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第一幕‐7

中に入るとうこは後ろ手でトイレの鍵を閉める。鍵を閉める音がいやに大きく聞こえた。

 只でさえ狭いトイレの個室に女の子と2人きり。2人の距離は大体15cmくらい。友達同士の距離にしてはかなり近い。

 

 顔を近づければキスなんて容易にできる。

 千敦はまた生唾を飲み込んだ。

 これで期待をするなというほうが人間として、いや男としておかしい。


 うこは上目遣いで千敦を見つめてくる。ふと目が合う。すると人懐っこそうな無邪気な笑みを浮かべる。やっぱり普通に可愛いかった。

 うこの髪から良い匂いが漂ってくる。高いシャンプー使ってるとかそういうことではなく、男とは根本的に違う、女の子特有の優しくて甘くて儚い香り。

 

 どうやら俺は今日で卒業してしまうらしい。もちろん学校ではないほうを。


 気がつくと心臓の鼓動が異常な程早くなっていて、その鼓動はうこに聞こえてしまうじゃないかと思えるくらい大きく脈打っている。

 何だか下半身が熱い、気がする。

 

 「それじゃ、さっさといっちゃおうか?」

 

 そう言うが早いかうこはさらに千敦との距離を縮める。もう抱き合っていると言ってもいいくらいに2人の間には距離がない。

 うこは無言で千敦に向かって手を伸ばしてくる。

 

 けれどその手が千敦のネクタイを外したり、またはワイシャツのボタンを外したり、はたまた首に回ったりすることはなかった。

 期待とは裏腹に、うこは壁ドンをするように千敦の顔の横に手のひらを置いた。

 

 突然地震が起こったかのように地面が揺れ、次の瞬間トイレの床が左右に開き、自分達を支えている床がなくなる。千敦は淡い期待と熱い昂ぶりを抱えたまま、真っ暗な奈落の底へと落ちていった。

  

 何がどうなったのか自分でもよく覚えていない。

 気がつくと千敦は見知らぬ部屋にいた。

 

 部屋は結構広く、まず目につくのは大きなテレビ画面。いやテレビ画面というより映画館のスクリーンに近かった。その大きな画面には細かく網目のような線が入っていて、区分けされた一つ一つの小さな画面に校内の様々な場所が映し出されている。

 

 そのスクリーンの下にはパソコンが何台も置かれていて、どれも画面がついていてちゃんと起動している。また部屋の中央には長細い大きな白い机と、その周りにキャスターがついた移動できる椅子がいくつか置いてある。


 この部屋をとても分かりやすく表現すると、戦隊物とかに出てくる司令室といったところだろうか。

 

 突然こんなところに居たら普通は驚くか叫びそうなものだが、その部屋にいたのが全て千敦の知っている顔ばかりだったので、そこまで混乱したり取り乱したすることはなかった。 

 それでも全く状況が飲み込めていないことに代わりはない。

 

「なんでみんなが……」


 この部屋にいるのは副部長の莉穂と朱梨と沙夜子、そしてうこ。あとは保健医の中島(なかじま)かすみ先生と演劇部顧問の染谷(そめや)先生。そして演劇部員ではないが千敦の幼馴染みである松任谷(まつとうや)祐美(ゆみ)の姿がある。


 祐美とは本当に物心ついたときからいつも一緒だった。あと俗に言う腐れ縁というやつなのか、今のところ小中高は全て同じ学校に通っている。

 

 長い黒髪はポニーテールにして高い位置に結ばれ、色白な肌に顔は結構整っているので余裕で可愛い部類に入るのだが、目がキツネ目というか猫目で口が現在真一文字に結ばれているため、どこか厳しそうというかキツそうな印象を受ける。

 

 でも本当にそういう性格なので仕方ない。

 ただ小学生のときから変わってないんじゃないか、と思える程に背が低いことと相俟って、昔から怒ってもあまり怖くはなかった。


 というか下の方で吠えられても何だか小犬みたいで、頭のポニーテールが揺れると尻尾みたいに見えるため、逆に頭をくしゃくしゃっと撫でてやりたくなる。実際、中学の頃まではよく祐美の頭を撫でていた。

 

 千敦は真っ先に祐美に近づいた。

 目の前に立つと祐美は気まずそうに顔を背ける。

 

 「なんで祐美がこんなところにいるんだよ?!」

 「ちょっと……色々あってね」

 「色々って何だよ!」

 「千敦にいちいち報告する義務なんてないでしょ? 別に親兄弟でも…………ま、ましてや恋人ってわけでもないんだし」

 

 少し早口で捲くし立てると祐美は千敦に背を向ける。

 祐美の言うことは正しかった。いくら幼馴染みとはいえ、何でも自分に報告する義務なんてない。そんなことは千敦も分かっている。


 でも今まで祐美に隠し事をされたことがなかったので、そのことが少しだけショックだった。

 

 「まぁまぁ、痴話喧嘩はそれくらいにしておいてください」

 

 突然優しげで穏やかな声がしたのでそちらに顔を向けると、顧問の染谷先生が相変わらず仏様のような慈愛に満ちた微笑みを浮がている。

 

 染谷先生こと、演劇部の顧問で国語教師の。確か年は60才近いので本当におじいちゃんという感じで、恰幅が良くいつもニコニコ笑っている優しい先生だった。また滅多なことでは怒らない温和な性格なので、教師の中でも好かれている部類に入る。

 

 『痴話喧嘩じゃありません!』

 

 千敦と祐美の声が綺麗に重なり合う。あまり説得力がない。

 

 「まぁその話は今は置いておいて……早速ですが本題に入りましょう」

 「へっ?」

 「突然のことで驚いていると思いますが、先に質問させて下さい。関岡君はトロール……いや、さっきの化け物が見えるんですよね?」

 「はい。普通に見えましたけど」

 

 千敦の返答に染谷は小さく唸ると、顎を擦りながら考え込んでしまう。

 別に見たくて見たわけじゃない。というか、できることなら見たくなかった。


 ましてや見えるだけならともかくあいつらは襲ってきて、朱莉達が助けてくれたから何とか難を逃れることができたが、運が悪ければあのままやられていたかもしれない。

 

 今思い返しても訳が分からなくて、でも命の危機だった割にあまり現実味がない出来事だった。

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