガクを見つめた。
すると一転、顔を真っ赤にして大きな声で怒鳴り散らしてくる。
「虫!虫ですか!女の子に虫みたいだなんて良く言えたものですね!」
「い、いや、俺が生まれた場所では夜にお尻が光る虫がいて・・・」
「お、お尻が光る・・・確かにこの電界にも光る虫は何種類もいますが、そんなデリカシーのない事を言ったはガクが初めてです!!」
マイカは、ガンっと音を立てチャイのカップを机に押し付ける。なんだなんだと店中がざわめき出した。
(やっと機嫌直ったと思ったのに・・・まずったなこれは・・・何とかせねば)
――すると、ガクの願いに同調したのだろうか、ポツポツと雨の音が路上を跳ねる。
すぐにその雨は、タライをひっくり返し街を潤す。
ザザザザザと全ての物に跳ね返り激しい音楽を奏で出した。
街を行く人々は皆、建物の中、庇の下、露天の隅にひしめき合い緊急避難する。
傘をさして歩く人などどこにも見受けられなかった。皆、静かに何かを待っている。
街から人々が出す生活はどこかへ消えさり、会話の声さえ聞こえては来ない。
雨の落ちる音だけが我が物顔で街を満たした。
「恵みの雷です」
そう告げるとマイカは両手を合わせ、空に祈りを捧げた。
周りに居る他の客も店員も、さっきまで騒がしかった露天商、はたまた子供までもマイカと同じく祈りを捧げる。ガクも周りにあやかって両手を合わせる。
すると、天空よりパシャン、パシャンと激しいイカヅチが空間を引き裂く。
パシャンパシャンゴロゴロ。パシャンパシャンゴロゴロゴロ。――ヴァシャコーン!
雷は緩急をつけ、時折飛んでくる大きな音にガクはついついビクッと反応してしまう。
この電界の動力源は『雷』であった。
一定周期によって降り注ぐスコールに混じり街中に張り巡らされた『充雷塔』に雷が落ちる。人々はその電気を用いて生活をしていた。
初めてマナブがその光景をマクスウェル教会から見た時には圧倒された物だ。街中に降り注ぐ数多の雷。
幻想的でもあり、それと共に自然に対する畏怖の念が思い起こされた。
どの世界でも人は自然に生かされている。
雷雨は、10分程続いただろうか。
雨は最後に余韻を残しつつ自らを落ち着けていく。
空はさっきまでの荒ぶりを忘れ、青く塗り替えられる。
それと共に、静止した街にはワッとスイッチを切り替えられ活気が顔を出しいつも通りの騒がしさを取り戻した。
空には忘れ形見の様に、大きな2本の虹が渡っていた。
ガクは店から飛び出し虹を指差しながら後方で座るマイカに叫んだ。
「マイカ!見ろよ!2本も虹が出てるぞ!」
マイカははぁ、とため息をつきガクの元へ歩み寄りながら語り始めた。
「2本の虹は和解の合図だと言われています。その昔、まだ電界がばらばらの国々で埋め尽くされていた時、国同士の戦いが絶えませんでした。ですが、全ての国々が統合され、戦いが終わった時、空には神からの祝福として2本の虹がかかっていた。私、感情的にあの・・・ガク・・・ごめんなさい」
「俺の方こそごめん・・・例えが悪かったかもしれない。マイカの長ったらしい説明が戻ってきてくれて嬉しいよ」
「長ったらしい説明って!・・・まぁ、いいですよ。確かにそうですし」
「なんだ、急に物分り良くなったじゃないか、マイカらしくない」
「――本当に貴方は不思議な人ですね。デリカシーのなさは一級品です。」
どこか諦めが浮かぶ表情でマイカは「ですが、」と続ける。
「私は、貴方のような人を求めていたのかもしれません。こうやって思ったことをそのまま話せるような人に」
手を後ろに回し、恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女の笑顔にガクは目を奪われる。
黄金色の髪は雨によってもたらされた清涼さを持つ風でサラサラと揺れ動く。
そして何よりも、
―――必要としてくれている人がいる。その事実がガクには嬉しく感じた。
一週間前から付きまとっている不安感。
「なぜ自分がこの世界に召喚されたのか」という自らへの問。
マイカが言ったのは、彼女にとっては深い意味もない言葉かもしれないが、そんなガクの不安感を緩和させるには十二分な修道女様のありがたい道標であった。
この時ばかりはガクは雷雨を降らせてくれた、この世界の神様に感謝をしてもしきれなかったのだった。




