第一幕-3
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改めて肉眼でその姿を確認すると、千敦の口からは自然と安堵の溜め息が漏れる。夢だと分かっていても、その姿を肉眼で確認するまでどこか不安だった。
でも愛はちゃんと生きている。立っているし、発声もしているし、おまけにこちらを見て苦笑している。
千敦はすぐにでもジャージに着替えて参加しようと思ったが、鞄を持ってくるのを忘れことに今更になって気がついた。少し凹んだ。
とりあえず制服のままこっそり発声練習に参加する。
すると隣にいた女子が千敦の方を見て、発声しながら白い歯を覗かせて悪戯っ子みたいな無邪気な笑みを浮べる。
それに対して千敦は引き攣った笑みで返した。
女子の名前はうこ。勿論うこというのはあだ名で、本名は高城麗華。確かそんな名前だった気がする。いつも皆にうこと呼ばれているので、たまに本当の名前が分からなくなる。
ちなみになぜうこなのか千敦も知らない。
うこは千敦と同じ1年生で、髪色はやや明るめの茶髪に染まっていて、いつも頭の右上で1つに結っている、いわゆるサイドテールという髪型をすることが多い。
大きな瞳に白い歯を覗かせて笑っているところは結構可愛いくて、また背は女子の平均より少し低いので不意に見上げられるとドキッ! と胸が高鳴るときがある。
でもうこは誰に対しても壁を作らないし、距離が近い奴だった。あといつでも明るくてすごく人懐っこいので、千敦もすぐに仲良くなった。部活内でも皆に可愛がられているし、ムードメーカーのような存在になっている。
参加してから数分で基本の発声は終わり、定番のあめんぼ赤いなというあれに移る。それが終わってからようやく10分間の休憩になった。
千敦はすぐに愛の元へ駆け寄った。
「遅れてすいませんでした、部長!」
そう言うなり深々と頭を下げる。
頭を叩かれるか腹を殴られるくらいの覚悟はしていたが、いつまで経っても衝撃はない。恐る恐る顔を上げると、愛は至って普通の顔つきだった。
特に怒っている様子もなく、逆に謝る千敦に戸惑ってるように見えた。
「……だって保健室に行ってたんでしょ? なら仕方ないじゃん。っていうか部活に来て大丈夫なの?」
「はい。体は全然問題ないんで。それに保健室の天使の許可も出てます」
「なら良いけど。でもほどほどにしときなよ? 体壊したら元も子もないからさ」
愛は千敦の肩を軽く叩くと、水分補給をするために部屋の隅に行ってしまう。
拍子抜けした千敦は呆然と愛の後ろ姿を見つめていた。
だがすぐに怒られなかったし良しとするか、とあっさりと気持ちを切り替えると、次に自分を保健室に運んでくれたという先輩2人の元へ向かった。
ちょうど2人で話していたので、あのー。と様子を伺うように声をかけると会話が止まり、2人の視線が一斉に千敦の方に向けられる。
1人の女子は黒髪でかなりの短髪。かりあげているかのように短く、またかなり背が小さい。もう1人は細身で比較的身長が高く、長い黒髪がよく似合う女子だった。
ちなみに背が低い女子は胸の前に2つの膨らみがなかったら、完全に小学生の男の子にしか見えないのだが、実は自分より1つ年上で2年の阿部朱莉先輩だ。
「俺は全然覚えてないんですけど、何でも保健室に連れて行ってもらったみたいで……本当にすみませんでした! それと、ありがとうございます!」
「あー、そのことか。んなこと気にすんなって、困ったときはお互い様だろ?」
朱梨は短い髪を搔きながらガハハと豪快に笑う。
本当に男の子みたいな女の子だが、見た目に似合わず声がすごく可愛いらしくて、密かな萌えポイントだと千敦は前々から目をつけている。
「勝野先輩もありがとうございます」
「……今度から気をつけて。学校は色々と危ないことが多いから」
一方細身の女子は落ち着いた声で淡々と話す。
同じく2年の勝野沙夜子先輩は寡黙というほどでもないが、無駄なことは喋らない人だった。でも沙夜子は正統派の綺麗系だから千敦は単純に好きだった。
お礼を言い終わると少しだけ先輩達と雑談した。けれども休憩は10分なのですぐに終わってしまい、愛が集合! と手を叩きながら叫ぶと全員が小走りで中央に集まる。
全員と言っても、この場には役者チームの7名しかいない。本当はあと2人、3年の先輩と同じく3年の先輩がいて9名なのだが、2人とも今日の練習には来ていない。
でも室木先輩は元々練習や集まりにはあまり参加しない人だし、山之内先輩に至っては幽霊部員なのか千敦はまだ1回も会ったことがなかった。
余談だが演劇部の部員は全部で20人程で、そのうち役者が9名であとは衣装や大道具などの裏方をしてくれている。けれど基本的に大会や文化祭で全体召集がかかる時しか集まらないので、裏方の子の殆どが他の部活と掛け持ちだった。
「それじゃ莉穂、あとはよろしく」
いつものように愛は副部長の莉穂に丸投げする。
愛はいつも人を集めるだけで、詳しい説明は副部長である莉穂にやらせている。そして最後にまとめとして簡単に話す、というパターンだった。
だが冷静に仕切ってくれる莉穂の様子が今日は何だかおかしくて、愛の言葉も上の空といった様子で反応が鈍い。そういえばどことなく顔色も悪い気がする。
「莉穂? 莉穂ってば! どうかしたの?」
「…………ん? あぁ、すまない。少しボーっとしてた」
ようやく我に返った莉穂だったが、すまなそうに謝る姿もどこか弱々しい。
「もしかして具合悪いの?」
やはり反応が鈍い莉穂はすぐに言葉を返さず、愛のことをしばらく見つめた後でそっと視線を横に逸らす。そして何でもない、大丈夫だ。と極めて冷静な声で答えた。
それから少しわざとらしい咳払いをして仕切り直すと、千敦達の方に顔を向けて淡々と全国コンクールに向けてやる演劇の役名を発表していく。
ちなみにコンクール用の脚本は莉穂が書いたもので、それを愛かたまに沙夜子が演出しているらしい。千敦は今年入ったばかりなので詳しいことは分からないのだが、今回はさすがに部長の愛が演出するようだった。
簡単に本の内容を説明すると、舞台はとある港町の酒場。場所はヨーロッパら辺、莉穂曰くスペインらしい。
時代は17世紀頃、海賊を夢見る主人公の少女レッディは、何かのきっかけになればと町の酒場で働いていた。そこに超有名な海賊であるゴールド・ロバーツが現れる。ゴールドの海賊団に入れてくれと頼むレッディだったが、女を入れる気はないと断るゴールド。
そこで色々と事件が起きて、レッディの中にも海賊になるべきなのか、普通に生きるべきなのか、そもそも海賊とは何なのか。様々な葛藤が生まれてくる。そんなある日、残虐非道と悪名高い女海賊、ブルーソワ・ロローネが町に攻め込んでくる。
町の人達には色々と世話になったので、恩義を返そうと町の為に戦おうとするゴールド。レッディも町を守るために共に戦うことを決意するが――という感じの話になっている。
今回主役であるレッディに選ばれたのは朱梨だった。
本人も名前を呼ばれた瞬間、よっしぁぁ!と大声で吠えてガッツポーズをしていた。
そしてゴールド・ロバーツはここにいない室木先輩。ブルーソワ・ロローネは沙夜子で、うこはレッドの身を心配する友達役のオレン。そして酒場のママで、町のマドンナでもあるピンキーさんに、なぜか男子で2年の鈴木先輩。
まさかピンキーさんに選ばれるとは思っていなかった鈴木先輩は、かなり動揺していたけれど重要な役なので頑張ると燃えていた。
でも先輩なのに失礼だけど、鈴木先輩は元々なよなよしているのでちょっとだけそっちの方ぽっい。改めて考えると良い選択なのかもしれない。
ちなみに千敦の役のブラウンはゴールドの手下その1で、舞台に出てはいるけれど台詞があまりない。愛と莉穂は今回は裏方に徹するらしく、手下その2とその3として少しだけしか舞台に参加しない。
役の決め方は前からそうかなのかは分からないが、今回は愛と莉穂と顧問の先生との話し合いで決めたと聞いている。ともかく今日で役も無事に決まったので、次の練習から本読みやいけるなら立ち稽古に入りたいと莉穂が言っていた。
「で、今日はこのまま解散してもいいんだけど……何なら軽く本読みしていく?」
愛の提案に朱梨は飛び跳ねる勢いで手を上げて、やりたい! やりたい! と大声で叫びながら熱望する。
その様子に一同苦笑しながらも、早く芝居をやりたいという気持ちはみんな一緒なのか、結局本読みをすることになった。
今回代役としてゴールド・ロバーツを愛がやり、地の文というかト書きの部分を莉穂が読む。こうしてそれぞれの役で読み回しが始まった。
まだ本読みの状態だったけたれど、やっぱり愛は上手かった。そしてそれに引けを取らないほど沙夜子もまた上手かった。
今日役を貰ったというのに、前もって練習したかのように馴染んでいる。沙夜子はあまり存在感がある先輩ではないが、演技をすると急に輝く出すというか、本当に人が変わったように登場人物がそのまま現実に現れたかのような感覚に陥る。
それでも演技としては愛の方が一枚上手だった。
何がどう上手いと言葉で説明するよりも、もう感覚的に上手いというのが誰でも分かる。そういう上手さだった。やっぱり部長はすげぇなぁ! と内心感動しながら、千敦はまるでお客さんの気分で本読みを楽しんでいた。
本読みと言っても音読なので大体1時間くらいで終わった。
今日はこのまま解散ということになり、そのまま各自荷物が置いてある部室に帰ることとなった。




