第一幕-4
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本当なら千敦もこのままみんなと一緒に部室に行きたかったが、教室に置いてある鞄を取りに行かないといけないので、途中までうこと2人で話ながら行くことにした。
そう、本来なら笑いながら道中を歩いているはずが、なぜだか今日は全く会話が弾まない。
役者チームの中では1年はこの2人だけなので、こういう移動の行き帰りで話すことが多かった。同年代だから気を遣わないで話せるし、うこはとても人懐っこくておまけに話好きなので、会話が途切れたこと今まで一度もなかった。
だが今日に関しては、千敦が気を遣って色々と話を振っている状態だった。それでも反応があまり良くなくて、会話は2、3言話しただけで止まってしまい、すぐに沈黙になってしまう。
会話が広がるような話題を探そうと頭を回転させるが、なかなか良い話題が思いつかなくて沈黙が続いてしまう。
千敦は沈黙が続くくらいなら適当に何か話そうと、自分が今思ったことを口に出した。
「……俺さ、最初ブラウンって言われたときめっちゃ嫌だったんだよね」
「ふえっ? なんで?」
うこが話に喰いついてきてくれた。
千敦は密かによっしゃ! とガッツポーズしながら話を進める。
「だ、だって台詞も少ないしさ、正直めっちゃ地味な役じゃん? ブラウンって」
「まぁそうだね」
うこが全く迷うことなく同意する。そこは少しは否定してほしかったが、良い流れなのでそのまま話を続けることにした。
「それで俺さ……部長に抗議しに行ったんだよね。今日の昼休み」
「せっきー、すごっ! 自分なら無理。絶対無理! そんなこと言ったら部長オコだもん」
「うっ!」
うこの素直な意見が千敦の胸に突き刺さる。
今にして思えば、よく1人で抗議に行けたものだと自分の行動力に驚いてしまう。でもそれだけ今回の演劇コンクールには賭けていたし、自分の与えられた役がどうしても納得できなかった。
今だってやれるならばゴールド・ロバートがやりたい。けれど自分に与えられたのは地味なブラウンだった。そして与えられた役を精一杯やろうと心に決めたからこそ、千敦はうこに話すことができたのだと思う。
「でも逆に説教されちゃったよ。役者が役を選ぶな、役者は与えられた役を魂燃やして精一杯演じる……ただそれだけなんだよって」
千敦の言葉にうこは何も言い返さなかった。
けれどそれは別に無視しているわけではなく、うこは少し寂しそうな顔をして遠くの方を見つめ、何か考え込んでいるようだった。
「与えられた役を魂燃やして精一杯演じるか……あー、結局そういうことなんかも」
ふと思い出したようにうこがぽつりと呟いた。
「へっ?」
意味が分からなくて千敦は首を傾げる。
「……でもオレンか。 こんなこと言ったらみんなオコだろうけど、今回は主役やりたかったなぁ。あっ、でもこれ秘密ね! こんなこと聞いたら絶対オコだもん」
台本を強く抱きしめながらうこは小さな溜め息を吐く。
誰だってどうせやるなら主役がやりたいはずだ。まぁ脇が美味しいって場合もあるにはあるけれど。とにかく今回は主役が女の子という時点で、千敦には勝ち目のない戦いだった。
だから台本を初めてもらったとき、ちょっとだけ女の子になりたいと思った。
「いや、やるなら主役やりたいっしょ。誰だってそう思うんじゃないの?」
「ニヒヒ……そっか。みんな同じか!」
うこが歯を見せて笑う。
この笑い方をしているうこは本当に可愛い。少しだけ鼓動が高鳴るのを感じながら、千敦はそっとうこから視線を逸らす。
でも不意に自分が何も持っていないことに気づいて足を止めた。
「ん? 何かあったの? せっきー」
千敦は顔を顰めながら口元を覆うと、あー、やっちまった。と小さな声でぼやいた。
「どしたの?」
「…………台本忘れてきた」
「えぇぇぇぇ! それはちょっとドン引きかも」
うこはひとしきり驚いた後で困ったように笑う。
千敦は返す言葉がなかった。
役者をやっていて台本を忘れるなんてありえない事だし、それだけ大切なものだということは自覚している。
「ごめん、ちよっと取ってくるわ!」
千敦はそう言って背を向けると、来た道を慌てて引き返した。いた場所がちょうど中間地点だったこともあり、大して時間がかからずに多目的室に辿り着いた。
着くとすぐに扉に手をかける。けれどもふと、最後に誰かが鍵をかけていくから先に職員室なんじゃと思った。自然と深い溜め息が漏れる。が、なぜか鍵はかかっていなかった。
そのため扉は簡単に横に引けた。千敦は珍しいなぁ。と少し不思議に思ったが、すぐに台本を取れるので逆にラッキーと考え直す。
けれどもそんな考えは部屋の中に入った瞬間に掻き消えた。
千敦の視線は今1点に集中している。
何があったのかは分からないが、朱梨が顔を両手で覆いながら肩を微かに震わせている。
誰かが隣にいたら笑ってるのかなと思えなくもなかったが、1人しかいない今の状況を考えると、泣いているようにしか見えなかった。
ただ男勝りの朱梨が泣くというのが想像できなくて、千敦は戸惑うしかなかった。
朱梨は見た目と同じく中身も男の子のようで、言葉も行動も乱暴でガサツ、思い立ったらすぐに行動に移す猪突猛進タイプだった。でも全体的に大雑把だけど、男みたいにサバサバしているので話やすい先輩ではある。
どうすんだよ、この状況。と千敦はその場で考え込む。
このまま何も見なかったことにして立ち去るべきか、それとも慰めの言葉をかけるべきか。そうして1人迷っていると、結論を出す前に朱梨が顔を上げる。それから至って普通に声をかけられた。
「どうした、関岡。忘れ物でもしたのか?」
そう言って朱梨はいつものようにガハハと豪快に笑う。
でもその目はうっすらと充血していて赤くなっており、瞼は少しだけ腫れている。
「……あ、阿部先輩こそ、何かあったんですか?」
易々と首を突っ込むのもどうかと思ったが、やっぱり気になって仕方なかったので直接聞いてしまった。
「べ、別に何もねぇよ!」
「目、赤いですよ?」
「ただの寝不足だ」
「……頬の辺り、涙の跡がうっすら残ってるのにですか?」
千敦の指摘に朱梨は慌てて頬を触るが、すぐに引っ掛けられたことに気づいたのか顔を露骨に顰めた。
間。
「…………本当に何でもねぇよ。だから気にすんな」
「分かりました。超気になりますけど、表面上は気にしないでおきます」
「何だよ、それ」
朱梨は顔を顰めながらも吹き出すとガハハと笑う。
そのときにはもう、いつもの朱梨の顔に戻っていた。
千敦は安堵して一緒になって笑う。
「だって女の子の秘密を無理矢理聞くとか、男として最低じゃないですか」
「へっ?……あー、まぁそうだよな」
千敦としては普通のことを言ったつもりだったのだが、朱梨にはおかしい言葉に聞こえたのか、少しだけ驚いた顔をしてから突然押し黙ってしまう。
長い間。
朱梨がふと思い出したように、なんでここに戻ってきたんだよ、と千敦に問う。言い難かったが素直に台本を忘れたことを告げた。
「バカか、お前!」
当然のように大声で怒鳴られ、朱梨は足早に近づいてきたかと思うと、千敦の太股の辺りに思い切り蹴りを入れる。
「痛ってぇ!」
千敦は軽く飛び跳ねてから太股を押さた。
朱梨は千敦のワイシャツの襟元をを掴むと、思い切り自分の方に向かって引き寄せる。不謹慎なのは重々承知しているが、顔がかなり近くて千敦は動揺してしまう。
でも近くで見る朱梨の顔は今はまるで般若のようで、それはそれで怖すぎて動揺した。
「端役だからって気抜いてんじゃねぇぞ! 関岡!」
「は、はい!」
朱梨は根が体育会系なので怒らせると本当に怖い。気迫に押されて千敦は何度も何度も頷いていると、どこからか携帯のバイブ音らしきものが聞こえてきた。
だが千敦はこの場に携帯を持ってきていない。というか台本以外に持ち物がないので、音の主は当然朱梨ということになる。もしかして怪しい機械のほうかな、と
千敦が少しだけ期待に胸を膨らませていると、朱梨は小さく舌打ちをする。
それから千敦のワイシャツから手を離すと、スカートのポケットから緑色したたまご型の何かを育成するオモチャみたいなものを取り出す。
「何ですか、それ?」
気になって千敦が覗き込もうとすると、朱梨は素早くそれを遠ざける。
「見んな、バカ!……別に大したもんじゃねぇよ」
たまご型のおもちゃを胸に抱きながら千敦を睨みつける朱梨。少しだけ可愛い。
「えぇぇぇぇ! すんごい気になるんですけど」
「……女の秘密は無理矢理聞かない主義なんだろ? お前」
「それは時と場合によります」
と即答する。
「ふざけんなよ、てめぇ! とにかくお前は今から3分以内に学校を出ろ!」
完全に無茶振りだった。
この学校は無駄に広い。そして多目的室は校舎の端の方にあるため、どんなに千敦が頑張っても10分はかかってしまう。無論、教室に放置してある自分の鞄を取りに行く時間は含めていない。
「3分なんて絶対無理ですよ! 俺、これから鞄を取りに行かないといけないのに」
「うっせぇ! お前の理由なんて知るか」
「そんなこと言ってると、ここで泣いてたことみんなにバラしますよ?」
「蹴り殺すぞ」
「…………サーセン」
最後にもう一度早く帰れ、と念を押すように朱梨は言うと、そのまま千敦の脇を抜けて走って多目的室から出て行ってしまう。
朱梨もいなくなってしまったし、1人でいても仕方がないので千敦は台本を手にすると自分の教室へと向かった。
教室に戻ると自分の鞄を取り、そのまま廊下に出たが、このまま1人で帰るのも何となく寂しくて辺りを見回してみた。
が、クラスメートの姿はないし、知っている生徒の姿もない。
というか誰の姿もなかった。
廊下は全く人気がなく、この学校に誰も生徒がいないのではないかというくらい静まり返っている。何だかひどく物悲しい。
ふと演劇部の皆はもう帰ったんだろうか。今から行ったらまだ部室にいるかなぁ、なんて思って、千敦は部室棟がある方向に向かって歩き出した。
しばらく歩いていると、廊下の角を曲がった先に何やら得体の知れないものが見えて、自然と足が止まった。




