第四幕-5
「めっちゃ弱そうそうなんスけど、あいつ。佐渡ヶ谷先輩がビビるほど強いんスか?」
朱梨の言葉に一同同感で、失礼だけどどう見たってあれはザコキャラの行動だった。
「見た目に騙されるな! あいつとは阿部達が入ってくる少し前、一度だけ戦ったことがあるんだが……危うく全滅しかけた」
莉穂の言葉に場が凍る。とても嘘を言っているようには見えなかったし、当時を思い出しているのかその顔つきはいつになく険しい。
「そ、そんなに強いんですか?!」
「……あぁ。私や愛、今は卒業していない先輩方もボロボロだった。そして1人は重症で病院送り。1人も導かれなかったのが奇跡だったよ」
莉穂は小さく溜め息を吐くとを構え直す。
千敦が再びフェンリル達の方を見ると、立っているのはフェンリルただ1人で、ロキは音楽室の前であぐらをかいて、楽しそうに笑っている。少なくとも今は戦いに参加する気はないらしく、高みの見物といったところだろうか。
「でも前に一度戦ったときは勝った、ってことスよね?」
朱梨がさり気なく莉穂より前に踊り出る。
「確かに。みんな生きていたんですもんね。って、あっちも生きてますけど……」
ふと千敦がフェンリルの方を見ると未だおどおどしていて、今は肩を竦めながらこちらの様子を伺っている。やはり強いとは思えない。
「この間のは引き分けか、まぁ辛勝ってところだな。病院送りの奴が頑張ってくれてな、深手を負わして何とか退散させた」
「なら、いけるっしょ!」
そう言う早いか朱梨は弾丸のように走り出し、フェンリルに突っ込んでいく。
「やめろ、阿部!」
莉穂が声を上げるも朱梨はフェンリルに突っ込んでいく。
「おらぁぁぁぁぁ!」
朱梨は武器であるValkyriesで激しい突きを繰り出すが、それらは全て見切られているかのようにフェンリルは身軽なステップで避ける。
その顔は、おもちゃで遊んでもらっている犬のように目が爛々と輝いていた。
フェンリルは突きの1つを屈んでかわすと、素早く朱梨の懐に潜り込む。
「阿部先輩、下!」
嫌な予感がして千敦は叫んだが、時既に遅く朱梨はフェンリルの掌底を腹に食らっていた。
「ぐはっ!」
その小さな体のどこにそんな力があるのか、朱梨の体は数メートル宙に浮き、落下する。それからしばらくの間朱梨は動かなかった。
静寂。
「朱梨!」
その静寂を破ったのは悲鳴に近い沙夜子の声だった。
やはり同期だから余計に安否が気になるのか、沙夜子が慌てて朱梨の元に駆け寄っていく。それを見て千敦達も朱梨の元に集まる。
でも沙夜子が肩を抱いてその身を起こそうとすると、途中で朱梨が手を突っぱねて自分の力だけでゆっくりと立ち上がる。
「クソッ、痛てぇよ! バカ! たっく……今のであばらを少しやっちまったじゃねぇか」
お腹の辺りを押さえながら朱梨はフェンリルを睨む。
一方のフェンリルはとても楽しそうで、相変わらず目が輝いている。そして投げられた骨でも拾って飼い主のところに持っていく忠犬のように、ロキの元に報告に行っていた。
「この前戦ったときよりも強くなってますね、あの人達!」
「バーカ。メンツが違うんだから当たり前だろ」
「えぇぇぇぇ! 違う人達なんですか?」
小首を傾げながら不思議そうな顔つきで千敦達を見つめるるフェンリル。
どうやら記憶力がないのか、そもそもの頭の容量が少ないのかは定かではないが、1年半前に戦っていたという人達と千敦達との区別がついていなかったらしい。
「全く。そんなんだからこの前の戦いで腕を失くすんだよ、バカワンコ」
「バカワンコはやめてください! それにこの新しい腕も結構気に入ってるんですよ?」
フェンリルは嬉しそうに笑いながら左腕を回す。
傍から見ていると微笑ましい少年少女の会話なのだが、千敦達の中で今この瞬間に気を抜いている者は1人もいない。
廊下には異様な緊張が流れていて、いつでも交戦できるように、フェンリルの些細な動作も見逃さないように神経を張り詰めていた。
話し終えたフェンリルが静かに千敦達の方に向き直る。
雰囲気が先程とは少し違う気がした。
「……ねぇ、ロキ様」
「あん?」
「この人達って、全員食べちゃっていいんですよね?」
フェンリルは舌なめずりをしてほくそ笑む。
そのとき唇の下に鋭い牙が微かに見えた。
千敦の体が悪寒で震える。そして全身に鳥肌が立つ。
「あぁ、お前の好きにしろ」
「良かったぁ! 最近何も食べてないからずーっとお腹が減ってたんですよね」
フェンリルが笑う。
それはさっきの子どものような無邪気な笑みとは全く違う。しいていうなら、うこを殺す寸前にロキが見せた邪悪な笑みに近かった。
悪寒で震える体をどうにか押さえ込んでいると、偶然なのかフェンリルと目が合った。
再びフェンリルが笑う。
千敦を見て、嗤う。
フェンリルが床を蹴るとで千敦に向かってくる。
早い。とてつもないスピードで目の前にやってくると、いつの間に生やしたのか指先から伸びる長い爪を振り下ろしてくるが、寸前のところで莉穂のフレイが間に入ると、バッドをフルスイングするようにして爪を弾く。
一旦後ろに飛んで距離を取るフェンリル。
「気を抜くな、関岡!」
背を向けたままの状態で莉穂が怒鳴る。
「す、すみませんっした!」
とその気迫に負けて頭を下げると、莉穂がフェンリルを見据えたまま指示を出す。
「私と松任谷……そして関岡の3人が中心となってあいつを討つ。阿部と勝野はフォローに回れ」
莉穂の指示に珍しく朱梨が反論する。
「なんでこいつなんスか!? 関岡じゃなくてあたしを使ってください!」
「怪我人に無茶はさせられない」
振り返らないまま間髪入れずに莉穂が答える。
「怪我してたってこいつよりはマシっスよ!」
朱梨に悪意はないのは分かっている、それにしてもなかなか傷つく言葉だった。 少し凹んだ。
でも千敦も莉穂と同じ考えだった。




