第四幕-9
訳が分からなかった。何が起こったのか。どうしてこうなったのか。
ただ傷の痛みだけは確かで、攻撃を食らったことだけは分かった。ということは瞬きしている間に全員やられた、ということになる。
「ははっ……マジか」
千敦は乾いた笑い声を漏らしながら1人呟く。
これが死闘からの最後の一撃ということならともかく、相手の様子を見ている限りこれが通常攻撃のようだった。もはや絶望以外の何者もここには存在しない。
力の差があまりにも違いすぎる。微塵も勝てる気がしない。
「でも……でもよ……ここで倒れるわけにはぜってぇー行かねぇ!」
千敦は気力と根性でオーディンを杖代わりにしてどうにか立ち上がる。そして恐れることなく真っ直ぐフェンリルを見つめる。
「馬鹿な小僧だ。大人しく死を享受すればいいものを」
フェンリルが高見で嗤う。
正直怖い。怖くないわけがない。それでも後には引けない。引けるわけがない。自分には守りたいものがある、その守りたいものと一緒に過ごしたい明日がある。 祐美と、演劇部の皆と、須藤と、クラスメートと勿論両親。そして愛。
愛があのとき守ってくれたから今の自分がいる。でもそんな愛に自分は何もしてあげられなかった。何も言えなかった。
だから今度会えたら一言言いたい、ありがとうございました! とお礼が言いたかった。
今になってようやく分かった。
愛が好きかなんてまだ分からない。ただ千敦は一言、愛にそう言いたかったのだ。愛が例え覚えていなくても、この戦いに勝って伝えたい。
千敦は気合を入れるためにうあぁぁぁぁ!大声で叫ぶと、オーディンを力一杯握り締める。
「……大人しくなんて待ってられねぇよ! 立ち上がって、ちゃんと前向いて、魂燃やして頑張らねぇと、俺の欲しい明日がこねぇんだよ!」
そうフェンリルに向かって吠えるとオーディンを刃先を向ける。
「……そういうことだな」
その声に顔を横に向けると、莉穂が立ち上がろうとしているところだった。
「千敦もたまにはいいこと言うね」
「本当にたまにだけどな」
「……でも、言わないよりは良いと思う」
皆かなり傷ついている様子だったが、その目からはまだ光が失われていない。それどころか明日への希望に満ちている。
「ふんっ! 自ら愚行を重ねるとは理解できんな」
フェンリルは吐き捨てるように言うと鼻で笑う。
そのとき突然後方から、ワンワン。あんまり調子に乗ったらダメだよ? と全く場にそぐわない子どもを諭すような優しげ声が聞こえてきた。
グレープしているのに人が来たことに驚いて、千敦達は一斉に後ろに振り返る。そこには1人の女生徒がいた。千敦は思わずある一点に釘付けになる。
突然現れた女生徒は少し明るい茶髪を緩く縦巻きにし、色白で優しく微笑んでいるところからも、柔らかい雰囲気を漂わせていて正に綺麗なお姉様といった感じだった。
何より胸にはたわわにメロンが実っていて、当然千敦の視線が一点集中したのはその部分だった。
でも千敦には気になるとこがあった。
その大きい胸も十分すぎるほど気になるのだが、もうすぐ季節が夏を迎えるというのに女生徒はピンク色の長袖のカーディガンを着ている。
そして手に布製の白い手袋をしているのだが、仮に彼女が潔癖症だとしても左手にだけ手袋をつけているのはあまりにも不自然すぎる。
そんなとき莉穂が驚きの声を上げる。
「どうしてお前がここに?!……もう退院して平気なのか?」
「うん。ようやく退院許可が出たから顔見せに来ただけなんだけど……何だか苦戦してるみたいだから来ちゃった」
「そうか……悪いな、梗」
「ううん。全然大丈夫だよ」
どうやら女生徒は莉穂と知り合いらしく親しげに話しているが、朱莉達でさえ誰だか分からないのか戸惑いが隠せていない。
その視線に気づいたのか女生徒は千敦達の方に近寄ろうとしたが、ふとフェンリルの方を見つめて穏やかな微笑みを浮かべる。
「ごめんね、ワンワン。ちょっと待てしてくれる?」
それは自分の飼い犬に言い聞かせるような物言いだった。
「ん?…………貴様! もしやあのときの女か!」
「覚えててくれたの? 脳筋だからすっかり忘れてたと思ってたのに」
「くっ!」
「でも大変だったんだよ、私。ワンワンに半殺しにされたから1年半も入院しちゃったの」
女生徒は楽しげに笑いながら話していたが、目が全く笑っていない。
何なんだ、この人。と千敦と訝しいんでいると、ようやく視線がこちらに向けられる。
「いきなりの登場で驚かせちゃったわよね。私は3年の、もとい留年して今は2年の演劇部所属、山之内梗です」
女生徒は優しく微笑みながら深々と頭を下げる。
そういえば3年に山之内って人がいると聞いてはいたけど、まさかこんな人だとは想像もしていなかった。想像していたよりも色んな意味で濃ゆい。




