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第一幕-5

5




 それは人のような形をしているけれど、人にしてはどうも全体の形がいびつで変だった。それに全身がこげ茶色に染まっていて、それは人というより人形のように思える。

 普通に考えてかなり異常な光景なのだが、千敦は特に怖いと思わず、何か変だなぁと程度にしか思っていた。現実味があまりなかったからかもしれない。

 そいつがこちらに向かって走ってくるまでは。

 

 突然そいつは物凄い勢いで千敦に向かって走ってくる。それもかなりのスピードで。

 その姿はこちらに近づいてくるにつれて、当然のことだがどんどん大きくなっていく。それはも千敦が想像していたよりもずっと大きかった。

 

 身長は多分2メートル以上あって、全身はやはり焦げ茶色に染まっている。一応顔らしきものはあったが目に当たる部分はくり抜かれたように真っ黒で虚空。鼻はなく口はだらしなく開いたまま。


 形状は主に男性の形をしているが下半身は普通なのに、上半身は異様に筋肉質で少し猫背気味だった。

 とりあえずそれは人間と呼べるものではなく、むしろ化け物と呼ぶべきだった。

 

 千敦の体は石のように固まってしまう。

 よく車に轢かれる直前とかに人は硬直して動けなくなる、というけれどそれは本当の事だったんだな、と身をもって実体験した。

 いよいよその化け物は千敦のすぐ目の前までやってくる。

 

 「……っ……あ、あぁ……」

 

 情けないことに千敦は声すらまともに出せなかった。

 

 でもこんな人気のない所で助けてくれー、と叫んだところで助けになんてすぐには来ないだろうし。この化け物を見て、勇敢にも助けに来てくれる男気に溢れた若者が、この学校にいるのかも怪しい。


 化け物は荒い息を漏らしながら千敦に顔を近づける。まるでファーストキスを奪われそうになる女子みたいに身を縮こまらせ、千敦はしたくもないが身長差的に上目遣いで化け物を見つめる。


 このままじゃ奪われる。というよりきっと食べられる。

 千敦はどうにかしなきゃと必死に頭を回転させるが、逃げるという選択肢以外思い浮ばなかった。


 けれどもまるで頭と体が分離してしまったかのように、全く体が言うことを聞いてくれない。事態は最悪の展開を目指して突き進んでいる。

 

 化け物が口を開く。

 その口はどんどん大きく開いていき、千敦を頭から丸呑みにできそうなほどだった。

 

 そのときなぜか愛の姿が脳裏を掠めた。

 記憶の中の愛が自分のことを好きだと言って、八重歯を覗かせて嬉しそうに笑う。

 

 こんなときに思い出すなんてまるで走馬灯か、まるで大切な人みたいじゃないか。そんなこと一度も思ったことがないのに。可愛いと思っても恋愛を意識したことはなかった。なのに今は胸が痛い。苦しい。なぜだか無性に掻き毟りたてたまらない。

 

 もう訳が分からなくなって、千敦はその場でうあぁぁぁぁぁぁぁ! と大声で叫んだ。

 それに反応するかのように化け物が千敦に襲いかかってくる。

 

 だが次の瞬間、ザクッという土の中に何か尖ったものでも突き刺したかのような音と共に、その体が崩れ去った。もちろん化け物のほうが。

 

 化け物は顔を歪ませるとまるで氷が溶けるように体の形を崩し、やがて廊下の床に沈むとそのまま跡形もなく消え去ってしまった。

 

 「……だから早く帰れって言ったんだよ、関岡」

 

 呆れたように呟かれた声には聞き覚えがあって、千敦がゆっくりと顔を上げる。

 すると呆れているような、困惑しているような、複雑な顔でこちらを見ている朱梨がいた。

 

 だが朱梨は普通ではなかった。

 化け物を倒した時点でもちろん普通ではないのだが、緑色に染まったドリルのような円錐型の底に長い柄がつけられた、馬に乗った中世の騎士が持っていそうな武器を手にしている。

 それなのに格好はいつもの制服姿で、ひどく違和感がある佇まいだった。


 「阿部、先輩……どうしてここに? っていうかなんでそんな変なもの持って、いやその前にあの化け物は何なんですか?!」

 「そんな一度にたくさん言うな! というか説明はしてやりたいがあたしにはできん。バカだからな!」


  朱梨は自慢するように胸を張る。

 性格に反して意外とある胸に一旦は視線を奪われながらも、我に返って視線を顔に移す。

 

 「言い切られても困るんですけど……」

 「説明は多分……あの人がする。それに今は呑気に説明している場合じゃねぇしな」

 

 朱梨は素早く体を反転させると武器を構える。

 すると突然千敦の近くの床に波紋が広がる。その波紋は少しずつ大きくなり、さっきの化け物と同じような奴が顔を覗かせる。

 

 うわぁっ! と驚きの声を上げてその場から飛び退く千敦。

 けれども朱梨は至って冷静で、慣れているのか全く慌てることなく、完全にその姿を現す前に化け物に武器を突き刺す。化け物の顔が苦痛に歪む。

 化け物はまだ肩の辺りまでしか出てきていない状態だったが、床に溶けて消え去った。

 

間。


 「……それ、アリなんですか?」

 「普通にアリだろ。完全に出るまでいちいち待ってる義理なんてねぇし、第一あの状態だとあっちは動けないから楽なんだよ」

 「なんか………すっごいシュールな絵だったんですけど」

 「気にすんな。っうか最近数が多いからよぉ、こうでもしないと追いつかねぇんだよ」


 朱梨は廊下の先に視線を向ける。すると廊下の至るところで波紋が広がる。そして化け物達が次々と顔を覗かせる。その数ざっと数えただけでも5体。


 もうヤダ。逃げだしたい。というのが本音だったが、朱梨を残して男の自分が逃げるというのは情けない。とはいえ朱梨は場慣れしていて、おまけにあいつらを攻撃できる武器を持っている。


 一方自分はこの状況に全くついていけてなくて、おまけに武器もないし、仮にあったとしても戦いたくない。

 もしかしたら自分がこの場にいるほうが朱梨の足手まといになるかもしれない。と心の中で前置きしてから、千敦は逃げてもいいですか? と朱梨に問うた。


 「別にいいけど」


  随分とあっさりとした答えだった。

 すぐさまこの場から離れようと千敦は朱梨に背を向ける。

 

 「逃げるのはいいけどよ、途中でまたあいつらに会って死んで……いや、死にはしないか。ともかく絶対ロクな目に遭わないだろうけど、一切責任取らねぇからな」

 「ここにいさせてください!」

 

 千敦は振り返って即答した

 

 「はぁ…………好きにしろ」

 

 呆れたように朱梨が笑う。

 よくよく考えてみれば、あいつらを倒せる朱梨と一緒に居るのが1番安全に違いない。

 

 たった今そう確信した。

 

 ふと辺りを見回すと化け物達の体は殆どが出かかっている。

 このまま一斉に動かれたら朱梨でも形勢は不利に違いない、朱梨も同意見なのか本当に馬に乗った騎士のように武器を構えたままあいつらに向かって特攻する。そしてそのドリルのような先端で、次々と敵の体を貫いていく。


 朱梨が廊下の端まで行くと5体は砂のように崩れ、そして溶けるように廊下の床に消えていく。さっきまでの光景が嘘のように、廊下はいつもの日常に戻っていた。


 朱梨は泥を払うように武器を振るう。それから千敦がいる方に振り返ると、どんなもんだ、と言わんばかりに自慢げに笑う。

 だが千敦は笑えなかった。


 死角で出現していたのか、それとも隠れていたのかは分からないが、朱梨の後ろに新たに2体の化け物がいたからだ。

 今にも朱梨に襲い掛かろうとする化け物達。


 「阿部先輩、後ろぉぉぉぉぉぉ!」


 千敦はできる限りの大声で叫ぶ。結構距離があったが日頃の発声練習の成果なのか、自分が思っている以上に声が響いた。

 朱梨はすぐに振り向こうとしたが、油断していたせいか少しだけ動作が遅い。

 化け物は2体同時に朱梨に襲いかかる。


 もしかしたら死なないかもしれない。朱梨なら何とかしてしまうのかもしれない。それでも千敦はその場から勢い良く走り出していた。武器もない、根性もない、ヤバくなったらすぐ逃げる。

 そんな千敦だが体力と瞬発力には結構自信があった。


 あの夢のように目の前で誰かが死ぬのは絶対に嫌だった。辛くて悲しくて、今思い出しても胸が痛くなる。あんな思いは二度と味わいたくない。夢の話だけど、それでも嫌なものは嫌だった。

 それに今起こっていることは間違いなく現実だ。


 千敦は颯爽と廊下を走り抜けると、朱梨に向かって手を伸ばし、その体を抱え込むと勢いに乗ったまま前に飛ぶ。それと入れ替わりになる形で、突然左右から素早く影が飛び出てきたかと思うと、一瞬で化け物達を真っ二つにした。 


 体が溶けて廊下の床に消えていく化け物達。

 2つの影は泥を払うように武器を振るうと、1人は紫色に染まった細身の剣を腰につけ、もう1人は1本の剣から枝分かれしたように刃が伸びた、変わった形をしたピンク色の短剣を腰に収める。


 千敦はすぐに声が出なかった。というか少しだけ思考が停止していた。

 でもそれは当然のことで、朱梨に続いてまたも身近な人間が現れたからだった。

 

 「う、うこ! それに勝野先輩も…………な、なんで2人がここに!?」

 「……それはこっちの台詞だから」

 「えっ? えっ? えぇぇぇぇぇ! な、な、な、なんでせっきーがいるの?!」

 

 こちらを見て大げさに驚くうこ。

 千敦は呆れながら今更かよ! と冷静にツッコミを入れ.。

 

 「っていうかさ……せっきーはなんであべ先と抱き合ってんの? えっ? えっ? えっ?ひょっとしてラブ? スクールラブ? きゃぁぁぁぁ!!」

 「…………くだらない」

 

 ムダにはしゃぐうこと呆れている沙夜子。

 対照的な2人に苦笑していると、千敦はいきなり腹を蹴られて強制的に吹っ飛ばされた。

 

 「ぐはっ!」

 

 と呻きながら勢い良く廊下を転がる。約2メートル程。

 

 「い、いつまで抱きついてんだよ! このドアスベ!」

 

 朱梨の顔は茹でタコのように真っ赤に染まっていて、今にも沸騰してしまいそうだった。

 

 「あべ先、ドアスベって何?」

 「こ、これはだな……ドアホとスケベの両方の意味を持つ言葉なんだよ! すげぇだろ?」

 「……全然すごくないと思うけど」

 「あべ先、それマジ新しい! ヤバス、マジヤバス。天才じゃん!」

 

 2人の反応は本当に対照的だった。

 千敦はお腹を押さえながらゆっくりと元の位置に戻る。

 

 すると朱梨が危険を察知した小動物のように千敦から距離を置き、なぜか軽く睨んでくる。

 その顔はさっきより幾分かマシになったが、それでも未だ頬に少し赤みが残っている。

 

 普通に可愛いと思ってしまった。不覚。

 

 そのとき突然、多目的室で聞こえてきたあのバイブ音がまた聞こえてくる。すると3人の顔つきが急に変わり、やや真剣な顔つきでポケットから素早くあのたまご型のオモチャみたいなやつを取り出す。


 どうやら色違いで同じものを持っているらしい。最近女子の間で流行っているものなんだろうか。

 

 「……」

 「うぉぉぉぉ! よく分からないけどすごい!」

 「たっく……あのじぃさんは何考えてんのかマジで分かんねぇ」

 

 その反応は三者三様だったが、なぜか3人の視点が自分に向けられていることが千敦は少しだけ気になった。

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