文官ワイト氏と社長の責任
人類の仇敵である魔王軍が勇者によって倒されてから早くも半年が経っていた。
そんなご時世のヒト族の王国は一つの話題で持ちきりだった。
『王女様が結婚するらしい』
というものだ。
世界を救った勇者一行の聖女である王女様の結婚だ。注目を集めない訳がない。それも、その相手は隣の国の、軍事力ならヒト族最大の王国にも並ぶような巨大国家の王子なのだ。自分達の生活にも少なからず影響はあるし、国民全員が注目していた。
そう、文官も含めて全員が。
「………なあ、なんで軍事同盟の会計が軍部じゃなくてこっちに回ってくるんだよ」
「………軍部も、同盟にあたっての情報共有や、基地の設置で相手方と揉めていて忙しいそうです」
確かに影響があって注目しているのである。王族同士の結婚となれば婚姻関係以外にも様々な契約が成立する。やれ関税の撤廃やら防衛費やら様々な所に影響が出るのだ。
そして、税金やらの費用が絡んだ時点で、皺寄せが来ることが確定した部門がある。それが王国の会計課である。
「………ワイト、疲労忘却魔法頼む」
「………文官長、もう四回目ですが?」
「………俺達は、魔王デスマーチを倒すまでは、何を犠牲にしても生き延びる必要があるんだ………っ」
「………わかりました」
そんな会計課で、十数人の男達が膨大な書類に向き合い、目の下に隈を溜めながらペンと印鑑を振るうという異様な光景が繰り広げられていた。
そして、その中で会計課を統括する文官長に対して、脳から疲れを忘れさせる物質を分泌させる魔法を行使する白骨死体が一人………ワイト氏である。
ワイト氏の手元に召喚した骸骨が資料を運んでくる。すでに会計課は体面やイメージ何てものを捨てて、ワイト氏に召喚させた骸骨で資料の運搬などの雑務を投げている。執務室と資料室の間を書類を抱えた骸骨が行来する様は異様だった。
「………王女様、結婚するらしいな」
「ですね」
「………直属の部下としてどうよ?」
「大変喜ばしいことです」
「………向こう、文官少ないから仕事増えるっぽいぞ」
「………大変………喜ばしいことです………」
相も変わらず両手で複数の書類を整理するワイト氏。ワイト氏は指揮系統的には文官長の部下ではなく、王女様の部下である。
「………あのさ、お前の所属ってどうなるんだ?」
「所属、ですか?」
「王女様が結婚するってことは、お前も向こうの国に行くってことになるんだろ?」
「………まあ、そうでしょうね」
「………てことは、お前、ここからいなくなんの?」
執務室が、時間すら止まったような静寂に包まれた。
この執務室において、ワイト氏の役割は大きい。まず、処理能力自体が人外のそれで、ヒト族の普通の文官が五人束になっても全く敵わない。
次に、魔法で召喚する死霊だ。資料室を死霊室と呼ばせるぐらいに召喚されている死霊は、資料の運搬やお茶汲みなどの雑務に精通しており、尚且つ疲労しないのでどこまでも酷使することができる。
そして、これがワイト氏が執務室で最も必要とされた能力………空間魔法である。
時間と距離を無視してどこにでも移動できるこの力は帰宅や現地視察、不備のあった書類の詳細確認、家に帰ることや離れた場所との通信に重宝されている。
「よっし! 結婚潰そうぜ!」
「そうだ! そうしよう!」
若い文官がそう提案します。隈の酷いその表情で笑う様は最早狂気のそれだった。それでも書類を整理する手が止まらないのは文官としての意地である。
執務室に連絡係が入ってきます。事務課の彼も連日のデスマーチに追われて、いつか遠隔で人と連絡する魔法を習得してやると思いながら関係各所への連絡に奔走していました。
「文官長! 会議の時間です!」
「おっし! 会議いってくる! 軍部に押し付けられた仕事を押し付け返してきてやる!」
「「「「健闘を祈ります!」」」」
「それと、ワイト氏! 王女様が呼んでます!」
「今行く」
「「「「貴様! 逃げる気かっ!」」」」
「社長が第一だ!」
後ろ髪を………と言ってもワイト氏には髪の毛は無いが、ともかく少し申し訳なく思いながらも、自分の直属の上司が呼んでいるのを断れるはずが無いゆえに空間魔法で王女様のもとに転移した。
「社長、ご用件は何でしょうか?」
一応は転移ができないように魔法でセキュリティーがされているはずの王宮内部で平然と転移をやってのけたワイト氏にさほど驚いた様子もなく、王女様は切り出しました
「私が結婚するのはご存知ですか?」
「はい。大変に目出度いことだと心から祝福しております。結婚祝いには永遠の愛をもたらすと有名の魔龍ヨルムンガルドの逆鱗を贈りたいと思っております」
神話でしか倒されたことの無いような生物を殺さないと入手できないようなものを贈り物にする宣言をしたワイト氏を笑って流して、王女様は続けました。
「私が結婚すれば、貴方も彼の国に行くことになります。しかし、それでは貴方が魔王を倒した報奨に望んだ、好きな労働環境で働くというものに反するでしょう。故に、貴方が望むのならば、貴方を正式に文官長の部下として、この国に残らせることも可能です」
「いえ、私が望むのは社長の下で働くことであり、場所は問いません。社長の命の灯火が消えるその日まで、粉骨砕身の思いで働かせて下さい」
「粉骨砕身すれば貴方は消えてしまいますよ。そうですか………私はいい部下を持ちましたね」
「ありがたいお言葉です」
「話は以上です。持ち場に戻ってください」
「はっ」
空間魔法の術式を組み立てる最中、ワイト氏は王女様との会話中に常に抱いていた疑問を口にした。
「………社長。社長は、この婚姻で幸せになれますか?」
隣の国の王子の評判はあまり良いものを聞きません。女遊びに傾倒し、不都合な場合はすぐに殺してしまうなど、一国の王子としては首をかしげてしまうようなものばかりです。しかし、国家という大きな企業の間では、個人の人格は無視されてしまうものです。
ワイト氏のこの問いに、王女様は静かに微笑んで答えました。
「ええ。幸せですよ。この結婚で、国民がさらに豊かになれるというのなら、それが私の幸せです」
まるでそれが、王女の責任であるかのように。
「そうですか。………では」
空間魔法で転移する寸前、ワイト氏は呟きました。
「ならばなぜ………貴女はそれほど悲しそうに笑うのですか………」
それから一週間後、ついに王女様と隣の国の王子様の結婚式です。
隣の国の、由緒正しき神殿で執り行われる結婚式は、両国の重鎮と、王様が見守る最中、伝統に則って順調に進みました。
「健やかなる時も、病める時も、お互いを愛し、支え合うと誓いますか?」
「「誓います」」
顔だけは立派な王子様と王女様が同時に宣言しました。後は、誓いの口付けをして婚姻は完了します。
「これで、両国はますます繁栄することでしょう。それでは、誓いの口付けを」
王子様が王女様の美しいウェディングドレスのヴェールを捲り、顔を近付けます。そして、両者の顔の距離が10センチを切った辺りで、異変は起こりました。
ドンッという衝撃音と共に、空間そのものが震え上がったのです。
「何事だ!」
式場の重鎮の一人が叫びました。
その原因はすぐに明らかになります。神殿の荘厳な扉が開き、魔物から神殿を守るための、強力な結界に大きな亀裂が走っていたのです。
「その婚姻、待ってもらおうか………!」
かつて女神より賜り、魔王すら寄せ付けないと言われた結界の亀裂が広がっていきます。亀裂の発生源は広がった罅で見えませんが、神殿の神官や、隣の国の騎士達は震え上がりました。その発生源にいる存在が、自分達では時間稼ぎにすらならないほど強大な存在だと自覚できてしまったからです。
しかし、王国の騎士達は、何か似たような存在を王城で見たような気が………と思い出そうと必死になっています。
やがて、結界はパリンという音をたてて、呆気なく崩れてしまいました。
結界が無くなり阻むものが無くなった扉を、上等なタキシードに身を包んだ骸骨………ワイト氏が潜ります。
「魔族だ! 早く討伐しろ!」
また誰かが叫びました。しかし、この場において戦う力を持つヒト族は、誰もが動けませんでした。背筋に氷柱でも刺されたような感覚で、足が地面に溶接されているかのように動けないのです。
ワイト氏は、持っていた書類を空中にばら蒔き、全てを空間魔法でそれぞれの重鎮の手元に飛ばしました。
「乱入したことは申し訳なく思っています。しかし! 可及的速やかに報告しなければならない事案がありました! お手元のテキストをご覧ください!」
ワイト氏は、他を黙らせる勢いで叫び、王子様に書類を突きつけました。
「これは、マンドラゴラの種子………煎じて飲めば、恐ろしいほどの多幸感や全能感を感じられ、過度の依存性を持つ国際協定で禁じられた劇薬の取り引きの証拠です」
「他にも、人体を魔物に変える魔人薬の実験。周辺国に甚大な被害が起こる可能性のある禁術の使用履歴。これらは全て、王子個人の邸宅で見付かった証拠です!」
神殿が響動めきました。これが本当ならば、王子はすぐさま廃嫡。国際法によって処刑されなければいけないような事案です。そして、それを裏付けるだけの力がその書類にはありました。
「でたらめだ! 魔族がでたらめを言っている!」
たまらず叫んだ王子様に、ワイト氏はタキシードの胸ポケットから文官証を取り出して言いました。
「申し遅れましたが、私、王国の会計課に勤務する文官、ワイトと申します」
それは言外に、王国の文官としての調査結果だと告げているものであり、同時に神殿に入ってきたヒト族が、王様に告げました。
「王子の個人宅から、大量のマンドラゴラの種子と魔人薬が発見されました! それと一緒に、魔人族の実験体と思わしき半分魔物となったヒト族の死体も発見できました!」
それを聞いて、王子様の表情が青褪めました。
ワイト氏はその一瞬で王女様と王子様の間に転移して、王女様を庇うように王子様から引き剥がします。
「貴様のような男に、社長は渡さん………!」
ワイト氏はそう言って、騒然とする神殿から、転移で抜け出しました。
「隣国の王よ、これは、どういうことですかな? まさか把握していなかったとは言いますまい」
「あっ、いや、これは………」
そして、ワイト氏の攻撃の上に追い討ちをかけるように、王様は隣国の王様に問い詰めました。王女様の結婚は完膚なきまでに白紙に戻ってしまったようです。
「社長。勘違いしないで下さい。国民が一番に願っているのは、王女である貴女の幸せです。貴女の犠牲の上にある幸せを、国民は望みません。斯く言う私も、貴女の幸せを一番に願っております」
この言葉を聞いた王女様の心臓が、トクンと大きく弾んだのは、本人しか知らない話です。
王女様「ところでワイト、どうやってあの証拠を?」
ワイト氏「え? 有休を申請してその間に。前日に申請すれば給料込みで休みが貰えるなんて素晴らしい制度ですね」
文官長「はっはー! このタイミングで有休かよ! ふっざけんな! 一人でも欠けたら仕事倍増じゃねえかあああああ!」
文官A「なんか、婚姻が破談になったんで同盟が白紙になるんで、また予算の再配分するらしいっすよ………」
文官長「………よし、遅れてもいい書類はワイトのデスクに積み上げとけ。全部あいつのせいだ」